円を描く
永里茜
円を描く
彼は、マレー群島がまとまった一つの国であるalternative universeについて思いを馳せる。国境が半島や島ごとに分かれていないのが気にくわないのだ。特に直線的な国境には辛抱ならない。もちろん北朝鮮と韓国は一つの国となるべきだし、カナダすらアメリカの五十一番目の州として追加されるべきだ。そうした考え事は夜分、家の周囲をぐるぐると周りながら作り上げていく。2時間でも3時間でもそうして歩き回りつづける。大きな円であれ、回転がゆるやかな眩暈の感覚を与えてくる。運動が脳にも回転を与え、思考は脱線し、今週のマンガの展開から量子力学の論文の内容にまで及び、連なってまた空想世界地図の下に戻る。近所には一軒も無い、ただ畑が広がっているばかりの色濃い暗闇。自宅の窓明かりにうすく地面が照らされるのを頼りに、回転。また回転。それは日課だった。これ無しでは体調を崩した。
大学付きの寮に移り、円を描くことの無くなってひと月、腹を痛めた。張り切った腸の感覚が脂肪の奥から下腹を突き上げる。詰まっている。腹筋に力を入れることが出来ないで体幹を失い、ぐにゃりとソファに寄りかかる。冷たい汗がじっとりとこめかみを垂れる。薄いブランケットを一枚かぶって息を深く吸う、姿勢を変える、腹にある不快感は消えようもなく、二の腕に鳥肌が立つ。食欲は無い。肉を思い浮かべるだけでも消化器官が受け容れられない、と信号を出している。水に溶けるような糞が出る。酷い立ちくらみがする。眼球に行き切らない血のせいで、視界の画質が落ちる。脳の血管がぶくぶく音を立てて、耳鳴りになり、眉間が歪む。夜は更けていき、ベッドのスプリングばかりがキシキシ音を立てる。まどろんだような感覚が二つ三つ通り過ぎて、もう朝びかりがカーテンの隙間から漏れる。これもまた気に食わない。
そもそも完全な、無音の暗闇が作れなければ眠れないのだ。時計のチクタクいう音にも耐えきれなければ、雨戸なしの窓から射すひかりも睡眠を阻害する。消化という労働を終えて腸の痛みは大人しくなった。肛門から四つ五つガスを排出する。張りもゆるむ。腰をごりごりとひねってやる。また屁が出る。大腸が適切に水分を吸収できずにいて、ひどく喉が乾いた。枕元に置いたガラスのコップから水を飲む。お供えものに手を付ける死人の気分だ。足を床におろす。血が行き届いたら、ゆっくりと腰を起こす。両手をこぶしにしてはまた開いて、感覚を確かめる。睡眠の足りない頭は余計貧血を起こしやすい。身体が起動するまでは座ったまま、ぼうっとしている。彼はぼうっとしたまま、周回する自らを思い浮かべる。これは良かった。自分の代わりに自分が円を描いてくれている、これには救われたものだった
円を描く 永里茜 @nagomiblue
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