四、 見つけた答え

「黙っていなくなって、すまなかった」


 御座所に戻って開口一番、炉神は言った。


「朝早かったのと、気が急いていたので付喪神たちに言伝せずに出かけたんだ。まさかこれ程大騒ぎになるとは思わず……。そなたも、私を探してくれたのだろう? 危険な目に遭わせてしまい、申し訳ない」


 頭を下げる炉神に、紗々良は泡を食った。


「あ、頭をお上げください! 炉神さまは悪くないです! あれはわたしの不注意で起こったことですから!」

「しかし……」


 まだなにか言いたげな炉神に、紗々良は話題の転換を試みることにした。

 仕えている神から謝られるなど、恐れ多すぎて生きた心地がしない。


「あ、あの。炉神さまは一体、どちらへお出かけになったのですか……?」

「ああ」 


 炉神ははっとしたような顔で水干の袖に手を突っ込み、なにかをつかみ出した。


「これをもらってきた」


 炉神が手にしているのは、一輪の竜胆だった。

 彼がふっと息を吹きかけると、青紫の花は一瞬にして増殖した。まるで手妻てづまを見ているかのようだ。

 

 紗々良が目を白黒させていると、炉神は竜胆の花束を差し出してきた。


「どうぞ、紗々良」

「え、ええ? これを、わたしにくださるんですか?」

「もちろん。そのために、季神に頼んでもらってきた」

 

 季神は、四季を司る神だ。

 炉神が早朝から出かけた先は、季神のところだったのか。


「私が司る月は霜月で、そなたの生まれ月も霜月だ。だから、その頃に咲く花を所望したのだけれども……気に入らなかった?」

「とんでもない!」


 風を切る音が聞こえそうなほど勢いよく、紗々良は首を振った。


「嬉しいです、これ以上ないぐらい! ですが、その……。わたしには、いただく理由がないです」

「理由はある」


 炉神は紗々良の手にそっと竜胆の束を握らせた。


「これは歓迎の気持ちと、そなたを苦しめたことに対する謝罪の気持ちだ」


 紗々良は目をまたたいた。炉神の言葉が、すぐには理解できなかった。


「望んでもいない力を押しつけられる苦しさは、私が一番よくわかっていたというのに。そなたがどう思うか考えが足りていなかった」


 力を押しつけられるとはどういうことだろう。

 炉神の力は、元々彼のものではなかったのだろうか?

 疑問が顔に表れていたのか、炉神は微かに笑みを浮かべた。


「私は元々人間だったんだ。鍛冶職人として名声が高まっていた最中、若くして死んだ。それを惜しんだ人々が、私を神として祀り、私は炉神になった。私は神になりたいと思ったことはないし、神の力を得て嬉しいと思ったこともない。今はこの力を受け入れているけれど、神になりたての頃は持て余し気味だったよ」

「そうだったんですか……」


 炉神が元人間。

 そんなことは考えたこともなかったので、紗々良はまじまじと目の前の神を見つめた。


「それはさておき、この竜胆、歓迎の印として贈るにはずいぶん遅くなってしまったな。……本当は、包丁を贈りたかったんだ。だが、火を使って作られたものではそなたが喜ばないかと思って、やめにした」

「え……」


 紗々良は目を丸くした。


「もしや、連日鍛冶場におこもりになっていたのは、包丁を作っていらしたからなのですか?」

「……なかなか納得のいく品ができなくて。そのせいで、時間が掛かってしまった」


 炉神は気まずそうに目を逸らした。

 紗々良は胸に込みあげてくるものがあって、思わず竜胆を握りしめた。


(この方は、わたしを全く責めない。それどころか、自分に非があると言い、わたしの身を気づかってくれている……)


 自分はあんなに無礼な言葉を投げつけてしまったのに。

 なんだか泣きたい気持ちになって、紗々良は唇を噛みしめた。


「炉神さま。申し訳ございませんでした」


 紗々良は板の間に額をつけて謝った。


「炉神さまのお心遣いを無下にして、自分の気持ちばかりを優先し、押しつけてしまいました。あなたさまが謝られる必要は全くありません。謝らなければならないのは、愚かなことを考えたわたしの方です」

「紗々良……」

「過去に囚われ続けているのは、この力があるせいだと思っていました。ですが、そうではない。力があろうがなかろうが、生き残っていれば、わたしは罪悪感を抱き続け、後悔し続けたでしょう。恩寵の火を、辛い過去を吹っ切ることのできない言い訳にするのはもうやめにします。恩寵の火をいただいたおかげで、わたしは生き延びることができましたし、炉神さまとこうしてお言葉を交わすこともできるのですから」


 顔を上げた紗々良は、泣き笑いの表情で言った。


「……この力をくださって、本当にありがとうございました。炉神さま」

 

 炉神はくしゃりと顔を歪めると、やにわに紗々良を抱き寄せた。


「ろ、炉神さま!?」

「こちらこそありがとう、私の力を受け入れてくれて。……実はそなたに拒絶されて、少し悲しかったんだ」

「もっ、申し訳ございません!」

「いいよ、もう。……少しだけ、こうさせてもらえれば」

「は、はい!」


 元気よく返事した後、紗々良は真っ赤になった。

 これほど至近距離で異性と密着するのは初めてだ。それも仕えている神なのだから、なおさらどうしたらいいのかわからない。


「あ、あの」

「なに?」

「包丁、嫌いじゃないです。むしろ包丁がないと困ります、調理できないので。ええっと、つまり……今まで作られた包丁、全部いただけると嬉しいです!」

「全部?」

「はい。炉神さまがお気に召さなかったものも、全部!」


 そう口にしてから、あまりにも強欲だろうかと紗々良は不安になった。

 しかし、炉神はくすりと笑って言った。


「もちろん、あげるよ。そなたが求めるものなら、なんだって」


 その声があまりにも優しかったので、紗々良は気恥ずかしくなって炉神の肩に額を押しつけた。


(わたしの力がこの優しい神さまからのものなら、もう拒否する理由なんてない)


 故郷を失ってから、これほど満ち足りた気持ちになったのは初めてだった。

 まだ赤みの残った顔で、紗々良は微笑んだ。



***



「炉神さまと紗々良さま、良い雰囲気だね!」 

「しー! 静かになさい」


 炉神の御座所から御簾を隔てた反対側には、画霊の虎と化け箒の姿があった。

 画霊が宿っている屏風の影に隠れた彼らは、御簾の向こうをこっそりと見守っていた。


「でも僕、不思議なんだよね。なんで炉神さまは紗々良さまにそっけなかったの?」

「それは……」


 画霊は深々とため息をついた。


「炉神さまは、巫女だった紗々良さまに一目惚れされたのですよ。それで紗々良さまがこちらに来られてからは、恥ずかしくて目も合わせられなかったという訳です」

「ええ、そんな理由だったの!?」


 化け箒は愕然とした様子で小さく叫んだ。


「じゃあ、人間みたいな夫婦生活をしていないのは」

「炉神さまは奥手すぎるので……。友人も恋人も飛ばして夫婦になる心構えができていなかったのでしょう」

「僕たちの神さま、初心すぎじゃない……?」


 化け箒はその場に突っ伏した。傍目からは、ただ倒れただけにしか見えなかったが。

 炉神と伴侶の前途多難な行く末を思って、画霊はやれやれと首を振ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

槌聞山の神さまにこいねがうことは 水町 汐里 @Ql96hk

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ