こんな朝

押見五六三

全1話

 鈍色の深い霧が辺り一面に立ち込める。

 あの日もこんな朝だった。

 山麓の早朝は夏でも肌寒い。

 外に出ると山風が、遠くに居る鳥達の囀りと共に朝の香りを運んでくれた。

 俺はトランクに重い荷物を積み、エンジンをかけて車を走らせる。

 あの日もこんな視界の悪い中、車を走らせたのだろうか?

 俺はあの日の事を前日から思い返していた。

 ニ十年以上前の事を……。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 あれは俺が二十歳に成った記念に日本一周ツーリングを決行していた時の事だ。

 オートバイで一人、その日の宿も決めずに気ままに旅をする。日が暮れたら近くのゲストハウスかユースホステルを探し、予約もせずに飛び込みで泊まる。見つからなかったら野宿をするという、そんな自由でワイルドな旅をしていたのだ。


 ツーリングを初めてから10日目、俺はサービスエリアで地図を広げて次は何処に向かうか悩んでいた。そして数キロ先に競馬場が有るのに気付き、その日が開催日だと調べて知る。俺は二十歳の記念だからと生まれて初めて競馬をする事にした。

 競馬場に着いのは良いが、買い方も知らなかった俺に競走馬の良し悪しが分かるはずもなく、どうせ当たらないだろとマークカードに誕生日の数字を塗りつぶして適当に馬券を買った。これがまさかの超万馬券に成り、俺は一千万もの思いがけない大金を手にすることになる。

 バックパックに札束を無理矢理詰め込み、喜び勇んでオートバイを走らせた。

 豪遊がしたくて隠れ宿的な高級旅館を目指して山奥へと向かう。だが、探しあてた旅館は全て満室で、飛び込みで泊めてもらえる所は見つからなかった。

 日が完全に暮れ、大金を持ったまま野宿するわけにもいかない俺は仕方なく豪遊を諦め、もう何処でもいいので近くの宿泊施設を探しだした。かなり山中に来ていたので中々見つからなかったが、人里からかなり離れた所でペンションの看板が偶々目に映り、看板が示す方向に合わせて舗装もされてない山道に入った。

 山道を暫く走ると、山中にポツンと一軒だけ2階建ての真新しいペンションが立っているのを見つける。周りには小さな自家農園が有るが、それ以外は特に何もない。少し離れた所に湖が有るので、釣り人が利用しているペンションなのかも知れないと思った。

 扉を開けると、部屋の中央テーブルに二十代と思われる若い夫妻がテレビを見ながら寛いでいるのが見えた。向こうが俺に気づくと驚いた顔をして「お泊りの方ですか?」と聞いてきた。夫妻はペンションのオーナーで、どうやら今日は誰も宿泊客の予定が無かったみたいだ。俺が「近くに宿が見つからないので」と、事情を話したら快く泊めてくれた。

 夜の急な来客にも関わらず、若い夫妻は新鮮な野菜料理や湖で取れた魚料理などを提供してくれた。料理がかなり美味しくてビールが進み、俺は完全に酔っ払ってしまう。そして気が緩んで重大な失敗を犯すことに。

 俺は昼間に超万馬券を当てた事を夫妻に話し、調子に乗ってバッグを開け、中の大金を見せてしまったのだ。大金を見た夫妻の顔つきが一瞬で変わった。さっきまで冗談を言って笑っていた主人は真剣な面持ちで「半分で良いから貸して欲しい」と言ってきた。話を聞くとペンション経営がうまくいっておらず、借金がかなり有るそうだ。俺は会ったばかりの人にそんな大金を貸すわけにもいかず、「五十万なら良いですよ」と言った。俺的にはどうせ今夜は豪遊するつもりだったし、こんな時間に泊めてくれて美味しい料理も出してくれたから、その御礼のつもりだった。勿論、五十万は返ってこなくても良かったのだ。主人は悩んでいたが、「いや、やっぱりお会いしたばかりのお客様に、こんな事をお願いするのは失礼でした」と言って断わってきた。でも俺は翌朝、宿泊料を払う時に五十万を渡すつもりだった。

 翌朝早くに旅立つ事を告げた俺は、2階のゲストルームに案内される。部屋はアンティーク家具が置いてある洒落たツインルームだった。窓のカーテンを開けると、暗闇の中でも遠くに湖が有るのが分かる。これは満天の星空のおかげだろう。星空には大きな満月も映え、更に月は湖面に分身を写しだしている。幻想的な光景だ。今度は彼女とココに来たいと思った。

 酒の入っていた俺は、宿泊先を親や彼女に連絡するのも忘れたまま、ベッドに入って直ぐに熟睡してしまったのだが、トイレに行きたく成って夜中に一度目を覚ます。時計を見ると午前2時だった。俺はオーナー夫妻を起こさないよう、そっと部屋を抜け出して2階のトイレに入った。トイレで用を足し、廊下に出てから気づいたのだが、下から話し声が漏れている。気に成って階段を途中まで降りて下を覗くと、1階にはまだ電気が灯っており、夫妻がヒソヒソと会話をしているのが見えた。俺は少し怖くなり、足音を立てないようゆっくり部屋に戻り、しっかり部屋の鍵をかけてから再び寝た。


 午前6時。俺は冷気で目を覚ます。

 カーテンを開けると昨夜とは違い、湖は見えなかった。

 鈍色の深い霧が辺り一面に立ち込めていて、数メートル先もはっきり見えないのだ。

 こんな深い霧は初めて見た。

 窓を開けると爽やかな風が朝の香りを運んできてくれたが、肌寒くて何処か不気味に感じる。気のせいだろうか?

 顔を洗い、着替えて1階に降りると夫妻がテーブルに朝食の用意をしていた。俺は朝食を食べずに出発するつもりだったのだが、夫妻に「この霧では危険だから晴れるまで待った方が良い」と言われ、ごもっともだと思って朝食をいただくことにした。

 朝食を食べ始めてから数分、俺は急に眠気に襲われる。強烈な眠気だ。どうにも我慢できなくなり、朝食が並ぶテーブルの上に上半身を突っ伏した。

「もう薬が効いたみたいね」

「霧が晴れる前に始末しよう」

 遠のく意識の中、俺が最後に聞いたセリフだ……。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 俺は車を湖の畔に停めた。

 辺りに誰も居ない事を確認してから車を降り、霧で見晴らしの悪い湖を眺めた。

 この静かな湖の底の何処かに、今でも俺の遺体が沈んでいる。


 ニ十年以上前、俺はオーナー夫妻に睡眠薬を朝食に仕込まれ、寝ている間に殺害されてこの湖に沈められた。死体は見つかっておらず、この辺りに泊まった痕跡を残さなかった為、家族が捜索願いを出したものの、俺は今でも行方不明のままである。

 夫妻は俺を殺害した後、俺のバッグの中の金で借金を返し、ペンション経営も順調に行ったみたいだ。

 そして一年後に夫妻は子供を授かる。

 それが俺だ。

 そうだ。殺されて湖に沈められた俺は、一年後に俺を殺したオーナー夫妻の子供として生まれ変わったのだ。その事を思い出したのは、前の俺が殺された時の年齢と同じ、二十歳に成った昨日の事だ。

 そして復讐を決行した。

 あの日と同じ濃霧の朝に……。


 俺は車のトランクから重いスーツケースを2つ下ろした。

 湖に沈めようとした時、うっかりスーツケースを倒してしまう。

 しっかり鍵をかけていたはずのケースの蓋が開き、中から夫人の生首が転げ落ちる。

 拾い捨てようとして近づいた時、絶命しているはずの夫人の生首はカッと目を剥き、コチラを見ながらこう言った。

「今度は私達が、あなたの子供に成る番ね」

 俺はいつか又、こんな朝を迎える事に成るのだろうか……。


〈完〉




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