第4話 「清掃員・リカオン」④


「それで、その3日目ってのは先々週のことで、もうとっくに何十日も経ってるが?」

「うるさいわね……。もう決めたのよ……。」


どこか恥ずかしいような表情を見せたマンドリルは目の前の客の飲み物をググっと飲み干した。


「おい!それ俺のだぞ!何してくれてんだお前!一応俺は客だぞ!」


リカオンの前には、爽やかなライムの香りと空のグラスだけが残った。






「育てるわよあの子を!!!!!」







マンドリルの唐突な怒鳴り声がバーカウンターから店中に響き渡る。


もちろん目の前にいたリカオンもこれには仰天である。


「……。お、おう。」


当然、当事者の陸も、その光景と音声を理解できずにカプレーゼを持ちながら立ち尽くしてしまった。他のお客も皆、突然のマンドリルの怒鳴り声に驚きを隠せなかった。




「……。カ……、カルパッチョも……食うか……?」


少し様子を伺ってから恐る恐る話しかけるリカオン。


「……。頂いとくわよ……。」


マンドリルは赤面しながら、二枚ほどサーモンの枚数の減ったカルパッチョの皿と共につま先をバックヤードに向けた。







「よ、よ、よ、よ、……。よろしくお願いします!!!!!」







客達の視線が一瞬で切り替わる。

またしても店内に、それはそれは大きな声が突然店内にこだました。



さっきのマンドリルに負けないくらいの声量で、陸は後ろ姿の彼女に向けてそう言った。

自然と、彼女のバックヤードへの歩みが止まる。



その声と同時に、彼の手からカプレーゼを乗せた皿がスリ落ちた。しかし、それが床に落ちて割れた音は、彼の声で掻き消されていた。









この空間が静寂に包まれた。









パチ、パチ、パチ、パチ




静寂を破った乾いた拍手。店の奥に店内の全員の視線が集まる。




「なんだよみんな、折角この子が勇気出したってのにしけたツラしやがってよ。もっと祝おうぜ、新しい仲間の誕生をよ!なぁ?そう思うよな?なぁ坊主?」


全身を喪服に包み、腰に刀を一本刺した男は、ゆっくりと陸に近づきそう言った。


「はぁ……。お前の出てくる幕じゃないぞ、ヒクイドリ。」


店内の全員の思いをリカオンは代弁した。


「おいおいそんなこと言うなって〜。相変わらずリカオンは冷たいなぁ。」

「お前と関わるとロクなことがないんでな。」


──────

コードネーム「ヒクイドリ」

殺し屋。由緒正しい剣術の名家に生まれる。少年期は、生まれ持った圧倒的なその剣術の才で、多くの剣術の大会で輝かしい成績を残す。が、その才と同時に、生まれながらに備わっていた残虐性故の残酷非道な振る舞いが原因で、13の歳で殺人を犯し、一族を追放された。そして行く宛のなくなったところを「オアシス」に拾われた。

──────





店内は尚も微妙な雰囲気に包まれている。


「あ、それと、陸くんだっけ?」

「あ、は、はい。」


急に話し相手が自分に変わり戸惑いを隠せない陸。


「それなんだけどさ。」


そう言ってヒクイドリが指差した先には、割れた皿の破片と、台無しになったカプレーゼが落ちていた。


「あ、いつのまに、す、すぐに片付けます!」


どうやら、さっき叫んだ時に皿を落としたことを気づいていなかったようだ。

その場から離れたい思いもあってか、陸は急いでホウキを取りに行こうとした。


「あー違う違う違う。」


ヒクイドリは、陸の背中の襟のところをグッと掴んで、自分の胸の方に陸を引き戻した。そして左腕でがっちりと陸を自分の左半身に固定した。


「食べていいかって聞いてるの?」

「へ?」


すると、ヒクイドリが、腰から刀を抜いたかと思えば、あっと言う前に床に落ちていたカプレーゼが宙を舞い、トマト、モッツァレラチーズ、トマトの順で刀の先に串刺しになった。


「んじゃ、いただくね。」


ただ黙って見つめる陸を尻目に、ヒクイドリは焼き鳥を食べるように刀の先のカプレーゼを食した。


「うん。うまいねこのカプレーゼ。特にこのジャリっとしたアクセントがたまんないよ!」


恐怖心からなのか、それとも目の前で起きている出来事が夢か何かだと思い始めているのか、陸は微動だにせず、ヒクイドリの腕の中で唖然としていた。


「どうだ?これ凄いうまいぞ?陸くんも食べる?」


「おい、陸にまで割れたガラスの破片を食べさせないでよねヒクイドリ。あんたの口から血がボタボタ床に垂れる前に、とりあえずその子を返してくれる?」


呆れた表情のマンドリルは、そう言うと、ヒクイドリの腕を解き、マネキンのように動かない陸の手を引いてバックヤードまで連れて行った。スーパーのお菓子コーナーから子供を剥がす親のように。















2人が完全にバックヤードに消えていったことを確認してから、リカオンはカウンターからすっと立ち上がってこう言った。


「それで?本当の目的は何だヒクイドリ。」


喪服の袖で切先についたオリーブオイルを拭き取っていたヒクイドリはまさにその言葉を待っていたかのように満足げな表情をしていた。


「悪いなみんな。ここは俺が払っておくからとっとと出ていってくれ。」


その声は、もうさっきまでの陽気な男の声とは真逆で、心の臓に直接響いてくるような、重く悍ましいものだった。


何かを察知して店内の客は皆、一目散に出ていく。そのほとんどはオアシスのメンバー達だったが、偶然居合わせた数名の一般人の客ですら、その危険を本能で感じとり逃げたのだった。





「そうだな、とりあえず何かしら始める前に、その足元を掃除してくれるか?台無しになったトマトが可哀想に思えてな。」

「いいや。それはまだ早いぜリカオン。」


そう言うと、ヒクイドリはその剣先をそっとリカオンへ向けた。


やや薄暗い照明の室内で、鋭い刃がキラリと輝く。


リカオンもそれに合わせて懐の拳銃を手元に取り出す。




さっきまで2人の間にあった陽気な雰囲気は跡形もなく消えさった。その代わりにドス黒いオーラが、獲物を狙う野鳥とそれを返り討ちにせんとする野獣の周りを漂っていた。






窓の隙間から入った夜風の口笛さえも、対峙する2人の間を駆け足で通り抜けていく。






「悪いことは言わないからよリカオン。ここで死んでくれ。」



セリフと共に吐き捨てた真っ赤な唾が茶色い床に落ちる。



「断る。」

「そうかよ。じゃあ死ね。」




突然の戦いの火蓋が今、切って落とされた。



「清掃員・リカオン」終

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三途の川の清掃員 竹原しろうと @S_Takehara

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