第3話 「清掃員・リカオン」③
カランとドアについたベルが鳴る。
「よ、ようこそいらっしゃいませ……。あ、リカオンさん!」
「よぉ陸!なんとか上手くやってるみたいだな!」
空いた皿を下げる少年の動きは少しぎこちないが、その声は初めて会ったあの時よりも生き生きとしていて、楽しそうだった。
「ほんとにそうよ。ほんとに。最初にアンタがこの子連れてきた時はどうなることかと思ったわよ、全く……。まぁとりあえずなんか飲みなさいよ。」
「直接会うのは若干久しぶりだなマンドリル。それじゃあジンライムをロックグラスで。それとサーモンマリネを。」
「私の周りの環境は変わっても、アンタはアンタのままなのね。ちょっと安心したわ。」
刺激強めのアルコール臭とルームフレグランスの穏やかな香気が入り混じった店内。そこでも、目の前のグラスから漂うライムの突き抜ける硬質な香りは健在である。
そうここはバー「猿の巣」。早くに仕事を切り上げたリカオンは疲れ切った体と心を休めに訪れていた。
「それもこれも元はと言えばお前がセキモリを俺のところに送ったのが発端だろうが。それが最終的に自分の帰ってきたってことだよ。」
「まぁでもあの子、あんな鈍臭い見た目で吸収早い上に真面目に働いてくれてるから最近は私も少しは楽できてるわよ。」
◇数週間前
「という訳だマンドリル。」
「嫌よ!子供の世話なんて!」
「おいおいお前が蒔いた種じゃないか。せめて数日でいいから子供の世話くらいしてくれよ。なぁ。」
「チッ……!」
まるで客が店内に吐き出していった汚物を見るかのような目で陸は睨まれた。おびえてリカオン背後にやや後ずさりする陸。それも無理はない。なんせ、大げさな程露出させた大きな胸の谷間にライターを刺し、煙草と酒の匂いを全身にまとった長身の女から、会って早々に睨みつけられているのだから。
「おいおいそう睨むなって。この子もこの子で今まで大変な思いをしてきたんだ。結果的にお前がセキモリを俺のところに連れてきたおかげでこの子は劣悪な環境から抜け出せた訳だが、その分、いい父親も失ってるんだ。だからよ。数日でいいんだ。それに
「チッ。仕方ないわね。3日よ3日!3日だけよ!」
再度陸を睨みつけるマンドリル。
「ハハ。そいつは助かるよ。3日もあれば充分さ。」
そう言ってリカオンは、やや後退り気味の陸に数枚の紙幣を手渡し、マンドリルの方へ行くよう、そっと背中を押した。
「それでアンタ、3日って、一体3日で何するのさ。もう仕事は終わりだろう?」
「いいやまださ。まだ少しやり残したことがある。」
「やり残したことって?」
「後片付けさ。」
─トウキョウ市某所─
「イヌカイさん!信者達と何も連絡が取れません!」
幹部Aが勢い良く部屋に飛び込んでくる。
「イヌカイさん!隠れ家がまた一つ警察に抑えられました!」
「イヌカイさん!全く人手が足りないです!早く補充を!」
それを追う様にして幹部B幹部Cも部屋に飛び込んでくる。
「うるせぇ!!!!」
宗教団体「銀河の彼方」の隠れ家の一室は絶望に満ち溢れていた。
「そんなことはわかってるっつってんだろ!あぁ!?あのセキモリの野郎のせいでもうここはお終いだ!あぁ!?違うか?」
「ですからもう一度、この教祖様が築き上げていたこの組織の再建を……。」
まだ若干興奮気味の幹部Aが口を開いた。
「じゃあてめぇはもう一度この組織を建て直せるのか?えぇ!?んなもん無理に困ってんだろうが!」
パチンッ
幹部Aの頬をイヌカイの右手が襲う。
「いいか?この状態から俺たちに出来ることはたった一つしかないんだよ!!お前言ってみろ!!」
「教祖様の……ご遺体を……発見する……ことです……。」
指名された幹部Bが恐る恐るそう言った。隣で片頬を押さえる幹部Aの二の舞にはなりたくないと願いながら。
「何を言っていやがんだお前!!」
幹部Bの願い虚しく、イヌカイの右手はパチンと乾いた音を発した。
「いいかてめぇら!!よく聞け!!俺たちに残された最後の仕事は、なんとしても教祖様を発見することだ!絶対に教祖様は生きてる!!それともなんだ?何もせずにお縄に掛かるのをただただ待つだけか?あぁ!?」
「む……。無理です!無理ですよそんなこと!」
涙目涙声で幹部Cは勇気を振り絞って言い放った。赤くなった頬を押さえうなだれていた他の2人も、一斉に幹部Cの方を見た。
「なんだてめぇ、今なんて言った!!」
「無理ですよそんなこと!仮に今教祖様がご存命だったとして、一体どこを探すんですか!?警察に身柄を捉えられていたら、それをどうやって奪還するんですか!?それに第一、あんな爆発を目の前で喰らって生きているなんて、そんな訳……。それこそまさにあなたの言った『わかってること』じゃないです──」
パンッ
平手打ちよりも遥かにおおきく、そして乾いた音。
額に穴の空いた幹部Cは床に落ちた。ドサリという生気のない音が鳴った。
「余計なことをいいやがって全く……。おいお前ら、要はそういうことだ。今は俺がここのトップだ。ならわかるよな……?早く教祖様をお救いしてこい!!」
幹部Cの周りはあっという間に赤に染まっている。その目はまだ開いたままだ。
その時だった。
「た、大変です!」
床に落ちている幹部Cの骸に気づく様子もなく幹部Dが飛び込んで来た。そしてこう続けた。
「な、何者かが侵入して……。監視のやつらともどんどん通信できなくなって、防犯カメラもあっという前に壊されて、も、もう何がなんだか……。」
「クソッ!こんな時に!」
イヌカイはそのどうすることもできないモヤモヤを背後の窓ガラスにぶつけた。何度も何度も何度も何度も叩いた。なんとか冷静さを取り戻さんとばかりに。
「チッ、こんな時に一体誰が。
イヌカイは目の前に突きつけられた現実を拒んでいた。しかし精神の方は既に諦めがついていたようで、気づけば勝手にガラスの前で項垂れていた。
「お前で最後か?」
無音から現れたその低く重い声にイヌカイは金縛りにあったかのように身動き一つ取れなかった。感じるのは得体の知れない侵入者の声と後頭部に突きつけられた銃口の感触だけだった。
「教祖を失ったここのトップはお前で間違いなさそうだ。だが呆れちまうな、あんなにたくさんの信者を獲得して上手く金を巻き上げてた組織の終焉の1ページに、まさか部下を射殺したなんてことが残るとはな。哀れだよ全く。」
イヌカイはただ震えることしかできなかった。
「あとお前の言ってる教祖様ってやつのことだが、めでたくセキモリに殺されたぞ。」
「何をデタラメを言うか!教祖様は生きてる!教祖様は死なない!教祖様は死ぬわけないんだ!」
ブルブルと小刻みに震える体とは反対にその声は一段と大きかった。
「ハハハ。こいつは滑稽だな。この組織は内部の人間ですら脳みそが逝っちまってるらしい。」
男はそう嘲笑った。
「それじゃあ、仕上げといこうか。」
侵入者がイヌカイの耳元でそう言ったかと思えば、あっという間に手足を縛り上げられ身動きが取れなくなってしまった。
イヌカイが冷静さを取り戻したときには、目の前の机に5分に設定された時計がイヌカイに見せつけるかのように置かれていた。
その横にいる覆面を被った男。イヌカイには、侵入者がとても楽しそうに見えた。新しいオモチャを貰った幼稚園児の様に高揚しているように思えた。
「だ、誰なんだお前は、一体何の目的で!」
「全く……、死ぬ時くらい静かにできないのかよ。」
侵入者がゆっくり近づいて来たかと思うと、無理矢理口の上からテープのようなものを貼られた。
「それじゃ、タイマースタート。」
59、58、57とタイマーは0に向かって進み始めた。
そのカウントが部屋の隅に配置されている爆弾たちの爆発までのカウントダウンであるとイヌカイは瞬時に理解した。しかし、理解することしか出来なかった。
「それじゃ、最後の時を楽しんで。ハハ。」
唸り続けることしかできないイヌカイにそのセリフは聞こえていない。
「あ、それと最後の質問に答えてなかったな。まぁどうせ聞いてないだろうけどさ。」
カウントダウンはいたずらに減っていく。自分の寿命を明確に知ったイヌカイは、ただただもがき苦しむしかなかった。
「清掃員さ。」
ドカン
◇
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