パワースポットから巡る日帰り異界探訪記【奈良県十津川村編】
いずも
谷瀬吊橋にて八咫蛙の差添(コキュートス・エスコート)
――今日もまた、異世界には行けなかった。
裸で凍ったプールの上に寝転びたい。
子供プールでも構わない。
普段なら思いつきもしない凶行が頭をよぎる夏の日だった。
「
そんな姉の一言から強行軍は始まった。
こと姉――
高校卒業を機に日本を飛び出し、羊羹とパスポートと好奇心だけ詰め込んだ旅行カバン一つでどこへでも流離うコミュ力お化け。
曰く、生きている実感を得るために世界を旅するという。
たまに実家に戻ってきたと思えば、思いつきでボクや妹を連れ出すのだ。
「アンタ高校卒業してから一人でフラフラと出掛けてるんだって? たまには誰かと出掛けるのも悪くないわよ」
なんて言って、体よく姉の暇つぶしに付き合わされるのだ。
だからその妹であり
姉の前では蛇に睨まれた蛙も同じだ。
高校卒業後は進学もせず女子高生という最強の肩書きを失ってしまい、己の生き方すら定まらぬままに日々を怠惰に貪り、あてもなく彷徨っている。
「命短し、恋せよ乙女?」
芳紀まさに十八の若者には古老のどんな金言も響かない。
今が楽しければそれで良いのだ。
彷徨いついでにフリーのライターとして様々な場所――主にパワースポットに赴いては現地取材を行い、それをまとめてネット記事にしている。
旅日記として現地で起きたことをありのまま書ければ楽なのだけど、そうもいかない事情がある。
それはボクのよくないものを引き寄せる体質によって……まあ、理由は追い追いわかるだろう。
一つ言えることは。
車にぶつかって異世界へ行くよりも、姉の車に乗せられた方がよっぽど異世界感が味わえる。
「――ほら起きなさい。休憩、自販機でなんか飲む?」
「うーん……こと姉がふたり……」
「アタシは忍者か」
気がつくとよくわからないサービスエリアとか道の駅に到着している。
心地よくて眠っているのではない。
気を失っているのだ。
「こーゆー田舎の自販機にはヌシが居るのよ。たいていは蛾。あとは蛙。ここは蛙のパターンみたいね」
姉はテンションを下げる達人だ。
ヌシの目を盗み取り出したペットボトルを頬に当てると生きてるって実感する。
ひえひえー。
「一気に飲むんじゃないわよ、お腹壊すから」
「旅の途中でお腹壊したらどうするの」
「我慢しながらどこまで進めるか挑戦する」
「日本神話じゃん」
『播磨国風土記』という書物に、トイレ我慢するのと重い粘土運ぶのどっちが辛いか対決というのがあるのだ。
粘土運ぶ方が大変そうだけどなぁ。
「ところでさっき自販機にいた蛙、変じゃなかった?」
「……そう?」
「気のせいかー。ま、いいや。出発するわよ」
――気のせいではないのだけれど、あえて見なかったふりで。
京都市内から車で一時間で奈良に入り、そこからさらに南下して二時間、合計三時間でお目当ての奈良県十津川村に到着する。
体感的には三十分程度しか経っていない。
その割には満身創痍なのはどうして?
「はい、とうちゃーく」
「……どこ? ここ」
車内で目を覚ます度に山の緑が深まり、鼓膜が変な感じになっていった。
田舎というより、もはや秘境と呼べるような場所だった。
民家はほとんど無く、四方を山に囲まれている。
「ここは『谷瀬の吊り橋』ね。十津川村の中では北の方だけど、地図上で言えば奈良から和歌山へ抜ける道のど真ん中よ」
「簡単に言うと?」
「山ん中」
「わー、わっかりやすーい」
そうだよね。
コンビニなんてどこにも見当たらないもんね。
「――って、吊り橋? こと姉、吊り橋って言った!?」
あまりよろしくない単語が聞こえた気がする。
「車からでもちょっと見えたけど……アンタ寝てたか。そう、今でこそ観光名所になってるけど、昔は生活道路として使われてたみたい。地名の通り十津川に架かっていて、向こう岸に渡るために作ったんだって。今じゃ道路が整備されてるけどね」
姉はなんと言うか、人々の営みの軌跡とか足跡を辿るのが好きなのだ。
人類の叡智を巡る旅。
その不便さを楽しむというか。
ボクはその結果生まれた文明の上澄みだけを掬いたい。
つまりいいとこ取りをしたいのだ。
道路があるならわざわざ吊り橋を渡る意味なくない? ってこと。
渡りたくなくなくない?
「はい、いいから行くわよ」
「うぎゃーっ」
長さ297m、高さ54mで生活用の吊り橋としては日本最長。
中央に木の板が四枚並べられていて、幅は80cmらしい。
ホントに?
すれ違うこともままならないような狭さじゃん?
少し離れていても聞こえるギシギシと軋む音がさらに不安を煽る。
正面に立つと真っすぐ伸びた吊り橋の終わりが見渡せる。
見えるからと言って歩けるとは限らないのだ。
早く行けと言わんばかりに姉が背中にくっつき、その場で足踏み。
膝が背中にゴンゴン当たって熱いし痛い。
まだ吊り橋どころか道路から吊り橋に向かうまでの道で立ち止まっていた。
ふと『20人以上は渡らないでください』という注意喚起の看板が目に入る。
吊り橋を渡っている人もちらほら。
……渡って良いのか、これ。
受付っぽい人に尋ねてみる。
「あ、あのー、これって渡っても大丈夫ですか」
「え? 良いんじゃないですか」
あの心底驚いたような顔。
この人、受付でも何でもなかった。
たまたまそこに立っていただけの人だ。
やばい、やらかした。
顔から火が出るように熱い。
ただですら暑さでやられてるのに、ますます全身が火照ってきた。
そして何より、背後に迫る姉に一連の行動を見られたことが恐怖である。
後ろを振り向く勇気がない。
前門の吊り橋、後門の姉。
……吊り橋の方が100倍マシだ。
「うううわわわぉぉゎゎわわっっ!!!」
「バネかってくらい揺れてるじゃん。アンタだけトランポリンの上歩いてんのか」
ギィ、ギィ、バタン。
ギィ、ギィ、バタン。
それの繰り返し。
脳が揺さぶられる。
この世はもうおしまいだ。
ロープを掴もうにも、板の足場から距離があって逆に危険だ。
地に足をつけて生きていたいだけなのに、どうしてこうなった。
『誰か世にながらへて見む書きとめし跡は消えせぬ形見なれども』
「そーいえばさー、『つり橋効果』って知ってる? 恐怖や不安を感じている時に出会った相手に恋愛感情を持ってしまうってやつ」
人がせっかく紫式部の辞世の句を詠んでいるというのに、空気の読めない姉だ。
「恐怖と不安しかないよっ!!」
思わず声を荒げる。
「あははっ、じゃあ次に出会う誰かと恋に落ちるかもね」
なんだそれ、刷り込みじゃあるまいし。
などと突っ込む余裕はなく、その場にしゃがみ込んでしまう。
やばい、橋の下の様子が見える。
呑気にテント張ったりバーベキュー楽しみやがって。
八つ当たりも良いところだ。
暑さによる汗と恐怖による冷や汗が止まらず、板の色が変わっていく様子をじっと見つめていた。
……
…………
………………
それからどのくらい時間が経ったのだろう。
吊り橋と同化して足の感覚も無くなった頃。
「――お嬢さん、如何なさいましたか?」
耳元で、優しく囁かれる声に意識を取り戻す。
「ひゃいっ!?」
「ああ、ごめんなさい。驚かせてしまったかな」
飛びのける事もできずにその場で首をブンブンと振り回す。
そしてようやく見えたのは……えっと、なんだろう、いわゆる「王子様スタイル」の男性だった。
サラサラの金髪を靡かせ、田舎には……いや日本のどこだって似つかわしくない綺羅びやかな衣装、スラリと伸びた脚に整った顔立ち、まさに絵に描いたような王子様。
「何も恐れることはないよ、麗しき姫君。怖いのなら、僕にエスコートさせてもらえないかな。君を向こう岸まで無事に送り届けよう」
そう言って彼はこちらに手を差し出す。
白くてキレイで、でも違和感を覚えたのだけど、考える余裕はなかった。
ボクは困惑する。
いや、本当にこんな扱いをされたことがないのだ。
子供扱いされることしかないから、そんな風に言われても冗談だとしか思えないのだけど。
「さあ」
この人からはそんな素振りは一切感じられず、真剣にこちらの身を案じているのだとわかる。
よくわからないけど、素直に従えば良いのだろう。
「ありがとう。マドモアゼル、少しずつでいい。僕だけを見て、そのまま真っすぐ前を見て行こう」
じぃっとこちらの目を見て、そんなセリフを恥ずかしげもなく口にする。
でも、なぜだろう。
彼に任せれば大丈夫だという安心感はあったのだ。
気がつけば、吊り橋を渡り終えていた。
脳はまだ揺れているが、足元は確かに地面を踏みしめている。
「良かった。これで安心だね」
そう言って彼は喉を鳴らして笑っていた。
王子様の割には豪快に笑う人だなぁ。
「ところでマドモアゼル」
ぐっ、やめてその言い方。
心臓に悪い。
彼は片膝をつき、ボクの右手を両手で優しく掴む。
「僕の国に来ていただけませんか。貴女を后として迎え入れたいのです」
そして手の甲にそっと口付ける。
――はぁ!?
なんだその唐突なプロポーズ!
い、いやいや待って。
こんな出会ってすぐの相手に、しかもこんな典型的な王子様キャラなんかに。
そんなの漫画のお話であって実際に目の辺りにしたら、したら、……いや、その、悪くはない、んだけど……。
「流石にそれはちょ……っとぉ!?」
右腕に何かが巻き付く。というか縛られているに近い感覚。
その紐状の何かがどこから伸びているのか、辿ると王子様のお口に到達する。
目が合う。にっこり王子様スマイル。喉を鳴らす。
あ、これ捕獲されたわ。イッツマイ捕食。
「ふふ、さぁ参りましょう」
どんなにイケメンムーブをかまされたところで口から舌が伸びてボクが捕縛されている事実は覆らない。
やーめーてー。
舌を引きちぎろうとしてもゴムみたいに伸びるだけ。
しかも粘液が分泌されてきて掴むことすらままならない。
ええい、無言で微笑むな!
この
シュルッと舌が縮む。
ボクは尻餅をつくと掃除機のコンセントみたいに一瞬で引き寄せられる。
またたく間の出来事に恐怖という感情すらわかなかった。
このまま締め付けられていたら痛みとうっ血で死んでしまう。
なんてことも考えられないくらい頭がぼーっとしてきた、と思ったら急に腕の締りが緩くなる。
「あれ……」
恐る恐るの蛙の王子様を見上げる――が、彼は全く別方向を見ながら呆然としている。
何をそんなに青ざめた顔をしているのかと思ったところで背中に鋭い視線を感じ、背筋がゾクリと震える。
今以上の恐怖体験などありえない。
しかし本能が告げている、振り向くなと。
さらに言うと、人間見るなと言われると余計に見たくなるのもまた本能と言える。
あ。
なにこれ。
例えるなら太陽と目が合ったのだ。
逃れるすべなどありはしない。
ギラギラと燃え盛るような瞳がこちらを睨みつける。
空間に切れ目が入り、まるでブラックホールのような大穴が開く。
掃除機に吸い込まれるように、空間ごと呑み込まれる。
薄れゆく意識の中で僅かな光の向こう側に二股の舌が見えたような気がするが、これ以後の思考はまとまることなく大海の隅っこに打ち捨てられて然るべきものだ。
つまり、気を失った方が楽になる。
………………
…………
……
「ちょっとアンタ、急にどうしたの」
姉の声にふと我に返る。
「え?」
「背中に何か付いてると思って覗き込んだのよ。そんでうずくまってたと思えば急に歩き出して。何かに取り憑かれてたわけ?」
「い、いやぁ……」
汗を拭おうと顔に手をやると、何かが手の甲についた感覚があった。
「あ」
こいつ、自販機のところにいた蛙だ。
間違いない。
だって、足が三本しかない。
後ろ足がおたまじゃくしの尻尾みたいに真ん中についていた。
こちらをじっと見て微動だにしない。
腕を振り回しても全然落ちない。
……つまり、お前は。
返事を待っているのだな。
吊り橋をエスコートしてくれたことはありがたい。
けど、残念ながらそちらの国へは行けない。
じゃあ、せめてお礼くらいしろ、と……?
キスをしたら王子様は元の姿に、ってやつ?
「…………」
「…………」
じっと見つめ合う。
いや、そんな期待に満ちた眼差しを向けられても。
ああもうっ。
ボクは左手を大きく振りかぶった。
姉は声を枯らして笑い転げていた。
もう五分は笑い続けていた。
「気が済んだ?」
「……っ、ぷふぅ! い、いや、だって、アンタ、蛙に、投げキッスって、……っ」
口に出した事で再び笑いが止まらなくなったようだ。
「こっ、これでも、その……お礼っていうか、好意の証っていうか」
「アンタ吊り橋に揺られて酔っ払ったの。いやあ、まさか恋に落ちる相手が蛙とは……くくっ」
待って、恋には落ちてない。
仮にときめいたとしても、それは吊り橋効果だ。
奴はボクの投げキッスを受けて満足そうに去っていった。
何だったんだろう。
日本神話の一つに三本足のカラス、
神より遣わされ、神武天皇を熊野国から大和国への道案内をしたとされている。
八咫烏ならぬ八咫蛙。
八咫、というのは大きいという意味だ。
……さすがに両生類の国は遠慮したいかな。
――だから今日も異世界には行けなかった。
その帰りも、こと姉の服を掴んでギャーギャー大騒ぎだったのは内緒の話。
パワースポットから巡る日帰り異界探訪記【奈良県十津川村編】 いずも @tizumo
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