ドア
ハヤシダノリカズ
ドア
「夢の中によく出てくる風景、一本の道を歩いてると二股に分かれてるY字の分岐があったりするじゃないですか。右へ進んだらどこどこへ、左へ進んだらなになにへ、夢の中でもそんな設定があったりして、整合性なんてないのが夢なのに、目覚めたら忘れてるそんな設定が夢の中ではそれなりの説得力を持ってたりしますよね。夢って、そういうものですよね。そして、そのY字の分岐を右を選ぶでもなく、左を選ぶでもなく、そのどちらにも進んだ訳じゃないのに、そのY字の分岐の風景の後には必ず辿り着く夢の中の風景ってのがあったりしません? まるで、見えない道をいつの間にか通ったかのような……、点と点を結ぶ線が道なのに、点から点にスッ飛んで間の線がないというか」
涼し気なワンピースを着たその少女は、そう一所懸命に話してくれている。今の時間の客はその少女だけ。おれは彼女の話を聞きながら一杯のコーヒーをゆっくり淹れていた。カウンターの椅子に座っているその少女はおれを見上げながら話を続ける。
「この店がそうなんです。わたし、このお店にはいつも見えない道を通って来てるというか、気が付いたらこの店の前にいるんです。どうやったらここに来れるのかよく分かってないんですけど、ここには来れちゃうんです。どういうことですか?これ」
『んー、なんだこれ。新手の難癖か?クレーマー?』おれはそんな事を思いながら、名刺サイズのショップカードを彼女に手渡す。
「えーっと。うちは普通の喫茶店でして。特別な手順を踏まないと辿り着けないとか、そんな事はありませんよ。うちに繋がる道が特別薄暗かったりって事もありませんし」
「
「丸花区?夕善町?なにそれ、知らない」少女の言葉におれは少しイラっとする。「地元の人用に作ったショップカードだから、丸花区からしか書いていないけど、
「えっと、ここは日本……ですよね?」一拍の沈黙の後、少女がおずおずと聞いて来た。「ニホン?ニホンってなんだ?」おっと、いかんいかん、言葉がだいぶ荒くなっている。
「えーっと、喋っているのは日本語、ですよね?」おっかなびっくりといった感じで彼女はオレに聞いてくる。「ニホンゴ?おれ……んんっ、私が話しているのは
それっきり、少女は黙ってしまった。彼女のオーダーしたケーキセットを彼女の前に置くと、彼女は黙々と食べ始めた。その様をじっと見ているのは喫茶店店主としてあるまじき行為だが、彼女の挙動を見るとはなしに見ていると、妙にキョロキョロと店内に目を走らせている。『食い逃げか?いやいやまさかな』浮かぶ疑念を振り払うように首を振って、カップやグラスをクロスで磨き始める。暇な時間のルーティーンだ。
「ご、ごちそうさまでしたー」彼女がぎこちない様子で立ち上がる。カウンター脇のレジスターの横にそのまま立ったので食い逃げではないらしい。「780円になります」とオレが言うと、彼女は財布の中から硬貨をジャラジャラと一枚一枚出し始めた。五百円玉が一枚と、百円玉が二枚と、五十円玉が一枚と、十円玉が三枚。しめて780円キッチリ。「ありがとうございました」と言うと彼女はやっぱりぎこちなく笑って店を出て行こうとした。オレはなんとなく彼女の出したピカピカの五百円玉をじっくりと見る。妙だ。元号の刻印に令和とある。なんだ?令和って。これって、ニセ金、ニセコイン?
「ちょ、ちょっとお客さん!この五百円玉、なんかおかしい!」オレは彼女に近づく。「この元号、れ、れいわ?って読むの?なんですか?このコイン」店のドアノブに手を掛けていた少女はおれの顔をじっと凝視したかと思うと考え込むように斜め上に視線をやって、「すみません。今度来る時には古い硬貨を選んで持ってくるので、その時までその五百円玉、預かっておいてください。たぶん、ここ……、いえ、私はパラレルワールドの住人なんだと思います。ホントすみません。コーヒーとケーキ、美味しかったです。それでは、また」と言って、ドアを開け、店から出て行った。もちろん、続いておれも外に出たが、そこには少女の姿はない。右を見ても左を見てもあの涼やかなワンピースの少女の姿はない。
「パラレルワールド?」おれは呟いて夏の日差しの下に立ち尽くす。
あぁ、ゼゴの鳴き声がうるさい。
ドア ハヤシダノリカズ @norikyo
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