「傘はもたない」(第18回)

小椋夏己

傘は持たない

「あの女よ、よくまあ平気な顔で街を歩けるわね」

「ほんとほんと」


 私が街を歩くと声高こわだかに、聞こえよがしにそう言う人がいる。

 だけど特に気にはしない。

 だって、その人たちが言っている「あの女」とは、私が今演じているドラマの中の女のことだからだ。

 思った以上に多いのだ、役と俳優を混同してしまう人。


 毎週決まった曜日の決まった日時に世間に流れるドラマ、そこで私が演じている女は本当にもう、どうしようもない。

 夫がありながら若い愛人を囲い、財産家の夫を亡き者にして全財産を自分の物にしようとする。

 そのためにありとあらゆる手を使い、主人公である夫の元の婚約者を傷つけ、夫殺しの犯人に仕立て上げようとしている。

 もちろん、よくある展開、最後には健気な主人公によって、財産目当てで無理やりついた妻の座から引きずり下ろされるだけではなく、刑務所へと入れられる結末が待っているのだ。

 

 ここ何作か、私にはそういう悪女役が回ってくる。

 そして光栄なことに、いつも良い評価をもらっている。


――最悪の悪女ではあるが目が話せぬ魅力がある、惹きつけられる――


 初めて悪女役をと言われた時には悩んだものだ。

 だってやはりやりたかったのは主人公の方だもの。


 これでイメージが固定され、嫌な役ばかり回ってきたら嫌だ、そう思って悩んで悩んで、そしてマネージャーの、


「これはチャンスなんだよ。記憶に残らない善人より、強烈に焼き付く悪人をやってほしい」


 この言葉で思い切って引き受けた。


 その最初の役が大当たりした。

 それまで、鳴かず飛ばず、なんとなく名前を知ってる、主人公のお友達レベルの俳優だった私が、一気に悪女役の第一人者として知られるようになった。


 街を歩いていて悪罵だけを投げつけられるわけじゃない。

 どちらかというと、遠慮そうに近づいて「ファンなんです」「いつも見てます」そう言って声をかけてくれる人の方が多いのだ。

 

 そう言ってくる人の中で、本当のファンが何人いるかは分からない。ただ有名人だというだけで握手した、一緒に写真を撮った、サインをもらった、それだけで終わる人がほとんどかも知れない。

 だけど、まだそんなに売れていなかった時、いつ街を歩いても誰も見向きもしてくれなかった時と比べたら、その場その場だけでもそう言ってくれる人に囲まれるのは本当に気持ちのいいものだ。


 だから私は顔を上げてまっすぐ歩く。

 どれだけ悪い女と言われようと、悪評を投げつけられようと。

 称賛も罵倒も全部私のものだから。

 どんな言葉の雨も全部自分で受け止めるのだ。

 だから私は傘は持たない。

 今日も四方八方からの言葉を浴びて真っ直ぐ真っ直ぐ、この先もまだまだ続く栄光への道をひたすら歩くために。

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「傘はもたない」(第18回) 小椋夏己 @oguranatuki

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