第5話

 大きなベッドに一人、彼女は横たわり、傍らに控えるルースに視線を向けている。

 彼は丸椅子に腰掛け腕を組み、瞳は瞼の下に隠れていた。眠っているわけではなく、彼女からされた問いに対し思考を巡らせているのだ。

「……君が誰か、か。難しい問いだ」

 ルースの言葉に、彼女は吐息の一つも溢さない。日頃から続く体調不良と、起きて間もないこともあり、短い返事すら億劫だった。

「私にとっては……いや、結局私にとっても、君はメアリーで、ロザリーだ」

 組んでいた腕をほどき、ルースは顔を上げ、露わになった紅き瞳を彼女に向ける。

「舞台の上で、君の黒き双眸には炎が宿っていた。怒りを燃料にし、一秒ごとに激しくなっていく炎だ。私はそれを目にして以来、その……君を追い掛けるようになった」

 端から見れば、二人は見つめ合っている──が、当の本人達にその認識はない。

「私の知っている君は少ない。けれど知ってきた全ては、何よりも重いんだ」

 身を乗り出し、僅かに早口になりながら語り掛けてくるルースを、彼女はぼんやりと眺める。

 彼の言葉は耳に届く。だが頭には入ってこない。


 何故彼は、必死になって自身の問い掛けに答えようとしてくれるのか。


 答えが返ってくることなど期待していなかった。

 けれど彼は、必死になって言葉を紡いでいる。

 その姿はあの日の自分のようで、けれど全く違うことを、彼女は静かに理解していた。

 ルースは彼女に向けて話し掛けている。あの日の自分は、誰に向けて語り掛けていたのか。


『きっと、僕じゃないんだろうね』


 そう言われても、仕方なかった。

「君は……知っているのか」

 血を吐くように言葉をもらし、ルースはそっと視線を横に逸らす。

「……知っています」

 悲しみを帯びた紅き瞳が向ける先──自身の腹に手を添えた。

 覚えは、いくらでもあった。

「……君もなのか」

 相手は誰か、言わずともルースには分かるようで。

「私はただ、思い出してほしかっただけ」

 口にしながら、今度は自分に問い掛ける。

 何故?

 何故、思い出してほしかったのか。

「……忘れた方がいいのは、分かっています」

 酷い扱いをされていた。

 憎まれていた愛妾の子供だから。それも、ある。

「でも、私、好きだったんです」

 あの背中が。

 誰よりも大きかった背中が。

 けれど今生では、何の重圧も背負っていないその気楽な背中が、目に入るたびに腹が立った。

 昔のことを思い出せば、あの背中を取り戻すのでは、と。

「……ぁ」

 どれだけ話しても無駄だった。

 話すたびに、ジェームズは彼女と向き合ってくれた。

 けして背を向けなかった。

「……っ!」

 向き合わなかったのは彼女だ。

 彼女はジェームズではなく、


 ──あの方はもう……ではなかった。


 彼女メアリーを見ていた。

「平気かい? 水でも飲むかい?」

「……一杯、お願いします」

 王の子は娘一人。他に男子継承者はおらず、そんな状況が不満だった家臣達は、彼女メアリーの息子に期待した。

 年頃になれば血筋の良い男を宛がい、政治よりも世継ぎ作りに励めとせっつくが、子供はできなかった。

 粗野な男達の声を、彼女の主は聞き流し、拒まれても政治への介入を諦めなかった。


『何故奴らは、余に腹を痛めることを強要するか。余にはもう、国民という立派な子供達がいるというのに』


「……ヴィリアーズさん、私」


『けれどもし、この腹に宿ったのが娘であれば──ロザリー』


 脳裏に在りし日の背中を思い出しながら、


『貴様の名を付けるか』


 彼女は言った。

「──ロザリーを産みたいです」

 迷っていた。

 舞台が終われば実家に連れ戻される。そうなった時、腹の子はどうなってしまうのかと。

 良くて里子に出され、悪くて……。

 だから迷っていた。

 街を出るか、後を追うか。

 だが、後者を選ぶことはもうできない。

 あの背中を、言葉を思い出してしまえば。

「……君は、メアリーになるのかい?」

 紅き瞳は悲しみに満ちたまま、けれど柔らかな笑みを浮かべるルースにそう問われ、彼女は静かに頷いた。

「……よしっ!」

 ルースの急な大声に驚いていると、素早く手を握られた彼女──メアリー。

「君の願い、このルース・ヴィリアーズに手伝わせてくれないか」

「えっ」

 戸惑うメアリーを安心させるように、握る手が僅かに強くなる。

「関係ないとか悲しいことは言わないでくれ。これもまた、君と接していく中で芽生えた願いなのだから」

「……どうして」

 疑問に満ちたその声に、ルースは笑ってみせた。


「君の芝居に惚れたから、ただそれだけさ」


 表情に反して今にも泣きそうな紅き瞳が、

 笑った時に見えた鋭い牙が、

 不釣り合いなようで、ルースらしさがよく出ていると何となく思いながら、そっと、彼の手を握り返すことで、メアリーの返事とした。

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亡き主へ捧げた感情 黒本聖南 @black_book

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