第4話

 思い出す、思い出す。


『メアリー、君は何を怒っているんだ』

『……その名前で、呼ばないでください』


 私はただのロザリーだった。親のない孤児で、物心ついた時には王宮の下働きをしていた。

 そんな境遇だからか、ある時、王の愛妾の毒味係を命じられた。愛妾は敵が多く、食事も安心してできないほどで、何人もの人間が命じられると人知れず消えていき、ついに私の番になった。

 愛妾の元には五歳になる子供がおり──それが、あの方だった。

 毒味以外は暇だろうと子守りも命じられ、経験がないなりにあの方に接してきた。ほとんどの時間つきっきりでお傍にいたせいか信頼されていき、離れるな、もっと傍にいろと、泣きながら命じられ、不敬ながらこの時よりあの方が、可愛くて可愛くて仕方なかった。


『あれは君の役名だ、ここは舞台の上じゃない』

『いいえ、私はロザリーです。そしてあなたが』


 幸運にもあの方が成人するまで私はお傍にいられたけれど、生母である愛妾は亡くなった。蔑ろにされてきた王妃の策略によって。

 罪はすぐに露見し、王妃は処刑された。王が後添いを迎えなかったので、あの方が世継ぎとなり、父王亡き後王となられた。

 味方になってくれる家臣はいた。けれどそれ以上に、妾の子供だと蔑む輩が多く、議会でする提案は悉く却下され、そんなことより世継ぎを作れと言われ続け、思うように政務を行えない日々に苦しまれていた。


『またその話か。いいかいメアリー、君が語る妄想は、このジェームズ・カルマによってきちんとした物語となり、世に生まれ出る。面白いとは思うがあのままではいけない』

『ですから妄想でないと』

『僕に王家の血なんか流れちゃいない。ただの劇作家だ』

『私には分かります、そのお顔を見間違えるはずがありません』


 教養のない私には傍にいる以外何もできず、それを歯痒く思っていたある日──革命が起きた。

 あの方が玉座にいることを許さない者が民を煽動したらしい。王を守るはずの兵すら裏切り、あの方と私は別々の地にある牢に幽閉された。

 王はどうなったと何度も叫んだけれど、誰も応えてくれない。食事もろくに与えられず、やがて身体も動かなくなった頃──やけに黒い女が一人、牢の中に入ってきた。

『王ならとっくに死んでるわよ?』

 悲しみの涙も舌を噛み切る気力も湧かず、ただ、女を見つめた。

『もう一度、会いたい?』

 頷く力も残っていなかったから、視線を逸らさず、女を見つめ続ければ、女は私の小指に何かを付けた。

『ならそれ、外さないで』

 女は煙のように消えていき、間もなく私も力尽きた。


『生まれた時から僕は僕だ』

『私のように記憶を引き継いでいないだけです。貴方こそ、私が探してきたあの方です』

『……もう、何度目だ』


 次に目を覚ました時、私は赤ん坊だった。

 生後間もなく教会に捨てられていたらしく、再び私は『ロザリー』と名付けられ、育ててもらい、ある程度成長するといつの間にか小指には指輪がはめられていた。他の人には見えていないようだった。

 指輪には淡く光る白い宝石が埋め込まれ、目を凝らせば薔薇の模様が刻まれているのが分かる。

 あの方の好きな花。それを見ているといてもたってもいられず、私は教会を飛び出した。

 あてもなく歩き回り、寝食もろくに取らなかったせいかあっさり力尽きて──次に目を覚ました時も赤ん坊になっていた。

 生まれては探し、死んでは『ロザリー』として生まれ直す。

 それを繰り返すと指輪の宝石は徐々に濁っていき、光が消えた次の生で──私は『メアリー』になっていた。


『こうして話そうと、肌を重ねようと、君が僕を見てくれないのは、君が君の妄想に取り憑かれているからだと思った。それを殺す為に、あの物語を作り、王との決別だってさせてやった。それなのに君はまだ、僕を見てくれないのか』

『……決別なんて。むしろ私は、貴方に謝りたいのです。お傍にいると誓ったのに、最期まで共にいられなかったことを』

『身に覚えがないと言っても、君は引いてくれなかった』

『覚えならあるはずです。何もかも違うあの物語がその証拠です』

『面白くないからと言っただろう、君の妄想では。にはしたくなかった』

『あなたはあの頃から気にされていたじゃないですか』

『……メアリー』


 メアリーは子爵家の娘。自由な外出は許されず、逃げ出すことのできない日々にやきもきしていた。

 ある時、父である子爵と観劇をすることになり、観終わった後、支配人に挨拶をしている最中、劇作家が支配人の元に駆け寄ってきた。

 彼を一目見た時から分かった──あの方だと。


『僕の物語では駄目なんだな』


 慌てて声を掛けても忘れているようで、どうすれば思い出していただけるのかと考えた末、役者として関わっていく内に、思い出していただけるんじゃないかと思い、子爵を説得し、三年という期限付きで役者になることを許された。

 裏方仕事や名もなき役を演じる合間に、色々と理由を付けて会いに行った。

 あの方の好きだった食べ物や飲み物を差し入れた時も笑顔を向けられたけれど、頂いたお給金を貯めて買った白薔薇を渡した時は特に喜ばれ、間違いなくあの方なのだと思った。


『数多の人に持て囃され、もっともっとと望まれようと、惚れた女一人振り向かせられやしない。所詮、この程度なのか』


 二年も経つと、熱い視線を送られ、さりげなく身体を求められる機会が増えた。それとなく断ってきたけれど、肌を重ねれば思い出してくれるのではと、求めに応じるようになった。

 疲れ果て、ただ横になっている時に、こんなことがありましたよねと話した思い出が──いつの間にか彼の新作として発表され、望まぬ形で私は『ロザリー』を取り戻した。

 何度もこの話は違うと訴えても、変えてはもらえず。


『何やってるんですか! 早く下りてください!』

『……それは、誰の為に言ってるの?』

『誰って』

『きっと、僕じゃないんだろうね』

『なっ……』


 ある夜、彼は目の前で川に身を投げ出した。


「待って!」


 急いで駆け寄り手を伸ばし、服を掴むも力及ばず、彼の身体は川へと沈み、何故か小指の指輪も落ちてしまった。

 女から外すなと言われた指輪、だったのに。

 あまりの衝撃に助けることも忘れ──気付いた時には自宅のベッドの上にいて、彼の訃報を知らされた。


「起きたようだね」

「……ヴィリアーズ、さん」


 子爵はこっそり、護衛を一人つけていた。その護衛が連れ帰ってくれたらしい。

『カルマとのことは、子爵には内緒にしておいたからね』

 指輪をくれたあの女だった。

 以後、女は姿を消し、護衛は三人に増えた挙げ句、千秋楽を迎えた後は家に戻れと言われた。

 役者を続ける理由はない、けれど。


「君を、何と呼んだらいいか」


 そう簡単には戻れない事情を抱えていた。


「……私は、誰なんでしょうね」

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