第3話

「まさか、私の名前を知っていたとは」

「……スタッフに、教えてもらいました」

 メアリーは言葉に迷った。

 花の礼をすべきだ。しかしその花をどうしているのか知られてしまった今、何と言うべきなのか分からなかった。

 謝罪か、言い訳か。

 押し黙るメアリーを見て、ルース・ヴィリアーズは──瞼を閉じて、そして開けた。

 一瞬の瞬き、それでルースの瞳の悲しみは消え失せた。

「君にまで愛されていたとは、ジェームズは本当に幸せな男だったようだ」

 代わりに彼の瞳に宿った感情が何なのか、メアリーにはよく分からない。

 ただ微笑んでいるようにも、怒っているようにも見えた。

「……親しいご関係だったのですか」

 瞳のことには言及せず、別のことを問い掛けた。

「酒場で何度か、共に飲んだだけさ」

「……そうですか」

「……」

「……」

 何も訊くことはなく、訊かれることもなく。

 無言でしばし見つめ合った後、先に動いたのはメアリーだった。

「すみません、気分が優れないもので、家に帰ろうかと」

 嘘ではない。

 さっきから、それこそ舞台の上で演じていた時からずっと、吐き気を催していた。

「確かに、顔色が良くない。少し待ってくれ、馬車を呼んでこよう」

 ここ最近体調が優れないことが多く、千秋楽まで無事に演じられるのか、メアリーは内心不安だった。

「平気です、一人で帰れます」

「しかし、そんな状態の君を一人で帰らすのは」

「気にしないでください、いつものことです」

 この場に来るのは、そんな不安を消す為。

 自分に『ロザリー』を与えた者に、立ち続ける為の気力を分けてもらおうと。

「いつも? 医師に診てもらったことは」

「そんな暇、ありませんから」

 けれど、欲しい分の半分しか、気力が湧かない。

 ここに来るといつもを思い出す。

「診てもらった方がいい、何かあっては大変だ」

「横になれば少しは楽になります」

「少しじゃないか。腕の良い……いや、口の固い医師を知っている。朝まで起きているはずだか」

「結構です!」

 何回も何回も、メアリーは言ったのだ。

 全然違うと。

「ミス・スネイプ、しかし」

「自分のことは自分で分かりますから!」

 ロザリーは最期まで、死んだ後も、愛したのは王だけだと。

 そして、その王こそが、

「ミス……いや、メアリー」

「違う!」

 何もかも違うのだと。

「──!」

 叫んだ拍子に、彼女は膝から崩れ落ち、口元を押さえ呻き出す。

 指の隙間から徐々に、液体が溢れてくると共に、吐瀉物特有の臭いもしてきた。

 臆さずルースが駆け寄れば──遅れて後ろから足音が。


っ!」


 知っている男達の声が耳に届いた時、彼女の身体は温もりに包まれた。

「手荒なことをしてすまない。だが、今はどうか許してほしい」

 すぐ傍からルースの声。

 彼女の脚は、地面に触れていない。

 ──まるで王族の姫にするように、ルースに抱きかかえられていた。

「吐くなり眠るなり、好きにしてくれ。少し揺れるだろうから」

 事実、揺れに堪えきれず、彼女はルースの胸に盛大に吐いた。


 そのまま意識を失った彼女は知らない。

 彼女を抱き抱えたルースが、欄干から街灯、屋根から屋根へと跳び移っていったことを。

 向かう先が彼の家であることも。

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