【1日目】悩める魔法学者 つづき①

「まだ、お前があたしの故郷に来る意味がわからないのだけれども」

「わお。記憶力がいいのですね」

「……そろそろその軽口をやめないとあたしにも考えがある」


 しゃくしゃくと枯れ葉を踏み締めて、一歩ずつ確実に歩を進めるご一行。というか、二人。ブロシーは、レジーナの方を振り向いてニヤッと笑う。それから何も答えない。


 答えないのではない。迷っているのだろう。


 心の中で、ブロシーは考えていた。どう言葉をかけるべきなのか。ポーカーフェイスの下では思案を巡らせていた。


「お前が魔法学者ってのはわかったけれどさ。母さんのことを知っているのもわかった。でもあたしについてくるのは、なんだか……おかしいよ」


 それはレジーナも同様で。彼女は彼女でおそるおそる言葉を選びながら、ブロシーの背中に言葉をぶつけていた。


 両者、不安だった。よくよく考えれば不審な魔法学者に、魔法で中身が入れ替わったお姫様。ブロシーはともかく、レジーナはわからないことだらけだった。一刻も早く自分の体を取り戻さないといけないのに、手掛かりがあるだろうと、とりあえず故郷に戻ろうとしている。


 レジーナはまだ、ブロシーに詳しい状況を話していない。ブロシーの状況も、知っているような知らないような感じ。


 ただでさえ、いろんなことが起こって、自分の存在によって国が、王家が混乱しているのだ。ローランと話し合わなければならない。それに、二週間後の満月の日に妃が処刑されてしまう。

「——元、妃。か」

 混乱する頭を、少しずつ整理したい。ゆっくりと落ち着ける場所でため息をつきたい。

 けれど、このブロシーという不可解な人物をどうにかしなくてはいけないとも、考えていた。


「小生、ちょっと好奇心が旺盛でしてね」


 ブロシーはそんなレジーナの不安を感じ取ったのか、歩きながら、話を始める。

「ローランに娘がいるなんて、知らなかったんですよ。しかもお姫様ときたもんだ。なんか、家出中みたいですけど」


 ザッ。

 ブロシーが不思議そうに振り返る。そこには、口をぎゅっと真一文字に結んだレジーナが立ちつくしていた。レジーナも迷っているのだ。この外見が自分のものではないということ、本体を取り戻すために故郷に向かっているということ。


 一晩や一日では説明のつかないような不思議なことが、彼女の身には降りかかっていた。それをどこまで説明すれば良いのか。どこまで信じてくれるのか。

 レジーナはわからなかった。ここで狂人だと思われても構わなかったけれど、信じてもらえなかったら、嘘つきなどと言われたら、どうしよう。


 この体の魔法のことを、ブロシーにどこまで伝えるべきなのか。


「あぁ……えぇと、これには特別な事情があって」


 目を泳がせ、言葉を泳がせ、説明を探す。魔法という言葉を使えば簡単なのかもしれない。けれど、どうやって信じてもらおう……。


「入れ替わっているんでしょう。お姫様と」

「ど、どうしてそれをっ!」


 ブロシーは細い目をさらに細くさせて、にっこりと笑った。

「ひと目見た時に気が付きましたよ。まぁ、小生ほどの実力がないと気が付かないものだとは思いますけどね」

 ブロシーはレジーナの顔の前で指を振って不思議な模様を描く。するとどうだろう。空中にぱちぱちと火花が散った。魔法の軌跡が指をおいかける。


「はっ?」

「レジーナ、この世界では不思議なことがたくさん起こるもんです。魔法学者だって、ちょっとは魔法が使えるんですよ」


 その研究をしてたんだし。腐すように言って、ブロシーは指を振り続ける。


「ローランは天才だった。人の心臓とか内臓を入れ替えずとも中身を入れ替える呪——魔法だって簡単に扱えただろう。魂の交換。禁忌だけれどね」

「全部、わかっていたの?」

「複雑な魔法構造だ。細かい魔力の流れ、瞳孔の開き具合、入れ替わり前後で微細に目立つその他心身の状況。小生にかかればお見通しなのですよ」


 レジーナは目を丸くする。ぱちぱち弾けた火花は跡形もなく消え去ってしまっていた。しゅうっと風が二人の間を通り過ぎる。鳥の囀りも一瞬だけ聞こえなくなった。


 ブロシーは、まだ迷っていた。全部言うべきか、誤魔化すべきか。

 いや、今は伝えるだけ伝えよう。そしてこの娘の信頼を勝ち取ろう。

 判断は早かった。ブロシーは飄々と続けた。


「まぁ察するに、レジーナの同意なしにお姫様と魂を入れ替えられたのでしょう。それで、元の体を探しに家出したと。以前住んでいたところに行けば、何か手掛かりがあるはずと目星を絞って向かっている最中でしょう?」


 捲し立てながら、ブロシーは考えた。なかなかな名推理だ。まるでここまで物語を追ってきた読者みたいだと……。さすがに気味悪がられただろうか? 今まで不気味な人物から本格的に不気味な人物にランクアップしてしまった。立ち振る舞いがをもっと考えれば良かったなぁ……。と、色々と考えを巡らせるブロシー。


「小生はそこそこ暇人ですし? お嬢さんが困っていたら手を差し伸べる。これが紳士の嗜みでしょうに」


 これも苦しい言い訳か?

 ちらりとレジーナを見る。


「す……」

 レジーナは目を丸くして口をあけた。


「す?」

「すごい! なんでそんなにわかるんだ? 魔法? これも魔法なの?」


 目をキラキラさせた純粋な少女が、そこにいた。

 ブロシーにもこの反応は予想外だったみたいだ。


「あ、あれぇ? お嬢さん、ドン引きしないの?」

「なんでだ? すごい! あたしが説明しようとしたこと全部言ったんだもん!」


 再び森の音が戻ってくる。今までの緊張が嘘だったみたいに、喧騒が近づいてくる。鳥は囀り、枯れ葉は舞い、風は吹く。あの不安そうなレジーナはどこにもいない。

 希望と自信に満ち溢れた少女がそこにいた。ほつれひとつもない金髪が、風に乗ってさらりと揺れた。


「はぁ……もう。なんというか……」


 ブロシーはくるりと翻してまた歩き始める。まだまだ道のりは長い。この方角をまっすぐまっすぐ進めば、一つ目の山を越えられるだろう。


「もっと早く言えば良かったです」

「ブロシー、お前っていいやつなんだな」

「今知ったんですかぁ」

「ふふ、なんだか全部のことがうまくいきそうな気がしてきたっ」


 得体の知らない魔法学者は、少女の無垢さを知らなかった。


⚫︎


「なぁ、ブロシー。もしかして山を自力で越えようとしている?」

 いくら歩いても景色の変わらない登山道。いくら動きやすい格好だとしても、汗はかくし、息切れもする。

 ブロシーがどこからともなく取り出してくれる水のおかげで渇きからは救われるし、道中に転がっている木のみを食べれば腹は満たされる。


 もう少し登れば、半分くらいを進んだことになるだろう。頂上を超えずとも、山の腹を縦断していくようなイメージだ。

 傾斜が厳しいけれど、アンナの体であっても難なく進めるくらいには緩やかな角度。時間はかかるが、急なアップダウンで呼吸が苦しくならないから、効率が良いようにも思える。


 けれど、この移動ペースでは、かなりの時間を消費することは明白だった。


「それ以外にどんな方法が?」

「なんかこう……馬とか魔法で出したりできないの?」

「魔法はそんな便利なものじゃないです」


 ばっさりと切り捨てるブロシーも、そろそろ息が切れてきたのか、言葉に元気がなくなってきている。


「そういえば、あたしの住んでたところ、どこにあるか知ってる?」

「え? この山を越えた先でしょう」


「あとこれくらいの山を二つ越えるよ」


「………………」

「………………」


 レジーナの故郷は、フルーゲル王国の王都から西へ向かい、巨大な山を三つ超えたら現れる広大な花畑。それはそれは巨大な山だ。1日と半分くらいかけてようやく一つ越えられるような、山である。その山腹をようやく半分通り過ぎたところ。太陽がそろそろ傾いてきてオレンジ色の光が、木々を照らし始める時間帯。


「なんでもっと早く言わなかったんですかー!!」


 ブロシーが、はじめて大声を出した。


「知ってると思ってたからだろう!?」


 レジーナも、負けじと大声を出した。


 遠くの方でバサバサと鳥が飛び立つ音がした。


「これはいけませんね。一刻も早く移動手段を確保せねば」

「移動魔法とかないの? めっちゃ速く走れるとかさ」

「そんなものあるわけないでしょ!? 小生は魔法学者。使うの専門じゃないんですからっ」


 ぶつくさ呟きながら、ブロシーはしゃがみ込んだ。


「あと山が二つあるなら、このペースで歩いていったら丸三日かかるか……? いや、体力を考えたら一種間はくだらない。レジーナさん? タイムリミットを聞いていませんでしたね」


 顔を覆ってぶつぶつと声に出しながら、地面に数式なんかも書いたりして考えている。ブロシーが語気を強めてレジーナに問うと、彼女はちょっと考えてから、さらりと答える。


「あと十三日くらいには、全て片付けたいな」

「全て!? ちなみにやることは?」

 声の震えを抑えて、冷静にブロシーは無垢な少女に聞く。怒るな、落ち着け——このお嬢さんはちょっとだけ計画性がないだけだ……!


「えぇと——、まずアンナを見つけるでしょ? 母さんとちゃんと話し合いたい、アンナの母さんの処刑をやめさせたい……あ、あとアンナと仲良くなりたい!」


 指を出しながら、ひとつずつカウントしていくレジーナ。それを書き留めてブロシーが考える。


「一番最後は重要度低め。一番最初と三番目が最優先事項で、一番、三番の流れだろうな。二番目は優先度は高めだけ絶対時間かかる。となると全部のタスクをクリアするために必要な時間はというと……余裕を持って一ヶ月! かぁー! 急ピッチで済ますのなんて夢のまた夢じゃないかぁー!!」


 再び遠くで鳥が飛び立つ。


「あんまり騒ぐなよ。一応移動しているとはいえ、母さんの手先が追いかけてきてもおかしくないんだ」

「なんであんたさんはそんなにも冷静なんですかっ!」


 レジーナは膝から崩れ落ち続けているブロシーを跨いで先を急ぐ。

「これじゃ時間が一分一秒も惜しい……」

 ブロシーは考え続ける。どれだけ魔法を使って演算をしても二週間で全てのタスクをこなすには何よりも移動手段をなんとかしなければならなかった。


「無謀な計画なのはわかってる。でも、やらなきゃいけないんだ」


 決意と「絶対にできる」という希望に燃え上がるレジーナの声と瞳は、地面に「絶対無理」と書き始めたブロシーにもわかるほど。


「首を突っ込んだのは小生。……ぐう、ローランめ。あんたさんの娘はなかなか豪胆に育っているぞ……」


 言葉に出るのは、母親ローランへの恨み言。


「……仕方ないですね。小生の頭脳と叡智と知力をもって、この無計画な計画を遂行させましょう」


 しばらくぐるぐると思考していたブロシーは、立ち上がってレジーナの後を追う。


「ひとつ山を越えたら村か町に出ましょう! そこで馬を買って移動すればいいですからねっ」

「さっきからそう言ってるだろう?」

「聞いてないっ!」


 ブロシーはこれからの計画に一抹の不安が、レジーナには絶対になんとなるだろという希望の光が見えていた。

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魔女の娘と幸福な花嫁 堀尾さよ @horio34

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