【1日目】悩める魔法学者
「起きてください。とっとと行きますよ」
幸せな夢を見ていた気がする。それは男の声でかき消えた。
顔を上げると、見慣れないコートが掛けられていることが分かった。ずっしりと重い。
たき火はとっくの昔に始末され、もうそこには今まで通りの枯れ葉の山があるだけだった。
レジーナは身を起こして目を擦る。一体、昨日何があったんだっけ? この声の主は誰だっけ?
ぼんやりする頭を徐々に整理させて、そこで気が付いた。このコートはブロシーのものだ! 遠くの方でブロシーがこっちを見ている。不安定な足場でアンバランスな体勢で立っているブロシーが少しだけ薄気味悪かった。
またもや大声を上げかける。「ブロシー! 一体どこへ行くって言うんだ!」声の主――ブロシーは呆れたように振り返った。「そりゃ、レジーナの生まれ故郷に決まっているじゃないですか」
呆れ顔出振り返るブロシーの表情は飄々としていて、上手く読み取れない。
「なんでだ?」
誘ったっけ? と首をひねる。そんな話はした覚えはないし、そもそも城から出た理由も教えていなかった気がする……。
レジーナは不思議な気持ちを抱えながらも、ブロシーの元へ駆け寄った。
元々旅の用意すらしていないのだ。身軽な状態のレジーナを見て、ブロシーはちょっと呆れるが、まぁいいかと首を振る。コートを受け取って、再び着直した。
「教えておくとですね、お嬢さん。魔法ってのは便利なもので人の心の中を覗けたりもするもんなんですよ」
「心の中?」
「そう。まぁ操作するのはもう少し難しいんで小生にはできないのですが」
とにかく見えるのです。レジーナの心の中を覗いたのだろう。それで目的やらなんやらを把握されたのだと。ぞっとするが、使い方によっては便利な魔法だ。
進む道が分かったのか、ふいとレジーナから顔を逸らす。まるで今の自分を見てくれるなといった風に。
何を誤魔化したのだろうか? わからなかったが、そういえばローランも心を読むことがあったなぁと思い出した。あたしの心を読んで、夕食を好物にしてくれたっけ。それと同じことをブロシーもしたのだろう。
そんなに見られて恥ずかしいものはないけれど、勝手に覗かれるのはこそばゆいものだ。だから、ちょっと気まずくて顔を逸らしたのかな? 勝手にレジーナは考えた。
でも、何がともあれブロシーという旅の仲間が増えた。やはり、これからの十日間一人で住処まで戻るというのは辛く寂しいものだろう。どんな奇妙な人でも、隣を歩いてくれるだけで心強い。
「このままのペースで歩けば、山の山頂付近には行けるでしょう。とはいえ、基本的に登り続けなければいけないので休憩は必要ですが……」
「休憩なんて必要ないよ。あたしはどこまでもいけるさ」
「……今の体つき、呼吸器官の強さを鑑みるに最低一時間に一回休憩が必要ですな」
そうか、ブロシーにはレジーナがアンナと入れ替わったこともわかっているのか。冷静な分析に、あぁただ飄々と過ごしているわけではないんだと考えてしまう。
そしてしまった、と思う。いつ心を覗かれているか分からないんだから、ブロシーを懐疑的に見ているのも気付かれてしまうのだろうか?
レジーナの疑問は止まることを知らない。どれから聞こうか考えあぐねていたところ、「まぁ、常に心を覗いているわけではないので、ご安心を」「え、今も心を読んだのか?」「顔に出てましたよ」
レジーナが慌てて両頬をペチンと叩いて気を引き締める。いけない、表情に出ていていたら、心を読まれるも何も、失礼な人になってしまうじゃないか!
「レジーナは、騒がしい人ですね」
「また心を読んだのか!」
「だから、そんな頻繁に読まないと言ったばかりじゃないですかぁ。わかりやすいんですよ」
わかりやすいだって? そんなの、誰にも言われたことがないぞ。
レジーナは頭を振って、ごちゃごちゃの頭から不要な悩みをひとつずつ引っ張り出していく。誰かがいる安心感と、ブロシーという男への不信感で心がかき乱されているらしい。
わかりやすくなっているのは、心が不安定だからだ。ローランに「わかりやすい」なんて言われたことはない。
だから、この心の状態が異常事態なのだ。落ち着かなくちゃ。
大きく息を吸って、吐いて、原因を探る。アンナを探せば、あたしの体を見つければ、その手がかりでも見つかれば幾分かマシになるかな?
まだまだ悩むことがいっぱいある。アンナの母親のこと。ローランの本当の気持ち。
眠りに落ちる前のあの暖かな安心感が恋しかった。まだ、レジーナの心のにはローランの影があった。あの幸せだった日々のローランと、あの恐ろしい瞬間のローランが交互に浮かんでは消えて、苦しくなる。
レジーナとブロシーは獣道を辿って、歩き続ける。落ち葉をしゃくしゃく踏み締める感触が、懐かしくて楽しい。
「どうせ暫く歩くので、小生の話でも聞きますか」
「ああ、話したいなら」「素直じゃないですね」
ブロシーとローランの関係はわかったけれど、ブロシー自身の話は聞いていなかったな。魔法学者だとか言っていたけれど。それ以上考える余裕すらなかった。
ブロシーは軽薄に笑って、話を始めた。
「小生は魔法の一般化を進めている、言わば異端の存在なんですな、実は」
「魔法の一般化……誰でも魔法を使えるようになるって事?」
「案外賢い娘さんですね」
「馬鹿にしてる?」「いいえ」
ザクザクと枯れ葉を踏みしめて歩く。まだ冬にふるい落とされた落ち葉が分解されていないみたいだ。山道を下に見ながら、獣道を歩く。こっちの道は人々が通る山道とは違って、獣道は整備がまるでなっていない。ボコボコだし、気を抜いて歩いていると足下を取られてしまう。
アンナの体だが、感覚はレジーナもの。あの素敵な花畑での経験はすぐに忘れるものではなかった。スイスイと歩くレジーナをみて、ブロシーはほほーと息を漏らす。
感心しながら、話を続ける。
「画期的な研究なんですが、反対意見の方が多くって。小生は研究所を追い出されたわけです」
「みんなが魔法を使えるって素敵なことじゃないか」
「とんでもない。想像できる混乱だけで百を超える。それに、今までの法律だとか道徳とか、倫理だとか社会システムだとかを全部見直さなければいけない。世の中は案外面倒くさがりが多いもんです」
ブロシーも器用に獣道を歩く。今度はレジーナがほほーと息を漏らす番だった。人間で、こんなにスイスイと歩き進めるのはレジーナだけだと思っていたから。
草をかきわけ、低木を横切り、木の実を採取する。
「そんなこんなで、色々あって、今。って訳です」
「追い出されて、ここにたどり着いたって?」
「まぁ、色々あって、ですけれどね」
採取した木の実を口に放りこんで、咀嚼する。種子を吐き出し、余った木の実をレジーナにも渡す。ベリーだ。
「で、偶然お嬢さんを見かけたわけです。しかもローランにそっくりな」「嫌な偶然もあるもんだ」
ブロシーの「お嬢さん」呼びにムッとしながらも、何か引っかかった。レジーナは思い出したかのように言う。
「その、ありがとうな。一緒に付いてきてくれて」
ブロシーへの感謝を言いそびれていた。当たり前のように付いてくるブロシーは、当たり前じゃないのだ。突然言われた「お嬢さん」呼びに、気がついた。
礼だけは言うようにと、ローランにも、森の住民たちにも言われていたのを思い出したのだった。
「なんのことやら。小生の進む方向がたまたまこっちだったんですよ」
ブロシーはレジーナの顔を一度も見ずに、言う。
それから照れ隠しにまた木の実をくれる。
なんだ、素直じゃないなとレジーナはこっそり笑った。ベリーは酸っぱくて、美味しい。
「心優しいところは、母親とは似ていませんな」
その次のブロシーの呟きは聞こえなかった。
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