魔法使いと焚き火と逃亡者

「ブロシー。そうお呼び下さいませ、お嬢さん」

「レジーナって呼んで。ブロシー」

 山道から少し外れた、ちょっとしたなだらかな平地で焚き火を炊いた。倒れている丸太をベンチ代わりにしながら二人はいがみ合っていた。

 いや、いがんでいたのはレジーナだけだったが。ブロシーは困った笑みを浮かべながら彼女の機嫌を伺っていた。



 レジーナの叫び声を聞くやいなや、ブロシーは彼女の口を手で押さえ、器用に抱えた。併走しながら足払いを掛け、前に倒れるレジーナの体と地面の間に自身の肩を差し込んで、抱えたのだ。

 一体何が起きたのかわからなかった。

 オオカミが昔教えてくれた「山賊の人さらいの仕方」に少し似ているような気がした。

 そのままのスピードで、一目散に山へ向かった。

「追っ手が来たらどうするんですか!」やや責めるような口調にレジーナも抱えられたまま言い返す。「だって驚くだろ! 横に並ばれたら!」アンナの体とはいえ、そこまで走る速度は遅くなかったはず。

 それなのに、余裕で追いつかれ、さらに呼吸乱れず話しかけられたら驚くものだろう。緊張の糸が限界まで張り詰められていたのだ。気を失わなかっただけマシだと思って欲しい。けれどブロシーはその反応すら心外だったようだ。


 レジーナを抱え、山へ入り、山道を横っ飛びにして道なき道を進む。何度も枝がアンナの綺麗な髪の毛と肌に引っかかった。

「ちょっと、もっと丁寧に走ってよ!」「獣道に出るまで辛抱して下さいな!」

 レジーナの文句は、男の呆れ声で仲裁される。

 小さな木を蹴散らし、大きな木をすり抜け、坂を登る登る。不思議なことにずっと速度は落ちなかった。それに致命的な怪我もしていない。とんでもない体力と運動能力だ。

 あのひょろひょろの体のどこに隠されているのか、その足裁きと、夜目の利き具合に驚いていると、突然下ろされた。ドサリと無造作に投げ捨てられたものだから、尻と背中が痛んだ。


 ムッとしてから、気が付いた。この人間離れした動きに驚かなくては。それが普通の反応だろう。


 それと同時に、いやいや、普通の反応なんてしなくてもいいじゃないか。ここではレディらしくなんて口酸っぱく言う人はいないのだから。


 ああ、アンナの母親、マサエ、それから、ローラン。


 また目の前の男を置いてけぼりにして感傷が痛みだす。まだレジーナの中では感情がぐちゃぐちゃになっているのだ。

 そんなレジーナを知ってか知らずか、男は乱れた髪の毛を整えながら、足下で丸太を転がした。ちょうど2人座るには良いスペースだ。

「まぁ、座りましょうよ、お嬢さん」

 そして、冒頭に戻る。



「ブロシー、お前は一体何者なの? 母さんを知って居るみたいだったけれど、手先じゃないって? それにあの力は一体何? 人間って、あんなにも急な坂を一気に登れるの?」

「やぁ、好奇心旺盛なところ悪いのですが、小生の脳味噌と口は一個しかないのでね。いっぺんに聞かないで下さいな」

 身を乗り出したレジーナを諫め、肩を竦める。ブロシーという男は信用ができない。こんな奇妙な男に好奇心が止まらないのも悔しいし、それを諫められるのは恥ずかしかった。

 男の正体を突き止めない限り無下にも扱えないのがもどかしい。胸ぐらを掴んで聞き出せれば良いのかも知れないが、生憎この体では凄みも出ないだろう。

「まァ、ひとつずつ、ご説明しましょう。出来る範囲でね」

 パチッと焚き火から音がした。これは燃料になった木の枝の中にある空気が外の炎で燃やされた音だと聞いたことがある。

 そんなパチパチ音を聞きながら、レジーナはブロシーを無言で促した。

「小生は、魔法を研究するものであり、ちょっとだけ魔法を使える者でもあります」

「それってつまり、魔法使いって事?」

 ざわざわと周りの木が風で揺れる。誰かの足音のようにも聞こえて、不気味だ。

「魔法学者と呼ぶ者もいますがね」

 魔法を研究、そして、使える者。すぐにローランの顔が浮かんだ。魔法による繋がり? 魔法が使えるもの同士はどこかで共鳴するものがあるのだろうか。


「ローランと聞いて魔法使いの間で知らぬ者はいませんよ。さっきは知らんぷりして悪かったです」


 ぺこりと頭を下げるブロシーを見て、悪人ではないのかなと心が傾く。レジーナを騙そうとする、悪い奴ではないような気がしてきた。

 ブロシーは信用に値する。素直に謝れる人に心からの悪い人はいないのだ。小さな不安が一つ取り除かれた。それと同時にまた好奇心が顔を出した。

「母さんは、有名人なの?」

 レジーナは少しだけ心を開きながら、質問する。ブロシーとローランの関係をもう少し明確にしたかった。もう少し欲を言えば、ローランの話も聞きたかった。

「そりゃあもう! 魔法の腕はピカイチ。無機物だけじゃなくて有機物すらも魔法で操れるんだからたいしたものです。とんでもない才能を持っていますよ」

「とんでもない才能……」

 ローランの魔法を思い出す。つい数時間前の、沢山の人を操っていた魔法。あの恐ろしい魔法がとんでもない才能の正体なのか。

 いや、信じたくない。ローランの魔法は素敵なのだ。もっともっと前。レジーナの知ってるローランの魔法は、心を踊らせる素敵な手品にすぎなかった。

 魔法を沢山使うのを知っている。鍋を宙に浮かせたり、美味しいジュースを作ったり。

 そんな楽しい魔法がローランの持ち味だと思っていた。彼女の魔法がどんな花よりも綺麗で、どんな木よりも力強かった。


「まさか王都にいるとは思ってもみなかったですがね。てっきり別の国にいるもんだと」

「母さんが何を考えているのか、全然わからないの。母さんのことはあたしが一番知っていると思っていたのに」「ははぁ、そうですか」

 ブロシーは言葉を切って、焚き火に追加の枝を入れる。火が弱まっていたのだ。

「ねぇ、あたしがローランの娘だってわかったのはどうして?」「そりゃあ、わかりますよ」

 ブロシーは笑みを少し抑えて、ちょっとだけ真面目な顔をになる。またすぐに軽薄な笑みを貼り付けたが、レジーナはその真面目な顔の方が好きだなと思った。

「……似てるんだから、母親と」

「あたしが、母さんと?」

 今まで誰からも言われたことのない言葉だった。びっくりして言葉を失う。


 でも、すぐに気が付いた。


 これはアンナの体だ。

 外見はレジーナのものではない。

 じゃあ、アンナがローランと似ている、ということなのか? 

 ローランとアンナが親子ということ? ローランと、レジーナあたしは、親子じゃないの? じゃあ、あたしって何? 途端にわき上がってきた疑問が多すぎて、どれから手を着けていいのかわからない。

「あ、ローランと顔が似てるって言いたいわけじゃないんですよ。もちろん、わかっているとは思いますけどね」

 レジーナの曇り顔を見て、ブロシーは己の言葉の足りなさを反省する。


 ああ、この娘は案外傷つきやすいのかも知れない!

 もしくは小生の気が利かなさすぎるのかもしれない!


「小生が似てると思ったのは、行動ですよ。その逞しい雰囲気、強い言動。昔のローランそっくりだ」「行動?」

 顔を上げると、さっきよりも説得したいような顔をしたブロシーがいた。暗闇の中で炎がざわざわ揺れた。

 ずきんと痛んだ胸はもう痛くない。内面がローランと似ているのだろうか? 

 少しだけ嬉しい。続きが聞きたかったけれど、ブロシーはそれ以上は言わなかった。

 聞けば、教えてくれるだろうけれどぴったり閉ざした口には強い意志を感じた。

 レジーナも、行動が似ている、と言う言葉だけで充分だった。あとは自分で思い返してローランと照らし合わせれば良いのだから。


「とにかく、似てるもんだからピンと来たんですよ。少なくともローランの関係しているお嬢さんだと。弟子、もしくは娘さんかなと勝手に解釈したまでです。ハッタリに近いかもしれないですな」


 スラスラと流れる台詞の中、レジーナはなんて早口なヤツなんだと感心する。アンナとローランの関係で悩まなくても良いというのは結構大きなつっかえらしかった。ローランのアンナあたしに向ける眼差しが、あまりにも花畑で暮らしていたローランと違いすぎていて、怖かったのだ。

 ブロシーが何を言おうと、もうひっかかりは覚えなかった。ブロシーが何者であるかもそこまで気にならなくなった。


「ねぇ、昔の母さんを教えてよ。どんな人だったの?」


 胸がぽかぽかして、良い気分だ。ローランが母親であることが誇らしかった。ああ、あの花畑でまた二人で暮らしたい。誰にも邪魔されず、親子で……。


「今とそんなに変わっちゃいないですよ。とんでもない野心家で、横ぼ――自分の道を真っ直ぐ歩いて行く人でした」

「それが、あたしと似てる?」

「そりゃ、似てますよ。城を飛び出すところも、きっとローランならやりかねないでしょうなぁ」


 そうか、あたしはちゃんとローランの娘なんだ。レジーナを支配したのは安心感だった。

 あたしはちゃんとローランと親子の絆で結ばれている。

 だから、ローラン母さんの幸せが、あたしの幸せなのだ。

「……レジーナ?」

 パチパチ燃えるたき火を見て、レジーナは心の中に生まれた暖かな感情に浸っていた。

 もう、なんでもいいや。安心した。

 はやくアンナの母親を助けに行こうと思ったけれど、もう眠たくなってきてしまった。


 ブロシーもそんなに悪い奴じゃないことがわかった。話し相手としては最適な人じゃないか?


 明日になったら、事情を話して一緒に花畑に行くことを考えてもらおう。何の因果か、出会ってしまったのだから、旅は道連れ世は情け。

 あれ? どうしてブロシーはあたしを追ってきたんだろう? まだ聞かなくちゃいけないことがあった……。

 しかしレジーナ、いやアンナの体は限界らしかった。ぷつんと途切れる意識。がくんと首が真下に落ちた。


 数秒後から聞こえる寝息にブロシーは深く深くため息をついた。

「強力な呪いを受けても尚、まだこの子を生かし続けるか。……ローラン、アンタ一体何を考えているんだ」

 意味深に呟かれた言葉はレジーナには届かなかった。

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