粛正サンドボックス田中さん

このしろ

第1話 プロローグ

 年を重ねれば重ねるほど、夢を見る回数は無意識のうちに減っていく。

 これは、今は亡き母親に教えられた教訓でもあるし、実際に今年で二十歳になる僕も、この貧弱な体で体験していたことだから、ああ本当のことなんだろうなと思っていた。



 もともと人付き合いの苦手な僕にとって、当たり前のように小学校から高校生の12年間は友達もいなかったし、大学生になればなおさらだった。

 ただでさえ対面授業が減っているこの時代に、自ら人に話しかけるどころか、話しかけるタイミングさえ作れず、こうやって漫画と小説が有象無象した机の上でカップラーメンを一人で貪っていた。

 玄関の方からは半年前に効力の切れた消臭剤が誇りをかぶって放置されており、無臭と言うか、変な雰囲気を醸し出していた。

 雪男のように無精髭を生やし、鈍った灰色の目でバラエティー番組を睨む。

 一年生の時に近所のスーパーの品出しバイトをやっていたが、同僚から注意を喰らっている最中。ムカついたので、隣にあったイチゴを投げつけようとしたら手が滑り、誤って屈強な男性客の顔面に投げてしまったことをきっかけに、金輪際働かないと天に誓った。

 自分が大学生という身分であったことに救われた。

 傍からみれば、ただのニートのそれなのだから……。

 友人もいなければ、金もない。

 ヒモになれるかどうかさえ怪しい現状に、思わずふっと笑ってしまう。

 そういえば、と思い、バッテリー残量10パーセントのノートPCを開いた。

 なんてことはない。

 大量に貯まった課題と、受けそびれた授業の単位が取れなかった知らせ。

「人間なんてみんな死ねばいい……」

 脳死状態で吐き出した言葉は、半ば自虐的な意味も含まれると思う。

 自分だって人間なのだから。

 ただ自殺する勇気も気力もないし、あったとしてもそのエネルギーをソシャゲで課金する方向に回したい。

 自分もそこまで老いぼれていない……いや、十分老いぼれているか……。

 カーテンの閉め切ったこの部屋で、何かをする訳でもなく、ごろんと床に転がった。

 なにか刺激があれば変われるかもしれない。

 そう思ったのは、お腹にへばりついた脂肪の塊を握ってそこはかとなく健康的な危機感を覚えたせいだろう。

「可愛いお姉さんとセックスすれば僕も変われるのかなぁ」

 なんとも無様な戯言を吐きつつ、でも本気で思っている自分もいた。

 肌は透き通るように白くて、髪型は黒髪のロングヘア……清楚系がいいな……。

 あとは僕より年上であること。

 お姉さんに養ってもらいたい。

 それが僕に唯一残された夢なのだから。

「まあ、そんなくだらない夢、叶うわけないけどな」

 この六畳間で唯一綺麗な場所。

 戸棚に整列されたアニメや漫画の美少女キャラクターグッズを遠巻きに見ながら、やっぱり二次元最高と、夢の詰まった自分のお腹を擦りながら呟くのだった。


「ぼちょすっ……!」

 瞼を閉じようとした瞬間、インターホンが鳴り、間抜けな声を上げる。

 過去一度、ガス代の催促を大声で言い渡されてから、インターホンの音には未だになれない。

 正直出たくない……。

 今月の光熱費は支払っているし、無論、友人だっていないのだから、おそらく怪しい勧誘か大家さんのどちらかだろう。

 正直、勧誘であってほしい。

 大家さんには一度もあっていないが、風邪の噂だと、警察官をやっているらしい。

 階級は分からないが、この都会でも腕の立つ警官で有名だとか。

 もし自分がそんな警官に出くわしたりなんかしたら、この不殺生ぶりをみて家を追い出されるかもしれない。

 しかしこの前みたいに、大声で怒鳴られても困る。

 渋々玄関へと向かった。

「ん……?」

 扉を開けると、久しぶりに陽の光を浴びたような気がする。

 しかし問題はそれではなく……。

「あの、どちら様ですか?」

 勧誘でも、大家さんでもない。

 目の前にいるのは、僕より頭一つ小さいボブヘアの少女だった。

「こんにちは田中さん……! 早速ですが、あなたの全てを粛正させていただきます!」

 にっこりと、微笑む少女。

「はい……?」

 舞い降りたのは天使か悪魔か。

 この時の僕は知る由も無かった。


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