第41話 扉は開かれた

「憧人くん。女装してみよっか」

「えっ……えぇ!?」


 俺の提案に、憧人くんは目を丸くして驚く。


 それも仕方ない。俺も緒方さんから同じ提案をされたときは驚いたものだ。俺史上、一番気の抜けた声が出ていたと思う。


「俺は女装のおかげで外に出れるようになった。最終ゴールは男のままでも外出できるようになることだけど、初めの取っ掛かりとしてはいいと思うんだ」

「で、でもボクが女装なんて……絶対似合いませんよ!」

「そんなことないよ。これを言われて嫌かもしれないけど、憧人くんは可愛いよ」

「えっ」

「顔立ちは中性的だし、声も俺より高い。体のラインも細いし……俺より違和感ないんじゃないかな」

「そ、そんな。ボクなんかが……」

「まあ、物は試しってやつで。それに、今からしようとしている事と逆みたいになっちゃうけど、男は度胸ってことで。俺が化粧とかしてあげるから、ちょっと試して——」

「遥さんがやってくれるんですか!? ど、どうぞ! よろしくお願いします!」


 さっきまで乗り気じゃない様子だったのだが、急に目を瞑って顔を前に出してくる憧人くんの行動に、今度は俺が困惑する。ってか、まるでキス待ち顔だな。


 まあでも乗り気になってくれたのなら良かった。本気で嫌がられたら諦めるつもりだったので、用意してきて良かったと安堵する。


 ウィッグも用意してきたのだが、憧人くんの髪は伸び切っており、櫛を入れていたので少し乱れているが髪質自体は良さげだ。少し手入れしたら綺麗になるだろう。なので、ウィッグの出番はなさそうだ。


「化粧の他に、服も用意したから着替えてもらおうかな。あっ、安心して。俺のお古とかじゃないからさ」

「……そう、ですか。別にボクは構いませんでしたが」


 服は俺が新しく購入したものだ。流石に初対面の俺の服を着るのは申し訳なかったから新品を買ってきたのだが、そこまで気を使う必要はなかったみたいだ。まあでも、もし女装に抵抗がないのであれば今後使うかもしれないし、そのままプレゼントすればいいだろう。


「それじゃあ、まずは髪を解いていこうか。おいで」

「っ……はい!」


 憧人くんは緊張した様子を見せるが、髪を解かれるために背中を俺に向けてくれる。信頼してくれているのが伝わってきて、少し嬉しい。


 これは失敗することはできないな。今後、女装をしていくかどうかは置いといて、これが悪い思い出にならないように頑張らなければ。




 * * * * *




 女装が完成した憧人くんを前にして、俺は息を呑んだ。


「すごい……」


 その姿の前に、俺は語彙力が吹っ飛んでいた。


「え、えへへ……お、おかしくないですか?」


 もじもじと身体を捩らせるその様は、まさに可愛い女の子だった。


「全然おかしくないよ。似合ってる」

「ほ、本当ですか?」

「あぁ。まあ、メイクを施した本人に言われても信じきれないよな」

「そ、そんなことは」

「だから、呼んでおいた」

「へ?」


 その時、コンコンと憧人くんの部屋のドアがノックされた。俺は誰が来るのか分かっているので、憧人くんの許可を待たずにドアを開ける。


「遥。呼ばれたから来たけど、よかったの……って、どうしたのその格好。もしかして、洗面所を貸して欲しいってそういうことだったの?」

「あぁ。でも俺のことはいいんだよ。羽衣に見てほしいの俺じゃなくて……」

「……えっ! もしかして、憧人?」


 羽衣の視線は俺の後ろにいる憧人くんへと移っており、その姿を見て驚いている。


「お姉ちゃん……久しぶり」

「やっぱり憧人なんだ……」


 羽衣視点では、大学の同期を信じて大事な弟のもとに送り出したら、弟を女の子の格好にさせられていたのだ。衝撃を受けるのも、困惑するのも仕方ない。


 羽衣はしばらく固まっていたのだが、声をかけようとした瞬間、バッと動き出してそのまま憧人くんを抱きしめた。


「可愛いーーーーーー!! え、近く見たら本当に憧人じゃん! きゃー! え、これって地毛!? こんなに伸びてたんだね……でも綺麗。羨ましいくらい! もう本当に可愛い!」


 羽衣は興奮した様子で、憧人くんの格好を褒めちぎる。


「お、お姉ちゃん、落ち着いてよ」

「……あっ!」


 憧人くんの声を聞いて、羽衣は慌てて憧人くんから離れる。そして、さっきまで自分がしていたことを振り返って顔を青ざめる。


「ご、ごめん憧人。大丈夫? お姉ちゃん、久しぶりに憧人に会えたのが嬉しくて、それに可愛くなってて驚いちゃって……」

「ううん、大丈夫だよお姉ちゃん。ほら」


 今度は憧人くんの方から羽衣の身体に触れた。やはり憧人くんは羽衣に触れても平気みたいだ。


「あっ……本当だ。あたし、憧人に触れるんだ……前みたいに抱きしめてもいいんだ……!」


 羽衣の目から涙が溢れた瞬間、彼女は大事な弟を強く抱きしめた。


「頑張ったね憧人……!」

「お姉ちゃん、お姉ちゃん……ボク、ずっとお姉ちゃんに甘えたかった!」

「いいのよ! あたしはあんたのお姉ちゃんなんだから、たくさん甘えなさい! 遠慮なんかしなくていいんだから!」


 憧人くんも羽衣の身体に手を回し、二人して抱きしめながら涙を流している。そして、お互いに今まで伝えることができなかった本心をぶちまけあっている。


 俺は二人の姿に感動しながら、どこか気まずさを覚えていた。




 * * * * *




 羽衣と憧人くんの久しぶりの再会を果たしてから一時間後。


 泣き疲れたのか、憧人くんは眠りについてしまったのでベッドに寝かせて、俺たちは部屋を出た。


 そしてリビングで羽衣からオレンジジュースの入ったコップを受け取り、それを飲みながら休憩していた。


 ちなみに、羽衣の要望もあって俺は女装姿を解いている。つまり、男の格好に戻っている。


「遥、今日は本当にありがとね。まさか憧人が女装しているとは思わなかったけど」

「やっぱり外に出るのは怖がっていたからな。外出できるようになるきっかけになればいいなって、着せてみたんだが……」

「憧人、すごく似合ってたね……はぁ。あたしは正真正銘の女なのに、なんか自信失くしたなあ」

「いや、羽衣も十分可愛いだろ。それに憧人が女装姿が似合っていたのも、姉弟である羽衣が女性らしい格好が似合うからで——」

「も、もういいから! 遥のおかげで自信湧いてきたから、もうそれ以上はやめて!」


 顔を赤くし、わたわたと手を動かしながら羽衣は必死に俺に静止をかけてくる。


 自信が湧いてくれたならよかった。羽衣はたまに自分に自信がなさそうなことを言う。それも、過去に一度失敗した経験があるからだろうか。


 憧人くんは過去から立ち直るきっかけを得た。羽衣も過去に囚われないようになればいいが。


「女装していても、初めのうちは一緒に出かけてやってくれ。万が一のこともあるし、それに完全には恐怖を断ち切るのは難しいだろうから」

「うん、当然! 憧人と可愛いショップとか巡るんだ〜。服とか一緒に見てさ、もしかして前より仲良くなれるかもじゃん!?」

「憧人くんが女装にどれだけハマるか、みたいなところはあるけどな」

「う、うーん。多分だけど、めちゃくちゃハマりそうなんだよねあの子……」


 そう言って、羽衣は俺の顔をチラチラと見てくる。俺のせいだと言いたいのだろうか。そりゃきっかけを与えたのは俺だが、そこからどうなっていくかは本人次第のはずだ。俺はあくまで女装を防衛手段としか見てないし。


 憧人くんが眠りにつく前に言っていたことを思い出す。


「遥さん。今後もボクと会ってくれますか?」

「もちろんだよ。今度は外に遊びに行けたらいいね」

「はい! ……あの、ですね。お外もいいんですけど、また家に来てもらうこともできますか?」

「家? あぁ、うん。そうだね、いいよ。外だと女装しないといけないしね」

「あ、あの、遥さんは家に来るときは男性の格好なんですか?」

「え、そのつもりだけど」

「……わかりました。じゃあ、ボクは女の子の格好になりますね」

「……なんで?」

「だって、その方が自然じゃないですか」


 自然ってなんだろう。今になっても言葉の意味がよく分からないが、本人は寝てしまったので確認のしようがない。


 空になったコップの中を見つめ、そろそろ頃合いかなと思い立ち上がる。


「それじゃあ、俺は帰るとするよ」

「えっ。まだお礼とかできてないのに、帰っちゃうの?」

「何言ってんだよ。これは、前に助けてもらった分の恩返しなんだから、羽衣にお礼もらうのはおかしいだろ」

「いや、でもさ……ここまでしてくれて、何もしないのは罪悪感があるっていうかさ。ほら、あたしを助けるためだと思って、お礼させてよ。なんでも言って?」

「うーん……」


 本当に恩返しのつもりだったし、それに自分と同じ境遇の子を助けられるならという思いで来たわけで、特に見返りなんて考えていなかった。そのため、何かお礼をさせてくれと言われてもパッと思いつくものは……あっ。


「じゃあ、またご飯作ってくれよ」

「ご飯?」

「あぁ。この前食べた羽衣の料理、最高に美味しかったからさ。また作って食べさせてくれ」

「っ……わかった。もう、そんなことでいいの? 今ならお姉ちゃん、何でもいうこと聞いてあげたのに」

「急にお姉ちゃんぶるなよ。憧人くんからお姉ちゃんを奪ったみたいで申し訳なくなるだろ」

「……奪ってくれないんだ」


 そんなことを言われても。今の憧人くんにとって羽衣お姉ちゃんという存在は心の支えの一つだ。それを奪うことなんてできないだろ。


 まあ、ただ俺のことを揶揄っているだけだろうと察し、この話はここで終わったもんだと考える。


「それじゃあ、今度こそ帰るな。憧人くんによろしく」

「えっ……あ、うん。今日は本当にありがとね。ご飯作るのはいつにする?」

「羽衣の都合のいい日でいいよ。その辺は任せる」

「あたしに任せる……わかった! 楽しみにしてなさい!」

「あぁ」


 玄関まで送ってくれた羽衣と別れ、俺はマンションの廊下へと出ていく。


 俺の胸は達成感に満ち溢れていた。一人の少年を救うことができた。完全にとは言えないが、そのきっかけを与えることはできたのだ。


 それに、自分のためになる情報も得ることができた。憧人くんは、女装をしていたが、羽衣に抱きつくことができていた。やはり女装をしていたら、抵抗が薄れるのだろうか。


 憧人くんのことを無闇に広めるわけにもいかないので、緒形さんや二神に相談することができない。ひとまず、自分一人で考えることにするか。




 * * * * *




 彼が帰るのを見送った後、リビングに戻ると、彼が使っていたコップが目に入ってきた。


「……はっ」


 次の瞬間、気づいたら、あたしはそのコップを掴んでいた。自分は何をしようとしていたのかを考えると顔が熱くなってきた。誰も見ていないのに、誤魔化すようにシンクへと運ぶ。


 彼には本当にお世話になった一日だったと思う。彼は恩返しだなんて言うけど、約一年間解決しなかった我が家の問題を一日足らずで解決して見せたのだ。こちらとしては、返しきれない恩ができたのだ。


「あぁ、遥のために何かしてあげたいなぁ」


 無意識に自分の口からそんな言葉が漏れていた。


 お母さんはお仕事で忙しいし、あたしは憧人のお姉ちゃんなので、この家の家事はあたしが担当していた。家族のために何かをしてあげるのは全然苦じゃなかった。何なら楽しさを見出していたところもある。


 だけど、家族以外の人にここまで尽くしたいと思えたのは初めてだった。彼にだったら何でもしてあげたい。もしあの時、彼が見返りとしてあたしの身体を要求してきたら、喜んでこの身を捧げていただろう。


 まあ、彼が今、そんなことを求められる状況じゃないのは知っていたのだが。だけど、少しだけ期待していた自分がいるのは確かだ。


 あたしが彼のためにできることとして、今の彼の体質を改善することがあるんじゃないかと思える。憧人のためにもなるし、それに体質を改善することができたら今度こそ……


「ふふ、今度は何を作ろうかな」


 彼は見返りとしてあたしの手料理を要求してきた。今まで家族にしか振舞ってこなかったあたしの料理。他人にここまで求められるのが嬉しいなんて知らなかった。いや、求めてくれたのが遥だからかもしれない。


 彼は「もう一度だけ」とは言わなかった。ただ「またご飯を作ってくれ」としか言っていない。そう。だから、彼は今後、あたしの手料理をずーっと食べてくれるのだ。


 以前に手料理を振る舞った時、あたしの作った料理を美味しそうに食べる彼の姿を思い出し、頬が緩むのを感じる。そして、ちょっとだけ、ほんのちょびっとだけ……その料理に嫉妬を覚えるのだった。

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転移先である貞操逆転世界の自分は女性に対してトラウマ持ちでした 土車 甫 @htucchi

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