第10話


 命からがら、パラミシアの地下都市を抜け出た5人は、童話の国のような可愛らしい街を素早く、しかし慎重に抜け出し、暗い森に走った。

 そのあとは、ドックタグに仕込んだ発信機を作動させる。それが作動したら迎えに来るよう事前に手配していた装甲車に乗り込んで、ピリンキピウムを目指した。


「全く、ロットワイラーは揃って無茶するね」


 部下とともに迎えにきたプレシオーネが助手席で快活に笑った。装甲車だけでなく、今回の作戦の小道具を全て準備したのは彼女である。


「優秀な同期を持って、アンタ幸せ者だねー! それにしてもボロボロじゃないか、腹なんか撃たれちゃってさ」


 ケタケタとプレシオーネが笑う。座席は横向きに設置されているため、中央に広く空いたスペースに取り敢えずの応急処置をされたフェンが横たわっていた。車の振動が響くのか、プレシオーネの嫌味のためか、フェンは顔を顰めた。


「うるせぇ……それ以上言うな」


「あん? 感謝が足りないようだね、誰が迎えを手配してやったと思ってんだ? アンタをここに放り出して行ってもいいんだよ?」


「……すまん」


 フェンを言葉でいたぶり、プレシオーネはケタケタと楽しそうに笑った。悪魔のような女だ。そんな様子にカロスは安堵したように吐息をついた。


 向かいにルナとレイが並んで座っている。2人の間には微妙な空間がある。呆然として座っているルナの瞳から、ぽろりと涙が溢れた。座席に置かれたルナの手に、レイの手が重ねられる。ルナはレイを見ずに尋ねる。


「あれは、兄さんだったと思う?」


 問われたのはレイだったが、車内全体が重い空気に包まれた。


「俺たちの遺伝子は特殊だから……」


 また、ルナの瞳から涙が一筋こぼれる。ルナの手を握るレイ。ルナはそれを受け入れた。

 そんな2人の姿を、カリーナは向かいから、苦しそうな顔で見つめるしかなかった。


 * * * *


 ピリンキピウムに帰り着くと、レイ、フェン、カロスはすぐに医務室に連行され、ルナとカリーナは指揮官室に連行された。

 部屋では額に青筋をたて、冷や汗をかいた指揮官が待ち受けていた。


「何を! やっているんだ! 貴様たちは!!」


 かつて、これほどまでに感情を露わにしている指揮官を見たことがない。いつも沈着冷静、感情を表に出さない落ち着いたロマンスグレーなのだが、今日は怒れるロマンスグレーだ。


「戦争終了後にパラミシアから捕虜のリストが届いて、我が軍に存在しない兵が捕虜として登録されていると思ったら……ドックタグを偽造しおって! その上、戦闘に参加していないはずのカマラードの兵まで……!」


 小柄なカリーナは肩を縮こまらせて、より小さくなった。そうすれば、少しでも指揮官の怒りを避けられると思っているのだろうか、青い顔をしてカタカタと震えている。


 ルナは指揮官の怒鳴り声にも動じることなく、床を見つめていたが、指揮官が言葉に詰まると待っていたかのように口を開いた。


「ロットワイラーとレイ・バークシャーの目的は、エリオット・ビルと思われるNの救出でした」


「把握している」


 頭に手を当てて、目をつぶりながら、司令官は答えた。怒鳴ることは無くなったが、ふつふつとした怒りを感じる。


「それで、目的は? 果たせたのか」


「Nはエリオット・ビルの遺伝子を使って作られたコピーでした。パラミシアからの脱出時の戦闘で、Nの死亡を確認しました」


 指揮官は目を伏せて、手のひらで顔の汗を拭った。


「Nは死んだのだな? これで脅威は取り払われたか……」


「行方不明になっていたフォルティナ・ザッカスが、パラミシアにいました」


「ん? 何だと?」


「フォルティナ・ザッカスが、パラミシアによって回収されたエリオット・ビルの遺体を使って、Nを生み出したようです。彼女は次のNを作ると発言していました」


「ううむ……」


 指揮官は唸り、黙り込んでしまった。顎に手を当てて考えながら視線を彷徨わせていると、俯いたまま動けないでいるカリーナに視線が止まった。


「貴様は……ドゥシュマンだったな? 今回知り得た情報の一切と、捕虜に取られた事実を口外しないと約束しなさい」


 カリーナは目も上げられず、手を体の前で握りしめていた。


「聞いているのか? ドゥシュマン上等兵!」


 指揮官の恫喝にカリーナはさらに萎縮する。


「カリーナ、返事を」


 ルナが指揮官を見据えたまま小さく声をかけた。その声にハッとして、カリーナは俯いたまま答える。


「口外、しません……」


「よろしい! では、誓約書にサインを」


 指揮官は執務机の引き出しから書類を取り出し、机の上に置いた。カリーナは動かない。手を体の前でモジモジさせている。


「ドゥシュマン上等兵! サインを」


 恫喝することで、よりカリーナが怯えて萎縮することに気づいていないのか、気づいていてわざとそうしているのか、指揮官はカリーナに対して声を抑えようとしない。


「……ッ、ア、タシ!」


 今まで息を止めていたのか、カリーナは吐き出すように声を出した。視線は床に釘付けだ。他のものを見ることを恐れているかのように。


「アタシ……退役を、望みます……!」


「ほう?」


「今回のこと、アタシには、何がなんだかさっぱりです……だから、誰かに話たりなんてしません! 絶対に!」


「ドゥシュマ上等兵の実家は経済状況が良くなかったはずでは? 兵士になったのは、そのためだと聞いたが。それなのに退役してしまって、いいのかね?」


 カリーナの目が泳ぐ。


「確かに、うちは貧乏です……でも、このまま軍に居続けて、誰かに殺されて死ぬより、実家に戻って飢え死にした方がマシです!」


 体の横で手を握り締め、カリーナは声を振り絞って叫んだ。戦場でしか生きられないルナと、戦場では生きられないと悟ったカリーナ。

 ルナは特に何の感情も抱いていないように、平然として立っていた。ただ、前だけを向いて。


「そうか……では、こうしよう。ドゥシュマン上等兵にはピリンキピウムに移り住んでもらう。仕事も紹介しよう。もちろん、戦場に出ることはない。そうだな、食堂で働いてみるのはどうだ」


 初めの怒り狂った様子は、指揮官にはもうなく、彼はいつもの冷静さを取り戻していた。マニュアルと権力に忠実な男。それこそが、このポストに相応しい人間だ。

 カリーナは指揮官の提案を受け入れた。


 * * * *


「ごめんなさい」


 指揮官の部屋から出て、カリーナの口をついて出たのは謝罪の言葉だった。ルナは頭を下げたカリーナを不思議そうに見下ろした。


「なぜ、謝るの?」


「あなたは戦場に残るのに、アタシは逃げ出すから」


 下げた頭を上げ、真っ直ぐにルナの瞳を見つめて、はっきりとそう告げた。ふっと息を吐きルナは表情を和らげた。


「別に、逃げることは悪いことじゃない」


「でも」


「この戦争は、君の戦争じゃない。君が背負うものは何もない」


 カリーナの頬を涙が伝った。そのまま蹲って、子供のように泣き出した。大きく口を開け、鼻水も垂れている。本当に小さな子供のようだ。

 ルナはただそれを見下ろしていた。同情するでもなく、かと言って、無関心でもなく。ただただ、澄んだ青い瞳で静かに見つめていた。


 * * * *


 ロットワイラーの配置換えはひっそりと行われた。


「地上勤務なんて、聞いたことないよ」


 陣中見舞いに来たプレシオーネが、物が無くなってがらんとしたロットワイラー寮の娯楽室で驚いたように言った。


「まぁ、頑張ってきなよ」


 そう言って、フェンの肩をバシバシと叩く。


「イッテェ!」


 衝撃が傷に響くのか、フェンは腹を抑えて縮こまる。


「ちょっと、プレシオーネさ~ん! フェンさん、まだ傷治ってないんですよ~?」


「あはっ! 知ってるー!」


 心底楽しそうに笑って、涙目のフェンを見るプレシオーネ。本当に悪魔のような女だ。


「お前、部下にもこんなことしてんじゃねぇだろうな?」


「え? アンタだけよ……とか言って欲しいのかい?」


 フェンは思いっきり舌打ちした。プレシオーネは目を細めて無言でフェンの脇腹を突いた。結構、強めに。フェンが痛みに体をよじる。

 悪魔だ。本物の悪魔がいる。


「アタイがアタイの部下をどう扱おうが、アンタには関係ないだろ。生かすも殺すもアタイ次第! だから……アンタの部下はアンタが守んだよ」


 ふっと笑って、しかし真剣な声音でプレシオーネはフェンに言った。

 ドアがスライドして個室からルナが出てきた。白いTシャツに細身のジーンズ姿。そんな格好のルナを見たのは初めてなので、フェンもカロスも、プレシオーネさえも驚いた顔をした。


「な、何よっ」


 視線を浴びて、ルナが顔を顰めて1歩後ずさる。


「えー! いいじゃなーい! そうしてると本当に普通の女の子みたいよー?」


 プレシオーネは新しいおもちゃを見つけたと言わんばかりにルナの肩を抱く。


「本当~、ルナさんのそんな姿見ちゃうと、実感しちゃいますね~」


 カロスは感慨深げな表情でルナを見つめた。そう言うカロスも、カラフルなシャツにジーパン姿で、まるでバカンスに行く若者だ。

 フェンはいつもの銀縁メガネをして、紺のポロシャツにベージュのパンツ姿だ。ただ一人、プレシオーネだけが軍服を着ている。


「まったく、寂しくなるねー……」


 ポツリと呟かれたプレシオーネの言葉に、皆、しんみりとした。


 * * * *


 駐車場には赤錆が浮いたボロボロの白いセダンが用意されていた。既にレイがいて、車に荷物を積み込んでいるところだ。レイは黒いキャップを被り、黒いTシャツにジーンズ姿だった。


「荷物はそれだけ?」


 ロットワイラーの3人はそれぞれ、ボストンバックを1つずつ持っていた。それを荷台に積み込む。


「それじゃ~、行きますか~」


 カロスが言って、運転席のドアの取っ手に手をかけた。それをルナが手首を掴んで止めた。手首を掴まれたまま、カロスが首をひねる。


「怪我なら治ってるんで、大丈夫ですよ~?」


 そう言って、ルナが掴んでいるのとは反対の腕を持ち上げる。エリオット・コピーに切り付けられた痕が、手首からひかがみまで膨れた赤い筋になって走っている。


「フェンさんはまだ傷が痛むみたいだし、レイさんも、肩を撃たれて、万全じゃないでしょ? だったら僕が~」と言う、カロスを押しのけて、ルナが運転席に乗り込む。次いで、助手席にレイが乗り込んで、ルナの顔を覗き込んだ。


「大丈夫か? 何なら俺が」


「いい、傷が治ってないんだから、安静にしてて」


 ルナはそう言いながら、不貞腐れて口を尖らせたカロスが後部座席に乗り込むのを見る。


「運転なら、僕に任せてくれればいいのに~!」


「お前は、カーチェイスみたいに飛ばしたり、バカみたいにドリフトしたりするからダメだ。私の傷が開きかねん!」


 フェンの文句を聞いているのかいないのか、カロスはバックミラー越しにルナに舌を出してあっかんべーをしている。

 レイは驚いたように目を丸くした。


「本当にそんなことを?」


「本当。しかも誰にも追われてないのに、そういう運転をするのよ。意味がわからない」


 ルナがバックミラーを睨みながら言った。

 車はゆっくりと発進した。薄暗い通路を抜けると、外の明るさに目が眩んだ。


 指揮官とのやりとりがフラッシュバックする。


「今回の敵国への侵入は深刻なルール違反だ」


 ルナ、フェン、カロス、そしてレイの4人は1列に並び、気をつけをして立っていた。


「パラミシアとの会談で、貴様たちは戦場から追放することとなった」


「追放……」


 レイが呟く。


「随分、生優しいと思うか? 向こうはこちらの兵士の遺体を回収し、それを使って密かにクローンを生み出していたんだぞ。彼奴等こそルール違反だ! 遺体でも所有権はこちらにあると言うのに!」


 指揮官の言葉に4人は目を伏せた。中でもルナは唇を噛み締めて、憤りを現している。


「戦場には出ないが、貴様たちの戦いが終わった訳ではない。貴様たちが敵国の領土を脅かしたことにより、今後、パラミシアが報復として、我らの地下都市を襲う危険性も出てきた。その際、足掛かりになるのが、地上の街と思われる」


 4人は俯くのをやめて、真っ直ぐに前を見ていた。指揮官は1人1人の顔を確認して告げる。


「よって、貴様たちには地上の街への潜伏・監視の任務を与える! 街に異変があれば、ピリンキピウムの盾となり、その身を持ってこの国を守るように!」


 力強く放たれた言葉に、4人は敬礼を返した。 


 * * * *

 

 赤錆が浮いたオンボロ車は見た目に似合わず、軽快な走りを見せた。地下都市から数キロ離れた地上の街へ、滑らかなカーブを描いて入っていく。

 地上の都市は地下と違って貧しい。敵国へのカモフラージュの意味で作られた街に、地下で仕事にあぶれた人間や、罪を犯して地下都市を追われた人間が集まり、スラムと化しているのだ。そんな街にこの車の古ぼけた外観がピッタリとはまる。


 車は坂を上り、街を見下ろせる高台に停まった。すぐそばに平屋の1軒家があるが、トタンや板切れでできた簡素なものだ。滑車が壊れた井戸も見える。


 車から降りてカロスは開口一番、「ひゃ~、僕ら、こんなところに住むんですか~?」と身震いしながら言った。

 野営訓練を経験しているとは言え、彼らの育った地下施設は清潔で何不自由ない場所だった。当然の感想と言える。


「まずは寝床の確保からだな」


 車にもたれかかって、手でひさしを作ったフェンは家を眺めて言った。その様相は家というよりも小屋なのだが、広さだけは十分あるので家と言いたい。


 ルナは崩れかけた柵が残る庭を先まで歩く。柵までたどり着くと、眼下に茶色く濁った街並みが広がった。

 この街にあるものは、茶色い。大抵のものはサビが浮いているし、道路も舗装されていない。緑はチラホラとあるが、活気のない街に色が乏しいのは仕方のないことだった。


「これからは天井じゃなく、この高い空の下で生きていくんだな」


 レイにそう言われて、ルナは視線を上げた。街とは違い、澄んだ青色が広がっている。


「なんだか……クラクラする」


 レイに視線を戻したルナは、そう言って困ったように笑った。

 ごうと音が鳴って、突風が2人を襲う。レイの被っていたキャップが空を舞った。


 風が止むと、ルナとレイは互いを庇い合うように手を繋いでいた。帽子で隠れていたレイの髪は短く切られている。どうやら彼の願掛けは終わったようだ。


「おーい! 手伝ってくれ!」


 フェンに呼ばれて、レイは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、ルナの手を引いて走り出した。


 * * * *


 崩れかけた柵と、その向こうに広がる茶色い街と青い空をバックにクレジットが表示される。

 提供はピリンキピウム軍司令部とパラミシア軍司令部となっている。番組のテーマ曲が流れ出したところで、オレはテレビの電源を切った。


「ルナちゃんとレイくん、いい感じだったわね~! もう付き合ってるのかしら?」


 一緒に鑑賞していた妻がほくほく顔で胸に手を当てて言った。


「さぁな、次は街での暮らしをメインに放送するのかな?」


 そんな予想を妻に伝えてみる。妻は顎に手を当てて考える素振りを見せた。


「う~ん、でも、街じゃあ、放送するような戦闘なんて起きないんじゃない? きっと次からは別の隊をメインに放送するのよ」


 なかなか良い推理だと思う。ピリンキピウムのSには、まだまだ特集すべき人材がたくさんいる。


「だけど……」


 ソファーから立ち上がって、台所に向かう妻が呟く。


「ちょっと可哀想よね。自分たちの戦争が、マトカで番組として放送されて、楽しまれてるなんて」


「番組を作ってるのはピリンキピウムとパラミシアだぞ? こんなのヤラセに決まってるさ」


「うーん、戦死者が出ているのは本当みたいだし……ヤラセであんな迫力が出るのかしら?」


 妻は言いながら、水を出し、野菜を洗い始める。既に関心は番組よりも今日の夕食のレシピに移っているようだ。


「今日の晩ご飯は?」


「ビーフシチューよ」


 それだけ言って、妻はにんじんを切り始めた。


 オレはテレビに向かい合う位置においたソファに深々と腰をかけ、ビーフシチューが出来上がるのを心待ちにした。次の番組が放送されるのを待つのと同じように……。

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