狐様と守人

@ayane18

ー序ー

まだ幼い1人の少女が泣いていた。

泣くな泣くな涙よ止まれと自らに必死に言い聞かせても、枯れる事なく大粒の涙は流れ落ち、しゃくりあげる声が、その声を抑えようとする努力も虚しく、泣き声は止まない。

夜の帳がおりるには少し早い夕暮れ時。

少女の泣き声に気付く者はいない。

否、人はいないが人ならず者は2人いた。


「文音さん、知らせにきてくれてありがとう。」


顔の上半分を覆うのは狐のお面、稲穂のように輝く髪は長く1つに纏めて結んでいる。

声色からして20代後半から30代前半の青年だろう。

優しい声で、口元には寂しげな笑みを浮かべ、けれどもその優しさは声だけで、泣きじゃくる少女に触れようとはしない。

今の少女には人の温もりが必要だという事はわかっている、しかしそれをしないのは青年が人ならざる者だから。


「小狐や、私は文音さんを家まで送ってくるよ」


気付けば夜の帳がもうすぐおりようとしていた。

この暗さの中を幼い少女が1人で歩くのは些か不安だ。


「御狐様、それなら僕も」


もう1人の人ならざる者、青年と似たお面をし稲穂のように輝く髪は短く、10代前半と思しき少年は心配そうな顔で少女と青年を交互に見ていた。

何もできないのがいたたまれなかった、せめて少女の傍にいたかった。


「小狐は待っていなさい。責めを負う私1人で十分です」


「責めって、どういう事ですか?」


「帰ってきてから話します。文音さん、歩けますか?」


うんうんと頷く少女。

泣き声は止み、幾分か落ち着いた様子で呼吸を整える。


「…御狐様と小狐様にお話があります」


まだ涙がはらはらと溢れ落ち、それを腕でごしごしと拭い、目に涙を溜めた状態で少女は青年と少年を交互に見た。

それは覚悟を決めた者の表情だったが、御狐様と呼ばれた青年は嫌な予感がした。

この歳で、そんな表情をする訳を、長い年月を生きた彼が思い当たる事は1つだった。


「文音さん、それを言ってはいけません」


それは懇願。

人より長い年月を生きた青年は、何度も何度もその表情を見てきた。

少女の覚悟の中には不安が恐怖が渦巻いていたのだ。

平和ではなかった時代、この小さな稲荷神社にも供物として人の子どもが贄とされる事があった。

ある時は雨を祈って、またある時は疫病の終息を祈って。

そして時代が流れていくうちに供物として人の子が贄とされる事はなくなったが、ある者が生まれた。


「言ってはいけません」


青年の声が強くなる。 

それでも少女の覚悟は揺らがない。


「私は大婆様の代わりにこのお稲荷様の守人になります」


その言葉に青年は嘆息を漏らし、体をかがめて少女と目線を合わせた。

少女の瞳から涙は消え、まだ赤い目で青年の視線を受け止める。


「それは大婆様に言われたのですか?」


「いいえ、私が決めました」


「1人で?」


「はい」


そして少女は青年に、恐る恐る抱きついた。

それは今までした事のない青年との接触、それは今まで禁止さらてた行為、それは守人にのみ許された特権。


「なんという事を…」


そして青年は少女を、恐る恐る抱擁した。

それは禁忌ともとれる行為。

それは祝福ともとれる行為。


「御狐様だけずるい!」


少年が嬉しそうに2人に飛び付き抱きしめた。

その行為の残酷さを知る青年は辛そうに顔を歪め、その行為の意味を知らない少年はこの時を待ち望んでいたのだろう、嬉しさを隠さずに2人を強く強く抱きしめた。

そのまま無言の時間が流れた。

言葉はいらなかった、言葉が見当たらなかった。

3人は暫くそのままで、やがて青年が立ち上がり少年と少女も抱擁を解いた。

いつの間にか夜の帳が下り、辺りは暗くなっていた。


「では小狐、私は文音さんを家まで送ってくるよ」


「はい。文音、またな」


「うん。小狐様、またね」


少年と少女は手を振り合って、青年は少女を家路へと促した。

ここは町の長い長い坂の上の、更に階段を上った所。

かたや少女の住まいは長い長い坂の下の、更に階段を上った所。


「御狐様、お願いしてもいいですか?」


「どうしたのですか?」


「手を、繋いでほしいのです」


少女は遠慮がちに青年を見上げ、その可愛げなお願いに青年は笑顔で応え小さな手を優しく握った。

それは今まで言えずに、今まで叶わずに、今まで許されなかった行為。

それは、守人になった者だけの特権。

それは、守人になった者に対する者へのせめてもの幸福。

そして少女は知る事になる。

それがどんなに残酷な事かを。

それがどんなに罪深き行為かを。

家族が待つ家へ帰った時の家族の顔を少女は決して忘れない、青年へ向かっての罵詈雑言を忘れない。 


「文音さん、もう戻れないのです。あなたは私達の守人になってしまったのですから」


その言葉の意味を正しく理解したのは数年後。

今の少女はまだ幼く、何故家族が青年に向かって呪詛とも取れる言葉を放つのか、わからなかった。

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