灯篭遭逢

蘇芳ぽかり

本編



「大丈夫だよぅ。カズくんにはばあちゃんもじいちゃんもついているからねぇ。大丈夫、大丈夫」


 わけがわからなくて、目に見えるもの全てに恐怖していた時、そう言って微笑みかけてくれたおばあちゃん。そのおばあちゃんが、大丈夫じゃなくなった。

 虚ろな目をして口数も少ない。和也が話しかけると、ハッとしたように無理やり顔に笑みを浮かべる。いや、笑みなんかではない。しわしわな顔がほんの少し歪められるだけだ。

 おじいちゃんが逝った。

 それは梅雨入りした頃だった。

 もとから歳が歳だった。心臓もかなり弱くなっていたと聞いた。おばあちゃんと和也の二人で看取った。おばあちゃんは涙一つこぼさずに手を合わせていた。障子の隙間から、薄紫色の紫陽花が揺れているのが見えたことを憶えている。

 その日から、おばあちゃんは魂が抜けたまま。でも和也ではおじいちゃんの代わりになどなれるわけがなかった。

 岩見和也、十二歳。

 もとの苗字は、小谷。

 あの残酷な事件の後、母方の祖父母に引き取られて変わった。岩見和也になった時、思った。苗字だけじゃなくて、ぼく自身も変わろうって。臆病で、いつだって口をつぐんでばかりいたぼくから、別の強いぼくになろうって。

 でも駄目みたいだ。

 おばあちゃんは暗い居間で、今日も背中を丸めている。お世話になってきたおばあちゃん。自分がどうにかできるならどうにかしたいところだけれど、やっぱりできない。岩見でも、小谷でも、和也は和也でしかなく、弱い。


     ❇︎


 カズぼう、と突然呼ばれて立ち止まった。

 おばあちゃんに頼まれた晩ご飯の具材を買いに町まで行ってきた帰り道だった。太陽がさんさんと輝き、和也の足元に背の低い影を作っていた。荷物の袋が一歩ごとに揺れた。

 見れば、道の脇にある畑から池口のおじさんが手を振っていた。

「夏野菜、分けてやるから待ってろ」

 この村の人は優しい。外部から突然入ってきた和也にも「もう仲間だから」とにこやかで親切だ。池口のおじさんは、もともとおじいちゃんの友達だったとかで、おじいちゃんが亡くなった後も、何かと様子を見に来てくれていた。五十代くらいなのにまだまだ若く見える。

「ほんと? ありがとう!」

「今袋に入れてやるからな」

 トマトだのナスだのをもぎ取ってそのまま白いビニール袋に入れつつ、おじさんは和也の顔を覗き込んだ。

「おばあちゃんは今どんな感じ? あれからちょうど一ヶ月だろう?」

 七月に入って畑仕事で忙しくなってからも気にかけてくれていたのだろう。

「変わらない、です。ずっと落ち込んでるみたいな……」

「そうか。かすみさんも今が踏ん張り時だなぁ」

 おじさんは元気付けるように和也の肩をぽんと叩いた。

「カズぼうがしっかりしてあげないとな」

 よし、と言って袋を渡してくれる。テラテラした薄いビニールに、トマトの赤が透けて見えた。ふと気づいたように手に持っていた麦わら帽子を和也の頭に被せた。

「そういや、もうすぐお祭りがあるだろう? おれも屋台出すつもりだから息抜きにでも来いよ」

 毎年、この時期に夏祭りがある。今年はあと三日後だっただろうか。いくつかの近くの村で集まって、山上神社を中心にたくさんの屋台を出す。去年はおばあちゃんとおじいちゃんと三人で行ったが、凄かった。規模が大きくて、この辺りでは見かけない町の方の人たちも結構来ていた。

 また行きたいけど、今年はな……。ちらりとおばあちゃんのことを考える。行けるとは思えないけれど、頷いた。

「はい!」

 じゃあな、と手を振ってくる池口のおじさんに手を振り返しつつ、和也は家路へと戻った。


     ❇︎


「ただいま。ねえ、池口のおじさんからいっぱい野菜もらったよ!」

「そうかい、新鮮なうちに食べなきゃあね」

 相変わらず電気も点けずに薄暗い家の中。外とは大違いだ。その差に胸を締め付けられたような気がしたけれど、和也は無理やり笑う。ぼくまで暗くなっちゃだめだ。いずれは大丈夫になるから、きっと。

「今度のお祭り、池口のおじさんが屋台出すんだってね」

「お祭りねぇ……」

 仏壇の上に置かれたおじいちゃんの遺影の中、おじいちゃんが穏やかに遠くを見つめる。俯いているおばあちゃんが顔を上げたとしても、決して合わない目と目。おじいちゃん、写真を撮られる時どこを見ていたんだろう。

 生前、得意げに、でも少し照れくさそうに若い頃のアルバムを見せてくれたことがあった。「昔はもっとかっこよかったんだぞ」って。全ての写真の中で、おじいちゃんはやっぱりカメラのレンズを透過して別世界を見ているような目をしていた。格好良かったかは置いておいて、変わった人だったっておばあちゃんが言っていたっけ。それからおじいちゃんの右頬には長い傷跡があった。どうしたのか聞いてみたことはなかったけれど。

 野菜の入ったビニール袋を今更のようにテーブルの上に下ろすと、中から一つトマトがこぼれて転がった。弧を描いて止まる。

「おばあちゃん、お祭り行かない?」

 一日だけでいい。一晩、いや数時間だけでいいから外に連れ出したかった。この暗い家から。

 外で蝉が鳴いている。油蝉の声が夏をより夏らしく、具現化する。遠いな、夏。ビニール袋をひっくり返すと、トマトだけでなくナスやらキュウリやらが転がり出た。青臭さが広がる。

 妙に緊張した空気が漂う中で、おばあちゃんはゆっくりと首を振った。

「おばあちゃんは今年はいいや。でも行きたかったらカズくんは行ってもいいんだよぅ。家にばっかりいないで、いってらっしゃい」

 今年はって、来年は行けるの? 去年の思い出で最後にする気なの?

 だが和也は反論などできない。……そっか。

「わかったよ」

 蝉時雨。うるさいな。家の中で何が起ころうが、知らん顔で鳴き止まない。

 そうだ、蝉の声はいつだって一定だった。あの時も。

 何故だか泣きそうになって、歯を食いしばった。


     ❇︎


 それは夏休みのことでした。少年、小谷和也が遊びにいってきて家に戻った時、家の様子はひどく変わっていました。お父さんとお母さんが血溜まりの上、重なり合うように倒れていたのです。お母さんは胸にぽっかりと穴を開け、目を見開き…、お父さんが手に握った包丁はお父さんの腹部を深々と突き刺していました。

 誰か、助けて。

 助けて、たすけて、たすけて。

 見たものが信じられず、少年は声も上げられませんでした。ただ目を見開くばかり。

 後にわかりましたが、少年が外出している間に口論が起こり、お父さんがお母さんを殺し、その後自分を刺したとのことでした。無理心中でした。遺書が見つかりました。ずっと前から既に父と母の仲には亀裂が走っていたというのに──少年は、気づけなかった。


 親戚は話し合いました。少年の目の前で。

『一体、あの子のことを誰が引き取るっていうのよ』

『うちは無理。これ以上子供育てられない』

『引き取りたくないね。だってあの子……』


 殺人者の、息子だろ?


 たすけて、たすけて誰か。ぼくは一人なの? いや、一人だったのかな、初めから。

 そして。闇の中で差し伸べられた、手。


『大丈夫、大丈夫』

『カズくんはなんにも悪くないから。一人じゃないよぅ、うちにおいで』


 ミーンミンミンミンミー…ン…

 ミーンミンミンミンミー…ン…

 蝉が、鳴いていました。微かに残響を残して。


     ❇︎


 少し湿ったようなコンクリートが足音を吸い込んでゆく。道沿いに吊るされた緋色の提灯がぼんやりと辺りを照らし出し出すのと共に、印字された黒い〈山上祭り〉の文字が不規則に揺らめいた。まだ暗くなり切っていない空に、月だけが光って見えた。

『気をつけて行ってらっしゃい。カズくんが好きなものを食べたり買ったりしていいんだからねぇ』

 そうは言われたけれど、何も買ったりするつもりなんてなかった。しばらくしたら家に帰ろう、そう思っていた。

 徐々に闇が辺りを染めていく。黒い絵の具を少しずつ水に溶かしていくみたいだ。向こうの方に光が集合している。屋台はそこから始まっているのだろう。

 中学生ぐらいの歳の女子集団。法被を来たおじいさん、若いカップル。浴衣の女性たち。人の流れは蛍光灯に吸い寄せられる夏の虫のように一直線だ。……そしてその流れに身を任せるように、和也も人混みと光の中へ。

 二人組、三人組。ほとんどの人が何人かの集団で歩いている中、和也だけは一人だ。横を歩き過ぎて行く人、全ての人に見られているような錯覚を起こし、不安になる。半袖のTシャツの袖から出た腕が、寒くもないのに震えた。

 両親に連れられた小さな女の子が、水色のヨーヨーを弄びながら通り過ぎた。人々の動きによって作り出される生暖かい風で、どこからか焦がしたソースのような匂いがした。

 溺れる。人混みに。息が上手くできない。比喩的な意味で。

 笑い声、笑い声、笑い声。

 景色が、屋台と提灯の淡い光で全体的にぼんやりと霞んで見える……。

「カズぼう!」

 不意に強い力で腕を掴まれた。

「わっ……あ、おじさん!」

 池口のおじさんだった。そのまま屋台の一つに引っ張り込まれる。黄色い屋根に赤い太字で〈お好み焼き〉と書かれた屋台。

「ぼーっと突っ立ってたら危ないぞ。……よく来たな」

 おじさんはいつもと違って見えた。畑仕事用の黒い長靴ではなく、スニーカー。手拭いをねじってハチマキみたいに頭に巻いていた。紙煙草を燻らせつつ、和也にパイプ椅子を勧めてくれた。

 奥さんらしき女の人が、せっせと鉄板の上、ヘラを動かしていた。ジュウ……という色んな具材が一緒になって焼ける音が耳に心地よかった。

「一人で来たのか?」

「うん」

 おじさんはそれもそうかというような顔をした。

 屋台に人が並び出す。おじさんも本当は客を呼び込んだりその相手をしたりしなければいけないのではないか。ぼく、邪魔をしているんじゃないか。そう考えると申し訳なく思えてきた。

「おじさん、やっぱりもう行くね。見たいものとかあるので」

「何が見たいんだ?」

「御神輿を見に行ってくる」

 嘘だった。御神輿を見たいというのは嘘。見たいものなんか無かった。でもまあ、このまま屋台を出て再び迷子みたいになるくらいなら山上神社までこの大通りをずっと歩いて行くのも悪くはないな。そうすれば神輿行列ともすれ違うことになるだろう。

「そうか。……ちょっと待ってろ」

 そう言うが早いか、奥さんの焼いているところから一切れお好み焼きを取ってきて、プラスチックのケースに入れて渡してくれた。……相変わらず気前がいい。

「人が多いから気をつけろよ」

「うん、ありがと」

 差し出された割り箸を手に取り、再び独りの世界に飛び出す。さて、神社の方に行くか。

 道の端を、人々の間を掻い潜るようにして少し早足に歩いて行く。屋台が良く見えた。ガラス細工の屋台に置かれたクジャクのガラス像が美しい。ほの暗い電球の下で、繊細に、夢のように、きらきら光る。金魚すくいの水槽では沢山の金魚たちが優雅に泳いでいた。数十匹の朱色の中、一匹だけ墨色の出目金が隅の方を揺蕩う。水紋が揺れた。

 ふと視線を感じた。足を止める。

「……?」

 辺りを見渡しても、誰もこちらを見てはいない。それに、感じたのは人がたくさんいる方からではなかった。屋台側? それとも……。屋台よりも外を見つめた。祭り騒ぎの一歩外に出れば、そこはもう真っ暗だ。誰も見えないし、提灯の光だって差し込まない闇。

 気のせいか。顔を上げると、竹柵に掛けられたお面が目に入った。お面屋さんらしい。デフォルメされた鬼の顔や、猫の顔。今流行っているアニメキャラのお面まである。あれらに見つめられていると勘違いしたのかな?

 立ち止まった和也を不思議そうに見つつ、人々がまた通り過ぎていく。和也も再び歩き出した。そういえば、池口のおじさんにもらったお好み焼きにまだ手をつけていなかった。プラスチック容器の蓋を開け、箸で一口大に切り分けつつ食べた。少し冷めてしまったみたいだ。でも美味しい。立ち食いに食べ歩きか。行儀悪いよな、と思わず笑った。叱られるかな。……一体誰に?

 その時。

「道を空けろ!!」

 太い声が響いた。

 その声に周りが少し静かになる。聞こえるのは神聖な感じさえする鈴の音。人の塊が道路の真ん中でぱっと二つに分かれた。

 笛の音、太鼓の音。ああ、神輿だ。

 ヨイヤサ、ヨイヤサ

 担ぐ人々の声。白い装束に身を包み、烏帽子のようなものを被った人々が通っていく。和也は人混みの中で爪先立ちになった。金色の神輿装飾が光り輝いた。

『御神輿は神様を乗せて運ぶものなんだよ』

 去年見た時、おばあちゃんが言っていた。

『山上神社は死者の魂を鎮める神様を祀っているんだよ。あの御神輿は、だから死者の世界と生者の世界を繋いでいるってことだねぇ』

 あの時はぴんと来なかった。でも……。

 大勢を従えた神輿があっという間に去って行く。その後から、笛などの和楽器奏者が乗った神楽車が進む。お囃子が遠ざかる。

 真っ二つになっていた人々が自然に合わさり、一つになって再び歩き出す。行く人、帰る人。和也も神社の方へと歩みを進めた。

「あっ、ごみは回収しますね」

 大きいビニール袋を持った、人の良さそうな女性が和也の手のプラスチック容器と割り箸を指した。蛍光イエローのジャケットに〈山上自治会〉とある。

「あ、お願いします」

 お好み焼きの入っていた容器を渡した。女の人はそれを受け取って持っている袋の中に入れた。

「お祭り、楽しんでね」

 そう優しく微笑みつつ言ってくれるのは、和也がまだ子供で、幼く見えるからだろうか。なんだか少し悔しいけれど仕方ない。

 色々なものに流されるように歩んできた、生きてきた。人であったり、風であったり、声であったり、運命であったり。疲れた。でもまだ子供だから、一人で思うままに歩いたりはできない。

 屋台の外の世界。ふとそれが、とても魅力的なものに思えた。

 吸い寄せられるように、引き込まれるように、和也は屋台と屋台の隙間からふらりと闇の世界に出た。


 比べ物にならなちほど涼しい風が吹き渡った。右手側にはもともといた祭り騒ぎ。あの光の中にいた時は気づかなかったけれど、この闇の中にも電信柱があり、取り付けられた街灯が黄色い光を放っていた。当然か。だっていつもはごく普通の道なのだから。むしろ、祭りの光こそ今日だけのイレギュラーだ。

 夏の虫が鳴いていた。その中に、ふと人声が混じった気がして目を細めた。

 また気のせい? いや、違う。

 確かに聞こえる。祭りの大通りからではなく、今は人通りの少ない商店街の方から。

 足音を消す努力をしつつ、和也は神社への道から外れて商店街に向かった。全てのシャッターが閉じられているその前、蛍光灯の白っぽい光に照らされて四つの影が見えた。

「見かけないやつだなぁ、顔ぐらい見せてくれたっていいだろ!?」

 四つだと思った影は、三つ対一つだったようだ。そして全員同い年ぐらいの子供。和也は近くの店の影に身を隠した。

 さっき顔ぐらい見せろと怒鳴ったのは、三人のうちの一人、一番体が大きそうなやつだろう。その横にくっついている背が低くて丸いのと背が高くて細いのは、その取り巻きだろうか。そして三人の方に向き合って、若干下を見つめているのが残りの一人。彼は白と赤の狐のお面をつけていた。

 なんだかこれ、完全な虐めの図じゃないか。

「ムッカつくなぁ! 一言ぐらい言えよ!」

「駄目だよ、コイツ。ちょっとやってやらなきゃ」

 やってやれ。やっつけちゃえ。

 和也は責められているわけでもないのに妙にどきどきとした。こういう、田舎や小さい村のいいところは、大人も子供も関わらず、人と人の結びつきが強いこと。そして嫌なところは……。

 その分、知らない人間や外部の人間を恐れ、虚勢を張るところ。

 虐められている側の少年が、虐めている側の取り巻きの一人にお面を奪い取られるのが見えた。適当に放られた狐面が地面に当たる、からんと乾いた音。

「気持ち悪い顔ーっ! 化け物だぁ!」

 ギャハハハハ。耳障りな笑い声が静けさに響く。

 少年は斜め向こうを向いているため、和也から顔は見えない。

 リーダー格の奴が少年の方に進み出た。やっちゃえ、やっちゃえ。その子分たちの野次を受けて、いきなり少年を突き飛ばした。

 ガツン、と少年が店の錆びたシャッターに叩きつけられた。

 怖い、怖い。

 誰か、だれかだれかだれか。

 取り巻きたちが少年を一回ずつ蹴った。リーダー格が嘲るように笑う。少年の顔は前髪に隠れて見えない。だが痛みにうめいているのは遠くからでもわかった。

 それを見たら、もう駄目だった。

「やめろおぉぉぉっっ!!」

 雄叫びが上がった。それが紛れもなく自分の喉から発せられた声だとわかって、まず驚いて、それから身がすくむ。ふるえ出す。

 でも、ぼくは。

 もう今更止まれないから、和也は勢いだけで突っ込んで行き、リーダー格の奴に体当たりを食らわせた。

 だが奴はびくともしなかった。体が大きくて、当たり前のように力が強い。視界が半転した、と思った瞬間、背中に激しい衝撃が走った。ぐっと息が詰まる。頭の下に直接に地面を感じた。

「何? コイツ」

「まさか助けようっての? どこのヒーロー気取りだよっ」

 鳩尾を思い切り殴られた。殴られて、蹴られた。三人がかりで。霞んでいく意識に目を閉じる。意識を手放してしまった方が楽だった。これで良かったかな、あの子は逃げることができたかな。もしできたのなら、ぼくのやったことは無駄じゃなかった。祭りに来たばっかりの時の空のように、暗くぼんやりとした頭の中に星が散る。

 その時。

「やめなよ」

 凛とした声がそう言った。

「……ぁあ?」

「お前、まだやる気かよ」

 凄みを聞かせようとしているのに尚、動揺が隠しきれていない虐めっ子たちのその言葉に、和也はゆっくりと瞼を上げた。和也を取り囲んだ三人の向こう、さっきの少年がこちらを真っ直ぐに見て立っていた。既に狐のお面を再び身につけていて、表情は全くわからない。だが顔を見せない彼の代わりに、お面の狐の吊り目がしっかりと三人組を睨みつけていた。

 和也は気付いた。この子、さんざん殴られたり蹴られたりしたはずなのに傷一つ無い。汚れなんて全く無い藍色の浴衣を身に纏っている。

 金縛りにあったかのように目線しか動かせないリーダー格とその子分たち。どうして。

 見つめ合う少年と虐めっ子たちの間に蒼い空気が流れた。

「俺たちのことは忘れて、ね?」

 少年が優しく言い聞かせるように言うと、驚くべきことが起こった。リーダー格の奴の目から光が消えたかと思うと、一つ頷き、無言で踵を返したのだ。取り巻きたちもそれに従い、やがて三人とも消えて行った。

「立てる?」

 少年が見下ろしていた。差し伸べられた手を取る。ひんやりとした手だった。細い腕なのに思いの外力が強い。

 殴られていたところが内出血でもしているのか痛い。頭がガンガンした。

「大丈夫? それにしても……」

 ここで彼はくすりと笑った。

「お前、あいつと同じことするんだから。まあ、悪ガキに見つかるなんて俺の不注意でもあるんだけどさ。仕方ないんだよ、霊力はあっても姿はそうころころ変えられないんだし」

 何を言っているのかさっぱりわからない。あいつって誰? 霊力って何? そもそもきみは誰?

 渦巻く和也の疑問など知るわけもなく、少年はスッと手を上げると和也の額にかざした。一体……?

 気付けば、頭痛が消えていた。それだけではない。怪我も消え失せ、痛みも苦しさもなくなっていた。霧の晴れるような感覚だった。

 お面の下、少年が微笑むのが気配でわかった。

「助けてくれてありがとう、和也」

 なんでぼくの名前を知っているんだろう。ぼくはきみを見たことすらないのに。なのに、なぜだか懐かしい気がして……。

 不思議なことだらけだ。

「ねえ、なんでぼくのことを助けてくれたの? ぼくがやられている間に一人で逃げようって思わなかったの?」

 だって和也だって初めは怖くて隠れていた。

 だが少年は首を傾げた。

「俺は今日、お前に会いに来たんだよ?」

「どこから?」

「それは、まだ」

「名前、教えてよ」

「それも、まだ待って」

 こうして並んで立っていると、彼の方が少しだけ背が高かった。狐面の吊り目に顔を覗き込まれて、変な感じだ。

 少年はくるりと背を向けた。浴衣の裾がひらりとはためく。こちらを首だけで振り返った。

「神社行かない? 早い道があるから着いてきてよ」

 彼はそのまま和也の手を握ると、いきなり駆け出した。突然のことにバランスを崩しかけたが、不思議と転ばない。少年がしっかりと手を引いているから。耳元で風が唸る。すごいスピードで走っているのがわかった。路地裏の方に入り、いくつも道を曲がって、空き地を駆け抜け……。

 知らない場所に出た。河原だった。川を琥珀色に光る灯篭が無数に流れていた。空では数多の夏の星が燦然と煌めく。生きているものなど何もないかのように静かだった。川を越えた遠くに光の集まりが見える。あれがさっきまでいた祭りだろうか。ここはどこ?

「あそこが」

 少年がスピードを落としつつ、やがて見えてきた山の上を指差した。

「山上神社だよ」

「ああ」

 いつもと反対の向きから見ているからわからなかったけれど、確かにそんな気がする。でも……。

「山上神社って確か入り口が鳥居のとこの一つしかないから、こっちからだと入れないんじゃない?」

 少年は肩をすくめた。

「その鳥居って向こう側から長い階段登った先のやつでしょ? そんな山登りみたいなこと今日はしないよ。しかも今晩は人もいるだろうし」

「じゃあ……」

 どうやって?

 その時、和也と繋いだままになっている少年の手に再び力が入った。

「ちょっと怖いかもしれないから目、つぶって。絶対、手を離さないでね」

「えっ……ちょっと、何を」

「大丈夫だから」

 行くよ! 彼は叫ぶと、和也が目を閉じる暇もなく空中に飛び上がった。一瞬のことだった。眼下にあの河原が広がり、流れていく灯篭は小さな蛍のようだ。満天の星空がぐっと近くなり、やがてゆっくりと離れる。夏の生暖かくて柔らかい空気に包み込まれた感じがした。空よりも透明な、真っ蒼な風が吹く。

 少年に手を握られたままに着陸したのは、山上神社の少し開けた石床の上だった。つまりは、山の上。

 しっかりした地面を感じた瞬間にすぐ膝から力が抜けて、崩れるようにしゃがみ込んだ。目が乾いた、と思った瞬間涙目になる。

「目を開けてたの? だから言ったのに」

 軽やかに笑う彼の声に、和也は無言で首を振った。開いていて良かったのだ。蒼い景色は美しかった。

 神社の境内は思っていたよりもずっと人が少なかった。あの賑やかな祭りの延長線上にあるはずなのに。祭りだけ楽しんで神社にはお参りに来ないなんて、なんだか人間って自分勝手だな。

「見せたいものがあるんだ。悪いけどもう一回移動するよ」

「また、跳ぶの?」

「いや、今回は飛ばない」

 次はどんな不思議なことが起こるんだろう。変わった少年に出会って、小さな村だからあるわけもない知らない場所に来て、山の上まで一っ飛びで上った。もうこれ以上、何が起こっても驚かないようにしよう。和也はそう思った。

「そのまま立っててくれていいよ」

 その言葉にゆっくりと瞬きをした直後、視界が碧く染まった。顔の横でラムネ色の泡が浮かんでは弾けて消えた。大きな水の流れが足元から頭上へと通り抜けていく。周りを見ても誰もいなくて、慌てた。わぁぁぁぁと意味もなく叫ぼうとするが、口から泡が出ていくだけ。

『大丈夫、大丈夫』

 強く手を握り締められる感触だけがあった。どこかで聞いた台詞だな、と思った。

『俺はここにいるから。さあ、もうすぐ……』


 碧い世界が消え、視界が戻ってきた。少年はきちんと隣にいた。

「もう大丈夫だね」

 商店街からここまで、ずっと繋いでいた手をようやく離した。

「ここは……」

 本当に移動したの? そう聞こうとして、はっとして口を閉ざした。山から見える景色や神社の本殿、社はそのままの見た目をしている。だが決定的に違うことがあった。

 息はできるし、声も出せる。でも、周りは空気ではなく水のようなのだ。つまりここは水中? 川を流れていたのと同じような灯篭が、光りながらふわふわと漂う。辺りを真っ赤な金魚が泳いでいた。その口から微かに小さな泡が吐き出され、遥か上へと浮かんでいく。

 人が、増えていた。そしてさっきまで山上神社にいたはずのまばらな人たちは皆消えていた。幼い子供から、老人までの沢山の人たちがそれぞれに歩いたり話したりしていた。

 この人たち、みんな村の人じゃない。

「ここは何? 本当の山上神社は?」

 少年は何故だか苦笑した。

「ここだって本当の山上神社だよ。少なくとも俺たちにとっては」

 揺らめく灯篭が、海月のようだ。

 神社の一角から笑い声が上がった。境内にいる人々は皆楽しそうで幸せそうだった。

 和也の横を一組のカップルが歩いていく。大学生ぐらいだろうか。

 男性の方がくるりと空中(水中?)で手を回した。次の瞬間、男性の手には青白い光と共につやつやしたりんご飴が握られていた。それを隣の女性に渡す。女性が、ありがとうと言うように笑みを浮かべて男性の方に顔を向けた時、和也と目が合った。続いて、それに気づいた男性もこちらを振り向く。見つめている和也を不思議そうに見返した。

 数秒。

 二人は和也に微笑みかけ、また歩き出した。

 冗談じゃない。和也は目を見開いたまま動けなくなっていた。

 自分が知っている姿より幾分若い。でもさっきの女性と男性は、確かに父さんと母さんだった。

 そんな。

 そんなことがあるわけ……。

 呆然としている和也のそばに、気づけば狐面の少年が立っていた。無表情な白い狐のお面がただこちらを向いている。

 彼が、静かに言った。

「死者はね、自分が一番幸せだった頃の姿になれるんだ。それに、忌まわしい記憶は全て取り払ってしまえる。忘れてしまえるんだ。彼らは和也のことを覚えていないよ……」

 同情する風もなく、和也を嘲るわけでもなく、淡々と話すその声に鳥肌が立った。

 灯篭と金魚が目蓋の裏に残灯を残す。

「きみも、なの……? きみも、死者なの?」

 少年が少し下を向いた。無表情なはずの狐の顔が心なしか寂しげに陰ったように見えた。

「今ここにいて生きているのはお前だけだよ。ここは死者の世界なんだ。……あ、心配しないで。ちゃんと後でもとの世界に返すから」

 あの商店街。差し伸べられた手が夏だというのに冷たかったのを思い出す。そんな、馬鹿な。

「死ぬと人は、何もなくなるよ。でも、お前は知ってるでしょう? 山上神社の神様は死者と生者を繋ぐ。だから祭りの晩だけはここに来られる。生者のことを自分の目で見られる。そして、生者と繋がりたいという思いがすごく強い死者は……」

 狐面が和也を見据えた。

「こうやって、現世に降り立って生者に会うことができる」

 この少年がぼくに会いにきたというのなら、きみは本当に、誰。一体どうして。

「祭りの晩がもうすぐ終わる。そうなればもうお前とは会えない。和也、お前に頼みがあってここに来たんだ。だから、お願い」

「うん、いいよ」

 自然とそう答えていた。

 生前の少年のことなど知らない。それでも、少しでも自分にできることがあるのならと思った。

「……ありがとう」

 彼は俯いた。

「それと、驚いただろうから説明しておくけど、死者は祭りの夜だけ霊力っていう力が使えるんだ。だから、普通よりも運動能力が高くなるし、軽くなら人に対しても使える。忘れさせるとか、傷を治すとか。別に生きている時からああいうことができていたわけじゃないから」

 少年の口から当たり前に出る「生きていた時」という過去形の響きに切なくなった。何も言わずにただ頷く。

「頼みたいことは……」

「今から話す」

 二人で並んで、竹のベンチに腰掛けた。視界の隅を緋色の金魚が尾鰭を揺らしながら泳いでいった。

「俺は姿だけは変えたけど、生前のことは全て憶えてる」

 彼は唐突に話し出した。

「俺は現世に大切な人を残してきた。その人はね、俺が一番苦しかった時に支えてくれたんだ。大丈夫、大丈夫って」

 少年が手を宙に持ち上げた。蒼い靄のようなものが集まり、やがて一つの球体になった。水晶体のようだ。手渡されて、和也は覗き込んだ。

 そこには映像のようなものが流れていた。映っているのは少年自身が見たものの記憶なのだろう。

「ほんの子供だった頃、両親と歩いていた時に事故に遭った。飲酒運転の車が歩道に突っ込んできたんだ。それで、両親は亡くなった。俺だけが生き残った。生き残ってしまった」

 言葉が出なかった。凄惨なはずの過去を平坦に語る様子に痛々しさを感じた。

「俺も顔に深い切り傷を負った。思い切り跡になって残ったよ。そのせいで近所の子供たちは俺を気味悪がった。集団で虐められたよ。結構、言葉っていうよりは暴力だったかな。……球を見て」

 青い球体の中、視線は地面すれすれにある。衝撃と共に視界が揺れた。沢山の下駄で蹴られる、蹴られる。五、六人に囲まれているようだ。

『気持ちの悪いやつ!』

 笑い声と共に今度は拳が飛んでくる。

 和也は口元に手を当てた。

「……ひどい」

 少年はとくに言葉を返さず、地面より少し高い位置に宙ぶらりんになった足先を見つめていた。藍色の裾から伸びる下駄の足がゆらゆら揺れる。

「なんでだろうね。不安とか恐怖とかってすぐ伝染する。気づけば俺に味方はいなくなっていた……と、思われた」

 ここで初めて彼は笑うような吐息を漏らした。

「ただ、一人を除いて」

 球の中、地面と手足しか見えていなかった視界に一人の女の子が映った。赤い浴衣のようなものを着ている。

『やめなさいよっ!!』

 いきなり輪の中に飛び込んできたかと思うと、視界の中の少年の手を取って走り出した。

 映る場面が切り替わった。どこか部屋の中のようだ。少年は泣いているようだ。

『もう、生きていたくない。一人で生き残るくらいなら死ぬんだった』

 傍らにいた少女が優しく少年の肩を抱いた。

『あなたは強い。だから大丈夫よ。顔ならお面をつけて隠せばいいじゃない。大丈夫、大丈夫。いずれ平気になっていくから』

 そう言いながら、女の子も泣いていた。

 畳にぽつぽつと雫が落ちていた。

 映像はここで終わりのようだった。和也の手の中で、球が水中に溶け込むように静かに消えた。

「彼女のあの言葉がなければ、俺はその後どうなっていたかわからないよ。……ねえ和也」

 彼はいきなりこちらを向いた。

「お願いっていうのは、他でもない彼女を支えてあげてほしいということだよ。あいつは今、絶望の淵にいる。でも俺はもうそばにいられない。救えるのは和也だけなんだ」

 その時だった。

 ひゅーっと何かが空気を切る音がした。はっとして二人でそっちに顔を向ける。火の玉のようなそれは天高く上り、しばらくして、

 パァ──ン……

 夜空に大きな赤い花を咲かせた。

 花火だ。この祭りを締めくくるフィナーレ。わぁっという歓声。どんどん大小様々な花火が開花していく。

 時間が、ない。

 周りの水が流れ出す。風のように。向かい合った和也と少年の間、吹き飛ばされるように金魚や灯篭が流されていく。死者の祭りも終わりが近いのだ。

「俺を、見て」

 ゴォォォォという水音の中、少年の声が途切れ途切れに聞こえた。

 彼が狐のお面に手をかける。ゆっくりと、だがもどかしげに狐面を取り払い、出てきたその顔は。

「──っ」

 ああ。

 もしかして。

 和也を見つめ、寂しげに、儚げに微笑んでいるその少年は。右頬の長い傷跡。そして、どこか遠くを見渡しているかのような視線。

 真っ暗な空に花火が鳴る。惜しげもなく散っていく。

 終わる、終わる、終わってしまう。

「わかった?」

 水が、空気が、ラムネ色に染まっていく。周りの死者たちの姿が薄くなっていく。

 きみは。

 ぼくの……。

「和也」

 消えていく少年が和也に呼びかけた。水の流れがどんどん速くなるら、

「あいつを、かすみのことを」

 彼が目を細めて笑った。

「よろしくね」

 全ての景色が溶けてゆく。


 ねえ、また会える?


 駄目だよ。死者と生者が会うことは、本当は正しいことではないのだから。


 それでもいい。

 また会えるって言って。


 会える。でもそれは、もっとずっと先のことだ。そうでないといけない。お前はまだこっちに来ちゃいけない。


 わかった。

 ねえ、またね。


 またね。

 元気でね、和也。


 さよなら、さよなら、さよなら。


 気がつけば、和也は再びあの神社にいた。宙に浮く灯篭も金魚ももうない。少年もいない。

 帰ってきたんだ。

 山の下に見えるお祭りの屋台は、半分以上光が消えていた。畳み始めているのだ。

『彼女を助けてほしい』

『あいつを、かすみのことを、よろしくね』

 ああ、ぼくは。

 今すぐあの人に会いたい。

 石段を、転がり落ちるように降りた。人の間を掻い潜り、掻き分け掻き分け走った。

 おばあちゃん。

 おばあちゃんおばあちゃんおばあちゃん。

 僕は確かに。

 おじいちゃんに、会ったんだ──。

 息が苦しい。足が絡みそうになる。だが構ってなどいられない。この道の先に、自分を待っている人がいるから。

 勢いづきすぎて、ぶつかりかけた。

「カズぼう!?」

「うわっごめんなさい……あ、おじさん?」

「こんなに急いでどうした? 暗いし家まで……」

「ごめん、ぼく、行かなきゃっ」

 屋台群から抜けると、変わらない提灯の暗い光に照らし出された。

 和也はそのまま走って家に飛び込んだ。


     ❇︎


「おばあちゃん、おばあちゃん」

 おばあちゃんはまだ寝ないで和也のことを待っていた。月の光の満ちた縁側に背中を丸めて座っているその姿を見て、また胸がぎゅっとなる。でもきっと、今晩で少しだけ変われたと思うから。

 だから。

「おばあちゃん、大丈夫だよ。一人じゃないよ。ぼくがいるでしょ? それに、おじいちゃんだってきっとどこからか見てるよ」

 きっとではない。ずっとだ。和也にはわかっている。

「ね? いつか、大丈夫になるから」

 だからおばあちゃん、もう塞ぎ込まないで。おじいちゃんはそんな様子を見て、心配して、わざわざぼくに会いにきたんだ。

 ふっとおばあちゃんが顔を上げた。そしてきちんと焦点の合った目で和也を見つめた。

「カズくん……」

 その目の端で涙が光った。泣いていた。おじいちゃんが逝ってから、初めて見せた涙だった。

「なんだか、大きくなったね。それに、ああ」

 おばあちゃんは顔をくしゃくしゃにした。笑ったのだ、とわかるまでに時間がかかった。

「カズくんの目、あの人とおんなじ色だぁ」

 その言葉を聞いて、何故だか自分まで泣きそうになり、慌てて俯いた。

 遺影の中の遠くを見つめているおじいちゃん。少年の頃の面影が残っていた。右頬の長い傷跡。その傷を心にまで背負って、それでも最後まで生き抜いた。おばあちゃんと支え合って。大丈夫って言い合って。

 でもね、と和也は思う。

 やっぱり人間、大丈夫じゃない時は大丈夫じゃないのだ。泣きたい時には泣いていいのだ。涙と笑いに接し、それでも尚、人と繋がり合うことを望むその感情を。人は愛と呼ぶ。

 白銀に輝く月の、遥か遥か上に向かって呟いた。

 ありがとう。


     ❇︎❇︎❇︎


「お父さんはこのお祭り、来たことあるの?」

 息子の蒼太に聞かれ、頷いた。

「もう二十年以上も前にね」

 変わらない赤くぼんやりとした提灯の上で、〈山上神社〉の黒い文字が揺れた。あの頃よりも顔と提灯の距離が近いことに気づき、当たり前かと笑った。

 妻ができ、仕事も見つけ、東京に移り住んだ。やがて息子を授かりらまたしばらく経って──そして帰ってきたのだ、ここに。息子と妻を連れて。

 村々は合併し、一つの町となっていた。だが山上祭りはちゃんと残っていた。

「お父さん、りんご飴食べたい!」

 その目の中で光が瞬いている。手を引いていたと思っていたのに、気がつけば蒼太に手を引かれるように歩いていた。握った蒼太の手は小さかった。

 この子もいつか見つけるだろう。愛し、愛される誰かを。

 百円玉を二枚渡すと、蒼太は駆け出していった。真っ直ぐに走るその先に屋台がある。藍色の屋根に赤で〈りんごあめ〉と書かれた屋台。

 一人になると、色々な思い出が蘇った。

 ──おかえり、和也。

 そう言われた気がしてなんとなく振り向くと、お面屋が目に入った。キャラクターやらの様々なお面の中、白い狐のお面がある。形や赤い線の入り方が微妙に違う。それでも。

 ああ、なんて懐かしいんだろう。

 ──ただいま。

 今僕は、幸せです。










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灯篭遭逢 蘇芳ぽかり @magatsume

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