第9話 貧乏神



 わたしはずっと貧乏でした




 わたしの名前は藍子あいこ。今年で二十歳はたちになりました。今は宅急便の会社で配達員として生計を立てています。


 わたしは孤児です。わたしが10歳の時に両親は交通事故で他界しました。反対側の車線から対向車がぶつかって来たのです。所謂いわゆる、貰い事故と言うものですね。後部座席にいた、わたしだけが助かりました。わたしには親戚等はいませんから孤児院にお世話になる事になりました。なんと、わたしの両親は2人共この孤児院の出身者なのです。わたしは正真正銘の天涯孤独てんがいこどくの身なのです。


 でも、わたしは自分の人生に悲観などしていません。両親が他界した時は、そりゃ悲しかったですが。わたしは40代半ばで他界した両親の為にも「生きねば」と思っています。わたしと両親がお世話になった孤児院は、ある資産家の方が「社会貢献の一環」として設立し運営されています。この孤児院は院長先生を始めスタッフの方々も皆が良い人ばかりです。わたしが両親の死から立ち直れたのも、この孤児院の皆様方のお陰なのです。


 わたしが10歳になるまで、わたしの家は決して裕福とは言えませんでした。はっきり言って貧乏でした。しかし、わたしは「その事が嫌だ」と思った事は1度もありません。わたしの両親は明るくて常に前向きな人達でしたから。お金が無くても工夫次第くふうしだいで美味しいものは食べられますし、お洒落しゃれな服を着る事も出来ます。値段が高い食材を使わなくても美味しい料理は作れますし、服は器用な母が縫ってくれました。生きて行く上で必要最低限のお金は必要ですが、それ以上のお金は必要ではありません。「しあわせかどうか? 」は他人と比べるものでは無い、とわたしは思っています。「幸せかどうか? 」は自分自身が決めるものです。「人生にいてお金がすべてでは無い」と言う事をわたしは父と母から教わりました。わたしは、父と母のお陰で心身ともにすこやかに成長する事が出来ました。わたしは、そんな父と母を尊敬し誇りに思っています。そんな、わたしの事を「貧乏人のひがみ」と言う方々もいらっしゃいます。でも、わたしは気にしません。だって、わたしは「幸せ」なのですから。


 両親の他界によって保険金として多額のお金がわたしに入って来ました。わたしは、その全額を孤児院に寄付しました。孤児院を設立した資産家の方の事業が思わしく無く、孤児院が財政的に苦しくなっていた事を知っていたからです。院長先生はわたしの申し出を断りました。「それは、貴女あなたのお金ですから」と。わたしは言いました。「わたしや両親は、この孤児院にとてもお世話になりました。これは、その恩返しなのです」と。院長先生は「それでは、このお金は孤児院の運営に使わせて頂きます。でも貴女が困った時には、いつでもお返しをしますからね」と言う事で受け取って頂く事になりました。わたしはホッとしました。


 わたしが高校を卒業する時に進路指導の先生はしきりに大学への進学をすすめてくれました。わたしはテストでは良い点数を取っていましたから。わたしの偏差値とやらは、かなり高かったみたいです。先生はしきりに「勿体無もったいない。お前の偏差値なら一流大学にも必ず合格できる」と仰っていました。しかし、わたしは早く社会に出たかったので就職を希望しました。院長先生からも説得されてしまいました。「貴女が寄付してくれたお金のほんの1部で学費は出せるから」と。「一流大学を出ていれば貴女の教養も上がるし学歴が良ければ良い会社に就職できるのよ」とも言われました。学歴 ? わたしには全く興味が無い言葉でした。例えば政治家や官僚と呼ばれる人達は皆、高学歴の方達ばかりです。その方達が良い政治をしていると言えるでしょうか? わたしには自分の事しか考えていない、更に言えば自分達のお金儲けの事しか考えていない。今の日本の政権を見ていると、そのような人達が日本と言う国家を変な方向へ持って行こうとしているようにしか見えません。勿論、日本と言う主権国家の伝統と文化を護る為に頑張っていらっしゃる方達もお見えになりますが。わたしは、学歴と人間性は必ずしも比例しないと思っています。テストで良い点数を取る人は人格も優れている、とはわたしには思えません。また、わたしはテレビはほとんど観ません。テレビ局が自分達の都合に良いように事実をじ曲げる「偏向報道」をしているように思えますから。同じように、自分達の都合の良いように編集する「切り取り報道」をしているようにも感じられます。それに加えて自分達に都合の悪い事は報道しない「報道しない自由」とやらもありますね。わたしは情報をおもにネットから得ています。わたしのパソコンは部品をなるべく安く入手して自分で組み上げました。ただ気を付けなればいけないのはネットの情報を鵜呑うのみにしてはいけない、と言う事です。ネットには膨大な情報が溢れています。その中から「何が真実なのか ?」を見極みきわめる事が必要になります。それは、とても難しくて労力を費やす作業になりますが。そのような事を話したら、院長先生は困ったような顔をされていました。


 それに。


 その頃のわたしには判っていました。


 どうやら「わたしはお金には縁が無い」と言う事が。


 わたしには判らない「何らかの力が関与している」と言う事が。






つづく



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続・そこには存在しない何か 北浦十五 @kitaura

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