第8話 悪鬼ふたたび 宮簀媛の力 四



カンカンカン



 新中町近くの公園の入り口に陸上自衛隊の隊員によって長さ4m程の鉄柱が埋め込まれて行く。これは草薙の指示に従って行われている。国家公安委員会の人は草薙くさなぎからの指示を受けて陸上自衛隊に協力を要請したのである。


「食人鬼はどうなっていますか ? 」


 草薙の問いかけに食人鬼を見張っている国家公安委員会の人が答える。


「相変わらず、もがき苦しんでいます・・・あっ! あぁっ!」


「何か変化がありましたか ? 」


 食人鬼はもがき苦しみながら移動しているので今の草薙達が居る場所からは死角になっていて目視する事は出来ない。


「しょ、食人鬼の身体が膨張ぼうちょうしています ! 」


「えぇっ! 」


 思わず音美おとみが素っ頓狂な声を上げる。

 やがて食人鬼は草薙達が目視できる場所まで移動して来た。国家公安委員会の人が言ったように、その身体は明らかに膨張しながら草薙達の居る公園の方へ移動して来る。


「草薙さん、これって」


 音美の問いかけに草薙が答える。


「アイツは制御できない草薙のつるぎの力を取り込んだ事によって暴走してメルトダウンを起こしているのよ」


「・・・・メルトダウン。それが身体を膨張させているの ? 」


 そして、草薙達の前に食人鬼があらわれた。

 その身体は先ほどより3倍くらいの大きさになっている。


「ちょっと待って。と、言う事は」


 音美が草薙に語りかける。


「このまま放置しておけばアイツは勝手に自滅するんじゃないの ?」


「本気で言ってるの ? あの状態でメルトダウンの大爆発をしたら、この一帯はタダじゃ済まないわ。どれほどの被害が出るか」


 音美は改めて食人鬼を見つめた。

 確かに食人鬼は超常の生物だ。そこに異質の超常の力である草薙の剣の力がくわわってメルトダウンの大爆発をしたら、その結果は誰にも判らない。


「そっか、それであの力を使うのね。被害を最小限にする為に」


「そう言う事。あの力で戦うつもりだったけど」


 そんな2人の元へ国家公安委員会のリーダー格の人が駆け寄る。


「指示通りの作業が終わりました。しかし、これは・・・」


 その人も膨張を続ける食人鬼を見て呆気あっけにとられている。


「先程も言ったように草薙の剣の力は誰にでも使える代物しろものではありません。伝承者でんしょうしゃ以外の人物が取り込んでもアイツのようになるだけです」


「しかし、あのまま爆発をしたらその被害は」


 その問いかけに草薙は唇を噛み締める。


「その被害を最小限にとどめる為にアタシ達は今、行動をしているのです」


「・・・・判りました。これはもう我々の概念の範疇はんちゅうを超えていますから」


 草薙は膨張を続ける食人鬼を見ながら小さな声でつぶやいていた。


「・・・・桜子。アナタが宮簀媛みやずひめに覚醒してくれていたら、この状況を打破できるかも知れない」


 と。



 同時刻。



此処ここ何処どこ? あたしは何処にいるの ? 」


 桜子は、真っ白な空間の中で狼狽ろうばいしていた。

 そこへ桜子に語りかける声がする。


「宮簀媛。やっと会う事が出来ましたね。貴女のおかげです」


 桜子の前に光のかたまりが現れ徐々に人の形になって行く。

 その声は草薙さんに似ている、と桜子は思った。


「あたしのお陰って、どういう意味ですか ?」


「貴女は常に論理的な思考をしようとしていました。つまり感情よりも理性を優先させていた。そのような状況では宮簀媛に覚醒する事は難しかったのです」


 桜子は、ハッとした。


「それって、つまり」


「はい」


  桜子には目の前にいる人の形をした光の塊が微笑んだように感じられた。


「先程の貴女は理性を捨て自分の感情を魂の叫びを爆発させました。それによって宮簀媛に覚醒する事が出来たのです」


「・・・・あたしが宮簀媛に覚醒」


 光の塊は穏やかな声で話を続ける。


「そうです。貴女が両手に持っているモノがそのあかしです」


「・・・・あたしの両手。あっ!」


 桜子は右手に弓を。左手には矢を持っている事に気づいた。


「これは ? 」


天之麻迦古弓あめのまかこゆみ天羽々矢あめのははやです」


  光の塊は少しかすような声音こわねになった。


「早くそれを持って現世に戻るのです。娘をよろしくお願い致します」


「娘って、キャア!」


 桜子の意識は急速に遠のいて行った。





 それより10分ほど前。



 草薙達の前方にいる食人鬼は更に膨張し巨大化していた。


「もう一刻の猶予も無いわ。やるわよ、音美」


 草薙の声に音美がうなずく。

 2人は手を繋ぎ草薙は母の形見を右手でかかげて叫ぶ。


天叢雲剣あめのむらくものつるぎ弟橘おとたちばなの力と共にあのモノを封じ込めよ!」



ピシャァァン


 

 自衛隊が埋め込んだ鉄柱に激しい稲妻が落ちる。

 それと同時に巨大化した食人鬼の動きが停止する。

 

「成功ですか ? 」


 国家公安委員会の人が草薙にささやく。


「はい。アイツを天叢雲剣の結界の中に封じ込める事は出来ました。ただ、問題は」


「問題 ? 」


 草薙は停止している食人鬼を見つめながら答える。


「アイツが爆発をするまでアタシと音美の命が持つかどうか。皆さんは退避して下さい」


 国家公安委員会の人は愕然がくぜんとした表情になりながら押し黙る。自分達に出来る事はもう無い。命を掛けて食人鬼を封じ込めている2人の少女に全てをたくすしか無いのだ。


 落雷した鉄柱は青白く発光している。それと同様に草薙の母の形見と音美のネックレスも発光している。その発光はかなり激しいものだった。


「どう ? 持ちそう ? 」


「・・・・はっきり言ってかなりキツイわね」


 草薙の問いかけに音美が苦しそうに答える。その顔色は悪くひたいからは汗が流れ落ちている。無理もない。あれだけの巨体を封じ込めているのだから。


「メルトダウンの爆発はまだなの ? 」


「もう少しよ、頑張って」


 励ます草薙の顔からも汗がしたたっている。小刻みに震えている食人鬼だった生物の様子から見て、いつ爆発してもおかしくない状況なのは間違いない。しかし、それが何時いつになるのかは草薙にも判らない。


「・・・・ゴメン。私もう無理かも」


「しっかりして音美 !」


 草薙が音美を抱えるように抱きしめる。しかし、音美の足はガクガクと震えている。今にも崩れ落ちそうだ。


 どうする ?


 草薙は考えをめぐらす。音美にこれ以上の無理はさせられない。こうなったらアタシ1人で結界を維持するか ? アタシには音美と違って力のストッパーは無い。しかし、それは草薙の命の限界を超えて力を使用する事を意味する。いな ! 限界なんて突破してみせる。それが草薙の剣の力の継承者けいしょうしゃたるアタシの使命だ。


「あれ、なんだろ ? この力 ? 」


 今にも崩れ落ちそうになっていた音美が不思議そうな声を上げる。

 草薙も自分の中に未知の力が流れ込んで来るのを感じた。


「草薙さん、あれを見て !」


 草薙は振り返った。涙が出そうになった。


 そこには座り込んで祈りを捧げている国家公安委員会の人達と陸上自衛隊の人達の姿があった。退避するように言ったのに。アイツが爆発したら普通の人達なんて人堪ひとたまりも無いのに。あの人達には奥さんや子供も居るだろうに。命を掛けていたのはアタシ達だけじゃ無かったんだ。あの人達も一緒に戦っていてくれたんだ。あの人達の祈りがアタシ達の中に力として流れ込んでいるのだ。



「・・・・ターニャ、・・・・ターニャ」


 不意に草薙の頭の中に声が響く。遠い昔に聴いたような懐かしさを感じさせる声だった。


「もうすぐ覚醒した宮簀媛がこの現世に現れます。天之麻迦古弓と天羽々矢を持って。もう少し踏みとどまりなさい」


「・・・・母さん ? 母さんなの ? 」


 その声は草薙の問いには答えずに消えた。




 同時刻。



「あれ ? 此処は ? 」


 意識を取り戻した桜子は両手に弓矢を持っている事を確認してから周囲を見渡す。そして、此処が自分が眠らされていた新中町の公園である事を認識する。それと同時に巨大化した食人鬼の姿も。


「桜子、聞こえる ? 」


 頭の中に草薙の声が響く。


「草薙さん ! あたしは何をすべきなんですか」


「落ち着いて。アタシが以前に話した事がある弓道の極意ごくいを思い出して」


「・・・・弓道の極意。判りました」


 桜子は眼を閉じて足を半歩開く。


「1つ。身体は力みなく、伸びやかに天地をつらぬき」


 桜子はふぅっと息を吐く。


「2つ。心をしずめ、大地に深く息を吐き」 


 桜子は右手に持った天之麻迦古弓を身体の前方に掲げ天羽々矢をつがえると、ギリギリと弓のげんを引き絞る。

 そして、カッと眼を見開く。


「3つ。眼差まなざしは遠く、はるか無限を超えて」


 桜子は食人鬼だった生物の中心核を確実に捉えた。


「4つ。まとを射るのではなく、おのれと的を1つにせよ」



ビシュッ



 はなたれた矢は中心核に向かって一直線に飛んで行った。


 矢が放たれるのと同時に草薙が叫ぶ。


「天叢雲剣。結界を排除せよ!」



ズドォォン



 結界が排除された食人鬼だった生物の中心核を天羽々矢が貫く。


 巨大生物は一声も発する事なく霧のように消滅した。



「うおおぉぉぉ !」


「やった、やったぞ !」


「被害を出さずに済んだ、良かった !本当に良かった !」


 草薙達の後ろに座り込んでいた人達から歓声が上がる。そして、ワッと皆はゼイゼイと荒い息を吐いている2人に駆け寄る。


 遥か上空から一部始終を見ていた人影が呟く。


「なるほどな。草薙の剣の力は、あの小娘にしか使えない、と言う事か。それに、あの矢を放った宮簀媛。弟橘媛も加えたあの3人はより手強くなったな」


 そう言い残すとその姿は一瞬にして消えた。

 



「本当に良くやって頂きました。改めて御礼申し上げます」


 国家公安委員会のリーダー格の人が草薙と音美に頭を下げる。へたり込んでいる音美に薬草水を飲ませていた草薙が顔を上げる。


「頭をお上げ下さい。助けて頂いたのはアタシ達の方です。あの状況下でこの場にとどまりアタシ達に力を与えて下さいました。この勝利は此処にいる皆の勝利です」


 そう答える草薙に自衛隊の部隊長が歩み寄る。


「最前線に高校生の女子生徒を残して自分達は安全な場所に退避する程、我々自衛隊はヤワではありません。この場に留まり自分達の出来る事をする。全員がそのように考えていました」


「そうだ、そうだ !」


「自衛隊をナメンなよ!」


 部隊長の後ろからそんな声が上がりドッと笑い声が起こる。「こら、お前ら」と部隊長がたしなめる。さっきまでの緊張感から解き放たれた草薙と音美の顔にも笑みが浮かぶ。そして。


「草薙さーん! 音美さーん!」


 片手を上げて2人に走り寄って来る人影。桜子だった。


「桜子 ! 」


 ほぼ同時に2人は声を上げる。


 駆け寄って来た桜子は2人に抱き着いた。


「草薙さん、音美さん。あたしは、あたしは」


 そこから先は涙があふれて声にならなかった。


 草薙はそんな桜子の頭を優しく撫でる。


「宮簀媛に覚醒したのね。ありがとう、アナタのお陰で被害を出さずに済んだわ」


「えっ! アイツを消滅させたアレって桜子がやったの ? 」


 音美は三度みたび、素っ頓狂な声を上げた。


「正確に言えば天之麻迦古弓と天羽々矢ね」


「・・・・アレが弓矢 ? 私にはレーザービームにしか見えなかったわよ」


 草薙は微笑んだ。


「アタシには小型の極超音速ごくちょうおんそくミサイルに見えたわ」


 そう言って音美と桜子を優しく抱きしめた。



 空には月が出ていた。



 月の光がこの現世を優しく照らしていた。







第2章 終わり



作中の「弓道の極意」は「アルジュナ」から引用させて頂きました。


アルジュナ


原作・シリーズ構成・監督 河森正治

Ⓒ2001アルジュナ製作委員会 バンダイビジュアル


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