優しい言葉。(後編)
メールの着信音で目が覚める。
相手は昴ちゃんで「無事に帰れた?連絡途切れたけど電池切れかな?」と入っていた。
寝ぼけた私は周りを見てよく分からずに「頭痛い。ここはどこだ?」と返してしまう。
数秒で昴ちゃんからは「とりあえず住所が分かれば近くのコンビニまで迎えにいくけど?」とメールが来て状況を確認したらクラスメイトの家で住所はターミナル駅のひと駅先だった。鏡を見ると髪はボサボサで顔はむくんでいて会えたものではないので「友達の家だった。平気。ありがとう。また今晩バイトで」と送った。
そうして段々と昨日の事を思い出す。
クラスメイトに「コンビニ辺りまでは覚えてるんだけど…」と言うと「うん、あの後ずっと彼氏さんの名前を呼んで泣いてたよ。昨日の事とタバコの事を謝ったり、今すぐ会いたいとか、毎日声が聞きたいって言ってて悪酔いしたのがわかったから、うちでお水飲ませて眠って貰ったよ」と説明してくれた後で「亀ちゃん結構飲まされてたよ」と教えてくれた。
残り2名はどうなったかを知らない。
この日から当然疎遠になった。
ここから先は坂道を転げ落ちるような出来事の連続だった。
家に帰って母親にだけ事情を話して「怖かった」と言うと静かに怒られた。
お風呂に入っていると母から聞いたのだろう。父の怒声が聞こえてきたが、普段は大人しい母が父を叱りつけていて「あなたがそうだから貴子は危ない目に遭うまで報告も連絡も相談も出来ない子になったんです!」と聞こえてきた。
母が怒っている時に起きてきた鷲雄は怯えた後で事情を聞いて「そいつらの住所教えろ」と何かをしでかすつもりだったので「多分大丈夫。困ったら言うよ」と言うとあっさりと引き下がった。
妹のひばりに申し訳なかったのは私の分まで締め付けが厳しくなった事だった。
仮眠をしてバイト先に行くと少し空気がおかしい。
何かあったのかと思ったが昴ちゃんはいつも通り「おはよう。何処にいるのかわからないくらい飲んだの?」と話しかけてくれて私はいつも通り「やらかしちゃったよ」と言って笑った。
昨日、飲み会で早上がりをしていて、更に今の昴ちゃんとの会話を聞いていた面々から「学生最後の夏の飲み会はどうだった?」と聞かれた。
なんか根掘り葉掘り聞かれる感じが気持ち悪かったが、別に何事も無かったので、行くまで合コンだったことを知らなかった事、記憶をなくすまで飲まされたが何事もなく逃げおおせて友達の家で朝を迎えてスッとんで帰って来て家族にこれでもかと怒られた事を話した。
そうしたらあっという間に変な噂はバイト先を駆け巡っていた。
前に商業施設で私と昴ちゃんのデートを目撃した子からは「鶴田さんを裏切るなんて酷いと思う」と正義感で説教までされた。
何もない。
その真実よりも「亀川 貴子は鶴田 昴を裏切った」方を皆が選んでいた。
居心地の悪さから私は就活を理由に次からのシフトを減らした。
それでも今まで通り昴ちゃんとは電話をしている。
電話の中で飲み会の顛末をちゃんと話した。
昴ちゃんは「うわ、騙されたんだね」「その子も学生最後の夏休みに彼氏欲しさで無茶したんだね」「助けてくれた友達にはお礼を言いなね」「後は遠慮しないで呼べばよかったのに」と言ってくれた。
バイト先でも普通に話しかけてくれる。
「どう?お母さんとお父さんは機嫌直った?妹さんは?」
「うん、ちょっとやりすぎたからまだ…かな?」
こんな会話をしているが昴ちゃんの居ない所では明らかな疎外感を感じる。
実際何もなかったことをどうやって証明すると言うのだろう?
本が好きな昴ちゃんならいい方法を知っているかと思ったが言い出せずに居た。
私は遂に我慢できなくなっていて昴ちゃんに「あの…さ…、変な噂聞いた?」と電話で聞いた。キチンと話した事もあって昴ちゃんは「聞いてる。でも女友達の家で朝を迎えて慌てただけなんだよね?」と言ってくれる。
「うん」
「じゃあそれでいいじゃない。それよりも次のシフト見たけどバイトの日数減ったよね?今回の事?」
やっぱり誰が見てもわかる。
私はいたたまれなくて「いや、就活がさ…」と言ったが、昴ちゃんはすぐに「無理しちゃダメだよ。周りが勘繰っても信じてるよ」と言ってくれた。
嬉しくてしかたなかった。
この優しさにもたれ掛かりたい。
その気持ちになったら涙が止まらなかった。
このまま電話を繋いでいたら全部話してしまいそうだった。
でも私はタバコを辞められていない。
だから泣きながら「ごめんね。今日は切るね」と言って電話を切った。
机の上のタバコが憎らしい。今すぐ捨てたいが辞められる気はしなくてそのままにしてしまった。
私は冬でバイトを辞める事にした。
あのまま店に居てもいたたまれない。
周りは私と昴ちゃんを分断しようとしているのか、はたまた昴ちゃんを慰めようとしているのか、それとも私以外にも昴ちゃんの良さに気付いてアプローチをしているのか、何であれ居心地が悪い。
お金は卒業まで遊んでも残る額はある。
就活の方は最終面接まで漕ぎつけている会社もある。
全部終わったら昴ちゃんとご馳走を食べに行ってもいいかもしれない。
振られるとしても気持ちを伝えてもいいかもしれない。
バイト先に辞める旨を伝えた。店長は「人の噂も七十五日だから気にする事ないよ」と言ってくれたがそれでもあの空気感は辛い。
そんな時、昴ちゃんのお父さんが倒れたと言って昴ちゃんから仕事を変わって欲しいと頼まれて代わりに働いた。
今までだったら休憩室で談話してから帰ったのに早々と着替えて帰ろうとした時、昴ちゃんからの着信で私は飛びつくように電話に出た。
昴ちゃんのお父さんは余命宣告をされていた。
そのせいで性格が豹変してしまっていて、昴ちゃんに酷い言葉をぶつけていた。
昴ちゃんは物凄く傷ついて憔悴していた。
私はずっと声を聞いていたから声だけでわかるんだよ。
今まで散々優しくして貰っていた分を返したくて「昴ちゃんは優しいから気にするんだよ」と言った。
昴ちゃんは少し嬉しそうな声で「亀川こそ優しいから傷つくんだよ。優しいから今一緒に辛そうな息遣いをしてくれている。ありがとう」と言った。
辛いのは昴ちゃんなのに私を心配してくれる。
なんて優しい人。
私は「もう…、辛くて落ち込んでるのは昴ちゃんなのに私が優しくされてどうするの?」と言うと泣いてしまった。
でもこの日は昴ちゃんから電話を切ると言うまで私は切らないでいた。
その後、何回かバイトを休んだ昴ちゃんの代わりにバイトに出た。
代わりだったこともあって昴ちゃんの情報をいち早く聞けたがそれは悪いニュースだった。
昴ちゃんは年末にはアパートを引き払って実家に帰る。
理由はお父さんの看病とお父さんが働けなくなる分、鶴田家を支える必要があるからだった。
悪いニュースは続く。
昴ちゃんが不在の日。
することが無くターミナル駅まで買い物に出かけたらナンパをされた。
前のナンパ同様にあしらったのに今回は「その気の強さが良いね!今度デートしようよ。電話番号を教えてよ」と言われた。
こんな私でもいいと言ってくれる人が居た。
それは昴ちゃんの言葉と合致してしまう。
昴ちゃんがこの街に残るなら無視をしたが私は「意味ないと思うよ」と言いながらも電話番号を教えていた。
昴ちゃんに報告をした。
これで何かが変わる訳ではないが、行かないでくれ、一緒に地元に来てくれと言って欲しかった。
でも昴ちゃんがそれを言わない事を私は知っている。
だって昴ちゃんは優しい人だから。
私を困らせる言葉は言わない。
案の定昴ちゃんは「安心しなよ。行き詰まったら電話しておいで」と言ってくれた。優しい言葉。でもその優しさはご両親に向けるべき優しさだよ。
私は「うん。ありがとう。昴ちゃんは実家のお父さんお母さんの事を頑張ってね」としか言えなかった。
昴ちゃんは見送りはいらないと言ってバイト最後の日に一緒に駅まで帰った。
少しタバコ臭くても我慢して腕を組んでくれた。
何故か電話がかけられなくなった。
機械的な話ではなく心理的な話で通話を押すことが出来ない。
メールばかりをするようになった。
私は何回かベッドの上で液晶に向かって何回も「昴ちゃん」と泣きながら言っていて気付いたら眠っていた事があった。
年を越して、成人式の頃に昴ちゃんから着信があった、電話に飛びついた私の耳には懐かしい昴ちゃんの声。
それだけで辛くて泣きたくて「会いたい」「行きたい」「帰って来て」と言いそうになる。
昴ちゃんは電話が無かったことは例のナンパ男とうまく行っているからかなと聞いてきた。
実は会っても居ない。電話も無視したら手慣れているのだろう。3回で着信が無くなった。
でもそれを言えずに「まあね」とだけ言った。
この後、信じられない事が聞こえてきた。
実家に帰らされた昴ちゃんには「職場」と「お嫁さん」が用意されていた。
ベッドの上で良かった。
力なく崩れ落ちた私は、これが駅だったら間違いなくホーム転落している。
頑張って絞り出した言葉は「うわぁ、前時代的だね」だった。
昴ちゃんは困った声で「本当、困ってる」と言う。
私は小さく深呼吸をした後で覚悟を決めた。
「でも仕事は就活生からすると羨ましいよ」と言った後で「結婚はさ……鶴田くんはずっと1人って言ってたから………良かったじゃん。少し話したら良いところも見えると思うしさ、恋愛結婚よりお見合い結婚の方がいいって聞くよ」と頑張って振り絞った。
鶴田くん
なんて味気ない。
胸が痛かった。
泣き叫びたかった。
でも電話を切るわけにはいかない。
昴ちゃんは悲痛な声で「鶴田くん?」と聞いてきた。
私はそれだけが今の救いだった。
昴ちゃんも「昴ちゃん」を求めていた。
私は自分に言い聞かせながら「ほら、もう昴ちゃんはダメかなって思ってさ」と言うと昴ちゃんは大きな声で「そんな事ない!」と言ってくれた。
嬉しかった。
真剣な昴ちゃんの声。
聞こえたよ。
わかるよ。
すっと昴ちゃんの声を聞いていたからわかるよ。
ごめんね。
タバコがあったせいでうまく行かなかった。
私は嬉しさと悲しさの中で「あるよ」と言った後で「お互い電話は難しくなるんだろうね。結婚式はするの?」と聞いた。
昴ちゃんはお父さんの事があるからだろう「そんな金ないよ」と言ってくれた。
私は精いっぱいの強がりで「そっか、ご馳走と奥さん楽しみだったのにな」と言う。
嘘です。
見たくありません。
ご馳走は昴ちゃんと食べたいよ。
奥さんは見たくもないよ。
私は限界を迎えて「ごめんね切るね」と言って電話を切った後で布団の中で何回も「昴ちゃん」と名を呼んでご近所迷惑くらい泣いた。
安普請の亀川家では家中に泣き声が聞こえたのだろう。翌朝、泣きはらしてリビングに降りた私に家族全員が優しかった。
この後はあっという間だった。
就活は無事に最終面接をパスして意気揚々と新生活に向かったが1年で挫折をして退職をした。
女所帯は私には向かなかった。
あの合コンの日みたいな空気感の中で仕事を続けるのは拷問でしかなかった。
昴ちゃんとはメールは続いている。
「仕事辞めちゃった」
「そっか、お疲れ様。無理してない?」
優しいメールに涙ぐむ。
でも電話と違ってメールは涙声を聞かれる事もないので普通に「理想と現実は違うね」と返す。
昴ちゃんは今後の事を聞いてくれる。
今は何も考えてないと送ると、彼氏の事を聞かれた。
一瞬「彼氏?」と固まったが、すぐにナンパ男の事を思い出して付き合っても居ないのに「春までには消えてたよ」と送った。
そうしたらこの1年の苦労を察してくれて「愚痴メールすれば良かったのに」と来る。
私は「ダメだよ。鶴田くんは奥さんを大事にしなきゃ」と打ち込んで胸の痛みに耐えながら送る。
昴ちゃんの返信は「平気だよ」だった。
昴ちゃんからは徹底して奥さんの気配がしない。
存在していないような奥さん。
だが結婚はしていて、地元で奥さんを養う為に働いている。
どういう存在なのかわからない。
そう言えばご両親に関しては退職金で治療も終活もすべてまかなえてしまい昴ちゃんは肩透かしを喰らったと言っていた。
私が仕事を辞めた数か月後、昴ちゃんには男の子が生まれた。
写メは見たくなかったが、昴ちゃんが気にしてはいけないので写メを貰うと昴ちゃんが赤ちゃんを抱っこしている写真だった。
普通こういう場には奥さんって居ないものなのか?
物凄い気持ち悪さを覚えながら赤ちゃんについて聞いたら「俺の名づけ覚えているかな?両親が不精して男女どっちでもいい名前しか考えなかったって話」と入ってくる。
勿論覚えている。
今も耳に昴ちゃんの声は残っているよ。
私が「覚えてるよ」と返すと「その第二候補だった薫が息子の名前。息子は鶴田 薫。父さんに少しでも喜んでもらいたくて、第二候補をそのまま貰ったよ」と書いてあった。
ここで気持ち悪さは加速した。
奥さんはその決定に何も言わなかったの?
そもそも昴ちゃんは真面目な人だ。
間違いなく余命宣告をされたお父さんの事も気遣うが奥さんを気遣って話し合って名前を決めるだろう。そんな余り物みたいな…、昴ちゃんの気配のない名前にするのだろうか?
私は何も聞けなかった代わりに「お父さん孝行だね」とだけ送った。
その後も頻度は落ちて行ったが昴ちゃんとはメールが続いた。
お父さんは余命宣告された日数を超えて大往生されていた。
私は24歳になっていた。
未だに夜は昴ちゃんの事を思い出して泣きながら「昴ちゃん」と言って気付くと眠っていた。
そんなある日、鷲雄から「詳しくは聞かない。だがそろそろ身を固めても良いだろう。お前の良さに気付かない男より前を見ろ」と言われて鷲雄の後輩の田中 龍輝と言う男を紹介された。
龍輝は鷲雄や父の理想のような力強い、言い換えればガサツな男で、何処を見ても昴ちゃんの要素は無かった。
結婚なんてする気もなかった。
だが何かと家族の催し物には龍輝が来るし、親たちは仲良くさせようとしていた。
そして龍輝は一途な男ではあった。
父たちにも気に入られていた。
一度けじめをつけるために女同士として母とひばりには昴ちゃんとの9ヶ月を話した。
母もひばりも「貴子には昴ちゃん以上の人は居ないと思う」と言ってくれた後で「でも昴ちゃんも結婚をして子を持った人なのだから次に進みなさい」と言った。
その事で私は気持ちにケリをつけて田中 貴子になった。
結婚式はしなかった。
父たちは残念がったが母やひばりが仲間になってくれて神に誓わないでも済むようにしてくれた。
私は昴ちゃんに結婚の報告をした。
もうこの頃になると連絡を取る友達なんて殆ど居ない。
あの日、匿ってくれたクラスメイトとは友達になって年賀状とメールの仲になっていた。
昴ちゃんには「この度、亀川 貴子は結婚をしました。今日からは田中 貴子になります」とだけ送った。
長々と書いているうちに逃げ出したくなっても困るし、察した昴ちゃんが心配してくれたら喧嘩早い龍輝は何をするか分からない。
昴ちゃんはすぐに「連絡ありがとう。結婚おめでとう。幸せになってください」と返事をくれた。
この言葉にどれだけの気持ちが入っているかわかったし、これだけで頑張れる気がした。
龍輝には悪いが住めば都という言葉がある。
龍輝との生活もそれなりに悪くない。
タバコも不問で我が家のカーテンは黄ばんでしまっている。
そんな中、子供が生まれた。
女の子だった。
私のようにならないように気を付けようと思った。
どうしてこう龍輝や鷲雄のような陽キャと呼ばれる連中は群れたがるのかわからない。
しょっちゅうBBQを催したがるし、娘の行事にも率先して参加をして綱引きで腕の骨を折っていた。
そんな時、陽キャチームのママ友達から実名を使うSNSに誘われた。
正直興味は無かった。
だが龍輝が参加して、家族欄に鷲雄を兄として私を妻にしたいと言い出して参加することになる。
そして実名と言う事でつい夜中にこっそりと「鶴田 昴」と検索をしてしまう。
世の中、案外同姓同名は居て、何人もの鶴田 昴の中に昴ちゃんは居た。
だがどうも昴ちゃんも周りに誘われただけのクチでロクな投稿はしていなかった。
大きくなった薫くんとスキー場で撮ったツーショット写真があった。
小さなアイコンだったがそれは今も忘れられない昴ちゃんだった。
私は夜中にこっそりとトイレで泣いた。
娘が大きくなり、もう中学生になる頃、反抗期のまっただ中で龍輝はこれでもかと嫌われていた。
まあ「煩い」「がさつ」ときていれば嫌にもなる。
私もこの時期は父も鷲雄も嫌だった。
ここで龍輝が父たちと違ったのは、純情なのか器が小さいのか、娘にガチギレをした。
「お前!俺の稼ぎで飯喰って学校行ってんのになんだその態度は!!」
そう言って娘を怒鳴りつけた。
母としても女としてもガサツな父を持ったものとしても娘を庇い、龍輝に「やめてよ」と言った時、龍輝がとんでもない事を口走った。
「貴子!お前もだ!何年経っても俺に心を開かない!未だに昔の男を引きずってやがる!そいつがどんだけお前にとって凄い奴だったのか義母さんから聞いたがそれでも俺がお前の旦那だ!そいつがいいって言うなら俺はそいつをボコボコにしてやる!!」
呆れと慌てる気持ちの中、娘を連れて実家に避難をする。
そこで母に何があったかを聞かれ、逆に何で昴ちゃんの事を龍輝に話したのか問い詰めると、母は「龍輝君が泣きながら貴子の心が俺の所にないって悩んでいたから他言無用で説明した」と言っていた。
龍輝からの電話はガン無視すると母が鷲雄に事態の収拾を命じて鷲雄が龍輝を黙らせた。
「龍輝の奴も反省してるから帰ってやれよ」
その言葉で帰る際中、娘に昴ちゃんの事を聞かれた。
軽蔑されるかもしれないと言ったが娘はそれでも聞きたいと言った。
なので恋をした事、タバコが障害で付き合えなかった事、一度のミスでうまく行かなくなった事、2人はそれで良かったが周りがそれを許さなかった事、昴ちゃんは余命宣告をされたお父さんの為に自分の人生なのに何も選べずに親の決めた仕事と親の決めた結婚をした事、残された私は鷲雄達の勧めで龍輝と結婚をした事を説明した。
「お母さんはそれで良かったの?」と娘は聞いてきた。
「アンタに会えたからね」と言うと娘は嬉しそうに「ありがとう。お母さんはずっと好きだよ」と言ってくれた。
昴ちゃん。
本当ならこの話も昴ちゃんに聞いて欲しかったよ。
この後は帰宅した私達に龍輝は一応謝ってきた。
鷲雄からは娘の反抗期でガタガタぬかすなと怒られ、私に昴ちゃんの事を出した事で殴られていて左頬が腫れあがっていた。
だが龍輝の言葉は本当だろう。
きっと友達だと言っても昴ちゃんを殴ると思う。
だから今生ではもう偶然以外に会う方法が無いねと思った。
せめてもの反抗で寝る前にほんの少しの妄想の世界で私は昴ちゃんに会う。
龍輝には申し訳ないが、やはり私の一番は昴ちゃんでそれは変わらない。
変えようがない。
昴ちゃん。
タバコ止められなくてごめんね。
タバコ吸っていてごめんね。
それが無かったら付き合えてたかな?
お父さんが倒れた時、私も一緒に地元に行けていたかな?
お嫁さんって紹介してくれたかな?
よく男の恋愛は[名前を付けて保存]で女の恋愛は[上書き保存]とか聞くが、それはステレオタイプなだけで私は上書きできていない。
それこそロックまでかかっている。
そんな事を想いながら眠ったら夢に昴ちゃんが出てくる。
不思議なことに私は今の私だったり昴ちゃんに会う前の中学生の姿なのに昴ちゃんは私だと気付いて話しかけてくる。
それが嬉しくてニコニコするがすぐ横に見知らぬ女、推定妻がいる。
それで不機嫌になると昴ちゃんは困った顔で機嫌をとりなそうとする。
そんな夢を何回か見た。
何回も見ているうちに私は「昴ちゃん、タバコ止めるから彼女にして」と思うようになっていた。
そうして眠っている訳で、もしかすると寝言で「昴ちゃん」と言ってしまっていて龍輝に聞かれたかもしれない。龍輝は夢を見た翌朝はなんか不機嫌だったが、何か言おうとしては左頬を触って「くっ」とだけ言う。
申し訳ないが現実世界で会えないのなら夢でくらいは会いたい。
ある日の夢はあの暑い夏の日、家で頑張ってタバコを吸って駅で待ち合わせて一緒の電車で商業施設に行った日だった。
周りに人が居るが人は認識できない。
認識できるのは昴ちゃんだけで、腕を組んでいて汗ばんでいる事ですら嬉しかった日。
夢の中の私は昴ちゃんに「昴ちゃん。ちょっと行ってくるね」と言う。
おい待て、待つんだ私。
何でタバコを吸おうとしてるんだ。
そこはグッと我慢して「タバコ止めるから彼女にして」と言うか、ちょっと甘い事を言って「タバコ止める努力するから彼女にして」と言うんだと念じたが、昴ちゃんの腕から離れた私は一目散に喫煙所を目指す。
マジか…と呆れる中、あの日とは違っていた。
昴ちゃんが私の方を見て手を伸ばして「待って!」と言った。
見たことのない真剣な表情。それなのに真面目で優しい声。
私は何かの確信を得て振り返る。
振り返った私は夢の私ではなく自分の意志で振り返った私だった。
少し離れた先に居る昴ちゃん。
真剣な表情を見た私はつい嬉しくて微笑んでしまう。
昴ちゃんの次の言葉が待ち遠しくて夢の中なのに心臓がドクドク言っている。
昴ちゃんはすぐに「なあ!俺たち付き合わないか?」と言ってくれた。
嬉しい。
本当に嬉しい。
大好きだよ昴ちゃん。
ありがとう。
よろしくね。
そう言っても良かったが、私は昔のペースを思い出していて「ふふふ」と言いながら走って喫煙所に向かう。
そうして喫煙所の扉をくぐって煙たい部屋の中で後ろを振り返ると今も手を伸ばしたまま私を見ている昴ちゃんを見る。
そして閉まりかけの扉から顔を出して「こっちに来れたらね」と言った。
ワガママだけど昴ちゃんが身体の事を無視して来てくれたらこんなに嬉しい事はない。
折角の夢なんだからそれくらいワガママを言ってみたかった。
ふざけるなと昴ちゃんは怒ってしまうかもしれない。
折角会えた夢なのに散々な結果になってしまうかもしれないと心配したが関係なかった。
昴ちゃんはすぐに踏み出してくれた。
躊躇なく進む昴ちゃんを見た私は嬉しさに痺れながら「ふふふ」と笑って「こっちに来れたらね」ともう一度行って喫煙所の扉を閉めた。
昴ちゃんが開けてくれたら、すぐに飛びついて「タバコ臭くてごめんね」と謝って「でも来てくれて嬉しいよ」「昴ちゃん大好き」と言って何回も名前を呼んで痺れる感覚に身を任せながらあの優しい声と言葉に包まれよう、タバコのせいで咳が止まらなくなった昴ちゃんを精いっぱい看病しようと思っていた。
優しい言葉。 さんまぐ @sanma_to_magro
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