優しい言葉。
さんまぐ
優しい言葉。(前編)
よくない事だがバイト先は新人さんの履歴書を回覧板のように放置してあって、店長が「今度来るやつなー、よく見とけ。知り合いだったりよくない噂を聞いた奴は教えてくれー」と言う。
休憩中のバイトメンバーが「なんだ男だ」「年は21のフリーターか」「あ、面接の日に席まで案内した人だ」「大学中退ね」なんて言っている。
「亀川さんも見る?」
「うん。一応」
ひと目見た履歴書に書かれていたのは男らしい文字。
なんで男文字、女文字なんて言うのか不思議だけど確かにこの字は私には書けない。
「鶴田 昴」
真面目そうな顔つき。
決してモテる顔ではない。
でもクラスの中で1人くらいからは好意を寄せられそうな顔。
なんというかちょうどいい顔をしている。
履歴書を見たら少し興味が出てきた。
そんな鶴田 昴のバイト初日、私から挨拶をすると鶴田 昴は「はじめまして鶴田です」と言った。
声からもわかる真面目感。
ここで普通に接するのではなく「以前大学で会いましたよ?」と言って大学名を告げると凄い顔をして申し訳なさそうに謝った後は仕事の合間に「どこで会いましたか?」「話したことはありますか?」と聞いてくる。
面白くなってきた私は当分続けようと思ったのに店長が「亀ー、就活と試験日は外すから予定表出たら言ってくれ」と言ってしまった。
そこから違和感に気付いた鶴田 昴は「あれ?え?」と言い始めて専門学生とバラすと呆れられた。
怒られるのではなく呆れられた。
その事に驚いていると鶴田 昴は「良かった。失礼な事をしてなかった」と言ってまたまた驚いた。
なんていい人なんだろうと私は驚きながら家に帰る。
妹のひばりからは「なんかあったの?ご機嫌だね」と言われた。
翌日、シフトを変わって貰う関係を口実に電話番号を教えて貰う。
ごく普通の流れ、バイトのあるあるで鶴田 昴は嫌がらない。
その晩にはテストと言って電話をかけてみた。
鶴田 昴は嫌な声ひとつせずに「何?ああ、どうも。繋がるか試したの?真面目だね」と返事をしてくれた。
それだけでテンションは上がる。
その日は「ありがとう。またね」で電話を切りベッドに飛び込んで液晶に浮かぶ鶴田昴の名前を見てニヤニヤとしてしまう。
昴、どんな思いで彼の親は名を付けたのだろう。
隣の部屋からは兄の鷲雄が居るのがわかる。
長電話をすれば「うるせー」と後で文句を言うし、我が家の安普請な壁事情からしたらアレコレ聞かれてしまうのでポソっと液晶に向けて「すばる」と呼んでみた。
背筋がゾワゾワとする。
これはたまらない。
ぞわぞわした気持ちのまま机の上に乗せたタバコに手を伸ばす。
タバコは一応ハタチになって覚えた。
キチンと未成年の時は吸わなかった。
このタバコを吸うたびに嫌な過去が蘇る。
別に始めたきっかけなんてものは親たちへの小さな反抗心でもあったし、当時…と言っても数ヶ月前だが、惹かれていた男と話すキッカケ作りのために吸ってみた。
そうしたら癖になって止まらなくなった。
違う。
男から揶揄われた。
「お前、タバコ始めたけど俺と付き合いたいとか?ねえよ?」
そう言われて「今日でタバコは卒業か?」と揶揄われ、意地になって止めずに吸った。
そうしたら止まらなくなった。
うまさなんてよくわからないが匂いが気に入っているこの銘柄にした。
見つかった時、親と兄からは止めろと言われたがハタチになっていたので無視してやった。
タバコの煙と一緒にもう一度昴の名を口から出してみた。
すごく痺れた。
私はこのゾワゾワした痺れをずっと味わっていたいから次からは「昴ちゃん」と呼ぶ事にした。
昴ちゃんは驚いた顔をしたが嫌そうな顔はしない。
確認するように「馴れ馴れしいって怒られるかと思った」と言う私に昴ちゃんは「怒らないよ。別にスルメとかメバルとか名前で揶揄ったわけじゃないからね」と言ってくれる。
これが嬉しくて何度も名前を呼ぶ。
そしてひとつのことに気づく。
本人に向けて「昴ちゃん」と言った時が一番痺れた。
声が聞きたい。
真面目な相槌をもっと聞きたい。
そう思った私はその日からしつこいと怒られない範囲で昴ちゃんに電話をした。
電話の時間は大概バイト後の家に着くであろう時間を狙う。
昴ちゃんは「少しうるさいけど我慢してくれるかな?」と言うと洗濯物を取り込んだりお風呂にお湯を張ったりしながら電話をする。
そして私の時間を気にしてくれる。
確かに就活生はエントリーシートを書いたり応募をしたりと忙しい。
そして我が家もお風呂の順番があるのでどうしてもバイト上がりからだと1時間と少ししか話せない。
お父さん、兄の鷲雄、そして私、妹のひばり、お母さんの誰かが入る。
最近は話し声が聞こえていると妹のひばりは気を遣ってくれてお風呂に先に入ってくれて長風呂までしてくれる。
兄の鷲雄とお父さんは女に理解はない。
「まったく女ってのは長電話だな」
「電話好きだよな」
そんな事を言われるが昴ちゃんは理解がある。
アンタ達とは違うんだよ。
小さな問題があった。
昴ちゃんは体質的にタバコがダメで、バイト上がりに「吸っていいかな?」と聞いたら体質的に無理なんだと言われて、外で待つと言って休憩室から出て行ってしまった。
こんな事ならタバコなんて知らなければよかった。
だが、それでも優しい昴ちゃんは私に気を遣ってくれる。
私が気を悪くしないようにある程度で戻ってくる。
そして少しだけ顔をしかめる。
昴ちゃんは気付いていないようだから私はそこには触れないで「昴ちゃん、咳出そうだったら我慢しないで言ってね」と言うと昴ちゃんは「ありがとう」と言って会話を続けてくれた。
私は話題作りに励む。
前以上にアンテナを張り巡らせて何か見掛ければ「今日はこんなものを見かけたよ」と言うために電話をする。
お婆ちゃん子がお婆ちゃんに話しかけるようにアレコレ話す。
そして話題が見つからない時は自己紹介をした。
幼稚園はバラ組だったんだとか鉄棒から落ちて擦りむいた傷跡は今も残っているとか話す。
昴ちゃんはその全てを嫌そうなリアクションをせずに全部真面目に聞いてくれて返事をくれた。
毎日話したい事、聞いてもらいたい事に溢れているけど毎日は嫌われそうだから電話は週の半分だけ。
後はバイト先で顔を見て話せればそれでいい。
昴ちゃんは本が好きだと聞いた。
今の住まいもさぞかし本に埋もれているのかと思ったら全部実家に置いてきたらしい。
「なんで?本が好きなんだよね?」
「荷物になるからね。また読みたいって思うより、好きな本は手元に残しておきたいんだ」
「そっか…。じゃあ明日は2人ともお仕事休みだから本屋さん行こうよ。お昼に駅集合で本屋さん行って本を見たら、ご飯屋さん空くからお昼ご飯食べよう」
「うん。いいよ。でもいいの?」
「何が?」
「家族とお昼しないの?」
「家族とは毎日してるよ。昴ちゃんとはお昼した事ないから行こうよ」
「うん。ありがとう」
翌日はよく晴れてまだ5月なのに夏っぽい。
私は行く前にタバコを吸ってなんとか昴ちゃんといる時はタバコを吸いたくならないようにする。
昴ちゃんは改札の前で私を待ってくれていた。
「おはよ」と言って近寄ると優しく「おはよう」と返してくる。
「昴ちゃん行こう」
私は手を引いて本屋の方角に進みながら意を決して腕に抱きついた。
「亀川?」
「迷子にならないし良くない?」
「…俺は亀川と付き合ってないよ」
「私も昴ちゃんとは付き合ってないよ。だって昴ちゃんはタバコダメなんだよね?」
「そうだね。亀川がタバコやめてくれたらいいのにね」
「難しいなぁ」
顔は笑いながらも心では泣いた。
こんな事ならタバコなんて吸わなければよかった。
本屋さんに行くと昴ちゃんはついついペースアップしそうになって慌てて私の歩調にあわせてくれる。
「いいよ、久しぶりなんだよね?行って来なよ。私は後ろついて行くよ」
「…いや…悪いからいいよ」
昴ちゃんは遠慮がちに本屋さんの中を徘徊する。
話題の小説から外国の写真が入った写真集、果ては子供の頃から読んでいると言う漫画コーナーまで見ていた。
「ごめん。お待たせ」
照れ臭そうな昴ちゃんに「いいよ。買わないの?」と聞くと「物が増えちゃうのは困るからさ」と返ってくる。
「本当は何が欲しかったの?」
「小説。最近読んでないんだよね」
「好き嫌いはあるの?」
「結構あるかも。これはどうとは言えないけど読んでみて字が目に入ってこない本はすぐに諦めちゃうんだ」
そんなものなのか。
難しくてよくわからない。
「昴ちゃん、図書館で借りたりしないの?」
「図書館は苦手なんだ。返却期間を気にして焦っちゃうし、他に借りたい人が居たら早く読まなきゃって思ってさ」
昴ちゃんらしい理由に私はついニヤニヤとしてしまう。
「亀川?」
「流行りに乗って買って読んだきりの小説があるから貸してあげようか?」
「いいの?でもいつ返せるかわからないよ」
「いいよ。ずっと貸してあげる。これからもずっと電話してこうして遊びに行く仲なんだからさ」
こうして後日私はホラーが流行った時に皆に釣られて買った呪いのビデオが題材のホラー小説を3冊貸した。
その日のお昼は本のお礼と言って昴ちゃんが出してくれた。
現金なフリをしてありがとうと言いながら腕に抱きついて歩く。
昴ちゃんは嫌がらない。
なんでも受け入れてくれる。
否、タバコを除いて。
それはオーバーな言い方をすれば命に関わるので仕方がない。
食後の一服なんて言葉があるけどそれは何故かある。
食後になると無性に欲してしまう。
家で吸ったきりだったのでそわそわしてしまうと昴ちゃんは「行っておいで」と言ってくれた。
「ごめんね」と謝ると「本屋で待っていてくれたからおあいこだよ」と言ってくれた。
食後は駅まで歩く道のりで腕を組もうとしたら「亀川、ごめん無理」と言われた。
思い切り遠くに煙を吐き出したのにダメだった事にショックだった私は「手は繋ごうよ」と言うと「いいよ」と言われて駅まで手を繋いで歩く。
申し訳なさで顔を見たら昴ちゃんは少しだけ辛そうな顔をしていた。
次のバイトの時に本を3冊貸した。
いつでもいいと言ったのに久しぶりの本にテンションが上がってしまい一晩で読破したらしく、昴ちゃんは目の下にクマを作っていた。
本の感想は昴ちゃんらしい優しい物だった。
「一作目は心霊的に怖かったけど、二作目は別の怖さで、三作目は悲しかったかな。世界の為に主人公が犠牲になるのは好きじゃないよ。亀川は?」
「怖い、キモい、えぇ!?って感想」
私の感想はそんな物で、付き合いとか流行りに乗っただけだから薄っぺらいのだが昴ちゃんは「なんとなくわかるよ」と言ってくれた。
夏になって遊びに行く話を持ち出した。
昴ちゃんは親の脛をかじるフリーターで私は就活生。そんな訳で大それたことは出来ないと言う話になる。
昴ちゃんとならきっと楽しいから海くらい行っても良かったが上記の理由でダメになる。
代わりに私は「最寄駅から電車一本で行ける商業施設に行こうよ!あそこならお金かからないし明日に疲れを持ち越さないよ!」と提案をして昴ちゃんも「いいよ」と言ってくれた。
商業施設はこれと言って無かったが、どうしても記念に何か買いたくて雑貨屋さんに入ってウサギの小物を買ってきた。
今は机の上に出かけた証のようになっている。
私と昴ちゃんは目立つらしい。
それは同じバイト先の子で、商業施設に行った日にたまたま居たらしい。
初めはペットショップのショーウィンドウ越しに犬をじっと見る昴ちゃんに気付いたがすぐに私が出てきてデートだと気付いて邪魔をしなかったらしい。
その子が言うには後をつける気がなくても目立つから目に留まってしまったと言っていた。
最終的に3回程見かけたと言っていた。
それだけいつも一緒に居るのでバイト先でも店長達から付き合ってるの?と聞かれるがいつもタバコを理由に付き合っていないと言っている。
昴ちゃんが真剣にタバコをやめてくれと言ったら私はやめられるのだろうか?
逆に昴ちゃんが熱を出しても私を受け入れてくれたらどうしようかと考え始めるようになっていた。
昴ちゃんは聞き上手で聞き出し上手だと思う。
話す気が無かったことまで話していて、優しい返事に嬉しくなる反面、丸裸になっていく感じに恥ずかしくて不満を口にしてしまう。
そもそもは兄の鷲雄から色気がないと悪く言われた事を話したのだが、いつの間にか「それ、学校でも言われて焦ったりしたよね?お兄さんとの距離感でクラスメイトと話すと困られるよね」と言われていて「そうなんだよ!でもこれ以外知らないから困っちゃってさ」と話していたりする。
「ムカつく…なんでわかるかなぁ」
私の言葉に昴ちゃんは嬉しそうに笑っていた。
その笑い声も優しさに満ちていて幸せになれるよ。
その日の気分は悪かった。
学校帰りにクラスメイトに誘われて駅ビルに入っているお店に寄り道をした。
正直、昴ちゃんと居ることが楽しくなっていて友達と居ても聞き役になっている事や、話してもクラスメイトの返事は聞いていて疲れるもので帰りたかったが「もうすぐ卒業だよ?」と言われて妙な一体感を迫られてしまい断れなかった。
クラスメイト達が化粧品にテンションが上がる中、タバコを吸いに喫煙所に行った帰り、ナンパをされた。
ナンパ男はタバコを吸うキッカケになった男を彷彿させるキャラで、無視をしたら「無視すんな!」と凄んできた。
クラスメイトなら泣いてしまうがウチの父親と鷲雄からしたら大人しいもので怖くもなんともない。睨み返したら引いた男は「気が強い、お前なんか誰にも相手にされないからな」と捨て台詞を吐いて去って行った。
今までなら気にもとめなかったが「誰にも相手にされない」という言葉を聞いた時、真っ先に昴ちゃんが頭にいた。
昴ちゃんに相手にされないのは嫌だと思ったらたまらず不安になり、クラスメイト達には気分悪いから帰ると言って帰ると昴ちゃんのバイト上がりまでにお風呂も全部済ませてすぐに電話をして開口一番「ムカつく。ナンパされた」と報告をした。
昴ちゃんは「ナンパ?何処で?」と心配そうに聞いてくれる。
これが父や鷲雄なら「は?自惚れんな」と言われる。
やっぱり昴ちゃんの声を聞いていると癒される自分がいるのがよくわかる。
癒されて行くと心の中は「誰にも相手にされない」という言葉と昴ちゃんからも相手にされなくなるという不安で私は半ベソをかきながら「私…、一生1人かな?」と言った。
昴ちゃんは慌てて「大丈夫だって、良さに気付ける人はいるよ」と言ってくれた。
誰それ?昴ちゃん以外にいるの?
私はその気持ちを込めて「いい所って?」と聞くと「んー」と言って言葉を選びながら「…話しかけ上手だし、なんか変な裏表もない。話し上手でずっと話を聞いていられる」と答えてくれた。
話しかけ上手?裏表がない?話し上手?
驚いた私はそのまま「初めて言われた」と言ってしまう。
そうすると優しく笑った昴ちゃんは「俺のバイト初日、忘れたの?」と言って私がやった「以前大学で会いましたよ?」と言った話を出してきて説明してくれた。
確かに、あの話しかけ方は良かったのかも知れない。あれがあったから今があるのだろう。
何となく今日は一歩踏み込んだ話がしたかったので恋愛の話をしてみた。
「どうしたの?」と言う昴ちゃんのペースで私は「恋愛とかあるからナンパ男が声をかけてくるんだと思うんだよ」と言った。
話しながら本音で「恋愛って面倒だね」と言う。
物凄いワガママだけど、自分達以外の人達は他所で好き勝手やって欲しい。
私と昴ちゃんの邪魔をしないで欲しいと思えていた。
この気持ちは伝わらないだろうが昴ちゃんは「そうだね。言った言われた、何したどこ行ったって騒ぎすぎだね」と言ってくれる。
本当ならもっと堂々と付き合って独占したい。
でも今すぐは無理なのは分かってる。
タバコの本数を1本減らすように努力をしてみたがうまく行かない。
禁煙外来なんてものがある理由もよくわかった。
私はほんの少しだけ話題を変える。ナンパ男の言葉を使って誰にも相手にされない世界、一人ぼっちの世界をイメージして「ねえ、ずっと1人だったらどうする?」と聞いてみた。
昴ちゃんは「俺はずっと1人かも。だからずっと1人ならではの楽しみ方を見つけないと」と言う。
とても優しい言葉。昴ちゃんの世界。
私は「そっち?後ろ向きじゃない?」と言って自分がいるアピールをする。
「そうかな?亀川は?」
「よくわかんない。でも今日のことがあるから誰にも相手にされないのは怖くて恋愛とか出来ないかも」
だからずっとこの関係で居て。
それでタバコを辞められたり、凄い薬が出来て昴ちゃんがタバコを克服したら彼女にしてと心で呟く。
呟いた言葉は昴ちゃんには届かないので昴ちゃんは「そっか、まあ困ったら俺が理解者風に話聞くから安心しなよ」と言ってくれた。
それはこれからもこの関係で居てくれるという事だろう。
とても嬉しい。
でも嬉しいとは言えない。
だから私は「ムカつく」と言った。
「ムカつくの?」
「理解者って所、本当だなって思えたし、理解してくれる人ってこの先何人居てくれるだろう?」
本当にこの先理解者なんて現れるのかわからない。
昴ちゃんは最初で最後の私の理解者かもしれない。
昴ちゃんは「平気だよ。1人でも居れば心強いもんだよ」と優しく落ち着かせるように安心させるように言ってくれた。
嬉しかった。
だからこそ私はまた「ムカつく」と言う。
「何に?」
「嬉しいって思った事に」
昴ちゃんは少し嬉しそうに困った声で「素直に喜びなよ」と言う。私はこの声には敵わない。素直に「そうする」と甘えた声を出していた。
夏の終わり、就活関係で学生最後の夏が終わるとクラスメイト達が悶々とした声を出していた。
確かに社会人になると何十年と1週間くらいの休みに感謝をするようになり、学生時代のように1ヶ月も休みが得られたりしない。
それはよく分かる。
だが正直関係ない。今年の夏は20年の人生で一番の夏になった。
優しい言葉に包まれて、自分を受け入れて貰えて、話を聞いてくれた昴ちゃんが居た。
悶々としたクラスメイトが近くのターミナル駅で最後の夏だから飲み会をしようと誘ってきた。
正直乗り気はしない。
私は昴ちゃんに会って世界が一変して、クラスメイト達との話についていけていないし昔ほど無理について行こうと思っていない。
だがよくつるんでいた4人で飲み会しようよと誘われれば断れない。
私はその日の電話で飲み会に誘われた事を話した。
昴ちゃんは優しく「適量にしなね」と言う。
これが父や鷲雄なら「阿保か?」「ガキが生意気言ってんじゃねぇ」とダメだしから入る。
私は昴ちゃんの優しさを裏切りたくない気持ちで「うん。大丈夫だよ。学校の友達に誘われただけだから安心してね」と言う。
これではまるで恋人同士みたいだ。
昴ちゃんはそこには触れずに「わかった。でも女の子なんだからハメ外し過ぎないでね」と言ってくれた。私は引き留めて欲しい気持ちもあったが優しい言葉に「わかってる」と返事をした。
ここで父や鷲雄にキチンと言えばよかった。
過干渉でガサツな2人が乗り込んできてダメ出しされて友達に「ごめん、親がダメだって…」と断れる流れにすればよかった。
そう思ったがそんな行動を取ってこなかった私はお母さんにだけ「学校の友達」「うん」「いつもの3人と」「うん。わかってる」と言う会話だけで飲み会を伝えていた。
雲行きが怪しくなったのは昴ちゃんと連続して話してしまって電話しにくい日、友達から詳細が届くと集合はターミナル駅に21時着だった事が始まりだった。
正直19時開始、22時解散。
帰り道は昴ちゃんに電話をしながら家まで帰ろうと思っていたのに話が変わってしまう。
今更断りにくいし、このまま昴ちゃんに会えないで飲み会に行くのは嫌だったのでバイトの休みを取り消して、時短で入らせて貰って昴ちゃんに事情を説明した。
昴ちゃんは平静を装いながらもタバコを我慢する時みたいな顔で「そうだったんだ。急に言われても困るよね」と心配をしてくれた。
私はまるで浮気を疑われる彼女みたいに「友達と居るから平気だよ」と必死に弁解をする。
昴ちゃんは「夜遅いとは思わなかったよ。女の子なんだから気をつけなね」と言ってくれた。
私が「うん。電話は無理でもメールは入れるよ」と言うと昴ちゃんは「わかった。何か困ったら言うといいよ」と言ってくれて見送ってくれた。
私は気乗りしない中嫌々と駅に向かう。
でもメールでは普通に「電車乗った」「目的地到着!」と送っておく。バイトあがりに読んで返事をくれるだろう。
先に来ていたクラスメイトに「ずっとメール見てるね?彼氏?」と聞かれた。
「微妙な関係。でもすごくいい人」と言うと他のクラスメイトが「あちゃー」と言う。
その顔を見て嫌な予感がした時、最後の1人が男を4人連れてやってきた。
何でも飲み会ではなく合コンをセッティングしていて、相手の男が4人で人数合わせの意味もあったし、そもそも去年4人で出かけた時の写真を見た男の1人が私が居るなら合コンやろうという話になったという事、最後の1人が合コン相手の男と仲良くなりたいから、今日の飲み会は外せないと意気込んでいたと言う。
この段階で昴ちゃんを裏切った気になって愕然としたが、同じく巻き込まれたクラスメイトからは「最初の店だけ、ね?お願い」と言われて断れずに参加をする。
その間も昴ちゃんからは「こっちは終わり」とメールが来る。
私は相手の男達を無視して「お疲れ様、早く帰ってゆっくり休みたまえ」と返す。
違う。
「大変な事になった。迎えに来て」
そう何回も入力をしては消している。
助けて欲しいが巻き込みたくない。
これが鷲雄なら後での大説教は不可避だが、間違いなくこの場は「あ?お前何俺の妹に色目使ってんの?消えろ」と凄んでくれるだろうが昴ちゃんは優しすぎる。
真剣に話し合いで解決しようとして真面目に説得をしようとして大変な目に遭う。
だから平静を装った。
すぐに返信は来て「今晩は話し相手が居ないから時間が中々過ぎないかもね」と来た。それだけで泣きたくなった。本当にタバコなんて覚えなければ良かった。
私は「え?寂しかったらメールしてきなよ」と返して少しでも昴ちゃんと長くメールをして飲み会が過ぎ去るようにしたかった。
一次会はよくあるチェーン店でビールが大ジョッキで出てきた。
酔わせて何をするつもりだと不安になる。
その時の昴ちゃんは「飲み会中にメールばかりしていたら友達達に悪いよ。だから程々にするよ。普段なら音消すけど今晩は音を出しておくから困ったら言うといいよ」とメールをくれていた。
そうだよね。この場に男が居るって思わないもんね。
優しい昴ちゃんらしいメールだった。
私が「ありがとう」と返すと、向かいに座った男が「何?彼氏?彼氏いるの?」と聞いてきた。
私は「そうだよ。とてもいい人」と返事をしてビールを飲む。苦いだけで美味しくない。きっと昴ちゃんとなら「苦…くない?美味しいかも」と言ってがぶ飲みしてしまうかも知れない。
「え?貴子ちゃん彼氏いるの?」
馴れ馴れしい男の言葉。
「え?知らなかったよ?」
「うん、言ってないからね。5月くらいからずっとデートもしてるし毎日電話もしてるよ」
場の空気が悪くなるがもう知らなかった。
そうしたら馴れ馴れしい男は私を無視して横に座った巻き込まれたクラスメイトに猛アタックを始めていた。
この後、昴ちゃんとは6回メールをした。
私からは全部「何してるの?」で昴ちゃんは「時間を持て余してる。いつも電話してたから1人で居る時は時間が過ぎるのって遅いって思ってた所。まだ22時半」「今までのメールを読み返してたよ。前に買ったウサギの置物は亀川の机にピッタリだね」「風呂に入ってた。ようやくサッパリしたよ」「洗濯物を畳んでた。久しぶりにスッキリした部屋になったよ」「布団に入る所」「まだ起きてるよ」で最後に「おやすみ」と入ってきた。
この頃になるとビールがようやく空になり、口直しに甘くて飲みやすいお酒を勧められた。
そうして結局ラストオーダーまで捕まっていた。
帰るタイミングを逃した私は終電を逃してしまい困っていると、ひと駅先で独り暮らしをしている巻き込まれたクラスメイトが「帰ろう?」と誘ってくれた。
ここで馴れ馴れしい男2名があわよくばと、ホテル街の方に連れて行こうとしたので蹴り飛ばしてクラスメイトと一緒に帰った。
「ごめんね」
「謝る事ないって、私達巻き込まれた被害者だよ?」
「彼氏さん平気?」
「彼氏じゃないんだよ」
私は落ち込みながらコンビニでお水を買うついでにクラスメイトに愚痴を言う。
愚痴を言いながら恋人同士になれない決定的な問題のタバコを吸っているのだから笑えない。
クラスメイトは「そっか、タバコが苦手な人だけど亀ちゃんはタバコを辞められないんだ」と言ってくれる。
私は「うん。それなのに飲み会に男がいたなんて言ってないし、何回も心配してくれたのに平気って返しちゃったよ」と言った所から先は何も覚えていない。
後日、クラスメイトに聞いたら度数の強い果実酒をこれでもかと飲まされていたらしい。
本当に危ない所だった。
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