第三話 本当の目的
どうしてあそこで素直に「えぇ」と答えてしまったのだろうか?
どうして今、彼と並んで歩く羽目になっているのだろうか?
......もしかしたら私自身、久しぶりの『街』に気分が上がっていたからかもしれないし、彼の軽快な喋り口に好感を持ったからかもしれない。
ひょっとしたら、お腹が空きすぎていて、多少ボーっとしていたからかも......? ......なんてね。
何でか、と聞かれても、そんなこと私にだってわからないよ。
でもただ一つだけ、はっきり言えることがある。
「これは、一目惚れなんかじゃない」
恐らくは、私の深層心理――「本能」が、私をそう仕向けたんだろう。
......多分、恐らくは、だけれども......――。
......――自己の利益のために。
後から考えれば考えるほど疑問は絶えないけれども、まぁ、実際こうなってしまったんだから今更仕方ないよね。
......、つまり今、私は彼と並んで『街』の雑踏の中を歩いている。
実際に話してみると、彼は思いのほか話し上手・聞き上手で、なぜか違和感なく二人の会話を楽しめた。知らないヒトと話すのが苦手で、いつも相手を前にすると口ごもってしまうような私でさえ、彼に対しては素直に話ができた。
多分これも、その美貌と合わせて、彼の生来の才能の一つだろう。
......もちろん、適切な距離は保ったけれど。
こんな素性の知れない相手を信用するだけ無駄だし、そもそも馴れ合うつもりもない。良くても、ただほんのひと時の話し相手に、くらいに思っていた。
......まぁ多分、相手の方ではそうは思っていないだろうけどね。
今まで『街』でこういう展開になることは滅多になかったけれども、その少ない機会も常に一つの形で終わりを迎えた。今回は、そうならないことを祈ってる。
まぁ勿論、すべて『私』の気分次第ではあるんだけれども。
あまり、気持ちの良いことじゃないしね......。
とはいえ、ここには「今の時間」を純粋に楽しんでいる自分がいるのも、また事実であって......。
......っ、元来、私には「友達」と言えるヒトが、その、う~......多くは、ない訳だし。「夜の散歩」なんて趣味を持ってる時点で察せられるべきなんだろうけど、お世辞にも社交的な性格とは言いがたい。そんな時に、リラックスして話せるような相手がいたら、そりゃあ一時的には、単純に嬉しくなっちゃうもの、......でしょ?
とはいえ、そんな自分の可愛い本音が言うことを、真に受ける訳にはいかなかった。
それには、私自身の安全も掛かっているのだから。
結局今、私達二人は『街』の雰囲気に浸りながら、並んで歩いている。望んだ状況ではないが、ここまではまぁいい。
彼は意外と紳士な相手で、私は一瞬不覚にも、彼を本気で善人かと勘違いしそうになった。
そんなことなど、彼の瞳を覗き込めば誰だってすぐに演技と分かるのに。
「『街』で迷子だった女の子を助けてくれた、優しいお兄さん」とでも言ったところか?
よく知らないけど、ライトノベルのタイトルか何かだろうか?
――全く、面白くもないわ。
そんな偽善者みたいな奴がいても、一生口など聞きたくない。
それにやはり、彼の目的は提灯の火のように透けて見えていた。
ナンパ男とは所詮、そんな生き物だ。
そのことは、さっきからずっと、同じ場所をグルグルと回り続けているところからも簡単に想像がつく。
私は知ってて何も言わないだけだけど、彼は得意顔で「こっちに面白いものがあるよ」などとほざいている。
多分、彼の頭の中で私は「迷子の子猫」設定なのだろう。まぁ、ギャルでもないような私を見れば『街』にいる時点で、そう思うのも無理はない。
なので、彼としてはこれはしめたとばかり、私の見知らぬ(と彼が勘違いしている)ような『街』を案内するふりをしつつ、相手の懐に入り込み、そして――。
......カスだ。それ以外に言いようがない。
ナンパ男なんて、所詮みんなカスだ。
とはいえ「演じている」という点では、私も彼と同じなんだろう。
今も表向きは「へぇ~、ココってすごく綺麗なところなんですね!」なんて白々しいことを語っているけども、内心では『この大通りはついさっき逆向きに通ったばかりよ、よくバレないと思ってるのね』なんて毒づいている。
まぁ、お互いに騙し合いをしている、という訳よ。
でももうさっきまでのように純粋には『街』を楽しめなくなっていた。
それに、お腹は依然として減ったままだし。
あ〜、......もう嫌になりそうだ。
そんなふうに考えつつも、私は彼が行動に出るのを、ひたすら耐えて待ち続けた。
そこまでは我慢、そしてその後で、これからどうするかを決めるとしましょう。
歩き始めて1時間を超えたあたりで、彼が心なしか、ソワソワし始めた。
あ〜、もう我慢の限界なのね、と私は内心冷ややかな目で彼の顔を見上げた。
最長の人は、2時間近くも耐えたことだってあったのに、ね。
......どっちにしろ、このケダモノめ。
私だって、1時間も嫌な相手と歩いていると、流石にイライラするものだ。
それに、お腹はさらに減ってきて、まるで真空状態になりそうだし......。
確かに、久しぶりの『私』の方も、そろそろ我慢の限界かもね......。
――......ねぇ。
ゾットするほど低い『私』の声が、不意に耳元でそう囁きかけた。
――もう、茶番は結構じゃない?
......私の理性は、その声に必死に反論する。
『彼をむやみに巻き込むことは、ないじゃないの。最悪なら、いきなり走って彼を引き離せばいいんだし。そもそも私たちは軽食のために『街』に来たのであって、そんなことをするつもりはないわ。後先考えず、彼に変なことしちゃダメよ?』
だが、私の中のもう一人の『私』は、そう簡単には引き下がらなかった。
――でも、彼のせいで『私たち』は今夜『街』を全く楽しめなかったでしょ? 結局いい店も見つけられなかった訳だし。その代償くらい、払わせるべきだわ。
......痛いところを突かれた。
だが、理性はすぐに反論する。
『......そんなこと、『街』に来るならしょうが無いじゃない。いつものことでしょうが。アナタ、いっつもそうやって自分の欲望を満たそうとしてるわよね』
――知った口を聞くじゃない。忘れたの?『私』は『貴方』なんだから。
夜闇の中、長い間この時を待っていたのは、貴方も同じの筈よ。
『くっ..................!それは、..................っ!』
――さぁさぁ、変な尻込みしてないで。サッサと済ませましょう。
そうかからないわ。この『私たち』に手を出そうとした時点で、彼にとっては当然の報いよ。然るべき懲罰だわ。
もう一人の方の冷酷な『私』が、私の心の中で鎌首をもたげた。もはやその声は囁き声ではなく、私の理性の中心にまで響き渡っていた。
――『貴方』も実は不満なんでしょ。さぁ、もう抑える必要なんてないわ。ここでは夜闇が一緒なのよ。『貴方』が恐れるようなことなんて、起きっこない。闇夜に染まった『私』の存在が知られることはない。本当の『私』の存在はね。
..................私の理性はついに、裏の『私』に敗北した。
『......分かったわよ。今夜の所は、とりあえずアナタに任せるわ。でも、やり過ぎはナシ。あくまで羽目を外さないように、一応の「女の子」として、しっかり自律して行動するようにね?』
――勿論! そうよね、『貴方』はそういう
『えぇ......。じゃあ、あとはよろしくね......。決して、彼と無駄に遊んだりしないように......。』
――えぇ、じゃあここからはこの『私』が主導権を握らせてもらうわ......――
― ― ―
『私』は、私との会話を終えると、歩きながら大きく伸びをした。
隣を歩く彼の視線が『私』の大きく反った腰に向かっているのがハッキリと分かる。
まぁ確かに、あの可愛い方の私の言うことも、あながち間違いじゃないわね。
コイツはケダモノよ。見た目だけ取り繕ってる、ただのカス。
だから......そんな奴には、お仕置きが必要よね?
『私』がちょっと、その取り立てをしてあげるわ......。
別に、何らおかしなことじゃないよね?
「ねぇ、ちょっと?」
『私』が声を掛けると、彼は振り向いた。
『私』はちらっと、周囲の人の視線がこっちを見ていないのを確かめると、わざと殊更にひっそりとした声で続けた。
「見てほら、あそこに――」
『私』の指さした方向、一際目を引く美しいネオンの看板の方向に、彼が首を回した瞬間――。
『私』は車道側を歩く彼を、すぐそばの路地へ力任せに引き込んだ。
路地の夜闇が、『私』たち二人を包み込んだ。
路地、とは言っても、そこは2つの建物の間にある、たった数メートルほどの隙間だ。足元には、建物内の店のものである四角い室外機が設置してあり、すぐ頭上には煤けて曲がっている排気管が壁から突き出している。地面には濁った小さな水溜りがあったりゴミが散乱していたりと、全体的に不潔な雰囲気が漂っていた。
普段は、こんなところに入るのは好きではない。ここの臭いなどは『私』の嫌いな部類にさえ入る。『私』が好きなのはここに棲まう夜闇の存在で、決して不潔な場所などではない。ある意味それは『街』に対しても同様だ。
とはいえ、時にここは最高の隠れ処にもなりえた。夜闇が周囲を取り巻いき、『私』たち二人の姿を隠してくれるからだ。
『私』は、夜闇が自分の周囲で強まるのを感じた。
決して厨二病ではない。
「――ここは......、えーと、どこかな?」
彼が、そう言って『私』を見下ろしてくる。『私』はその声を無視して、彼の腕を掴んだままずいずいと歩を進めた。彼は抵抗などせず、大人しく『私』に引かれるままに、路地を奥まったところまで付いてきた。
たぶん薄々、この後の展開を勝手に想像でもしてるんだろう。
それは恐らく『私』の方の想像とは違うだろうけど、ね。
通りから十数メートルほど突き進んだところで、『私』は勢いよく立ち止まると振り返り、彼の顔を見上げた。
止まりきれなかった彼が、勢いに乗って『私』のすぐそばにつんのめり、ようやく立ち止まる。
これで『私』は彼の間合いに入れた。
彼の顔から目を離さずに、それとなく周囲の様子を探る。
表通りの喧騒はここまで届いており、彼の背後では、電光のきらびやかな輝きや、道を行き交う通行人の影が、遠い路地の入り口から細く覗いている。
だけど『私』たちの他には、ここには誰もいなかった。
これは都合がいい。誰もいないに越したことはないからね。
「さぁて、......」
『私』はそう、彼に切り出した。
「貴方はここで、何したい?」
とびきり可愛い笑顔を意識して、そう言ってみる。闇の中、彼の顔がちょっとばかり満足げに歪むのが見えた。正直言って不快だったが、それを表情には出さない。
「うう〜ん、そうだね、例えば――」
「――例えば......、こんなこと?」
『私』は何か言いかけた彼を遮ると、爪先立ちになり、彼の首元に軽く自分の唇を触れさせた。
彼が大きく目を見開いたのが、闇を通してハッキリと分かった。しかし直後に、その顔にニヤッとした、実にいやらしい表情が浮かんだ。
「貴方が好きよ」
『私』はそう、彼の耳元で妖艶に囁いてみせた。そして、片手の指を彼の首筋に沿って這わせた。
彼の顔が恍惚としたものに変わり、その手が『私』の肩に触れる。
実に穢らわしい。
......でもその時、ふと思った。
――......結局『私』は、母と同じことを繰り返すしかないのだろうか?
だが――
――えぇ、茶番はもうこれで終わりよ――
闇夜が『私』にそう告げ、『私』はそれに従った。
『私』は一瞬、彼の顔を上目遣いに見上げてサッと目礼すると――、次の瞬間、彼の首筋に再度勢いよく唇を押し当てた。
――ただし今度は、歯も一緒に突き立てたが。
「――なっ......!? おいっ、一体何をするんだ......っ!?」
彼は反射的に体を跳ねさせ、『私』を突き飛ばすと路地を後退りして離れようとした。
......離れようとした、が。
「......あっ、ああっ......あああっ......っ!」
『私』の目の前で、彼の四肢が急速に萎えていく。なんとか『私』の前から逃げようともがくものの、その指の先から次々と力が抜け、徐々に徐々に弛緩していく。
恐ろしい眺めだった。まるで、麻酔にかけられた患者が必死に手術台から逃げようとしているような......。
まぁある意味、その例えも間違ってはいないだろう。
『私』が見下ろす中、ついに彼の身体が地面に横たわり、動かなくなった。
悲鳴一つ、上げさせなかった。
やっぱり『私』の生体麻酔毒の効果は抜群ね。一瞬でホラ、あっという間にハイ、コロリ。
口内に感じる薄い鉄の味をじっくり堪能すると、横たわる青年の首筋にある、2つの紅い噛み跡をジッと見つめた。
そして彼の側に片膝をつくと、恐怖に凍りついた彼の眼の上で必死に痙攣する瞼を、そっと下ろした。
彼女の眼はいつの間にか、血で塗り込められたように真紅に染まっていた。
そこにいるのは、もはや孤独な一人の少女ではなく、夜闇に取り込まれた一匹の
常に二人で、一つの存在なのだった。
一陣の夜風が吹いて、彼女の髪を大きく膨らませる。
美しいその顔を縁取る夜風に耳を傾けると、彼女は「食事」を開始した。
静かに血を啜る音が、路地に不気味に響いた。
だが、その音は通りのきらびやかな喧騒に掻き消されてしまい、誰かが闇を覗くことはなかった。
「だってね『私』......、お腹が空いちゃったんだもの」
この『街』の煌めきは、闇夜と上手く溶け合っていた。
夜風 Slick @501212VAT
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