最終話 納得いかない!けど……もう、しょうがないなあ
姉小路は、女子としてはやや長身のすらりとした姿勢に、うなじの後ろで束ねた黒髪を揺らした、細面の美少女に変わり果てていた。その上以前と同じくフレームの細い眼鏡を中指で押し上げる様が、困ったことに僕の好みにピンポイントで突き刺さる。
「何言ってるんだよ、私が姉小路
女子生徒になってしまった姉小路を前にして、僕は極度の驚愕と緊張に身体全体を強張らせてしまっていた。そんな僕を見て姉小路は最初訝しみ、やがてもしやという顔で左の掌に右の拳をぽんと置く。
「もしかして、お前の知る私は、本当は男だったとか?」
その言葉に僕は声を発することも出来ないまま、何度も首を縦に振る。すると姉小路は腕を組んで、納得したように頷いた。
「マジかあ、自分では全然わかんないもんだなあ。生まれたときから女の記憶しか無いぞ。これはやっぱり、昨日あいつに会ったせいかな」
「あいつって、まさか」
「この前話しただろう? 小説のモデルにするため、大棟に取材したいって」
にやりと笑ってみせる姉小路の仕草が妙に可愛いので、思わずどぎまぎしてしまう。そんな僕の様子に気づく様子もなく、姉小路は考え込むように顎先に指を当てた。
「しかし私が男から女になるって――まあ実感は全くないんだけど、お前からしたらそういうことなんだろう? だとしたらお前が言ってた、この小説世界の作者はいったい何考えてるんだ?」
姉小路はぴんと来ていないらしい。だが僕には思い当たる節があった。
地味で平凡で陰キャなはずの大棟凡人が、どういうわけか美少女たちに囲まれていく――どうやらこの小説世界は、漠然としながらもそういうコンセプトの下に書き綴られている。そしてそんな彼に興味を抱き接触しようとする四人目のヒロインに、姉小路恵は選ばれてしまったということなのだろう。
それにしてもこの作者は、主人公以外は完全に美少女で固めてしまうつもりなのか。ろくにプロットも考えない、その上安易にヒロインを増やしていこうというそのスタンスには辟易するしかない。お陰でせっかく増やした個性あるヒロインたちが、単にひとつひとつのエピソードを運んでくるゲストキャラにしかなってないじゃないか。あらかじめ伏線のひとつふたつでも張っておけば、もっと話を膨らませることも出来るだろうに。それともこのさくっとした読み味が昨今の潮流だというのか。
「納得いかーん!」
思わず口を突いて出た僕の言葉に、姉小路が眼鏡の下でぎょっと目を見開く。その顔を見てどうにも羞恥が極まってしまった僕は、そのまま踵を返すと文芸部の部室から飛び出していた。
◆◆◆
何に納得いかないのかといえば、何もかもだ。
この世界をどうやら適当に書き殴っているらしい作者の無分別には、散々振り回されている。頼むから勢いで書くのはやめてくれよ。そのせいでお前にも認識されていない僕は、毎度口から心臓が飛び出るような思いしてるんだよ。
しかも女性化させるのが、なんでよりによって神宮寺薫と姉小路恵なんだ。
大棟凡人なんか目じゃない、真の陰キャであるこの僕にとって数少ない友人を、女子生徒に書き換えるとは。そんなことしたら、そんなことしたら――僕が喋りかけられないじゃないか!
自慢じゃないが同年代の女の子とまともに口をきいたことなんて、小学校を卒業してからは一度も無いんだぞ! 同年代の女子とまともに顔を合わせようものなら、緊張で舌がもつれて、えづくみたいな声かさっきみたいな叫び声しか上げられないんだよ!
どうしてくれるんだ。これじゃもう、文芸部に足を運ぶことも出来ないじゃないか。わかってるのか、クソ作者。お前が考え無しに余計なことしてくれたせいで、僕のささやかながらも充実していた高校生活はめちゃくちゃだ。
窓から差し込む日差しも傾きかけた放課後の校内を、僕はあてどもなく駆け出していた。そのときの僕が相当に混乱していたことは間違いない。校舎のどこら辺を駆けているのか、そこが廊下なのか階段なのかも気づいていなかったのだ。
だから階段を昇る途中で足を踏み外してしまったとしても、それは当然のことだった。
そういうときって声も出ないもんだ。というよりも自分がいったいどんな状態なのかもわかっていない。ただ突然視界がぐらついて、いつの間にか天井を仰ぎ見ていることに気がついた僕は――
「危ねえっ!」
その声と共に、背後からがっしりとした腕に抱き止められていた。
いったい何が起きたというのか。おそるおそる振り返った視線の先には誰あろう、あの地味で平凡な陰キャを自称する大棟凡人の顔があった。
「おい、大丈夫か?」
そう言って心配そうに覗き込んでくる大棟は、前髪の隙間から覗く目つきが意外なほど凜々しい。
「あ、ありがとう」
「なんだか凄い勢いで駆け上ってくと思ったら、途中でコケるとか洒落になんねえぞ」
半ば咎めるような口調も当然だろう。確かに彼の言う通り、無我夢中で階段を駆けるとか危険極まりない。大棟がこうして抱き止めてくれていなかったら、大怪我しても仕方の無いところだ。
だから大棟に力強く抱きしめられているのも、仕方の無いことなのだ。
その、彼の右手が胸をしっかりと掴んでいたとしても、仕方の無いことなのだ。
「わ、わ、わ、済まん! いや、わざとじゃないんだ! これは不可抗力って奴で」
そのことにようやく気がついたらしい大棟が、驚いて腕を放す。その慌てふためく素振りは、心の底から本当に申し訳なさそうだった。
「わかってるよ。事故だよね、事故。助けてくれたんだから、気にしてないよ」
「そ、そうか。そういえばお前、同じクラスだよな。じゃあ、また明日な」
ピンチを救ってくれたはずの彼は、ぎこちない笑顔を見せてから、慌ててその場から去っていく。その後ろ姿を見ながら、私の手は思わずセーラー服の胸元のリボンに手を伸ばす。
「大棟って、あんなにかっこよかったっけ……」
危ないところを助けてくれた恩人に一目惚れなんて、単純過ぎるもいいところだと、そう思っていた。
でも私、自分でも思った以上に単純な女の子だったみたい♡
(了)
地味で平凡で陰キャなはずが美少女たちに囲まれてしまうのにはカラクリがある! 武石勝義 @takeshikatsuyoshi
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