時計

 日露と連戦続きで景気が良く、日本では輸入品を扱う変な商売人が増えだしたころのこと。

「…とまぁ、そんなわけで、この中国から渡ってきたカッパの手、煎じて飲めばどんな奇病も治すといわれ…」

 胡散臭い行商人が機関銃のように喋っている。いい加減帰ってくれないかと喜助がうんざりとしていたとき、大きな欠伸で親父が横から話しを中断した。

「わり~な。忙しいから他をあたってくれ」

 帰れと遠回しに言っている。行商人はその意味をすぐに理解し慌ててカバンから色々なものを取り出してあれやこれやと物を勧めてきた。いい加減に帰れよと喜助も思い詰めていたが、親父がうんざりとした顔から急に眼の色を変えてそれだったら買うぞと指さした。

 親父が興味を示したのはカバンの中ではなく、行商人が腰に下げていた外国の時計だった。

 行商人から受け取るとまじまじと品定めをする。喜助も邪魔しない程度で横からのぞき込む。

 壊れてはいたが、立派な細工から高価なことはすぐに分かった。行商人は眉を潜めたが、さすがは商売人。親父は渋る相手から三割値切り、処分に困っていたガラクタまで押し付けたのだった。

 親父は上機嫌だったが、壊れて動かない時計の何がいいのか解らず、

「カッパの手は何で買わなかったんだよ。見るかに本物ぽかったよ」と漏らすと、

「あんなもん猿かなんかの手に細工した紛い物に決まっているだろう」と言い切られてしまった。


 翌朝、食卓で親父が「好かん!」といった。

 家族全員が固まった。

 親父の「好かん」は「良くない」という意味で、機嫌が悪い時にも使われる言葉だったからだ。

 親父は朝食に箸もつけず家を出ていった。

 朝食は親父の好物ばかりで、なにが気に食わなかったの心当たりがなかった。

 思い返すも数日前から特に叱られるようなことはしていない。なにより、昨日はあんなに上機嫌だったのに…家族みんなで首を傾げていた。


 店番をしていると、親父が夕暮れに帰ってきた。

 どこに行っていたのか聞くと親父はため息をついた。

「信じられねぇとは思うが、俺は今日を五回繰り返している。寝て起きたらまた今日なんだ…」

 喜助は驚きもしなかった。

 それよりも初めて親父の弱音に心底驚いた。


 行商人が帰った後、飯にありつくことなく、親父は自室にこもり、時計の中を開けた。

 そこにはわざと歯車が動かないようにネジのようなものが詰められていた。そのネジは何だったのか現物がないため説明はできないのだが、一般的に復旧しているものとは違っていたそうだ。

 親父はそれが、どういったものなのかなんてとっくに気づいている様子だった。

 気づいていたが、ネジを抜き取ってしまった。そして止まっていたはずの針が動き出した。

 その引き換えか親父は次の日を繰り返すという生き地獄を味わうこととなってしまった。


「あぁ~わかったいてんだよなー憑いているって…なんでかなー…いけると思ったんだが、まさかこうくるとは…」

 自分の好奇心と最近天狗になっていたことを悔やんで愚痴った。


 時間が巻き戻る少しの間だけ、親父は不思議な夢を見ていたという。

 ベッドに横たわる女の人とその横で時計を作る男の人の姿。二人とも親父が見えていない様子で作業を続ける男と、まったく動かない女。そして、男は哀し声でこう告げる。

『共に時を刻もう。それが叶わぬのなら、いっそのこと時が止まってしまえばいい』

 そんな願いが聞こえときには朝だったという。


 顔を上げ頭をボリボリと掻く。

「俺の負けだ…仕方がない…」

 そう言って親父は、納屋から金づちを持ってきて思いっきり振り上げた。

 喜助が声を上げるより早く槌(つち)は振り落され、時計は無残にも砕かれた。

「なんで!? あんなに気に入っていたのに!」

 喜助が親父の顔を見上げると、覇気のない顔と声で

「いいんだよ、最悪こうしてくれってさ…」

そう呟いた。

 親父は緊張の糸が切れたかのようにその場に倒れるように寝てしまった。親父の顔は長く眠っていなかったかのような青白く痩せてしまっていた。

 喜助の心配をよそに、親父は数日ぐらいたつと元に戻り、いつものように商売魂を見せつける。


 それにしても時計に霊が憑りついている理由や親父が霊とどんな勝負や約束事をしたのかはわからず、親父に聞いても「ガキが聞く話じゃねぇ」とあしらわれるだけで生涯詳しくは聞けなかったそうだ。

 だけどどこか知っていたのかもしれない。

 親父の五日間は、時計のために霊のために走り回っていたんだろう。

「…ッとになんだよ。店まかせっきりにしといてガキ扱いかよ…」

 そうふて腐れたが翌日喜助は、初めて自分から蔵掃除の手伝いをしたそうだ。

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おじいさんの質屋 黒白 黎 @KurosihiroRei

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