人形
店から親父と客の話声が聞こえてきた。
チラッと覗くと一組の夫婦がいた。
友禅の着物、パリッとしたスーツにきっちりと整った髭。この人たちは裕福な人だと感じた喜助はチョコ(当時は高価なものだった)でももらえるではとすかさず茶を用意して親父の後ろから「粗茶ですが」と茶を差し出した。
普段、ようもないのに店をうろつくなと言われているため、こうでもしないと自分の存在感をアピールできなかったのだ。
喜助の腹の中が読めている親父は、眉を寄せて邪険にしたが、跡継ぎの勉強だと言えば客受けもよかったため、親父はそれ以上に何も言えず、居座ることに成功したのだ。
客が売りに来た商品は、立派な日本人形だった。
着せ替え人形で立派な着物が何着もあり、素人目でも高価なものであることがわかる。
親父は眉間を寄せて「好かんな」と一言を発した。
親父の『好かん』という言葉は、『良くない』という意味で使う。ダメ出しや説教のときでも多用することから喜助にとっては好きじゃない言葉だという。
親父は人形からナニカを感じ取ったのか、執拗に人形の出所などを聞いていた。最初は夫婦は濁していたが、親父の説得に観念し、こう話したという。
ある日、蔵を整理していると人形が出てきた。日本人形にしては服が何着も入っていて髪飾りも一緒に入っていたという。蔵は祖父の代から受け継がれており、父や祖父に聞いてもいつからそこにあったのか誰も分からなかったという。不気味に思った夫婦は蔵のゴミと一緒に捨ててしまったようだ。
次の日の朝、起きると仏間に人形が置かれていたという。しかもその人形がぽろぽろと涙を流していたという。燃やしたり捨ててもすぐに戻ってきてしまうことから、怖くて家にもおけずに途方にくれていたところ、風の噂でここへたどり着いたようだ。
親父は腕を組み少し考えるといい、一晩明けてから来るよう伝えたのだが、夫婦は我慢の限界だと言わんばかりに預かってほしいと泣きつけられた。タダで買うわけにはいかないし、なによりも夫婦の気の焦りようからして、珍しく親父は二束三文で買い取った。
喜助にとって結局なんの収穫もなかったうえに親父に店じまいを手伝わされむくれていると「明日お祓いに住職とこに行ってくるから店番頼むぞ」と親父に言われた喜助はさらにげんなりした。
「そんなに良くない物なら断ればよかったのに…」と反論すると「そんなに悪くも強くもないんだが…念には念ってことだな」と親父は自分の部屋へと戻っていった。
喜助は明日の予定を断念し、人形を恨めしく思いながらその日は眠りについた。
その日の夜、喜助は不思議な夢を見た。
あの人形が自分に泣いて縋(すが)るのだ。なにをいっているのかはっきりと聞こえないが、なにかを頼んでいるみたいだった。
朝方、喜助は夢のことを親父に伝えると、親父も同じ夢を見たといった。
喜助と違い親父は人形が何を言っているのか聞き取ることができたらしい。
「この人形にはな、魂が宿っている」
人形の着物を丁寧に脱がしていく。
「見ろ。背中に名前が書かれているだろ?」
喜助は消えかけている文字に目を凝らして読んだ。
長々と前置きの後に『亡き人を偲(しの)んで……トミ』と書かれていた。
「渡知郎から聞いた話だ」
と前置きをして、親父がある伝承を話す。
ある地方では、生まれてくるはずだった我が子の名前を代理として書いたそうだ。その人形が我が子だと思うようにと願いを込めて。そうして気持ちが晴れるまでは自分の子供として接し、その後お祓いをして清めるという。
そう、あの人形は生命を与えられるはずだったトミという名の子供が宿るはずだったもの。だが、親父の話では人形には母親の念が憑いていたという。
子供を流産し、もう子供を産むことができない体になってしまったために人形を供養できずにずっと我が子のように可愛がったことでその残留思念が人形に残り、捨てられることを嫌がったのだろう。
「自分が捨てられると思ったのだろう。あの晩、燃やしたり捨てたりしないことを約束に寺でお祓いを受けるといったから、もうこの人形が泣くことはないだろう」
親父はそう言うと、人形をもって寺へと出かけて行った。
その後、人形はすぐに買い手がついた。
親父は悪趣味の悪い金持ちに、人形を燃やしたり捨てたりしないことを約束させたようだ。その後、人形の行方はわからない。
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