妄想ドッペルゲンガー

やすり屋

第1話

事の発端は、私がふと訪れたコンビニでの出会いに起因する。八月に入り、ますますその脅威を上げていく、かんかん照りの太陽の下、私はジリジリと唸るアスファルトの上をぼうっと歩いていた。干物になった蚯蚓の死体を踏んづけて、そのうだるような暑さにとうとう耐えかねて、そして目についたのが、二十四時間の代名詞、かの有名なコンビニエンスストアだった訳である。


何を買うわけでもなくひたすらに、冷気を求めてふらふらと、吸い込まれるようにして足を踏み入れた小さな世界。自動ドアを通り抜け、せっかくならば、と近場にあった雑誌を手にとって、店員の四角になる位置に立ってページを開き読み始めた。時折鳴る入店の音を聞き流しながら、ペラペラと紙をめくるのに夢中になっていた。しばらく経って、右手に感じていた本の重さが反対の手に天秤を傾けたあたりだっただろうか。すっ、と私と同じくらいの背丈の黒髪の少女が、おもむろに漫画雑誌を手に取り、うつむき加減でそれを読み始めたのだ。その時であった。理由もなく、されど確かに、私は今隣にいる少女に対して、ムズムズとした、抑えがたい衝動をその小さな体の内側に発現させてしまっていた。失礼だとは分かっていたものの、これが好奇心の恐ろしい所で、どうしても抗えないまま、そっと、横目で彼女の方へと視線を向けてしまう。その結果、私の視界が捉えたのは、彼女の読んでいた雑誌の内容が、少々過激であったこと。


「「え」」


そして、寸分違わぬタイミングでこちらを向いた少女と目が合う。その容貌が、毎朝鏡越しに向き合う自身の顔とそっくりで。

なんの変哲もなかったはずの、とある夏の暑い日。

私はドッペルゲンガーに出会ってしまった。





ドッペルゲンガー。自己像幻視、第二の自我、生霊。自分とそっくりな姿をした分身で、それ以上でもそれ以下でもない存在。


「そして、出会ってしまったが最後、私達の内のどちらかが、消えてしまう」


目の前の彼女から、そんな説明を受けたのはついさっきの事。

ふたりきりになれる場所を探し、移動した先は寂れた公園。幸いにも、青々とした葉に覆われた木の影がベンチと重なっており、直接日光を浴びずに済んだのは幸運だった。私は口を開ける。


「それで、どっちが消える?」

「意外とすんなり適応するのね」

「別にいいだろ、話も早くまとまるし」


彼女と会って、根拠もなく確信した。

この話し合いが終わったあとに、きっと本当の意味で両者が残ることは無いのだと。


「先に言っておく、私は消えるつもりないぞ」


彼女の目を見つめて、それでいて離さない。見つめ返されると、本物の鏡を見ているようで、どうにも胸の内側にくすぶっているムズムズが、またうぞうぞと騒ぎ出してしまうのだ。


「あら良かったわね、私は消えたいのよ」


それに対する彼女の返答は、どうにもあっさりとしていて、諦念と悲観と、それらすべてが入り混じったような、つまらないといった澄まし顔が、彼女の考え一つ読み取ることすら不可能にさせていた。


「本当にそれでいいのか」


「ええ、二言はないわ。そっちの方が、なんだか幸せな気がするのよ」


目が覚めたわ、そう呟いた瞬間、目の前の彼女から、ほろほろと、雪のような小さな光の粒子が漏れ出した。私は気味が悪くなって、一度は捉えたはずの彼女の瞳から視線を外してしまった。彼女はクツクツと笑って、それから直ぐに私に背を向けて立ち上がると、陽の光の強い方へと歩き始めた。足音が聞こえなくなって、次に私が振り返ったときには、彼女の姿はすっかり消え去っていて、残ったものといえば、ベンチに籠もったままの彼女のぬくもりだけであった。


 時は過ぎて翌日。昨日と変わらない炎天下、気持ちの整理をつける暇もなく門限の時刻は刻一刻と迫ってくる。

現役高校生の肩書を背負う私は必死に自転車を漕ぎながら坂道と格闘し続けていた。校門を抜けた先に駐輪場が見えてくる。自転車を止め、鍵を勢いよく引き抜き、あたり構わずに駆け出した。ひたすらに階段を駆け上がり、パンパンになる足を気にする余裕も無くやっとの思いで目的地へと辿り着いたのだ。大袈裟に肩を震わせて、体いっぱいに息をする。教室の扉を開けて、始まりの挨拶をしようとして、気づいた。


がらり。

教室には、人っ子一人いなかった。


「……………え?」


きょろきょろと、挙動不審になりながらも辺りを見渡す。机の上にはちらほらと、文具だったりお菓子だったり、まるで先程まで人がいたような痕跡が残っている。窓は開いていて、そこから吹き込んでくる生暖かい風が頬を撫でた。


「何、何、何、なに?」


分からない。何かのドッキリであればいい。ぐるぐる巡る思考を放棄して、思わず廊下へ飛び出した。上から下へ、下から上へ、隅から隅まで走り回って、それでも現実は変わらなかった。私以外のすべての人間が、この学校から消えている。その事実を目の当たりにしたとき、例えようもない焦燥感と絶望感が恐怖心に煽られて、姿の見えない怪物が私の内側を食い破っていく。私以外に認知も認識もされない、孤独な怪物。


「美味しいなぁ、美味しいねぇ」


いよいよ私はおかしくなってしまった。聞こえるはずのない、私の想像の中だけのヤツの声が、本当にあるもののように思えてきてしまったのだ。


「お前は何を言っているんだ」


怪物はこう答えた。


「俺はお前だ。本当はすべてわかっているんだろう」


もう、何がなんだかよく分から無くなっていた。


「俺と話していても自問自答にしかならないぞ。そうだな、一度落ち着いてみたらどうだ」


片っ端から電話をかけていくも繋がらない。ガラス越しに除く景色に人影は見当たらない。メッセージを送っても既読がつかない。街から人間の物音が聞こえない。おかしい。おかしい。おかしい。そんなことはありえない、有り得てはいけないのだ。寂しい、寂しくて仕方がない。私だけがこの未完成の世界に置いていかれたような気がしてならない。


「なんで、ひとりなの」


私の知らない所で、大きななにかが蠢いている。ごうごう、どうどう、ごうんごうんと、私の心をひどく簡単に揺らしている。


「落ち着け、落ち着け」


怪物が私を宥めている。私が私を慰めている。なんとも滑稽な話だ。自身の理性の声を聞いてもなお溢れるこの感情。ならばどうして止められようか。近くにあった消化器を持って、窓ガラスに思い切りに投げつける。破片が周囲に飛び散り、場は無惨な舞台へと変貌した。狂ったように踊る。壊れたものが、二度と戻ることの無いように。


「うふふふふ、あは」








私が我に返ったのは、それから三日後の夜だった。もはや奇跡に等しかった。格好は制服のまま、痛々しい傷口がだけが体のあちこちに広がって、重たい黒で彩られている。私が寝そべっていたのはあの日のベンチ。私が出会ったもうひとりの私、すなわちドッペルゲンガーとの邂逅の場所であった。彼女と交わした言葉は少ないものの、今の私にとってそんなものは些細な事柄なのだ。消え去ったぬくもりに思いを馳せ、そっとベンチの表面を撫でる。恋する乙女のようにうっとりとした表情が、私のナカを満たしていく。


木の葉が風に揺れ、そよそよと流れては動きを止める。冷静になった頭で思考する。何故、私以外の人間が全て消え去ってしまったのだろうか。疑問符が頭の合間を埋め尽くし、足りない脳味噌をフル回転させては仮説を立てていく。宇宙人の飛来、病原体の蔓延、私以外を消滅させる生体兵器-------、そこまで考えて、私は一つの結論に達した。


「これは、夢だ。夢の中だ。」


そうだ、これは夢の中なのだ。そうだ、これは夢の中なのだ。そうだ、これは夢の中なのだ。私の頭がオカシイのも、それで説明がつくではないか。そうと決まれば、夢から覚めなければならない。一刻も早くこんな悪夢から抜け出して、私は孤独を捨て去りたいのだ。


「おい、怪物よ。私の中に巣食う孤独の怪物よ。私はお前だ。お前は私だ。認めてやる。ちゃんと認めてやるから」


そういった瞬間、私の体からほろほろと、雪のような小さな光の粒子が漏れ出した。


「この体をお前にやろう。私には過ぎたものだった。私には本当の肉体があるのだ」


怪物から返事はない。まるでこの夢は蠱毒のようだ。しかし、私はこれでやっと前を向いて生きていけるのだ。


「やっ」


私の意識はそこで途絶えた。






 次に起きた時、私は学校の中にいた。「昼休み終わったぞ」と友人の声。どうやら机の上に突っ伏して眠っていたらしい。寝ぼけ眼をこすり、じっくりと伸びをする。なにか長い夢を見ていた気がするが、その内容は既に忘れてしまった。


「置いていくぞー」


「ちょっと待ってよー」


そう言って走り出す。何ら変わらない、いつもの日常。


私は今日も幸せだ。

明日からも、これからも。


「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」

「おはよう私」


私は今日も、生きている。



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