本文

 見上げるほどに高い石柱が大通りに沿って連なっている。その回廊の一画に、私は茫然と立っていた。


 直前までの記憶がない。しかしどこか見慣れた光景。


「私……あれ? ここって」


 木枯らしに突然、背中を押される。


 咄嗟に隣に目をやると壁際の幕がひるがえり、中から扉が現れた。飾り気もない堅牢な入り口は、未だ冴えない頭でもピンと来る。


 図書館だ。






 本の宮殿というのは、どれも木から造られている。そう思わせてくれるのは、眼前に広がる光景に他ならない。流麗な木目を生かした柱に、緻密な彫刻が施された棚。どれも地味な配色ではあるものの、金や宝石では表せない華やかさがあった。


 しかしこれだけ豪華な内装なのに、今日はなぜだか色褪せて見える。


「そういえば本が飛んでないんだ」


 てのひらを打ち、はたと気づく。いつもならこの葉の無い森の中を飛び交う本達の群れがいない。思い返してみれば、突如現れた幕のせいでそもそもの利用者が少ないのだ。人はいないに越したことはないが、これはこれで物悲しかった。


 普段より澄んだ空気を吸いながら、書架しょかの間を縫うように歩く。整列した本達は実に見事で、棚そのものが一つの美術品のようだった。そんなどれも似たような中で、一冊の本が目に留まる。


 『美人で出来た辞書』なんとも奇抜なタイトル。


「んっ、あっ! と……取れないぃぃ」


 全身を使って手を伸ばそうとも、すんでのところで届かない。もっと身長がありさえすれば……。幼少期から一向に伸びない我が身を恨む。


 あきらめて伸ばしていた腕を戻し、今度は手首の装飾品に触れる。銀製の小さな三角形が三つ連なった代物で、館内の僅かな明かりでさえも鋭い光を放っていた。


 目線を再び本へと戻し、イメージを膨らませる。


 想像。想像ぉ……。


 固く詰められた棚の中から、スルリと目的の本が抜け出たさまを。

 そのままふわりと宙を舞い、私の手中に来たさまを。


「……本は浮かび、手元へときたる__三接」


 頭の中で起きた情景と、現実で起こっている現象が重なり合う。まるで模写した別々の薄紙が同じ一枚の絵になるように。


 直後、手には重たい感触があった。






「“凝脂ぎょうし”は古来より、美しい肌を指す言葉……。うーんイマイチ想像がつかない。まー、今と違って物資も限られてるし、昔の人って想像力が豊かだったんだろうなぁ」


 机に着くまで待ちきれず、ついつい歩きながら読んでしまう。とはいえ今日は人も少ないし、誰かとぶつかることもないだろう。心配の火を早々に吹き消し、再び情報の海に沈む。


 知らない知識に変わった考え。そんな自分に無いものに出会えた瞬間、私はいつも心が躍る。単純に体が成長しない分、せめて精神だけでもと無自覚に意識しているのかもしれない。


 一枚一枚ページをめくるごとに発掘されてく新発見。記憶の引き出しが埋まっていくような充実感。ああ、なんて幸せなんだろう。さっきから指が止まらな……あれ?


 床から鳴る音が変わった。


 もう外まで出てきちゃった? 


 すかさず妄想の泡を割る。依然として木肌の浮き出た柱に囲まれたまま、壁には棚がめ込まれ、その上には胸像やら壺やらが展示されている。館内の延長としては違和感の無い空間だ。だが図書館は先程までいた大広間だけでしている。一体ここはどこなのだろう。


 考えれば考える分だけ背筋に冷たい汗が流れる。言い得ぬ不安を拭うべく、そのまま視線を動かしていると、とある机の上で止まった。ここからでは距離があるため、正確には分からない。ただ赤い紐が巻かれた何かが無造作に置かれてある。


 さっきまで誰かここに居たの……かな?


 わずかに残る人の痕跡に、ほっと胸をなで下ろす。身の安全が分かるや否や、私の興味は机上のに釘付けになっていた。


 一歩、


 一歩、


 また一歩。


 一歩、


 一歩、


 さらに一歩。


 漠然とした期待がだんだんと明確な輪郭を帯び始める。


「これって本……だよね?」


 まな板が二つ折りにされ、閉じるためか真紅の組紐が巻かれている。誰だろうと第一印象は「本」と思わざるを得ない。しかし問題なのは概念ではなく、その素材にあった。


 限りなく透明でありながら、きりがかった表皮の下には、まだ命のあかさを灯している。見るほどに魅せられるその肌は、まさに“凝脂”で出来ていた。


 砂のように乾いた紙とは違う、生の質感。一体どんな感触がするのだろう。胸の内に生じた疑問は、いつしか激しい衝動に変わっていった。


 大丈夫。周りに人なんかいない。

 この場にいるのは自分ひとり。


 大丈夫、大丈夫、バレる訳ない。

 だって、触れるだけなんだから。


 震える指先がゆっくり本へと降下する。


『誰かいるのか?』


 女性の清らかな声がした。


「へ⁉ は? ぃえ、ち、違います! 私、間違えたんです! 故意に入ったわけじゃなくてえぇ…………っあれ?」


 慌てて見回すも、司書さんはおろか人の影さえない。けれどもただの幻聴にしては、あまりに声が生々しい。それにもっと近くから聞こえたような……。


『わ、我輩わがはいの声が聞こえるのか? でっ、であれば話が早い! 我輩をここから出してくれ!』


 嬉々として喋る本に対して、私の精神は限界だった。

 “初めから関わっちゃいけなかった”

 途轍とてつもない重圧を背負った体は、ひとりでに逃走し始める。

 

『まっ、待ってくれ! ……ぬぅぅう、かくなる上は……ぃ』


「へ? ぁ__」


 __途端、体の自由は奪われ、視界は白く濁っていく。


 本が何を口走ったのか確かめる手段は最早ない。手にした本が床に落ち、館内に乾いた音を響かせたところで、ふっと意識が途切れた。

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