The greatest day その2

2.

 六ヶ月ほど前から、この来蘇町くるそちょうには奇妙な現象が起きていた。一か月に一度、必ず一晩のうちに、町中がオカルト情報や陰謀論のポスターによって埋め尽くされるのである。その内容はてんでばらばらであり、「令和のノストラダムスが予言する世界終末」とか「来蘇山大噴火。地球原人ノマルトンの怒り」とか「終末の兆しと電波怪鳥ラードンの目覚め」とか、そんな取るに足らないような内容である。

 というかこれ、完全にパクリだろ。

 巷では地元の中学高校の精力的なオカルトサークルの微笑ましい(作品の盗用がどれほど重い罪に問われるのかはさておき)悪戯か何かだと信じ込まれていたらしいが、その数があまりに膨大で、聞いたところによるとポスターの数は月を追うごとに増え続け、今月は3000枚にものぼるポスターがあらゆる場所に貼られていたという。

 五月の末には来蘇町全域の石塀やフェンスがポスターで埋め尽くされ、誰しもそれを目にしない日はなかった。悪戯にしてはあまりに規模が大きい。そして奇妙なことに、そのポスターの出処も、実行犯も、六ヶ月もの間見つかっていないのだ。しかし、これはまだ序の口。

 何を差し置いても最も異常なこと、それは町の人間がこの異常事態ポスターに一切気がついていないことだ。というのも、ポスターの内容を訝しがるような反応は見せるのだ。けれど、町全体の異変についてはまるで気にかける様子がない。町の様子が物珍しさにSNSにあげられ拡散される、ということすらこれまでに一度もなかった。

 当然、町の外部の人間がこの様を見れば、すぐにその異常性に気がつくはずなのだが、来蘇町からは髪の毛一本ほどの情報も漏洩しなかった。なぜなら、誰もそれを異常だとは考えていなかったからである。かく言う僕も、彼女にそのことを指摘されるまではポスターのことなど毛ほども気にとめていなかったので、気づいた時の衝撃はまさしく目が覚めるほどだった。電柱の根元に咲く美しい百合のように、許容しうる違和感として、ポスターは実に鮮やかに日常に溶け込んでいたのだ。

「まあ、多少認識をいじくるくらいのことはお手の物さ。そういう技術に長けた惑星ホシなのでね」

 その事件の犯人たる人物は、心底愉快そうにスキップがちに歩んでいた。

「そんなわけだから、差しあたってキズにはこのポスターを町中に貼ってほしい。先程も言った通り、認識をいじっているから普通なら不審な君の行為については、警察でさえ咎めはしない。まあ、あまりに派手なことをやらかすのはよしてくれよ。一応確認しておくけど、キズは露出癖とかないよね?」「お前……本当にムチャクチャなヤツだな」「当然。宇宙人だからね」

 僕は午後の授業を飛ぶように命令され、僕の就学している市立来蘇高等学校から最寄り駅前の商店街に連れて来られた。どうやら、ポスター貼りはここから手をつけるらしい。東口のアーケードから西口に出るまで、おおよそ300メートルはある。僕が手渡されたポスターは、目分量で約500枚ほどだった。内容は、「隕石は外星人の方舟!? 地球人類は赦されない」……これを刷ったのがいつかは分からないが、彼女はあの"星"が落ちてくることを何らかの方法で知っていたのだろう。あれも単に偶然とは考え難いので、あの星が落ちたのも彼女の"計画"とやらの一部なのかもしれない。

 しかし、こんな膨大な量のポスターを両面テープ──の用途で与えられたと思しき物体だったが、その質感は地球に存在するどの物質にも類似しない、という感じがした。それは野球ボールほどの球体で、一定の大きさになるまでは粘性を持たない滑らかな金属の塊のようである。ネズミの餌ほどの大きさにちぎると、強力な粘性を持ち、両面テープとして機能する。そして、当たり前のことだが、強力な粘性と金属のような質感を同時に併せ持つ球体を、僕達はテープとして利用しない──でシャッターや電柱に接着する作業を、来蘇の全区画で、一日のうちに終わらせろというのだから、ある意味これは自殺なんかよりよっぽど苦行じみていた。まあ、それでもセリーヌや赤い雀を探せと言われるよりはいくらかマシだと思うけれど。

「ああ、私は火星人ではないからね」

「僕の思考を盗聴するな。それもお前の惑星の技術なのか?」

「君はもう少し自分を客観視すべきだぞ。盗聴もなにも、君が自ら口を割っているまでのことだ、そのツラでね」

 セリーヌや赤い雀のことを考えている人間の思考を顔から読み取れるような生物は、地球にはいない。

 反論しようと口を開こうとする僕を、望は見向きもせずにいってしまった。


 僕は二時間ほどかけて、商店街の概ね全域にポスターを貼り終えた。多いとも少ないとも言えないほどの人が通りがかり、公然と不信な行為に及ぶ僕をいくつかの訝しげな視線が刺したけれど、たしかに誰にも咎められることはなかった。なにしろ地味で変化の無い作業なので、集中力を必要としない分漫然としてきて、そういう作業に特有の妙な疲れが溜まっていた。ポスター塗れになった商店街を西口のアーケードの外から俯瞰すると、夏祭りを先取りしたかのような賑やかしさと、いわくつき物件の窓に貼り付けられた新聞紙のような無性の気色悪さや怖気のようなものが競り合うように同居していた。

 望は、僕とは別の区画を回ってくると言ったきり姿を現さない。考えてみれば、町の住民の認識をいじったり隕石を予見するような能力を平然と行使しているのに、こんなアナログで非効率な方法で、荒唐無稽なオカルト情報を拡散しようなんて……明らかにズレている。なぜ、僕はポスターなんか貼っているんだろう。本当にこんなことをやっていて、世界を滅ぼすことなんて出来るんだろうか……まさか、あるわけがない。閑静な商店街にひとり取り残され、単調な作業に勤しむ中、悶々と考えていた。こんな地味で疲れることを、彼女は六ヶ月ものあいだ一人で行っていたのだろうか。インターネットを利用しないのにはなにか理由があるのだろうか。これまでの彼女の異能から推察するに、情報操作は得意分野で違いないと思うのだが……。 残った数枚のポスターを貼り終えた時、東口の方から製カバンを肩にかけた望が歩いてくるのが見えた。その顔には今の僕が抱えるものとと同種類の疲れが滲んでいる。彼女が自分の体ひとつで勤めを終えてきたことを証明するには、その表情ひとつで充分だった。「さすがに二時間で八百枚捌くのは、骨が折れたな。だが、これで前回の七百枚を大きく上回る新記録だ。キズもこうやって、記録を更新する意識を持つといいよ。時期に私に追いつくことができるさ。効率化にも限界はあるのだから」

「そんな記録は更新しないし、したくもないね」

「してもらわないと困る。単純に、このままでは時間が足りないよ」

 望はふう、と一息つくと、製カバンの中から清涼飲料水の缶を二つ取り出して、片方を僕に差し出した。あまりの暑さに汗水を垂らすスチール缶の表面には、『メトロン茶』、と書いてある。

「地球の夏は暑いね。メトロン星人が諦観するのも頷ける」

「地球人類を代表して言わせてもらうけれど、お前といると、落ち着いて茶を飲むことさえままならないよ」

 皮肉のつもりで口にするが──あらゆる行為に皮肉を交える皮肉の星のヒニク星人かもしれない──彼女の顔色ひとつ変えることができない。望は実に美味そうにメトロン茶を飲み干すと、眠たげな猫のように大きな伸びをした。その姿を不覚にも可愛らしいと思ってしまった自分を、僕には否定することが出来なかった。望はスマートフォンと思しき端末──いや、それは実際に僕らの所持しているモノと同じ、普遍的な地球製のスマートフォンなのだろう。ただ、彼女が独自に自分の惑星の技術で何らかの手を加えている可能性も否定できなかったので、それは僕の知るスマートフォンとは別の装置と化したナニカかもしれなかった──を眺め、物憂げに空を見上げた。呆けたままその横顔を凝視していると、望は視線だけをこちらに投げかけて、溜息混じりにまた空を見あげた。

「雨が降るそうだ。とんでもない豪雨だよ、昨日までの予報じゃ来週の末まで太陽のマークでびっしり埋まっていたというのに。夕立というやつか」

 僕は望と同じように空を見上げた。黒々しい雲が、そのまま地上に落ちてきそうなほど重たげに蠢き、渦を巻いていた。

「全く、堪え性のないヤツだ。まあ、元気にしているのならそれに越したことはないのだけど……帰ったら少し躾が必要か。それともひょっとして、腹でも壊したのかな。やれやれ、地球製のペット用食品はお気に召さないということかな……あれでもやや奮発してやったというのに、なんと甲斐のない」

 望はしばらくなにかよく分からないことをブツブツと呟いていたが、敵の気配を感じ取ったミーアキャットのようにハッと顔を上げると、製カバンと僕の腕を取って駅の方へ走り出した。

「急になんだよ」

「残りのポスターを自転車の荷台に括りつけてあるんだ。すぐに回収しに行かないと、このままでは濡れて使い物にならなくなる!」

「それじゃあ今日のノルマは?」

「明日に延期だ。それより、急いで電波塔に向かうぞ!」

「電波塔?」

「来蘇山頂に廃棄された施設だ。端的に言うと私の根城。自転車を貸してやるから君が運転したまえ!」

「するとお前はこの雨の中をずぶ濡れになりながら走ることになるが」

「馬鹿を言え、君が私を乗せて運転するに決まっているだろう」

「念力つかえ」

「君が自殺未遂なんてしなけりゃ、2キロメートルは楽できたのだろうがね。ちなみに、ここから来蘇山までは約5キロメートル」

 そんなわけで、僕は使い切りの念力の代償を、彼女の帰り賃代わりに自転車を運転することで支払わされることになった。


3.


 酔っ払いの長い嘔吐のように土砂降りの雨の中を、痩せた骨と皮だけのヒョウのような自転車に股がって、僕らは走った。並び立つ住居や行き交う人の顔、電柱やガードレールさえ、絶えず浴びせられる飛沫に紛れて、モザイクがかかったように平面的、判別不能で、名前のないオブジェクトのように見えた。どこか遠くから、無数のサイレンの音が、貧しい海中都市の底から鳴り響いている悲鳴のようだった。望は僕の背後で、右、左、右、真っ直ぐ、左、右、とひらさら的確に道のりを指示している。まるでRPGゲームのボーナスステージにたどり着くための隠しコマンドのように、右、左、右、真っ直ぐ、左、右、に僕は進んだ。恐ろしいほど黒い雲の上で、静かな夜が、正しい模様を描くよう星を配置しはじめたのがわかる。あたりがとても暗いのだ。か細い自転車の光は一寸先の闇に吸い込まれ、照らすものを失っている。僕らは孤独で、この町の中には、背中に微かに感じる体温と、僕の体温と、痩せた鉄のヒョウ以外には、もう何もなくなってしまったのでは無いかと思えるほど、寂しい夜が訪れようとしていた。 入り組んだ住宅街を抜け、あとは2キロメートル道なりに進むだけだと望は言う。泥濘んだ地面は嫉妬と憎悪の溶液のようで、細い自転車のタイヤは絡めとられて今にも引きずり込まれそうだった。 ふいに、望はなにかの歌を口ずさんだ。この曇天には似合わないような愉快なバラードで、僕はそれがすぐに「Singin' in the Rain」だとわかった。

「お前、今にも突然後頭部をぶたれて、拉致軟禁されてだな、ベートーヴェンの第九を聞かされることになっても知らないぞ」

「私がナッドサット言葉なんて口にするようなキャラに見えるかい? それに、ルドヴィコ療法を受けていない人間が、三食、風呂、トイレ、ベッド付きの暖かな部屋に軟禁されたとして、それはただの手厚い歓待だ」

「あの家はホテルじゃねーんだぞ!? さりげなく三食風呂トイレを欲張るんじゃねー!」

 思わず声を張り上げてツッコむと、腰に巻かれた腕がビクン、と一瞬痙攣し、ゴン、と背中に軽い衝撃があった。望が僕の背中にくしゃみをしたようだ。望は鼻をすすりながら、ああすまない、と濁音混じりに謝罪した。

「宇宙人も風邪ひくのか」

「雨は冷たいものだろう」

 降りしきる雨の冷たさに驚いて飛び上がった熱気が、闇の底を這うように拡がっていく。蒸し風呂のような熱気と、ふと込上げてくる吐き気に伴うような寒気が、代わる代わる僕らに見舞われた。

「Singin' in the Rainがだめなら、キズはどんな歌が好きなんだ? 知ってる曲なら私が歌ってやるよ」

 僕は、その言葉の意味を上手く理解できなかった。全身に浴びた液体の感覚に溺れて、脳みそが機能不全を起こしていた。ただ、両足だけが、一秒でも早く前へ進もうと動く。そんな無我夢中の努力の最中にも、この宇宙人は涼しげに笑って、歌を歌ってやろうなどと言う。

「そうだ、キズが今日聞いていたアレを少し歌ってやろう。まかせろ、私は一度聞いた曲は忘れない」

 望は僕の腰から手を離して、今度は肩を掴む。息を吸い込むような間があって、望は高らかに「Today」を歌い出した。ビリーの喉を裂くような激しさとは真逆の、クリーンな歌声。


"今日は人生で最高の日に違いないぜ?

明日までなんて待てるもんか、長すぎるよ 

俺はな、俺は、逝っちまうんだ

だから、 こんな目なんてくれてやるよ"


 僕はビリーがアイスクリーム・キッチンカーを足で運転しながら笑っている姿を思い浮かべた。そして、背後の嬉しそうな望の顔と、豪雨の隙間を縫うように柔らかく優しく響く歌声に魅入られていた。望は言葉通り、一言一句間違えずにその英語詞を正確なメロディーで歌っている。

 キッチンカーは、赤土の道を孤独に走っていく。

 ならば僕は? 僕は今どこに居るのだろう。

 それは多分、どうでもいい。進むべき場所に向かっている、それさえ分かっていれば、あとのことはどうだっていい。僕はそのまま漕ぎ続けた。望はそのまま二番の頭まで歌うと、ここから先は知らないと言って少し拗ねたように歌うのを辞めてしまった。


 次の曲を考えているうちに、僕達は来蘇山の麓にたどり着いた。だが、そこには登頂用の自動車道はなく、草と木と苔むした石があるばかりだ。

「あー、ちょっと待ってくれよ。いま開ける」

 望は自転車を降りると、大きめのシダ植物が生えたあたりにクルクルと指を降って──それは携帯端末のパスワードをフリックする動きに似ていた──えい、と指を突きだした。ガコン、という音と共に、泥色の山肌が真っ二つに割れ、その裂け目にあったのは黒鉄色の引き分扉だった。扉が象のあくびのように開いて、眩ゆい光が雨粒に反射して、電飾のように輝く。

「ここまでご苦労さま。さあ入りたまえ、私がエレベーターガールをつとめよう。上へ参りまーす」


 エレベーターが二度目のあくびを終えた時、そこにあったのは電波塔などではなかった。用途不明の謎めいたカラフルな電飾と、配電盤のような模様の壁、壁掛け鏡のような丸い窓と、円形の間取り……宇宙船、という言葉が思い浮かんで、僕は思わず鼻で笑ってしまいそうになる。

 これが宇宙船だと? バカバカしい、どこぞの特撮好きな美大生の卒業制作じゃあるまいし、こんなもので宇宙を、ましてや銀河を超えてくるなんて不可能だ。奥に扉が二枚、それが収納スペースなのか別の部屋に繋がる通路なのかはわからないが、一応生活するのに必要なだけの機能は損なわれていない。ならばこれは、単に趣味の悪いだけの住宅ということになる。

「これが私の根城。私の宇宙船だ。電波塔と言ったのは、こいつのガワのことだね。外からはこの円盤型の飛行艇が、今にも崩れ落ちそうなパラボラアンテナを抱えた電波塔にみえているのさ」

 どうだ、驚いただろう? といいたげな望を端目に、僕はワイシャツの裾を絞って水気を取った。

「なんだ、もっと驚いてくれよ。宇宙船だぞ、宇宙船。こいつで宇宙を飛んで、銀河を超えて、この星にやって来たんだ。私の相棒たる名機を目にして、少しは感慨に打ち震えて涙をこぼしてみるなりしたらどうなんだい」

「少し、という程度のことを少し……いや、かなり勉強した方が良さそうだな」

「そんな悪態をつくようなやつには風呂も貸さないし茶も出さない。まあ、タオルくらいは貸してやらないでもないけどね」

 望は僕にバスタオルを投げてよこす。テープとは違い、このバスタオルは地球製の、普通のバスタオルのようだ。仄かに柔軟剤の甘い匂いがする。

「今、宇宙人も普通のタオルケットを使うんだな、とか思っただろう」

「そうだな」

「私はもう幾年も地球で生活しているんだぞ。この姿にも慣れたし、日用品くらいは普通に一式揃っているさ」

 さらっと気になるセリフが混ざる。

 "この姿にも慣れた"?

 そういえば、こいつが宇宙人なら、今の姿は擬態である可能性が高い。あるいは、そういう設定を忠実に守り続けている変人なのかもしれないが……これまでに起こったさまざまな異常を一言で片付けるには、その限りなく現実味のある選択肢がこうも非現実的になる。

「仕方がない、地球人の作法にならって、お茶くらいは出してやろう。いくつか話しておかなきゃいけないこともあることだし」

 望はタオルで髪を拭きながら、エレベーターの向かいのドアの奥に消えていった。足の先から寒気がせりあがってきて、大きなくしゃみの音が宇宙船の中に響き渡った。 望がちゃぶ台と二人分の茶飲みと急須を載せたトレイを持って帰ってくる。それから座布団二枚、灰皿がひとつ。

「オオカミ少年は」

 座布団に腰を据えると、望は僕の茶飲みに緑茶を注ぎながら、なにか勿体ぶった感じで話しはじめた。

「稀代のテロリストだったと思うんだよ」

 オオカミ少年……「嘘をつく子供」に登場する羊飼いの少年か。少年は日常的に狼が来るという嘘を喧伝して回っていたのだが、ある日、彼は狼に襲われる。比喩でもなく、嘘でもなく、あくまでリアリティに満ちた本物の狼だ。自らが吹聴してまわっていた非現実の脅威が現実と化して襲い来る。少年は恐怖のあまり村の人間に助けを求めるのだが、村人たちは彼を可愛げのある純朴な子供とは考えないようになっていた。少年の叫ぶ声も虚しく、助けの手は差し伸べられなかった……はずだが、しかし、それからどうなったのだっけ?

「日本では、嘘つきの人間を罵る意味でのオオカミ少年が広く伝わっているので、意外とその物語の結末について知っている人間は少ないのかもしれない。なので一応補足しておくと、別にオオカミ少年は狼に食われて死んだわけではないんだ。むしろ被害にあったのは村人の方さ。村の羊を全部狼にやられてしまったんだ」

 望は目を閉じて、黒い紙巻き煙草に火をつけている。なるほど、テロリズムか。

 「嘘をつく子供」のもつ寓話的な性質、闇雲に嘘を振りまいていると、伝うべき真実さえも損なわれてしまう、悲劇の性質。しかし……これらがすべて計画的に行われた犯行であれば、この物語の趣向は一転し、痛快な喜劇と化す。

 望が退屈そうに吹いた紫煙が、宇宙船の中を漂う。ふと僕は、彼女の言葉の真意に気がついたように思えて、思わず指を鳴らす。「そうか、あのポスターは」

「まあ、そういうことだね。私は、計画的犯行に及んだ方のオオカミ少女というわけさ。まずはじっくり時間をかけて、巨大な不信感の土台をつくる。そして最後には狼がきた、の一声と共に狼を放つことで、計画的なテロリズムが成立する」

 つまり、あのポスターは確実に人々を狼の魔の手に落とすための布石というわけだ。しかし、それでも疑問は残る。

「そんな回りくどいことをしなくても、狼が来て襲われる、なんてことハナから誰も信じちゃくれないと思うぞ。それに、放たれるのがただの狼なら、人を襲う前に迅速に駆除されるだろう。それともなにか、お前が狼役を買って出て、超能力やナイフでも振り回して暴れるのか?」

「そんな野蛮なことはしないよ」

「世界を壊そうなんて思想を所有している時点で既に野蛮なんて域は超えてるんだよ。大体、お前はなんで世界を壊したいんだ? それらしい事を言ってはいたけれど、明確な理由をまだ聞いていない」

 僕はちゃぶ台を叩いて望のほうに身を乗り出し、彼女を見下ろすように睨みつけた。望は微塵も動じず湯のみに口をつけ、緑茶を飲み干して一息つくまでの所作を見せびらかすようにゆっくりと行った。

「崇高な願いのためさ」

 望は目を閉じたまま薄ら笑いを浮かべていた。ニヒルを気取っているつもりなのかもしれない。

「その願いは簡単には明かせない。ただ、この計画が一種の芸術でなくてはならないのは確かだ。美に対する狂おしいほどの情熱があってこそ、私の願いは果たされる」

 ……崇高な願い、か。全くしっくりこない。僕の中にはそんな、大層な覚悟とか、信念とか、そういったものは無い。全くない。かつては持っていたのかもしれない。けれど、少なくとも今は持ち合わせていない。空っぽなのだ。

「そういうの僕には分からないよ。誘うやつ間違えたんじゃないか?」

「それもいずれわかることさ。まあ、動機の件についてはひとまず、"そうした方が楽しいから"ということにしておこうじゃないか」

 ……なんかテキトーなこと言ってんじゃないのか? と指摘する間もなく、望が次の話題を振るように目で促していたので、渋々言葉を呑み込み、別の疑問について問うことにした。

「区画をこの町に限定するのはなぜだ?」

「私の認識撹乱能力がそれほど広範囲には及ばないからだ。それと、漏れなく人目について欲しいからだね。インターネットでは、アナログな人間には届かない可能性も高いし、オカルトなんて情報として生活に接近していない上に、マイナーだし、そんな情報をあえて閲覧しようとする人間は少ないだろうから、それでは単に物好きに娯楽を提供することにしかならない。それではまったく意味がないんだ。オカルトを嘘だと信じこんでいる人間にこそ、それを認めさせなければならない。それにネット上では足がつく可能性も高い。認識撹乱は画面越しの人間には通用しないのでね」

 望は緑茶のおかわりを注いで、僕の茶飲みをチラリと覗いてから、それが満杯であることを認めて自分の席に腰を落ち着けた。

 ……大筋は掴めてきた。これが彼女の計画、題するとすれば、『オオカミ少女のテロリズム』といったところだろうか。ならば、僕はまだ一番疑問とする点を彼女に答えてもらえていない。

「オオカミはどこにいるんだ」

「ああ、そうだった。あいつにこれをやめさせなきゃいけない」


 望は煙草の火を揉み消すと、僕の手を引いて強引にエレベーターに乗せ、一階の下のR階のボタンを押した。宇宙船が二階で麓が一階なので、その下と言うとこの山の地下ということになる。

「今から君に、この計画の最高機密を見せる」

 望の表情は長い髪にさえぎられて見えないが、彼女は心持ち緊張しているように見えた。一階のランプが点灯し、エレベーターの中では大きなファンが回るような音が反響していた。R階のランプが点灯してもなお、ファンの音は響き続けていた。それは、うつ病の巨人の呻き声のようだった。ドアが左右に開き、差し込む青い光に僕は少し目を細める。ハッカのような澄んだ匂いが、小さな鉄の箱の中に飛び込んでくる。厳つい岩肌が、青く発光している……いや、発光しているのは湖だった。深い青色の地底湖。一切の生命が気配を潜めているのか……あるいは存在しないのか、怖気がするほど閑静な水溜まりは大きなラピスラズリのように青く輝いている。 もしも、冥界や、三途の川が存在するならば、このような場所なのだろうと思う。足下には、砕かれた石や結晶の他に、白骨化したネズミや頭蓋だけ踏み潰された人骨、古びて朽ちた花束と思しきものがいくつか、転がっている。まるで、お化け屋敷のセットの一部のように嘘くさくも見えるし、古代恐竜の化石のような神秘を宿しているようにも見える。僕は人骨の前にしゃがみこんで、頭蓋の一片を拾い上げでまじまじと眺めた。黒ずんだ白骨の汚れを指で拭うと、光のように真っ白な骨身が死の気配を剥き出しにして、ニタニタと微笑みかけてくるような気がする。


『死んだのに』『死ねなかった』「わかっている」『いや、お前は何も知らない』『お前は自分の望みをしらない』『怒れ』『イカれ』『怒れ』「怒れ……」僕は白骨を足下に投げ捨て、手根骨を折った。尺骨、橈骨、鎖骨、胸骨、肋骨、頚椎、胸椎、腰椎、大腿骨、脛骨、腓骨……残りの骨を全て砕き終わった時、辞世の句のように、『怒れ。何を望む』彼はそう呟いたような気がした。


  僕は望の方を振り返る。望は少し寂しそうに笑うと

「そうか、君は幽霊だものね」と言い残して、湖の方を振り返った。

「さあ、おいで」

 望が左腕に触れると、包帯の内側から、湖と同じ、ラピスラズリ色の光が、ノズルを押さえつけたホースの水のように洞窟の中を飛散した。湖はより深い青色に発光し、岩壁を這うように閃光が走る。洞窟全体が古い洗濯機のように揺らぎ、左腕の光が消えると揺らぎはやんだ。すると水平線の彼方から、細い水影が岸辺に向かって一直線に向かってくる。望はそれを迎えにいくように岸辺に近づき、なにかが湖から這い上がってくる音と共に、こちらを向き直って、ソレを僕に見せつけた。その生物は、ナマコか流木ほどの大きさのウミウシのようだった。

「これが、私たちの最終兵器。エレキングだ」

 ……エレキング、それは、ウルトラシリーズに登場する人気怪獣の一体。望は愛犬を愛でるようにエレキングを撫で、ソレに顔を近づけ何かを呟いた。


 宇宙船から外へ出ると、満天の星が闇一面に光って、濡れた木の葉や泥濘んだ地面はタールのように艶めいている。

「この計画は、彼の力によって完遂される」

 望はエレキングを抱きかかえたまま、木々の隙間から見える街頭や住居の光を見下ろしていた。

「正式には、改造・再生エレキング。電気と、月光と、人間の脳波が、彼を成長させる。電波塔はガワだと言ったけれど、あのパラボラアンテナは月光と人間の脳波を収集できるように改造してある。このペースなら八月の中頃には完全体に成長するだろう。つまり来月、私はこのエレキングで世界を滅ぼす」

 月は、糸くずのように細い三日月。その肌の色はエレキングに似ていた。エレキング……この芋虫のような生命体が、エレキング。僕の知っているものとはあまりに違うその姿に、疑惑の視線を投げかける。 彼は、燃えているように見えた。 望もそうだ。 なにか、堪えがたい怒りの焔に絶えず焼かれているようで、苦しそうで、悲しそうで、なにより恐ろしかった。

「これが私たちの狼だ。牧歌的な村の嘘つきでしかなかった少年は、羊を殺し、村人を殺し、村ごとすべてを焼き尽くす。容赦はしない、奪い尽くすまで」

 望は歯をむき出しにして笑った。

 それは牙だった。 彼女の怒りが、恨みが、呪いが、そこにないはずの牙を幻視させた。するとエレキングは、なにかの感情表現をするように、青白く発光した。それは喜び……だったように思う。

「エレキング、頭から踏み潰そう」

 愛の言葉を囁くように呟き、エレキングを撫でる望は、黒い紙巻き煙草に火をつける。くゆる紫煙は明日の空まで曇らせるように、厚く、青く、夜の闇に溶けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Lightning Atack!!! 葉月空野 @all5959

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ