遠き国より

有智子

可憐なる野生の花

 女性が苦手だ。

 正確に言うと貴族の若い女性が苦手だ。これには理由があった。私の顔には、子供の頃に獣に襲われた際に負った大きな爪跡があり、運よく失明は免れたものの、その目立つ傷跡だけはどんな名医にも手の施しようがないほど生々しく残った。

 その傷が、醜いといって貴族女性に嫌われるのである。というのも我が王国の貴族社会において、容姿は男子に求められる必要条件のひとつなのだ。

 血筋。今でこそ成り上がった商人が社交界に出ることにも寛容になってきたものの、やはり先祖代々国のために尽くしてきた家柄の者たちというのは重んじられる。

 そして財力。これは圧倒的で、金があるのに贅沢しないものの方が珍しい。

 最後に容姿だ。貴族男子は見目麗しければ麗しいほどいい。動物のオスがメスよりも派手なのは、つがいとして選ばれるために他者よりも目立つ必要があるからであり、鹿の立派な角といい、鳥の派手な羽といい、そういうことだ。

 だからといって私に何ができるというのか。


 結局騎士団に入隊したのもこの傷が原因だった。事件当時、両親や兄弟たちは、血塗れの私を見て死んだと思い相当動揺したと聞く。元々私は、部屋の中で本を読んでいる方が性に合うような性格で、普段は虫一匹殺すのも躊躇うような内向的な少年だった。その無力を憂いた両親に請われ騎士団へ入って人生が一変した。集団生活、規則正しい日程、鍛錬。心の奥底ではいまだ植物採集などして暮らしたいと思うこともあるものの、今や体格も相まって野獣のような見た目になってしまった。


 騎士団に所属しているといっても貴族である以上は社交が必要であり、機会があれば参加はしていたが、年々居心地の悪さの方が増してしまい、二十になる現在は年に一回行けばいい方だ。特に昨年、王都全体のパーティに出席し、令嬢のを拾ってしまったのが私の女性不信を決定的なものとした。後になって思えばそれはおそらく他のお目当ての男性に拾わせるために落としたハンカチであったのだろう。目の前を足早に去っていく姿を認め、親切のつもりでつい拾ってしまったのである。彼女に駆け寄って目が合った瞬間の凍りついた表情。その瞳が間違いなく傷跡を眺めたのを見、その表情が雄弁に軽蔑に変わったのを見た。視線を扇で遮られた後、顔までも背けられ、自尊心が砕け散った。

 もはや触ったところで痛くもなく、鏡を見るまでは存在することすら気づかないような傷跡である。騎士団の中にいる時も、顔の傷について触れられることはほとんどない。それは貴族社会で異性とのかかわりを通してだけ現れてくる呪いのように感じられた。事実、例えば平民が暮らす街中にいて顔の傷を気にするような女はいない。騎士団の連中と連れ立って時々街中の酒場に行くことがあっても、給仕の女たちは顔をまじまじ見ることなどせず、普通に話しかけてくる。金を払えば一晩を共にするような女たちに至っては、騎士団服を着ていれば馴れ馴れしく腕を組もうとする。貴族の女にだけ、蛇蝎の如く忌み嫌われるのだ。

 というような話をキリエ様にしたところ(キリエ様が王太子の勉強の合間に余談を所望されたため、うっかり口を滑らせたのだ)、「君は気にしすぎだ」と一蹴……もとい、ありがたいお言葉を頂戴した。「見慣れてしまえば傷跡がそこにあることすら忘れてしまうのだから、気にする必要はまったくない」と仰る。

「そうでしょうか?」

 元気のない子犬のような返事をしてしまった。

「ダニエル、君は自分で思っている以上にハンサムだし……それに君の顔だけを気にするような女性たちを、私はよくは思わないな」と、仰って微笑んだ。

 私が王族直属の近衛団に入ったのは今年の春のことだ。騎士団においては基本的に実力主義ではあるのだが、近衛騎士に限っては、特に名のある貴族の者が選ばれることが多い。王族に一番近い目立つ位置に立つこともあり、多少の政治的思惑が絡んでくる。私の場合、実家が太いため(我が家門は歴史だけは古い)冬に入る前の時点で先に打診をもらっていた。誉れある昇進だが、顔に劣等感のある身としてはいささか憂鬱ではあった。キリエ様は私とあまり年も変わらないが、王族とは思えぬ気さくなお人柄で、よっぽど公の場でない限りこうして雑談することもあった。私は自分のことをどちらかといえば型に嵌った、面白みもなく顔も怖い人間だと思っていたが、キリエ様はいつも周りの他人のことをよく観察して、上の者として時折褒め、うまくやる術に長けている。

「ともかく、そのうちいい人が現れるんじゃない?君の内面を見てくれる人が」


 長年の悩みを一刀両断されてなんとなくやり場のない思いを抱いていた矢先に出会ったのが彼女だった。場所は、騎士団の厩舎だった。基本的に部外者以外の出入りを禁じているところに、ドレス姿の令嬢の姿があって驚いたのを覚えている。

「失礼ですが――」

「あら、馬の世話をなさっている方?」

 快活ではっきりした声音だったので、彼女が振り返った時は心の準備ができておらず一瞬体が竦んだ。驚いて悲鳴をあげられたらどうすべきか。ところが視線が合ったまま、一向に逸らされる気配がない。ボンネットからのぞいている黒の巻き毛に、緑の瞳が印象的だった。

「いえ、こちらは騎士団の厩舎です。自分は騎士でして……」

「……もしかして、王宮の厩舎ではなかったでしょうか?ごめんなさい、あまりにきれいな馬が見えてしまってつい。馬が好きなもので……」

「失礼ながら、王宮は初めてでしょうか?」

「ええ。ハーゲン地方から来ましたの。ど田舎の」

 ハーゲン地方といえば、王国のかなり南の方、ほぼ隣国だ。王都は国土の中でも北の方にあるので、ここまで来るのは大変だったと思われる。

「それは……長旅でいらしたでしょう」

「ええ、さっき着いたんです。馬車で七日かかりました。それにしても王宮って随分広いのですね?もしよろしければ、王宮の厩舎がどちらにあるか教えていただけないかしら?」

 それは言外に迷子になったと言っていたのだが、茶目っ気のある言い方は、迂遠な言い方を好む貴族の一員ながらユーモアがあって、好ましく感じられた。


 オリヴィア・ローレンス。それが彼女の名前だった。それから一週間もしないうちに、彼女がまったく自由奔放を人間にしたような女性であり、王都の貴族女性にはない斬新な発想と物言いがあらゆるお茶会を賑わせていると、風の噂に聞くことになった。

 ある者はオリヴィアがすごい速度で馬を駆るのを見たといい、ある者は彼女が城下で平民と樽詰めの酒が空になるまで飲み比べたのを見たといった。かと思えば、招待された茶会で大袈裟な噂の真偽を問うと、美しい所作で「まあ、なんのことかしら」と囁く。はるか遠い郊外出身の、謎に包まれた令嬢への好奇心を隠せない王都の貴族男性たちは皆、田舎娘と侮りながら彼女に近づいていっては、適当にあしらわれて去っていった。

 私は初対面で道案内をしたせいか、彼女とは打ち解けて王宮で会うたびよく話した。ローレンス領では、男も女も関係なく軍馬をもらって野山を駆け回り、酒に親しむのだという。つまり、全て事実だった。お茶会で遠回しな悪口を言われた鬱憤を馬に乗って発散していたらしい。

「王族の方も決してお酒に酔うことがないと聞きました。王都のパーティに出席すれば殿下や陛下と飲み比べができるのではないかと密かに画策しております」

 上品な笑みを浮かべながら言っていることが破天荒すぎて、私は笑ってしまった。彼女は半月後に開かれるキリエ様の生誕祭のためにやってきたのだという。ついでに、王都での人脈を広げておこうという目論見だそうだ。社交界デビューするには数年遅いようだが、それは単に社交に興味がなかったからだと言っていた。

「ローレンス領ではわたくし達も収穫を手伝ったり家畜の世話をしたり忙しいですし、贅沢品のドレスや宝石を何着も買う予算もないし……だいたい王都まで遠いでしょう?それで興味がなかったのですが、見聞を広める意味で一度行ってきた方がいいと家族に言われたので……」

 貴族でありながら、貴族らしさにとらわれない彼女。彼女が私の顔の傷跡について一切触れないのをありがたく感じながらも、それが彼女なりの同情ではないかと葛藤していた私は、ついに意を決して聞いた。

「あなたは私と普通に会話しているが、この傷が醜いと思わないのか?」

 彼女はもともとぱっちりした目をさらに見開いて、間髪入れずに言った。

「傷ってなんですか?」

「私の顔の」

「ああ!ごめんなさい。すっかり見慣れてしまって全然気づきませんでした。……わたくし、女の子が顔に傷をつくるのはよくないと言われてきましたが……王都の方ではもしかして、男性もそのように言われて育つのですか?クソくらえですわね」

 その、本当にちっとも構えていなかった返事を聞いて、私は今度こそ大声で笑った。

「ああ、本当にそうだな。クソくらえだ」

「だいたい傷なんてつくときはつきます。木の枝にひっかけるとか……」

「レディ・ローレンスは木の枝に顔をひっかけることが?」

「そりゃあもう、何度も」

 そして彼女は、まばゆい緑の瞳を細めて笑った。

「シャトー卿。誰が何を言おうと……シャトー卿がいつも真剣に騎士として鍛錬を欠かさずお仕事をされておられること、そして、こんなちんちくりんの田舎貴族にも親切にしてくださる優しい心の持ち主であること……それが真実です。ですから、どうぞ堂々となさっていて」


 キリエ様の生誕祭では、当然キリエ様の護衛についていたので、王族の方々の座る席に並んで立っていた。陛下の隣に席を設えたキリエ様は、今日は第一王子の礼装に加えて長い髪を後ろでひとつにまとめて下ろしており、それだけで普段の柔和な雰囲気が一気に凛々しくなる。私は、ダンスホールの中に髪を結い上げてドレスを新調したオリヴィアの姿を見つけ、彼女がこちらに向けてごく軽くワイングラスを持ち上げるのを見た。

 キリエ様は陛下に一言断りを入れると、私を伴ってダンスホールへと降りていった。キリエ様は今年十八になるものの、本人の意志を尊重したいという陛下のご意向で、いまだこれといったお相手がいない。当然令嬢達はざわついたが、驚いたことに、そんな雰囲気にお構いなしにオリヴィアの方へ向かっていった。

「王国の尊き光に拝謁いたします」

「やあ、どうぞ楽に」

 専用の侍従から手渡されたグラスを片手に、キリエ様が軽く礼を制した。

「レディ・ローレンスのお噂はかねがね。僕も一度話をしてみたいと思っていて」

「まあ、光栄ですわ」

 オリヴィアが私を見遣ってぱちんとウインクして、私は苦笑した。二人はさすがに飲み比べまではしなかったが、ワインを二杯飲んでローレンス領の様子や領地経営の話をし、一曲踊った。王族であるキリエ様はともかく、オリヴィアも負けず劣らず見事なダンスを披露し、周りからは動揺とも賞賛ともつかないどよめきが走った。もしかして二人は誰もが知らぬうちに知り合っていたのかとか、田舎出の令嬢が玉の輿を狙ったのかとか、ひそひそと人々が囁き合う。それを聞き流しながら私は二人を見ていた。いや……訂正しよう。護衛騎士だというのに、私はオリヴィアにばかり目がいっていた。今日の彼女は、完成されていた。とても美しかったのだ。

「シャトー卿」

 曲が終わると、二人が私の元へ戻ってくる。

 と同時に、ほんのりと息の上がったオリヴィアが私に向かって右手を差し出す。

「私と一曲踊ってくださいませんか?先ほど殿下から許可をいただきましたの」

「へ?」

「女性からの誘いを断るなんて野暮ですよ?わたくし、よく型破りと言われますが、男性にダンスを申し込んだのはこれがはじめてなんですから」

「ええ?」

 困惑している私を見て、キリエ様が堪えきれずに笑い出した。

「ダニエル、今日の勤務はここまででいいよ。レディ・ローレンスに恥をかかせないように」

「えええ!?」

 そう言い残し、キリエ様は侍従とともに颯爽と王族の席に戻っていく。オリヴィアとだけ一曲踊った後戻っていったという事実に、何が起きたのかよくわかっていない周りの貴族達もざわめきだした。

「ま、まさかこんな……」

 まるで宝石のような美しさのオリヴィアが、まっすぐに私を見て、にこにこ笑っている。女性から、それも社交デビューしたばかりの女性が男性にダンスの相手を申し込むなどというのは、どこまでも逸脱した行為だ。

 それなのにこの人は、そんなことはお構いなしだ。脱力した。建前だの貴族の価値観だのに、凝り固まって自縄自縛していた自分。

「レディ。……喜んで」

 それを気づかせてくれるのは、なんと小さな、可憐な野生の花なのだろう。


 それからの我々は、とんでもなく注目される羽目になったが、そのおかげでもはや私の顔の傷の話など、触れられもしなくなった。

 後日婚約の報告をしたキリエ様から、「ほら、言った通りだったでしょ」と笑われたことは、多分一生忘れられないだろう。

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