第六十二章 学徒出陣

 ここで時間は統境圏を守護する障壁が再展開される少し前まで遡る。


 現在、統境圏の半数以上の戦力が圏域外から侵攻する消却者の対応に当てられているが、それ以外はどうしたのかと言えば各内地の治安回復だ。当然ながら、外周から侵攻を許した消却者の撃ち漏らしにも人が取られる。


 そこで止まっていれば、おそらく学徒が動員されることはなかった。だが、実際には侵攻していないはずの地域にも消却者が出現し始め統境圏は混迷を極めた。


 特に横浜近郊が酷く、既に民間人の死傷者は大災害レベルまでに膨れ上がっている。これを受け、統境圏議会は緊急事態宣言を発令。その宣言条項に従って鐘渡教練校に学徒動員を要請した。


 そして鐘渡教練校はこれを受諾。周辺地域と横浜近郊の治安維持に乗り出した。


 その時点で招集できる人員を掻き集め、再分配して各地へと派遣した。可能な限り4班集団―――分隊規模で動くように指示し、横の繋がりを保てるように編成して送り出す。


 だが、そこで彼等が目にしたのは夥しい数の消却者であった。


 臨時編成第41班が出会ったのは、2メートル近い赤黒い猿―――消却者カテゴリC、猩猩。その群れだ。三次元機動を含めた敏捷性に特化した猩猩は、攻撃方法こそ獣の域を出ない。精々が噛み付いたり引っ掻いたり殴ったり蹴ったりと、常識的な範囲に収まる。尤も、その2メートル近い体躯から繰り出される攻撃は常識を軽く超えていく怪力を秘めているが。


 だが彼等を語るに当たって、特筆すべきは攻撃能力ではなくその移動法だ。


 彼等は


 比喩でも揶揄でもない。文字通り任意で空中を、まるで見えない壁でも存在しているかのように蹴って跳躍軌道を変えてくる。まるでピンボールのように、しかし見えない壁による跳ね返りは軌道予測を困難にし、それが群れ単位での襲撃となると極めて厄介な存在となる。


 何しろ圧倒的な手数による飽和攻撃だ。


 座学ではその特性を理解していた。シミュレーターによる訓練で対応方法も。


 だが。


『あぁあぁああっ………!』


 誰と無く、喉を引き攣る悲鳴が重なる。粘りつくような戦場の空気に当てられ、1年組は身を強張らせていた。手にした火器の引き金を引く、武器を振るう、異能を行使する―――恐怖に駆られ、出鱈目に。


 手に武器を持っていても、その理不尽に対抗できる手段を持っていても、それを手繰る心がまるで追いついていなかった。


 不幸中の幸いではあるが、彼等が闇雲に暴れることで猩猩達の動きが攻勢ではない。あちこちに飛び回りながら、迫りくる銃弾や異能を回避しているが、反撃をしない。おそらくはこちらが消耗するのを待っているのだろうが、その間に立て直しを図るものがいた。


「落ち着け!冷静に、訓練通りにすれば敵わない相手じゃない!!」


 この場にいるのはこれが初陣となる1年だけではない。既に実戦を経験している2年組もいる。


 臨時編成41班を任されている日に焼けた肌の、背の高い少女が声を張り上げて1年組のフォローに入る。


(思ってたよりも数が多い!やっぱり1年には荷が重いか………!)


 他の2年組にも1年のフォローを頼んで、状況を打開する計算を脳裏で行おうとした直後だった。


「―――!」


 天空より光の柱が幾つも降り注いで、猩猩の群れを半数程一息に消し飛ばした。


「この光は………」


 少女は知っている。


 これが『光撃』という異能を持つクラスEx適合者総代が、最も得意とする長距離範囲攻撃だということを。そして彼女が動いたのならば、彼もいるはず―――と視界を巡らせば、いつの間にか1年組と猩猩の間に人影がポツンと立っていた。


 教練校指定の黒い戦闘服に、戦闘課第一班を示す金糸に緑の腕章。そろそろ夏に近い時期だと言うのに赤いマフラーを戦場の風に靡かせ、手には逆手に短刀。けったい忍者な格好のその人影は短刀を振り上げると。


「変移抜影―――」


 それを自らの影に突き刺した。アスファルトの硬質さなど最初から無いかのように、短刀はずぶりと沈んで。


「飛燕陣」


 祝詞の直後、周辺のありとあらゆる暗がりから無数の影の刃が出現し、猩猩の残党を一匹残らず串刺しにした。断末魔の悲鳴すら許さず、氷のような音を立てて影の刃が崩れる頃には猩猩達は燐光を伴って霊素粒子へと還っていく。


「助かったよ、副総代」


 それを見届けて胸をなでおろした少女が短刀を腰の鞘に納刀する忍者―――鐘渡教練校副総代、風間直之は頷く一つして、いつもの気怠げな三白眼を背後へと向けた。


「無事か?」

「うん。―――分かってたけれど、1年が足手まといよ」

「まだ後期の実地訓練も行っていないのだから、無理もない」


 教練校に於ける実地訓練―――1年次の訓練は消却者との直接戦闘だ。圏軍の監修の元、彼等のフォローを受けながら行う実戦は、学年後期に行うカリキュラムだ。風間もそうだが、2年生への進級にも関わるので先達は皆浅いとは言え実戦経験者ではある。


 だが、1年生は違う。本来ならばまだ基礎訓練過程だ。人によっては未だ異能を上手く行使できない適合者もいるぐらいだ。


 手数が必要だったとは言え、そんな新米にすらなっていない種籾を引っ張り出すことになってしまった。だが、新兵によるパニックを考慮しても―――それこそ猫の手でも借りたい状況なのだ。


「第1班は遊撃?」

「ああ、それと調査だ。どうも内地侵攻した消却者の数との齟齬がある。初期に観測した数よりも明らかに数が多い。その原因を探っている」

「それは私も思った。まるでどこからか沸いて出てるみたい」


 ぞっとしない話ではあるが、この物量は無視はできないと少女は考えた。想定した撃ち漏らし数よりも明らかに多い。皇竜のような特記戦力こそ出現していないが、それでもこのまま行けば押し切られてこちらがへたれる。


「今、主だった1年をシェルター等の拠点防衛に回す算段を教官達が立てて各地を回っている。それまではどうにか凌げ」

「ええ、ありがとう。そっちも気をつけて」

「ではな」


 風間はそう告げると、ぼふん、と影の煙幕を伴って姿を消した。それを見た1年組は思う。


『忍者過ぎる………!』


 この後、彼は後輩達にカザマ=サンと呼ばれるようになるが、それはまた別の話である。




 ●




 鐘渡教練校のエンブレム校章が入った特殊装甲車の中で、風間と連絡を取っていた東山は運転席に座った三上に指示を出す。


「いいよ、三上君。出しちゃって」

「了解っす………」

「信号2つ飛ばして右折、16号に入って南下です。今度は永田方面ですよ」

「分かった」


 助手席に座った式王子のナビを受けて、第一班を乗せた特殊装甲車はゆるゆると加速を始めた。扱い自体はMTな程度で他の車と変わらない。中型トラックぐらいの車両感覚で、装甲板を貼り付けているだけあって多少視界は悪いが、去年免許を取っているやっと若葉マークの外れた三上でもどうにか運転できる。


 あの後、飛崎と別れてから三上は第一班に合流した。出陣するに当たって第一班に投げられた役割は、消却者の漸減、及び分布を含めた実態調査―――早い話が遊撃。三上に与えられたのは運転手の役割である。


 不満はない。と言うよりも足手まといな自覚はあるから、こうした雑用仕事でもある方がまだ気が楽だ。


 クラスは何故かAまで上がったが、自覚はなく戦術様式も変わらず近接一辺倒。おまけに自分の意志で実勢に飛び込むのはこれが初めて。正直自信などあるはずもなく、さりとて逃げ出すことも出来ない現状だ。


 集中できる仕事がある方が幾分か気が紛れる。


「ごめんねー、運転手頼んじゃってー」

「いえ、クラスAに成り立ての俺じゃ連携も難しいですし………その、すごいっすね………」


 中央司令室化している鐘渡教練校から常時アップデートされている戦況分布を基準に、第一班は横浜方面へと進撃していた。


 正直、三上は当初接敵毎に車から降りて班での対処を行うのだろうと踏んでいた。言うならば、エンカウント方式を採用したRPGみたいな感覚だった。だが実際はほとんど車を停めることはなく、装甲車の上部ハッチに狙撃手として待機した加賀が少数なら処分するか、大物なら東山が上に出て光撃による範囲攻撃で一掃。先程みたいに梃子摺っている生徒達を見かければ足の早い風間が援軍に向かい、遠距離での援護を行う。


 あ、コレ感覚的にはショットボタン不要のオート射撃系のシューティングゲームだ、と三上は思った。


「伊達に第一班任命されてないしねー」


 後部座席でIHSで戦況分析を行いながら返事をしてくる東山に、それもそうだけどと思いつつ三上はサイドミラーを見た。


「先輩達もそうっすけど………」

「ああ、うん。―――ちょっとした戦車だよね、コレー」


 ミラーに映ったのは、装甲車の周辺に展開する騎馬達である。


 比喩でも揶揄でもない。全身金属鎧フルプレートの騎士が、同じく鎧の装飾を施された馬に跨っていて、装甲車を護るようにして並走している。それが四騎。靡く鬣が幽鬼のように揺れて燐光も放っている様子が、妙に幻想的だ。


 後部座席に座っている宮村の異能『幻想侵食ブロークン・リアリティ』によって生み出された護衛である。更に、式王子による『絶対守護圏』もあるので、最早鉄壁である。というか実際、不意の遭遇戦では文字通り蹴散らした。実際に轢いた訳では無いが、アレはもう轢殺したと言っても過言ではなかった。


 オプションとバリアまでついているシューティングだ。何とも手厚い。


「常時出力は疲れるのでピンポイントなんですけどね」

「いや、それでも十分だろ」

「私は一旦出してしまえばそれほど疲れないけれど」


 のほほんと告げる式王子と宮村に、やっぱクラスExはやべーわと苦笑いしつつ国道16号を南下していると―――。


『三上!止まれ!』

「!」


 装甲車の上部ハッチにいる加賀からIHS越しに通信が飛んでてきて、三上は急ブレーキを余儀なくされた。どうにか交差点内で停まる。何だ何だと周囲を見回せば、左方の幹線道路沿いに消却者が群れていた。先程の猩猩の比ではない。種族問わず雑多に、群れているとは言うよりは最早犇めいていた。


「―――!攻撃中止!!」


 すわ迎撃か、と一同が臨戦態勢に入ろうとした直後、東山は静止命令を出した。


「動かないですね………」


 その理由を、式王子の呟きが表した。


 消却者達はある一点を境に動きを止めていたのだ。いや、正確に言うならばまるで見えない壁を前に押し止められているような―――そんな不気味な停滞。あれ程犇めいて、今にも濁流のように流れ出そうなのに地上型飛行型問わず、その定められたラインを越えようとしない。それどころか、こちらを認識しているはずなのに、一向に攻撃もしてこない。


『俺が見てこよう。すぐ戻る』


 影による移動法によって装甲車より少し離れて追走していた風間が、そのまま偵察に出た。


 待つことしばし。


「戻ったぞ」


 ぼふん、と影を伴って装甲車の上部ハッチに着地した風間は、そのまま車内へと入ってきた。


「それでー?どうだったー?」

「おかしなことになっている」


 東山の問に、風間は端的に答える。


「消却者達が守るように囲んだ輪の中心に妙な水晶の柱と―――JUDASがいた」




 ●




 横浜市内のある一角に停車しているバンの中で、ブライアンは天を仰いだ。


「―――あちゃぁ、ブラフマンやられちゃったか。こりゃ障壁が再展開されるのも時間の問題かね」


 たった今、管理A.Iから送られていた情報が途絶した。それに遅れるようにして『俺ちゃん失敗したわ。マジメンゴ』と本人から適当な内容のショートメッセージがIHSに届けられた。それに対してブライアンは同じく適当な世辞と報酬の支払いを済ます。


 ブラフマンの撤退は予想の範疇ではある。元々が外注、それも傭兵に近い扱いだったのだ。洗脳した信者のように命を賭しては動かないだろうし、そもそもそこまで期待していない。


 望外だったのはここに至るまで、混乱開始から8時間近く保持してくれたこと。正直な所、最悪は3時間程度で奪われるかなと予見していた。ブラフマンが存外優秀だったのもあるが、思った以上に統境圏の―――というか日本国の電脳界に対する認識と危機管理が薄い。その上、この危機的状況下に於いても政治優先で動いてくれた。国民ならば溜まったものではないが、引っ掻き回す側からしてみれば非常に与し易い。


「さてさて。そろそろいい具合に溜まっている頃かなぁ、と」


 お陰で一度切った札の別方向の運用が可能になった。


 視線の先、ディスプレイに映し出されたのは横浜市全景。各地に配置されたマーカーには、召喚結晶とそれを運用する人員を配置している。初手で消却者を呼び込んで第一陣を解き放った後は、召喚しては待機させている。


 ブライアンは技術者ではないので細かい理屈は知らないが、あの召喚結晶は消却者を呼び込むだけではなくある程度の制御が可能だ。細かい指示はともかく、待機か特定方向に向けて暴れさせる単純なコマンドは受け付けるそうだ。


 制御に多少大掛かりな機材が必要になるのでそれなりの人員は取られるが、ほぼ無償の暴徒を無尽蔵に使用可能となれば非常に有用だろう。


「よしよし。取り敢えず一箇所は実験用に残して後は全部開放するか」


 障壁が再展開されれば消却者のおかわりが無くなる。それを予見して、今の今まで貯めていた分を放出する。


「ジャンジャンバリバリってね」


 軍艦マーチでも流したい気分になりながら、ブライアンは派遣している現地員に開放の指示を出した。




 ●




「―――あれ………?」


 その異変に最初に気づいたのは三上だった。


 元々が班の部外者であり、そして運転手でもある彼は第一班の打ち合わせに参加していない。別に彼がハブられている訳ではなく、単純に役割の問題だ。実際これが正規戦での初陣になる三上に意見を求めるのも酷というものだった。


 だから後部座席で今後の方針を相談する第一班の代わりに、見張りとして運転席に座ったまま消却者達の動向を注視していた。


 そんな折、空気が変わった感触を得た。それは漣のようにゆっくりと、しかし確実に波及していく感覚。


「んー?どうかしたー?」

「いや、何か………消却者達の動きが」


 彼の言葉に第一班の全員が消却者達の方に視線をやる。消却者達は一様に天を仰ぎ、まるで何かを祈っているかのようだった。それを認識した直後。


「三上!離脱だ!」

「―――!!」


 加賀が突然声を張り上げ、言うが早いか三上は即座にクラッチを蹴って1速にギアを叩き込みアクセルペダルを全開、衝撃を気にすること無く即座に繋げて急発進。シートベルトもろくにしていなかった第一班は車内に叩き付けられるが、文句を言うよりも早く後方で雄叫びが上がった。


 消却者達の咆哮だ。歓喜の歌声と呼ぶには歪な地響きは、聴く者の心胆を寒からしめる。


「すいません。勝手に指示を」

「ううん、大丈夫ー。兆候でも感じたー?」


 三上が2速、3速と繋いで巡航速度に乗る頃には体勢を立て直した皆に、加賀が謝罪し東山が尋ねた。


「ええ、アレは………」

「あの時と同じね」


 加賀の言葉を、宮村が継いだ。


「9.25事件―――私達が巻き込まれた消却者の大発生時よ」


 振り返って見れば、強化リアガラス越しに見えた消却者達はさながら百鬼夜行の如く進軍を始めていた。三上がそのルートを外れるように右折すると、消却者達は追いかけてくること無く素通りした。その歩みの先は、自分達ではないことに今更第一班達は気づく。そして、その先にあるものも。


「この方向………まさかシェルターですか?」


 式王子の呟きに、東山は彼等の進行方向に大池公園のシェルターの存在を思い出して風間に尋ねた。


「避難状況ってどうなってるー?」

「時間的に大部分は収容しているはずだが………。防衛戦力は心許ないはずだ」


 この争乱が発生してそろそろ8時間を迎える。市民たちはそれぞれに避難を開始したは良いが、騒乱発生時が深夜だったのも災いして収容進捗は断続的だ。その上、市民達の護衛に戦力を割かれている。多少は問題ないだろうが、これから大規模に侵攻してくる消却者達を迎え撃てるかと問われれば首を傾げざるを得ない。


 となれば、周辺の治安維持を受け持った鐘渡教練校―――その代表としての判断は一つだ。


「―――宮村ちゃん、ちょっと頑張ろっかー?」

「………………………仕方ないわね」


 東山の尋ねに、宮村は深く吐息した後で肩を竦めた。防衛に関して彼女が鍵になる。宮村が己の力を忌避こそしていないが、その取り扱いには酷く慎重になっていることを理解している。だが、現状はそれを許さない。それを宮村も理解しているからこそ、彼女も折れたのだ。


「風間君ー」

「既に戦場は見繕った。三上。ここへ向かえ。これなら先回りできるはずだ」

「流石ー」


 言うが早いか阿吽の呼吸で既に行動していた風間が、三上のIHSにルートマップを送る。


「さぁて、防衛戦の準備を始めましょうかー」




 ●




 大池公園の東部にある住宅街に、朗々とした声が響く。


「思わず伸ばした少年の手は届かない。分かたれた世界は二度と戻らない」


 宮村だ。タブレットを手に、その内容を朗読する彼女の周辺には燐光が舞い、それは外へ外へと拡大していく。


「それでも一度起きた奇跡なら、もう一度がないとは限らない。少女はそれを信じた。永遠だというのなら、再びまた巡り合うと」


 この朗読は祝詞だ。


 宮村が己の異能を制限するために課した、複雑な行使手順セーフティ・プロトコル。実を言うと本来はもっと簡略化が出来る。だが、国を滅ぼす願望と畏怖される彼女の異能を常識レベルまで落とすにはそうしたポーズも必要であった。


「だから夢幻に溶け逝く世界の中で、彼女は微笑んで告げる」


 そしてそのポーズはいつしか本当になり、彼女を危険視する政府要人に安心感を与えた。


 無論、彼女にメリットがなかったわけではない。異能は使用者の自我から発せられるイメージに左右されることが多い。それを補強するのに祝詞は適切で、一つの物語を脳内で創造できる読書というのは煩雑さを度外視すれば有用であった。


 後は戦場で趣味読書に耽っていても文句を言われないとか最高じゃない、と本人が喜んでいるのでそうなった。


「『―――いつかまた、あのまほろばで逢いましょう』」


 最後の一節が読まれた直後、緩やかに舞っていた燐光が速度を増して周辺へと飛び散ってアスファルトに吸収され、直後に水晶で出来たお菓子の家が出現した。後はこのトークンを増やすごとに彼女の陣地は増やされていく。


 それこそ、彼女が望む限界まで。


「これが、『幻想侵食ブロークン・リアリティ』………」

「しーちゃんの本気を見るのは初めてですが………」

「まだ本気じゃないぞ」

『え?』


 ともすれば世界すら飲み込みかねない破格の性能に、三上と式王子が呆然としていると、同じ様にそれを眺めていた加賀が否定する。


「アレは、だ。詩織が気に入った作者の作品、その一節に過ぎない。言うなら、他人の妄想を借り受けて乗っかっているだけだ。詩織の本気は自作の長編だ。自分で想像し、自己投影した方が解像度が高いからな」


 願望を、空想を、妄想をノイズもなく叶える異能。その本質を見た時、確かに己が生み出したものの方が効率がいいのだろう。


「じゃぁなんで………?」


 それをしないのか、と疑問に思う三上に陣地を構築し終えた宮村が肩を竦めた。


「―――だって恥ずかしいじゃない」

『えぇ………』


 何か似合わないこと言い出したと三上と式王子が思ってると、宮村はあのねぇ、と呆れたように続けた。


「創作って難しいのよ?アイディアぐらいなら誰だっていくらでも出せるけれど、それをこねくり回して繋げて、破綻しないようにエンディングへ導くのって好き勝手書いててもとても苦労するんだから。その上で読者を楽しませなきゃいけないとか、もう苦行の域よ」

「じゃぁ書かないんですか?」

「書いてるわよ?エタっ投げてばっかで一度だってエンディングに辿り着いたことは無いけれど」


 式王子の問に、宮村は苦笑する。短いようで長い人生の内に一本書ければいいかなと思っていた。


「諦めたりしないのか?」

「貴方バカなの?なんでその必要があるのよ」

「ううん………?」

「小夜、貴女も苦労するわね」

「あ、あはは………」


 三上の疑問に宮村は罵倒で返した。


 何でこの男はそんな当たり前のことを理解していないのだ、と。お前は十数年どうやって生きてきたのかと。そして最近出来た友人に同情する。何が良いのか知らないが、こんな鈍感野郎と恋仲とか自分なら考えられないと。


「いい?ゴリラ」

「ゴリラて」

「森の賢者を自称するなら口答えをしない」

「森の賢者じゃねぇよ!?自称してねぇよ!?」

「だったらオツムまで筋肉になってるのを少しは解して考えなさい?」


 何だよ、と警戒するようにたじろぐ三上に宮村は告げる。


「辛くて苦しくて、投げ出しそうになったり実際投げ出したりしたりすることはあるけれど、結局気づいたらまた手にしている時の心境なんて、答えは一つに決まってるじゃない」


 きっとこのニブチンクソボケ脳筋野郎には、はっきり言ってやらないと分からない。


「―――それが好きってことでしょう?」




 ●




「さて、作戦を説明するよ。と言っても、そんなに難しいものじゃないけれどね」

「後方への連絡と布陣は済んだ。少ないながら支援戦力を拠出してくれる。直接的な防衛はそちらに任せて良いだろう」


 ややあって、後方の大池公園シェルターの防衛責任者と通信で打ち合わせしてきた東山と風間が戻ってきた。車座になって、IHS経由で地図を広げながら今後の作戦を提示する。


「状況を見るに、あの妙な水晶が消却者を制御していると見て良い。そんな物があるなど、過分にして聞いたことがないが、存在する以上はそういうものと受け止めよう。従って、我々の目標はこれの破壊にある」

「前衛は三上君と式王子ちゃんー。三上君がヘイトを稼いでー式王子ちゃんがその防御支援ー。要は二人揃ってでタンクの役割だねー。風間君が直接的なアタッカーで、私はその後方からのアタッカー」


 隊列編成としてはオーソドックスなものだ。元から異物の三上が若干の不安要素ではあるが、そこは式王子の防御と2年組の支援能力で補える。


「ここを防衛線にして、後方も疎かにできないからー、宮村ちゃんがここに残って広域支援、加賀君がその護衛―――」

「いえ、中衛です。途中までは同道しますよ。既に幾つか狙撃ポイントに目星をつけましたので」


 東山の言葉を遮って、自らの役割を告げる加賀に東山は怪訝な視線を向けた。


「―――いいの?」

「広域支援と言っても、詩織のそれには観測手スポッターが必要になります。直接的な攻撃手段が狙撃ぐらいしかない私が適任でしょう。それに」

「銃弾が届く位置にいるならどこにいたって一緒よ。近かろうが遠かろうが、徹矢は


 加賀の言葉を継いで、胸を張って宣言する宮村に一同はしばし黙した後。


「ねぇ風間君ー。―――私達、今ひょっとして惚気けられてたりするー?」

「これが若さか………」

「風間先輩、俺達の一個上、だよな………?」

(いいなー………しーちゃん………)


 それぞれに生暖かい眼差しを向けたり羨ましがったりとしていると、片道一車線の道路の奥から咆哮が聞こえた。保土ケ谷バイパスを挟んで、大池公園シェルターに向かうには必ずこの道を通る。故にここに陣地を構築したのだ。


「―――今更だけど、大丈夫?」

「戦場にまで来ておいてそれは………」


 東山の尋ねに加賀が苦笑するが、違うよ、と首を横に振る彼女の本意は別にある。


「最終目的は―――だよ」


 上空の飛べる消却者を相手するのは正直骨が折れるので、素通りしてもらって後方の防衛部隊に任せる。最悪は迎撃するが、彼等の役割は地上の消却者の撃滅、及び制御中枢と思われる水晶―――そして、それを維持管理しているであろうJUDAS構成員の


 JUDASは言うまでもなくテロリスト。一種の狂信者であり、話し合いも交渉もできない相手だ。ここで言う排除とは、即ち殺人に他ならない。


「私も詩織も、人の悪意には慣れました。今回は直接手を下せるだけ、僥倖でしょう」

「国を滅ぼす願望なんて呼ばれる異能持ちよ?私。正直、大事な人以外は死のうが生きようがどうでもいいわ」


 それに思うところはないのかという尋ねに、加賀と宮村はそう返した。気負った雰囲気はない。それもそのはず、彼等は既に戦場―――それも適合者が臨む通常とは異なる酷い悪意で塗れた戦場で生き抜いた者達だ。既に戦士の心得を持っており、それに対して容赦がない。


 そういった意味では、対消却者A.E戦しか経験していない東山や風間よりも上かもしれない。


 だが、ここにはもう一組の不安要素がいた。


「式王子ちゃんはー?」

「私は………正直、怖いです」

「うん。正直でよろしいー」


 自覚しているだけマシなのだろう。その時になったら、先達である自分がちゃんとフォローしようと東山は心に決める。


 そしてもう一人―――一番の不安要素がいる。


「―――三上君は?」

「俺、は………」


 問いに対し、三上は沈黙。


「―――分かり、ません」


 ややあって出された答えに対し、色々と諭したり気を使ったりすることは出来る。だが、そこまで悠長な時間はない。敵は既に近くまで来ている。


「そっかぁー………。でもごめんねー?ヘイト稼ぎ用の前衛が足りないから君を置いてはいけない。最悪、逃げ回っているだけでも良いからー」

「うす………」


 酷なことをするとは自覚している。だが、使えるものは何でも使わないと保たない。東山にしても風間にしても、指揮官教育を今年に入って受け始めたばかりだ。本来ならばもっと部下に対し心身のケアを行って、上手く使うのが指揮官としての役割なのだろう。


 だが、彼等とてまだ学生なのだ。実戦教育を済ませたとは言え、むしろだからこそより明確に、鮮明に死への旅路が見えてしまう。


 その恐れを、怯えを、躊躇いを、指揮官は安易に部下に見せてはいけない。


 だからそれが空元気であるとしても、東山はいつものように間延びした声で号令をかける。


「―――さてー、じゃぁ始めようかー」


 彼等の向ける視線の先に、とうとう百鬼夜行が現れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Realize・Id  ~統境浪漫譚~ 86式中年 @86sikicyuunen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ