第24話 エピローグ

 気が付くと、少し青みがかった壁と青白い光をぼんやり放つ天井が目に入った。

 長い夢を見ていたような気がする。

 マコトは身体を起こそうとして、両腕と体幹が全く動かないことに気がついた。

「えっ」

 マコトは焦った。幸い足は動く、そして、首も。

 マコトは首を巡らせて詳しい状況を把握しようとした。

 そして、天使を見つけた。

 栗色のストレートのショートヘアは艶やかで、天井の照明を天使のリングのように反射している。

 いつもの見慣れたオレンジ色のジャケット姿ではなく、病院勤務のためのナース服姿だ。

 小柄で小動物のような愛らしさを身に纏い、マコトの寝ているベッドの横で小さなスツールに腰掛け、静かに眠りに落ちていた。

 フレームレスの丸い眼鏡の奥の長い睫毛、ピンク色の潤いに満ちた唇。

 思わず抱き寄せ、抱きしめたくなる衝動にマコトは駆られた。

 しかし、残念ながら、身体を起こすことも腕を動かすこともできない。

「あっ、マコトくん、起きた?」

 マコトの邪な思念を感知したのか、クリスは大きな目を開き、薄茶色の瞳をマコトに向けた。

「あっ、うん」

「大丈夫? 気分は悪くない?」

「あっ、うん」

 クリスが次々に話しかけてくるのに対し、相変わらずマコトの口から出てくる言葉は、お粗末だった。クリスを前にするといつもそうだ。

「今は痛み止めが効いているはずだけど。痛くない?」

 いつものように明るい声だが、優しい成分が強く混じる。

「なんか、身体がボウっとしている感じ、あと、顔が痛痒い」

 見ることはできないが、頬に何か貼られているのは分かった。

「顔は火傷の治療中だから掻いてあげるわけにはいかないけど、何か他に辛いことがあったら言ってね」

「え、え~と、今、僕は、どういう状況?」

 満身創痍なのはわかっていた。だが、やはり客観的な診断結果は知りたい。

「後でドクターから説明があると思うけど、左肩に刺し傷、右腕と肋骨は粉砕骨折。顔の火傷は軽傷よ、跡は残らないって。それから身体のあちこちに切り傷と打撲傷」

「そうか」

 ニコライ、トミー、クラウス、ユルゲン、そして、イリーナの偽物。

 マコトは自分が戦ったテロリストたちのことを思い出していた。

 相手の実力を考えれば、今、生きているのが不思議だ。

 現に自警団長でカラリパヤットというインド伝来の格闘技の達人であるダルことダルーヴ・ダッタも、偽イリーナとユルゲンに殺されてしまっている。

 殺されたといえば、他にも事務局長のハン・ハオラン、公安委員長のウガラ・ウガビ、イワン・イグナチェンコ評議員、そして、数名の自警団員もだ。

 そう考えれば、今この時マコトが生きているのは当然のことではなく、明日も今日と同じような日が訪れて、こうしてクリスに会えることは当然のことではないのだ。

 偽イリーナに殺されそうになった時、ある未練がマコトを突き動かした。

 マコトは、いつものように明るい表情を取り戻しているクリスに顔を向け、決死の覚悟で自分の気持ちを伝えようとした。

「そういえば、マコトくん、この船に残るかどうか悩んでるって言ってたね」

 マコトが口を開く前に、クリスが屈託のない表情を浮かべて話しかけてきた。

 マコト、クリス、事務局長そして船長の四人で話したときに、そんな話題になった記憶がある。

「あ、あぁ」

 マコトは不承不承肯定した。

 また、告白するチャンスを逸したようだ。

「ねぇ、今回、すごい怖い思いをしたから、この船に残るの嫌になっちゃった?」

「えっ、それは」

 クリスはマコトの心の中を覗き込むようにじっと見つめている。

 マコトは自分の鼓動が早まるのを感じた。

「降りちゃうの?」

「な、なんで、そんなこと聞くの?」

「だって、大事なことだから」

 クリスの瞳がクルクルと光を放った。

 そして珍しく押し黙りマコトの返事を待つ。

 マコトは追い詰められたような気分になった。

 でも、それは、ある意味チャンスであるような気がした。

 クリスが背中を押している、そんな風にマコトは考えた。

「今回、何回も死にそうになったじゃないか」

「うん」

 クリスは優しい表情のまま、短い合の手を入れる。

「自分にとって何が一番大事なことか、わかったんだ」

 クリスはマコトの言葉を待つようにじっと黙った。

「クリス」

「なぁに?」

 クリスの瞳は潤んでいて、口元は軽く笑みを浮かべている。

「あのね」

「うん」

 クリスの声が甘くなった。

 マコトは自分の頭の中が痺れているような気がした。

 何か魔法にかけられたようだ。

「いつも仕事で一緒なんだけど」

「ええ」

 咽喉が乾いたような気がした。

 マコトはどこか高いところに上ったような気がした。

 おなかの底がスースーしたが、思い切って飛び降りることにした。

「プライベートでも、ずっと一緒にいたい」

「えっ?」

「迷惑かな?」

 クリスが意表を突かれたような表情を浮かべた。

 マコトは後悔が心臓を握りしめ、行き場をなくした血液が頭に集まってくるのが分かった。

「パチクリ。いきなり、そこ?」

 クリスはようやく口を開いた。

「迷惑だよね」

 クリスを傷つけてはいけない、そう思ったマコトは自嘲気味に微笑んだ。

「いいよ」

「そうだよね。えっ?」

 クリスが何を言っているのか、一瞬、マコトにはわからなかった。

 聞き間違いだろう。そんな都合のいいこと、あるわけない。

「いいよ」

 クリスは、もう一度言うと、ベッドに横たわるマコトに寄り添った。

 そして、そっとマコトの胸に手を添え、耳元で小さくつぶやく。

「よろしくね」

 恒星間移民船アークの旅は長い。

 キラキラ輝くクリスの瞳を見つめながら、このまま永遠に時間が止まればいいのにとマコトは思った。

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恒星間移民船のとても長い一日 ― 気になるあの娘に告白しようとしていただけなのにテロリストたちに襲われるなんて ― 川越トーマ @kawagoetoma

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