嘘(前編)
「ヴァンパイア……本物の?」
僕の心は震えていた。それは恐怖を通り越した、どちらかと言えば高揚に近い感覚だった。
「試してみる?」
キッと伸びた歯を見せつける彼女。僕は咄嗟に首を横に振る。
その仕草が何を意味するかは、ヴァンパイアという存在を知っている者なら想像に易かった。
「…………逃げないの?」
彼女は不思議そうに首を傾げる。
「逃げる?」
「君、ヴァンパイアって本当に何かわかってる?昨日のあいつみたいに殺されるとか思わないわけ?」
真面目な顔で詰め寄る彼女。怒っているわけではなさそうだ。
「……殺すの?」
僕は再び聞き返す。
よく考えてみれば、昨日僕を喰おうとした化け物も、雰囲気こそ違うがきっと彼女と同じヴァンパイアだったのだろう。
そいつに殺されかけた事実を踏まえると、たとえ目の前にいるのが可愛らしい少女でも、ヴァンパイアと1体1で対峙しているこの状況は人間からしてみればかなり危険ということになる。
「ま、まぁ、私はそんなことしないけどね」
危機感に疎い僕の発言で調子が狂ってしまったのか、彼女は軽く動揺しながら、僕をなだめるようにそう言った。
「あ、そうだ君、名前は?」
彼女はその場に座り込み、僕と目線を合わせて尋ねた。
「えっ、あ、名前?……僕はシュウ。ヤシロシュウ」
ごく一般的な名前だ。
……と自分では思うのだが、僕が名乗るや否や、彼女は顔を曇らせてしまう。
「そっか。ヤシロか。悪い名前だね」
「……?良い名前じゃなくて?」
「そ。悪い名前。だから下の名前で、シュウって呼ぶね」
不意打ちの呼び捨てにドキッとし、僕は思わず顔を逸らす。
女の子からの呼び捨てなんて、いつ以来のことだろう……
「そっ、そっちは?名前」
「ん、私ね。私はアカリ。よろしくね、シュウ」
……アカリか。意外と普通の日本人らしい名前じゃないか。
「さぁ、自己紹介も済んだことだし、いくつか質問をさせて貰おうかな」
またニヤリと不敵な笑みを浮かべる彼女……アカリ。
「まずはそうだなー……シュウはどうして昨日、’’夜’’に外へ出たのかな?」
…………やっぱり。
それは聞かれて当然のことだった。
アカリが言っているのは、【夜間外出禁止令】についてだ。僕の住んでいる地域には窮屈なルールがいくつかあった。
【夜外禁】はその最たる例で、ざっくり言えば【特定区域】に指定された地域内の住民は、夕方日が落ちてから翌日朝日が登るまで、一切外に出てはいけないという変わったルールだ。
法で定められてはいるものの、夜には警察すらも出動できないため、それを取り締まること自体が不可能という奇怪な制度。
捕まらないのなら守る必要も当然無い。そう考える若者も後を絶たなかったが、大抵の場合、翌日のニュースで行方不明者として報道されるという悲惨な結末を辿ることとなる。
ここ最近になってから、僕はその制度に疑念を抱き始めていた。
「僕は、夜外禁について知りたくて、"夜"に一体何が起こっているのか気になって、それで…」
「ちょっと待って」
アカリが僕の話を遮る。
「今の言い方だと、まるで君がヴァンパイアの存在を最初から知らなかったみたいじゃん……?」
アカリは何かに動揺している様子だった。
ヴァンパイアを知らなかったみたい?
当たり前じゃないか。だって、もし昨日アカリと出会っていなければ、その存在を認知するどころか何もわからないまま殺されていてもおかしくなかったはずだ。
室内に数秒の沈黙が流れる。
「そうか。本当に知らなかったのか。いや、こっちの認識がズレていただけかもしれない。
でもね、シュウはたまたま知らなかっただけかもしれないけど、ヴァンパイアの存在っていうのはかなり多くの人に知れ渡っていると思うし、夜に出歩くとそいつらに襲われるっていうのも多分常識だと思うよ」
は?ヴァンパイアの存在が当たり前?
いやいや!そんな話聞いたこともないぞ。
「シュウ、君歳いくつ?」
考えをまとめる隙もなくアカリが続ける。
「17だけど」
「そっか、17か……」
口に手を当て、僕を睨みながら考え込むアカリ。
なんだか、ありもしない容疑で取り調べを受けているような感覚だ。
もし彼女の話が本当なら、ヴァンパイアの存在というのは常識で、僕はそれを全く知らず、どれだけ危険かもわからずに自分の命を投げ打った。
……要するにめちゃくちゃバカってことにならないか?
「まっ!めんどくさいからもういいや。生きてるだけまだ良かったじゃん?」
僕のモヤモヤを解消させないまま、アカリは急に立ち上がると、僕の左横の日の当たらない床に移動した。
どうやら難しく考えるのは不得意なようだ。それにしても、かなり近い……
「あ、あの、一つ聞いてもいい?」
アカリは返答せず、こくりと頷いた。
「……ヴァンパイアって、一体何なの?」
僕の抽象的な質問に、アカリは「んー」と声を出す。
彼女も間違いなく一人のヴァンパイアであり、今の話で言うと、人々が恐れて夜に出歩く事ができなくなった要因に他ならない、とても危険な化け物のはずだ。
……でも、僕は確かに彼女に命を救われたし、話せば話すほど、何の変哲も無いごく普通の女の子のように感じる。
「少し長くなるけど、いい?」
「……わかった」
アカリは床に転がる椅子をひょいひょいと二つ取り上げると、向かい合わせになるように少しだけ離して配置し、僕に座るよう促した。
二人が椅子に腰掛けると、彼女は前振りもなく語り出す。
「まず、一口にヴァンパイアと言っても、それにはいくつかの種類がある。
昨日シュウを襲ったのは、自我を持たないヴァンパイア。奴らはプログラムされた機械みたいに、ひたすら人を見つけては追いかけて殺す。
私はそいつらを【野良】のヴァンパイアって呼んでる。
奴らは太陽の光を浴び続けると、灰すらも残さずに消失する。だから基本は夜にしか行動できない」
聞きながら、僕は昨日襲ってきたヴァンパイアを思い返す。
自我を失ったヴァンパイア……僕を追い込んで楽しそうに笑っていた様子から、完全に自我が無かったのかは怪しかったが、確かにまともな思考はできていない様子だった。
そしてそいつがアカリによって倒された後、死体が残されていた場所に、今まさに太陽の光が差し込んでいるのを見て、死体が消失した理由についても腑に落ちる。
「次に、私と同じで自我があるタイプについて。ここで一つ勘違いしないでほしいのは、私みたいに人を襲わないヴァンパイアはかなり稀ってこと。ほとんどの場合は、まともな思考ができたとしても、ヴァンパイアである以上野良と同じように人間を見つければ躊躇無く襲って血を吸おうとする」
「そしてここからは一部の人間しか知らない情報だけど、ヴァンパイアの中には日光を浴びても消失せず、”昼間も行動できる”奴らがいる。そいつらは人間の社会に上手く潜んで、バレないように人を襲う」
淡々と話し続けるアカリ。だが、僕はそれを聞いてゾッとしていた。
人間の社会にもヴァンパイアいる……?
もしそうなら、この町に住んでいる人の中にも、いいや、もしかすると僕の知り合いや友人にもヴァンパイアの仲間がいるかもしれないのか?
途端に不安な気持ちに駆られるも、なんとか自分の感情を抑えて彼女の次の説明を待つ。今は聞くことの方が大事だった。
「昼間も行動できるヴァンパイア。彼らは自分達を【美食派】と名乗り、人間の血を吸うことを純粋に楽しんでいる。君は知らないだろうけど、性別や年齢、あるいはその人が今抱いている感情や生まれ持った体質なんかでも血の味は大きく異なる。それをひたすらに味わうというのが、イカれた奴らの目的。そして奴らは野良とは違い、一つの組織を作って行動している。
……とまぁ、さすがにここまで知っている人は少ないけどね。もしこの情報が広まれば、人類はみんな疑心暗鬼に陥って、とても生活なんてできなくなる」
「そして最後に…」
と、ここまできて彼女は急に口ごもり、下唇を軽く噛んだ。
しかし、僕と一瞬目が合うと、何事も無かったかのように話を続ける。
「……最後に、私が【過激派】と呼称しているヴァンパイア集団について。彼らは美食派と同じで知能があるけれど、野良みたいに昼間は基本行動できない。彼らの最大の目的。それは、より多くの人間、そして、より多くの”ヴァンパイアを喰らう”こと」
そこまで話してまた、アカリは込み上げる何かを抑えるように、グッと視線を落としてしまった。
君のため人をやめてみた 水無月 久遠 @Kuon-Minazuki
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