最終話 彼女との出会いの始まり、そうして……。

 寒冬の屋上で厚手のジャケットを着こんで煙草をたしなむ僕の後ろから『ギィ……』と扉の開閉音が聞こえる。

 矗晃のぶてるは、あの始まりとなる懐かしい音に条件反射で振り向いていた。


「あっ……。こんなにも寒い日なのに、またこの喫煙所にいたんですね」

「何だ、驚かすなよ。夏菜美かなみちゃんだったのか」

「そんな真剣そうな顔してどうしたんですか? 熱でもあります、センパイ?」


 僕の間際に急接近し、熱でも計るかのように僕の額に触れてくる夏菜美ちゃん。


 そう、貴崎きさきが退職して半年が経ってもここには面影が残っていた。

 いつも屋上にやって来て喫煙する僕にいちゃもんをつけて去っていく貴崎。

 その光景が頭をよぎって離れなかったのだ……。


「もう今日何本目ですか? そんなに吸うと体に毒ですよ?」

「いいんだ。これは僕の罪滅ぼしなんだ」

「そんな格好いいこと言ってますけど、いいんですか? 風で火消えてますよ?」

「えっ、それじゃあ吸えないじゃん!? この煙草、結構値段するのにもったいないなあ!」


 僕は、木枯らしに吹かれて物の機能を果たさなくなった棒を渋々と灰皿に捨てる。


「それにセンパイにはあたしがいるんですし……」

「あれ、大丈夫か。夏菜美ちゃんこそ、顔を熟れたリンゴのように赤らめてどうしたんだ? もしや煙草の残り香に酔ったのか? 吐きたくてもトイレはここにはないぞ?」

「も……もう、デリカシーのないセンパイなんて知らない!」


 夏菜美は怒った顔になり、階段を駆け降りていった。


「やれやれ。笑ったと思ったら、急に怒ったりして、若いってヤツは罪だな」


 矗晃はボソリと呟きながら新たな煙草に火をつけようとし、ポケットに手をやろうとするが……昔居た貴崎や先ほどの夏菜美の不安げな顔が思い浮かぶ。


「もうやめとくか」


 煙草をポケットに押しやり、職場に戻ることにする矗晃。

 貴崎や彼女に好意を抱いていたらしい花田はなだ先輩さえもいなくなり、役職が自動的に上へと上がり、それなりに賃金が増えたが、その分、仕事量もグンと増えた。

 

 勤務時間内に部下が頑張って仕事をこなす中、こんな所で時間を潰すのも気に引ける。

 それにこのままのルートでいくと今日も残業は確定だろう。


(さて、今日は終電までに間に合うかな……)


 会社に一人残った矗晃は多少苦い顔をしながらも次の仕事の段取りを考えていた。


****


「ねっ、ねみぃ……」


 現在、夜の10時。

 寝不足気味の体にカツを入れるかのように四本目のエナドリをがぶ飲みしながら年度末の新しい企画を考えている矗晃。


「もうそんなに魔剤ばかり飲んでいたら本当に体壊しますよ?」

「夏菜美ちゃん、まだ帰っていなかったのか?」

「ご心配なく、あたし一人暮らしですから」

「それなら尚更なおさらだろ。こんな夜遅くに帰らされたら危ない目に遭うだろ‼」

「その時はセンパイが守ってくれるんですよね?」


 夏菜美ちゃんが近づいて来て、僕の両手を握る。


「センパイ、何でもかんでも一人で仕事を背負わないで下さい。もっと部下を頼っていいんですよ。上司が部下を教育して仕事の流れを円滑にする。そして上司がいない時は仕事を覚えた部下がフォローする。そのための上司でしょ?」

「夏菜美ちゃん……僕は……」

「部下に大きな負担をかけたくないことも分からないでもないです。でもそれじゃあ、いつまで経っても一人で綱渡りですよ? お客さんを色々と楽しませる綱渡りには体操棒やお手玉などの小道具サポートも必要でしょ?」


 夏菜美ちゃんが僕の席のすぐ隣に着席して僕のPC画面を見つめる。


 そんな彼女の横顔が貴崎さんとダブって……。

 いかん、仕事中に色恋とか、何を考えているんだ、僕は。


 夏菜美ちゃんは同じ会社の同僚であり、そんな関係でもないぞ。


 第一、誓ったじゃないか。

 過去に一人の女性を愛しすぎて恋路に破れ、社内恋愛はもう二度としないと……。


 だが、相手は病気で命を亡くすまで僕との復縁をずっと待っていたと聞く。

 葬儀の時にそのの親から聞かされた話だったが……。


 あれ以来、僕は罪滅ぼしとして大して旨くもない煙草を吸ってきたのだ。

 あの娘が一人で僕のことなんかで苦しんで消えてしまうことに比べて、煙草なんかでジワジワと死に近づく僕の命なんて、安っぽい物だったけど……。


「……センパイ、聞いてます?」

「えっ、何かな?」

「何かな? じゃないですよ。あたしの話を聞いてました?」

「いや、もう一回言ってくれ」

「もー、勘弁して下さいよ……」


 夏菜美が大きく息を吐きながら背もたれに腰を当てて、腕を組んで鋭い睨みを効かせる。


「全く仕事中にボケーとしないで下さい。何度も言いますが、センパイはあたしたちのセンパイなんですから!」

「すまん……」


 夏菜美の激怒にひたすら謝り通そうとする矗晃。

 例え立場が上になろうと尻に敷かれるのは変わりなかった……。


****


渓口たにぐち君」


 春になり、新人の入社式を迎えた日に一人の女性から声がかかる。

 矗晃が後ろを振り向いた先には彼女がいた。


「何て残念そうな顔をするんですか? そんなに上の名前で呼んだら嫌ですか?」

「いや、調子狂うからいつものようにセンパイって呼んでくれ」

「何を言ってるんですか? 春から同じ役職になったでしょ?」

「本当、この娘はどこまで上り詰めるのやら」


 僕は目頭に指を当てて、感動の極みを味わう。


「あの……ハズいんで、こんな所で泣かないでもらえます?」

「泣いてないやい!」


 僕は夏菜美ちゃんといつものコントを交えながら、一人で屋上へと向かう。


「また煙草ですか? いい加減辞める気持ちはないんですか?」

「まあな。僕の罪滅ぼしは死ぬまで続くのさ。くれぐれも夏菜美ちゃんは真似するなよ。ニコチンってヤツに付きまとわれたくなかったらな」

「何でニコチン依存症がストーキングな設定なんですか!」

「ごめん、スモーカーキングなことは変わりないけどさ」

「もう、同じキングにして突っ込むのは止めて下さいw」


 最後にはウケたらしい夏菜美が矗晃をハエを払うような手で追いやる。

 夏菜美ちゃんにとって僕は虫なんだな……。


 ──あれから幾らかの時間が過ぎ、会社の風習が大分変わった。

 労働基準法の改正点、パワハラなどのハラスメント対策、そして男女の上下関係、さらに最低賃金ではなく、個人の能力に比例した賃金の上昇など。


 この会社は仕事も人間関係の絡みも段々とやりやすい環境になるかも知れない。

 今日も安らぎの一服をしながら矗晃はそう思いたかった。


 fin…… 。



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お金を貰い、仕事をするのだから社畜になって何が悪い!>yes or no? ぴこたんすたー @kakucocoro

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