第3話 彼女との別れのきっかけ、それで……。 

「よお、やっと来たか渓口たにぐち。俺はこの時を待ちわびたぞ」


 貴崎の懐事情からか、普通のレストランではなく、庶民派のファミレスに誘われたまではつじつまが合うが、まさかこんな所で宗教染みたことを言う酔っぱらい花田はなだ先輩と会うとは……。


「ぷはっー! しかし、仕事帰りの生ビールもうめえもんだな」

「花田センパイ、いくら明日が休みとはいえ、飲みすぎですよ」

「いいじゃん。北潟きたがたちゃんも固いなあ。ツマミの枝豆とかもちゃんと食ってるし、グレープフルーツジュースも飲んでるから最悪悪酔いだけはれっからさ。酒だけに。ガハハッ!」


 夏菜美かなみが呆れて言葉も返せない中で大ジョッキ片手に真っ赤な顔の花田がお腹を抱えて笑う。

 その偉大な(イタイな)先輩を目の当たりにして、矗晃のぶてる貴崎きさきも夏菜美と同様で言葉を失っていた。


「何だ、ボーと突っ立ってないでお前たちもと空いてるテーブルに座りな、おっ


 わけの分からない花田のダジャレを聞き流しながらも矗晃は思った。

 腕時計の針は午前0時に差しかかる。

 終電もあるので軽い軽食でも摘まんで、別にテイクアウトでも取り、明日の休みを有意義に済まそうと思いきや、この上司の災難である。


 酔った花田の相手をするというワードに矗晃の頭の中で警鐘が鳴り響く。

 この展開では今日は帰れそうにないと……。


「お前らも飲むか? 今日は北潟ちゃんの代行運転付きだし、朝まで無礼講だ。とことん楽しもうぜ!」

「おーい、すっ、すんません! そこの可愛い店員ちゃーん! 二人分の生ビールのご注文っ!!」


 椅子から不意に立ち、千鳥足な花田先輩が問答無用でアルコールの追加を若いお姉さんの店員さんに伝える。

 いい迷惑だ、僕らは酒を飲みに来たわけじゃないのにな……。


****


 ──四人でお互いに食事をし、会話を交えてからしばらくして……。


「ねえ、渓口君。私少し席を外すから……」


 小声で矗晃の耳元で呟いた貴崎が静かに席を立つ。

 気のせいか、彼女の顔色が優れないような……。


「大丈夫? 貴崎さん酔ったの?」

「うん、ちょっとね……」


 そう言って貴崎の手によって、矗晃の位置からしか分からない部分から割り箸の箸袋をそっと握らされる。

 所が矗晃はその意味深な仕草を前に何とも思っていなかった。


 ──数十分後。

 その場で握った箸袋がただのゴミの始末かと思いきや、あまりにも戻って来ない貴崎を不思議に思い、何気無く箸袋の裏を見てみる。

 すると、そこには小さなメッセージが刻まれていた。


『──大事な話があるの。化粧室の前で待ってる』


 細いボールペンで書かれていた乱筆よりな文筆に矗晃は嫌な気配を察していた。


「夏菜美ちゃん、すまない。僕トイレに行くから酔いつぶれた花田先輩を少し頼んだ!」

「えっ、大きい方ですか?」

「ああ。ちょっとご近所の腸内関係が崩れちゃってさ、争いが長期化する恐れが出てる」

「そんなこと言って本当は貴崎センパイと密室で落ち合うんじゃないんですか? このこの、センパイの色男w」

 

 夏菜美ちゃんがにやけた目つきになり、自身の口を手で塞ぎながら空いた肘で僕の無防備なわき腹を突いてくる。


「いや、断じて変なことはしない」

「えー? 適当に言ったつもりだったのに、本当に図星ですかあーw」


 夏菜美がイタズラっぽく笑う中、矗晃の目の前にひとさし指を突きつける。


「貴崎センパイを泣かせたら承知しませんからね」

「そんな大袈裟な」

「いいからセンパイ、早く行ってあげて下さい。女の子をいつまで待たせる気ですか」 


 いつもとは違う夏菜美の真剣な表情に矗晃は驚きを隠せない。

 夏菜美から強引に背中を押され、矗晃は密やかに飲食ルームから立ち去った……。


****


「遅いわよ、このニブ○ンが」

「ごめん……」


 何に対してかは不明だが、貴崎さんは明らかに怒っていた。

 折角の美人が汚い発言をするのは少しひいてしまったけど……。


「それで話しというのは?」

「いきなり直球よね」

「えっ? 話があって呼んだ訳じゃ? 」

「はあ……これだから……」


 貴崎さんがドウなんたらと呟いて大きく溜め息を吐くが、当の僕には意味不明だ。


「渓口君ね、空気読んでよね。物事には流れというものがあるでしょ?」

「流れと言われても?」

「ああー、もういいわよ‼」


  貴崎が頭を乱暴に掻きながら矗晃に想いをぶつける。


「あのね。私、来月で今の会社やめるから」

「病める? 確かにさっきはうつぽかったけど?」


 一体彼女は何に病んでるのだろうと僕は真面目に考えていた。


「何か勘違いしてない? だから退職するってことよ」

「なっ、何だってー!?」


 意外な内容に矗晃は思わず大きな声を張り上げる。


「ちょっと声が大きいわよ。特にあの人にはギリギリまで知られたくないんだから」

「あの人って神様か、何かかい?」

「まあ、本人はそう思ってパワハラをしてるかどうかは謎なんだけどね」


 貴崎が肩をすくめて片手をヒラヒラさせる。

 それは降参の合図でもあったが、鈍感な矗晃にはただの愛らしい行為としか思われていない。


「まさかプライベートな食事先でも嫌がらせをされるとは思わなかったわ」

「僕が何かした?」

「違うわよ、花田先輩のことよ」

「ええっー!?」


 矗晃が本日二回目となる常識外れな大声を叫ぶと、今度は何事かと、周りのお客の目が二人に集中する。


「あはは……。すみません……」


 貴崎が周りの人に丁寧に頭を下げて、ぼんやりしている矗晃に腕を絡ませる。


「ほら、のほほんとしないでよ、ダーリン。席に戻るわよ」


 僕は冗談でもダーリンと呼ばれる嬉しさよりも信じられない気持ちの方が上回っていた。


 あんなに何年も仕事を頑張ってきた貴崎さんが急に会社を辞めるんだぞ‼

 つい最近まで音沙汰もなかったのに、何の心境の変化だよ……。

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