■配達員■の諜報天国
中村尚裕
■配達員■の諜報天国
〈こちら都、状況に変化〉
ビルの狭間。賢の視覚――ARコンタクト・レンズに文字情報。
〈兎がマークされたわ。配達役を賢に変更、長と接触して〉
苦い顔の賢が腿の横、指先を踊らせる。パターンはJISキィ配列、アーム・バンドが筋電位を拾って文字へと変換。
〈了解、プランB。道理で実入りがいいわけだ〉
紺色パーカのフードを深める。視覚の端、時刻表示は10時12分まで60秒。公園、裏通り側から賢は所定位置へ――きっかり60秒。小さな池を背に、背中合わせのベンチへ緩く腰。
「いぶし銀が星を上げたってな」
片掛けで背負った黒リュック越し、長が符丁を囁く声。
「サッカーで?」前を見たまま、賢が符丁を囁き返す。
「野球だよ」囁き声と紙の音。背後の気配が遠ざかる。
10秒。眼だけで周囲を探り、賢は腰を上げつつ背後へ眼。
スポーツ紙、一面にいぶし銀の勝利投手――背番号11。
地下鉄駅、11番口を目指す。進入は向かい側、12番口から。全国紙を小脇に、人の流れに乗って最寄りのコイン・ロッカーへ。
〈都、ロッカーも張られてないか?〉周囲を探りつつ右折、賢は行き過ぎながら都へ問う。
〈桜が先に取り付くわ。2557番〉都から文字情報。〈囮を持ち出すから、本命をお願い〉
〈敵が黙ってるか?〉
〈その時は一騒ぎ起こすわよ〉
時計を見る振りをしてから引き返す。気持ち距離を置いて壁際へ。畳んだままの全国紙を読む姿勢、ロッカーの2557番を視界に収めて周囲を探る。
〈動くわよ〉
逆方向から桜の姿、人の波に乗ってくる――外れてロッカー、2557番へ。鍵を回す。
反応。2人。眼を上げた。うち1人が歩を進め――立ち去る桜の背後へと。
〈敵が1人残ってる〉
〈忍がフォローするわ。行って!〉
全国紙を小脇に、賢は2557番へ。敵の視線を背負って扉を開ける。中には掌大の封筒、2通――の上にそれぞれ煙草のパッケージ。
ラークの紅白とメビウスの青。符丁の〝星〟からセブンスター、派生のマイルドセブンを経たパッケージ――青。
全国紙を押し込み、青と封筒を取る。コインを投入、扉を閉める。鍵を手に踵を返す。11番口へ。
人の流れに合流し――たところでリュック越し、派手な水音。黄色い声で謝罪の言葉。背中で聞きつつそのまま地上へ。
階段を上る賢が躍らせて指先。〈尾行は?〉
〈さっきのは足止め〉都の返信。〈他はまだ未確認〉
〈振り切る。抜け穴を〉
〈座標を送るわ〉
都から座標データ、携帯端末が誘導開始。足元から緑の矢印、半透明――が地上へ出たところで右へ。交差点。渡り――切ったところで右へ折れ、それまでの背後を視覚の端へ。慌てる間抜け――は、いない。
一本奥の裏通り、大通りに並行。突き当たりに川、大通りへ合流。橋を渡ってなお1ブロック先――信号の色。欄干側へ寄り、歩を刻みつつ雑踏の横から時期を読む。歩調を調整。視覚の矢印は交差点の先、角のビルへ。
そのまま進んで信号前――で青の点滅。小走りで突っ切り、角のビルへ。ガラス張り。中に地下鉄への階段。さも当然という顔で下った先、踊り場を左へ折れた直後に目印が浮かぶ。黄緑の逆三角――死角。入る。立ち止まる。
リュックを外して首にかけ、パーカを脱いで裏返す。平均にやや足りない上背に焦茶のTシャツ、中には細身ながら筋肉の影。
認識は印象に引きずられる。つまり印象を替えれば、相手の認識も逸らし得る。水色の生地に袖を通し、リュックからは黒帽子。目深にかぶって左手にリュック。
何食わぬ顔、階段を下り、地下通路へ突き当たる。
右折。ついでに背後を視界へ――スーツの脚、濃紺。そこまで。
賢が空を打つ。〈あれが尾行か?〉
〈他にも〉都から視覚へ文字。〈ちょっと怪しいのが数人〉
データ受信。都から。視覚の端へ投影、荒い静止画が3枚。濃紺スーツ、都市迷彩、濃灰色ジャケット。
〈失敗か?〉送信しかけ、賢が付け足す。〈まあ釣れたんなら〉
〈撹乱するわ〉
都から座標。携帯端末へ。視覚の矢印が書き換わる。
進路左手、直近の出口へと折れる。短い通路の先に階段、地上へ――出てUターン。大通りを遡る。
〈都市迷彩がかかったわ。さすがに引き返さないけど〉
〈他の2人は?〉
〈濃灰色が地上から。交差点を渡ってくるわよ――青信号まであと3秒〉
歩調を合わせて賢は右折。高級車ディーラを横目に大通りから離れるルート――の背後。雑踏。青信号。気配を背負う。前へ。
矢印を辿る。背後の喧騒がやや迫る。こみ上げる焦りを呑み下し、意地で歩調をただ保つ。建物側へと足を寄せる。
路地への角――を、折れない。直進。背中の神経を尖らせる。足音の群れ、距離が徐々に――詰まる。次の路地が迫る。視覚の矢印が――右へ。
右へ流れた。路地へ。ビル壁に沿って直進、壁の色が変わ――ったところの入口へ。すぐ左手に階段、手摺なし。矢印はその傍ら――から階段裏へ。
「行き止まりかよ……!」思わず歯噛み。
裏口はない。表から見えないだけの陰。見張られたらそれまでの行き止まり、文句を呑む。リュックを開ける。中から薄茶のパーカと濃灰色の帽子、それから明灰色のリュック。パーカと帽子を手早く替え――と。
頭上から声。2人。
歯噛み。賢はそれまでのパーカと帽子を黒リュックごと明灰色のリュックへ。音を殺して押し込みつつ、神経を声へひたすら向ける。
声と足音が下りてきて――響きを増した。リュックの口を――ようやく閉める。
だが出入口は恐らく2人の視界、つまりは出るに出られない。
〈階段の2人は?〉賢が打ち込む。
〈見えっこないでしょ、そんなぼろビル〉都が返す。〈そもそも何でそこ選んだと思ってるの〉
声も出ない。むしろ出せない。2人の足音を焦れて待つ。
〈表は?〉たまらず賢が打つ。
〈濃灰色が角に〉都から。
さらに歯噛み。下手をすると挟まれる。足音へ耳――と。
化けた。足音。響きが硬い。このまま出口へ――祈りつつ、ポケットから携帯端末。
耳を澄ませる。足音が――一歩。響く。遅い。
〈濃灰色は?〉賢から問い。
〈まだ角〉短く都。
足音――の響きが変わる。抜けた。カメラを起動。視覚の一角に――映像。カメラを角から覗かせる――いた。2人。濃灰色側へ。
まだ早い。焦れる心理を噛み殺す。また一歩。あと少し――、
クリア。踏み出す。
〈待って!〉都の制止。
〈何が!?〉賢が打ち返す。
〈濃灰色!〉都が立て続け。〈動いた!!〉
出口前。足を止める。問いを打つ。〈どこへ!?〉
わずかに間――から都。〈大通り沿い! 外れたわ!!〉
外へ足。視界の端に2人の背中、そのまま折れて背を向ける。
進む。歩調を抑える。行方を見据える。路地の先、人の流れ。少数。留まる姿は未だない。ただ監視の穴も続かない。紛れるが先か、それとも捕捉されるが先か。前と背と、神経を尖らせつつ歩む。角を――右へ。すぐ左折。道が開ける。まばらながら人。
〈お帰り〉雑踏に重ねて文字――都。〈これで〉
途絶えた。間――を置き、〈悪い報せよ〉
〈敵か?〉端的に賢。
〈マークされたわ〉わずかに間。〈たぶん全員〉
賢の奥歯に、圧。〈全員?〉
〈探るたびに敵がかかるのよ〉
違和――。
〈ヘボくないか?〉
この世界、巧者は気配も匂わせない。その点で敵は巧くない。
〈こっちを洩らさず捕捉したのに?〉都の反論。
さらに反論――しかけ、打ち直す。〈いま何て?〉
半拍、再び都。〈こっちを一人も洩らしてないでしょ?〉
ヘボい敵、離れず、洩れもない――噛み合う。洩れ。都。
〈それだ!〉賢が打つ。〈ゴールは?〉
怪訝そうな間――を置き都。〈どうするつもり?〉
〈交代はもう無理だ〉畳みかけて賢。〈直接行く〉
〈補給は?〉都の問い。〈もう着替えが〉
〈言わせるな〉賢が断じる。
都が洩れの大元なら、何を言っても悟られる。ならば選ぶ手は一つ。
迷うような、間――から都。〈青のγ、血糖源〉
〝青のγ〟と〝血糖源〟、疑問を噛みつつ賢が打つ。〈切るぞ。追うな。黙ってろ〉
コマンド入力、都との接続を――切る。端末の内蔵記憶から地図、監視カメラの盲点に当たりを付ける。
通りに行き当たったところで右折。雑踏。流れの中を大通りへ。スーツ姿の陰から交差点、左への信号、時期を読む。
歩調を整えコマンド入力、視覚の端に検索画面。〝青〟、〝γ〟、検索。
上位に現れたのは色再現性――眉をひそめる。〝γ〟で検索――ギリシア文字、第3番。
「3……?」
そこで交差点。左の信号が――青へ。折れる。渡る。向かいのビルにショウ・ウィンドウ。
渡り切ってビルへ寄り、なお左折。眼をショウ・ウィンドウへ。映り込む横断歩道――に都市迷彩。
賢は直進、ビル沿い――角を右。
路地へ。パーキング・メータと車列を横切り左、並ぶ店の軒先を舐め、先へ。
歩幅を増やす。前方、左に細く路地。行き過ぎる。さらに先。ビルの正面、入口に差しかかっ――てすぐ折れる。視界の端に背後、雑踏から都市迷彩。
奥へ。突き当たり、壁に貼り紙。『通り抜け禁止』――右へと通路。狭い。立ち入る。
敵の躊躇に期待をかけつつ、足を止める。明灰色のリュックを下ろす。薄茶のパーカを脱いで裏返し、明灰色の生地を着る。リュックを開けて帽子を黒に、それから再び黒リュック。それまでの装いを中へ押し込め、黒リュックを背に通路を抜ける。外。左へ。
ビルの狭間を進む。抜ける。路地。右へ出る。次の角をなお右へ。
まばらに人。並ぶ店。流れに紛れて軒先を行く。ひとまず足先を大通りへ。
着替えの手持ちはこれで払底、都の支援も望めない。情報洩れは塞いだにしろ、行方も都の暗号を解かねば――、
「〝青のγ〟、か」
口中だけで転がしてみる。色再現性、第3番、三原色、光……、
「光、の三原色――虹?」
検索。虹色を構成する赤燈黄緑青藍紫、七色――と、そこで。
前方、遠目。信号が灯して――青。
「7?」
思い当たる。7、青、今回の仕事――〝星〟。
「セブンスター? メビウス?」
歩調を作る。ほぼ反射。まずは距離を取るのが先決、大通りへの左折を狙う。周囲を警戒、雑踏の中へ。
大通り沿い、信号を渡ったところで心当たりを検索。〝星〟ならばセブンスター、語源は――、
「北斗七星、か」
次の信号が、赤へ。連想が――止まる。しかし足は止められない。歩調を作って、なお前へ。歩いて頭へ血を送る。
信号を渡る。大通りがやや曲がる。街路樹の並び、その向こうに鉄道――の高架。地名を冠した駅が近い。
「地名――?」
思い付く。北斗七星と地名を入力、検索――、
ヒット。武将、神社――都市伝説。地図に北斗七星が重なる。
「!」
思い当たる。γ。星座の第3番星。都市伝説を辿る――該当。神社ではなく塚がある。携帯端末で誘導開始。視覚に矢印。進行方向。遠くない。
「あとは――〝血糖源〟か」
歩を前へ。高架をくぐればもう近い。考える時間も長くない。
塚はビルの谷間に佇む。距離を置いて賢は観察、人はそれほど多くない。ただし窓に物陰、見張られやすい場ではある。
隠れて待つ。動きを窺う。塚の周囲の顔ぶれが、徐々に徐々にと入れ替わる。
と――、
塚へ人影、女が一人。黒に限りなく近い赤。シャツとロング・スカート、いずれにもプリーツを施して、腰には鮮やかな赤のファッション・ベルト。黒髪とサングラスの下、ひときわ赤くルージュを引いて――、
「あいつか……!」
賢が呟く。都市伝説が頭に浮かぶ。骨も溶けるほど甘い炭酸飲料。そのボトルのイメージは女性モデルのボディ・ライン。その表面には特徴的な凹凸が縦に走り――、
周囲を探る。意を決する。歩を前へ。
塚の前、手を合わせる女へ近付く。斜め後方、動きを待――ったところで女が動いた。踵を返し、すれ違う、その寸前――、
「〝血糖源〟?」賢が声。
「〝青のγ〟」女も声。
指先だけで賢が封筒、腕は緩く下げたまま。すれ違いざまに感触が失せる。視界の端に女。横顔――がそのまま過ぎる。背後へ。足音だけがその場に残る。
何食わぬ顔で賢は前、塚へ向かって手を合わせる。眼を閉じる。
遠く、喧騒――。
眼を開けた。踵を返す。賢は再び雑踏へ――。
■配達員■の諜報天国 中村尚裕 @Nakamura_Naohiro
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