第24話 黙示録は終わらない

 小雨が校舎の壁を塗らす、寂寞たる月曜の放課後。

 濡れて帰ることも許されず、狩哉達は視聴覚準備室に呼び出されていた。


 あの凄絶な戦い(と言ってよいものか)から数日が経つ。

 『古き蛇』と『バビロンの大娼婦』という愉快で個性的なアレゴリー仲間達も加わり、今日の視聴覚準備室も盛況だ。

 長机の末端に座らされた茜と先生は、終始オドオドしていた。


 特に先生は職員会議があるらしく、


「じゃあ、また後で来るから……期末試験も近いし、大変なのよ」


 と、明らかにホッとしていた。

 先生が途中退席したときは、全員が恨めしそうに、うらやましそうに睨んでいた。


 世音による厳しい監視はここに来て苛烈さを増し、狩哉達は強制的に世音が参加しているSNSに登録させられた。


 毎日必ず日記を書くことを課せられ、四騎士、茜、先生、世音とだけ友人登録をして、その間でしか日記を公開させてもらえない。


 他の人間の日記を閲覧するのは自由だが、こちらからは登録してはいけないし誘ってもいけない。

 流行に乗れない、恐ろしくクローズドな社会だ。


『人の日記を盗み見てはいけない』という戒めを、十戒に足して貰いたかった。

 十戒守る仲間もいなそうだが。


 ――しかも日記の内容が各々、個性的でひどい。

 

 狩哉はテレビやゲームの感想ブログのような日記しか書いていない。


 他に書くことが無いので仕方なくそうしているのだが、「取り留めが無い」などのコメントがいつも着くのですでにSNS疲れが始まっている。自然体で現代は生きられない。


 一方弓華は、絵文字と顔文字の多用で文章が煌びやかすぎて、とても読みづらい。

 しかも自分の日記なのに狩哉のことばかり書いてあるし、「今度いつお弁当作る?」などと私信を書いては、世音に「ヨソでやれバカ」とコメントをつけられていた。


 小坪は難解な漢字と、自分語りと、理由の無い改行ばかりで非常にうざったらしい。

 たまに誰に向けて書いているのか分からないポエムも挿入されているが、狩哉は読み飛ばしていた。

 茜だけがたまに「分からなくも無いです」とコメントしている。

 仲良しでよろしい。


 無無美は卑猥な言葉だらけの変態日記――

 ――かと思いきや、意外とまともに情景描写の巧みな日記を書いていた。


 狩哉は関心しかけていたのだが、不自然なまでに登場する『小高い山』や『よく茂った草原』や『たわわに実った果実』などといった比喩表現の多くがただの下ネタの喩えだと気づいて以来、真面目に読むのを止めた。

 神の使者が一番コンプラを守る気がない。


 茜は今のところ、犯してきてしまった悪戯を後悔する日記を書いている。

 狩哉達は告げ口をすることも無く様子を見ているのだが、世音はネチネチとそれを責めるコメントをつける。

 茜は律儀に「本当にごめんなさい」というレスを毎回つけるので、見ているこちらの胸が傷んだ。


 そして先生は普段は学業に関する『先生からのお便り』的な柔らかい文章の日記を書くのだが、夜中に突然、短い日記、というかつぶやきを怒濤のように投稿する。


「悪夢で眠れない」

「三者面談で男子生徒とそのお父さんと三人きりどうしよう」

「怖い苦しい怖い人間なんて男なんてケダモノだ」


 などどう見ても正気を失っていることがあり、その都度気づいた誰かが心配のメールを入れた。

 日記を書くことで平穏を取り戻しているようだった。

 ある意味もっともSNS向きだったらしい。


 ちなみにラーメン屋『七会軒』の店長は、先週の土曜に職員室に忍び込もうとした所を男性職員に見つかり、速やかに逮捕されたそうだ。

「あの男がこれで終わるはずが無い」と先生はさっぱり気が安まらないようだけども、しばらくは平穏が続くだろう。


 そして世音の日記は、他の友人向けのまともな日常の日記がメインだった。

 普段から携帯電話をいじっているだけあって、ネット上の文章も慣れている。

 顔文字にも絵文字にも改行にも頼らない、若者の割に読みやすい日記だった。


 こちらだけを読めば普通の女子高生として好感も抱けるのに、『アレゴリーにだけ公開』の範囲日記は四騎士達への指示や命令や脅迫など、罵詈雑言が殆ど。


 日記だけでも、人間の二面性は侮れない。

 ネットに場所を移しても、光と闇が共存している。

 さすがは智慧の実を食した者の末裔だった。


「ふん。みんな日記の内容に嘘は無いようね……これからは、SNSとこの視聴覚準備室、二つ使ってアンタ達の行動を監視させて貰うから、覚悟しておくように。アンタ達は監視されているファンダメンダ鼠なのだから」


 ふんぞり返った世音が、抑揚の無い声で告げる。


「は~い……」


 生気の無い、狩哉達の返事。 


「あのー羽原先輩、一つよろしいですか?」


 おずおずと茜が手を挙げた。


「よし、発言を許そう」


 古き蛇、大魔王に向かって傲岸不遜に頷く世音。


「その……みーちゃんはお元気でしょうか?」


「ふん、またその話? 元気よ、超元気。食欲ありすぎて腹立つぐらい」


 言い捨てる世音に、「そうですか」と胸を撫で下ろす茜。


 茜が可愛がっていた猫を『猫質』として連れていった世音は、自宅でペットして飼うことにしたのだ。


「サタにゃん、安心しては駄目。この女は貴方を自分の支配下に置きたいがために、みーちゃんを招き入れたのですからね」


 ひそひそ声だが明らかに全員に聞こえる声量で、小坪が茜に告げる。


「う……そうですけど、どうせ私のアパートじゃ飼えなかったし……私が言うことを聞いている限りみーちゃんが暖かい場所でご飯を貰えるっていうのなら、それでもいいです」


 複雑そうだが、茜の表情には辛さは無い。

 殉教者のようだ。

 殉教サタンだ。


「健気だな~茜ちゃん……いい子だー」


 和んだ弓華が手を伸ばして茜の頭を撫でる。

 茜は撫でられて数秒は動かずに目を細めて、


「こ、子供扱いはやめて下さいって!」


 突然怒り出す。

 ――毎回このパターンである。


「この女を甘くみてたら、またひどい目に遭わされるんですからね」


 小坪は面白く無さそうだ。

 茜を可愛がっている小坪は、自分の趣味の世界に茜を引き入れようと同人イベントやアニメショップにまで連れ回しているらしい。


「二人ばっかりラブラブしていいにゃー」


 無無美はぐでんと机に突っ伏して、小坪達に妬みの視線を向けている。


「何がラブラブですか。ムーみたいな厚顔無恥な破廉恥ドMは、ずっと世音の奴隷をしていれば良いのですわ」


 唇を突き出し、小坪はわざとらしく罵る。


「あはん……冷たくされようが、私は小坪が好きよ。愛してる。側にいてね。ずっと親友でいようね。大好き」


 無無美に真面目な顔で返されて、小坪は


「な……ムーってばいきなりそんな……もう」


 頬を朱に染めて俯いてしまった。


 ――ちょろい。


 小坪を見て舌なめずりをしている無無美を見ると、本当にどちらもいけそうで恐ろしい。


(そもそもどんなストレスでこいつは覚醒したんだ?)


 訊きたくも無かったが、とてつもなく刺激的な出来事があったに違いない。


「狩哉ー、僕も愛してるよ」


 ちゃっかり流れに乗る弓華は、


「ああ、ありがとうよ」


 さらっと流すのに限る。


「本当なのに……」


 涙目になっているのは分かっているので、狩哉は直視しない。


「……うっさいわねーアンタら! 監視と報告は今日はもう終わりにしてあげるから、だべってないでさっさと帰りなさいよ」


 無駄話の尽きないアレゴリーの面々を、世音が威嚇した。

 一瞬びくりと表情を強ばらせた狩哉達だが、解放される喜びの方が勝る。


「やったー、ちょっとは部活に顔出せるー! お疲れさまー」


 晴れ晴れとした顔で立ち上がる弓華に続き、小坪や茜、無無美も席を立ち、ドアを開けて教室の外に向かう。

 狩哉も立ち上がり、ドアに向かったのだが。


「はいはい、さっさと出ていきなさい。日付変わる前に日記更新するようにね」


 世音が狩哉達に背を向けて、窓の外を見ながら携帯電話を触り始めた。


 ――その背中が、小さい。


 ふと気になって、狩哉は立ち止まってしまった。


「……朱見先輩? 行かないんですか?」


 廊下の外から、茜が不思議そうに声をかけてくる。

 他の三人はすたすたと勝手に廊下の奥へと去っていく。


「あー、俺はちょっと用があるから、帰ってていいぞ」


「はあ。では、お先に失礼します」


 茜は両手を前に組んで、ちょこんと頭を下げる。


「おう、気をつけて帰れよ。もう悪戯すんなよ」


 狩哉が手を振ると、茜は微かな苦味のある笑顔で「はい」と答えて去っていった。


 人類の天敵、アレゴリーが素顔で笑える世界。

 奇妙な未来がやってきたものだ。


 世音は狩哉を意にかけず、黙々と携帯電話をいじっている。

 一人で。


「なあ、世音」


 狩哉が語りかける。


「んー? 何やってるの、さっさと帰んなよ」


「お前さ、あの猫、獣医に連れていっただろ」


 世音の手がぴたりと止まった。


「知ってたの……?!」


 振り返った世音の顔が、沈み出した夕陽に染まっている。


「なるほど……自分が周りにどう見られているのかは、預言でも分からないみたいだな。俺の母親が見かけたんだってよ、猫連れて動物病院に入っていくお前の後ろ姿」


「ぐ……油断してたわ……い、いや、別に大したことじゃないし。一応予防注射とか健康診断とかした方がいいでしょ、野良猫だったんだし、大事な猫質だし」


 気色ばんで歪む世音の顔が、とても新鮮だった。


「別に悪いことじゃないだろ。何を照れてるんだよ」


「アンタらにプライベートを見られるのが不愉快なだけよ」


 いつも通り慇懃で冷酷そうな言い方も、微笑ましく感じられる。


「なあ、世音」


「何よアレゴリー」


「思ったより悪くないかもな、ここ」


「……ここって?」


「この世界。この国。この町。この学校。この教室」


 この時間。


 常に在る日。


 戦争をしなくてよい世界。


 ――侵略しなくても、続いてもよい世界。


「アンタねえ……黙示録の四騎士がそんなこと言っていいの? この日常を終わらせるのがアンタの使命でしょうが」


「……だな。口が滑った。俺は戦争の騎士だ。諸君私は戦争が好きだ。大好きだ。血みどろ最高。記憶なんか思い出なんか世界なんか消えてしまえ。我が世の春が来た」


「アハハ、ばーか」


 世音が吹き出して、狩哉はホッとする。

 悪意以外でも相手が笑えると気づいて。


「ねえ狩哉」


「何だよ預言者」


「明日も、ここでお昼食べましょ。みんなも誘っておいて。勿論茜ちゃん達もね」


「分かった。日記にも書いておく」


 狩哉は頷く。

 あれほど嫌だったこの場所での昼食が、今はそんなに不快ではなかった。


「よろしくね」


 と言ってまた携帯電話をいじりだす世音。


「おう、じゃーな」


 答えて、狩哉が視聴覚準備室を出ようとする。


 ちらり、と世音が見ている携帯電話の画面が、狩哉の視界に入った。


 世音本人の日記では無い。


 誰かの日記を、世音が読んでいる。


 そのタイトルは。


『ヨハネへ 明日の預言』


 であった。


 狩哉の視線に気づいた世音が、慌てて携帯電話を隠す。


「な、何? まだ何かあるの?」


「あ、いや――な、何でもない」


 唖然としたまま笑って誤魔化し、狩哉は世音に背を向けて教室を飛び出す。


(まさか……まさかな、そんな簡単に……まさか、日記で見せてくるなんて……そんな黙示録……はは、まさかあ……まさかあ!)


 あり得ない出来事は胸に閉まう。


 ――何も見なかった。


 狩哉は、何も見なかったのだ。


 何故なら、その日記が本物なら、それを書いたのは。


 それを示達してくるのは。


 それを世音に与える存在は――。


 いや。考えてはいけない。


 今日はもう帰って、明日のことを考えよう。


 明日の明日の、そのまた明日の。


 独裁者にも奪われない明日のこと。


 そう。



 世界の週末のことを考えよう。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界を滅ぼす『黙示録の四騎士』が高校生に転生してしまった ホサカアユム @kasaho

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画