第23話 人類の力

 荒涼として乾いている屋外の風は冷たく、学校を出る頃には全員が腹ぺこだった。

 夕飯時はとっくに過ぎている。

 先生は一足先に、一人暮らしのマンションへと帰った。


 憔悴しきっていたので狩哉達は送っていくつもりだったのだが、いつも通りの柔和な笑顔で気丈に振る舞う先生は、きちんと自分の足で歩いて、学校から出ていった。


 あの柔らかい笑顔だけはきっと、世音に脅された結果としてでは無く、人間として獲得したものなのだろう。

 ――そう狩哉は信じたい。


 その後、四騎士と茜はそれぞれ自宅に電話して、お母さんに「今から帰る」と告げた。

 高校生にもなっても母親に弱い、過保護で未熟なアレゴリー達。

 世間にも、天上の誰にも見せられない姿だ。


 特に茜は大いなる父にまで反逆を翻したかつての天使の長でありながら、アパート住まいの若い母親に頭が上がらないらしい。


「稼ぎの悪いお父さんとは違って、お母さんは毎日パートと家事にてんてこまいなんです……私が支えてあげないといけないんです」


 家には中学生の弟もいるそうで、甘えん坊のお姉ちゃん子なのだそうだ。

 姉がアレゴリー、それも人類最大の敵だと知ったら面倒なことになりそうだが、これだけいい子な茜の家族ならそれすらも受け入れる気がした。


「今度の弟は可愛がってあげなさいよね、茜ちゃん」


「う……まあ、その……はい」


 世音の言葉に、苦虫を噛みつぶしたような顔で頷く茜。


「今度のって? 茜の弟を知ってるのか、世音?」


 軽い気持ちで狩哉は訊く。


「またしても鈍いですわね、狩哉は。天使長のことですよ」


 小坪がそっと、狩哉の耳元で囁いた。


「あ……そうか、ミカエルか。あいつ古き蛇の弟だったもんな」


 大天使を束ねる者、ミカエル。

 かつて天に戦いを挑んだ茜の弟でもあり、黙示録においても古き蛇を打ち倒す英雄的な存在として描写されている。


 今回の事件では登場していないが、もしかしてこの近辺ですでに生活しているのかもしれない。

 天使達は几帳面なので、きっちり準備してから現れるだろう。

 ミカエルの友人のメタトロンなどは、一番いい装備が揃わないと表に出てこない装備第一主義者だ。


「弟の気持ちなんて考えたこと無かったんで、今度は喧嘩しないで仲良くやれたらなって思います……」


 茜が恥ずかしそうに小声でこぼす。

 どっちの弟のことだろう。どっちでもいいが。

 町の片隅の兄弟喧嘩と、天上全体を巻き込んだ戦争を一緒くたに語られると、どう返していいか分からなくなる。


(まあ、兄弟は仲が良いにこしたことはねーな)


 古き蛇と天使長が和解してしまったら、黙示録が成立しなくなってしまうけれども。

 ハルマゲドン中止のお知らせだ。楽しみに予約していたファンも泣く。


 騒ぎも落ち着いた所で、狩哉達は人の少なくなった夜の通学路を、揃ってのんびり歩いて帰ることにした。

 全員家の方向は大体同じなので、女子だけを一人で帰らせるような危険は犯さないですむ。


(危険なのは人間の方だけどな)


 キレの無い脳内セルフツッコミだった。

 まあ小坪にしても茜にしても、こちらからは手を出さないだろうが。


「今日は疲れたね~。騎士の力をフルに使ったのは久しぶりだった……いや、地上でフルに使うのは初めてだったかなー?」


 弓華は歩きながら腕を延ばし、ストレッチをしている。


「全くですわ……髪がこんなに傷んでしまいました。きちんとアフターケアしないと」


 長い黒髪を指で遊ばせている小坪。

 その後ろをちょこちょこ隠れるように歩いている茜も、小さくかわいらしいあくびを浮かべてている。


 狩哉も今日はさすがに、疲労感が半端では無い。

 人間の体を使っている以上、カロリー消費も激しい。睡眠も足りていない。


 あの無無美でさえも、反物質を生成して発射するという大技の後ではテンションを保てないらしく、


「むー」


 と、しょぼしょぼ眠そうに目を擦っている。

 いつもこんな感じにほうがモテるんじゃないだろうか。モテたくもないのだろうが。


 そんな中、ただの人間であるはずの世音だけは背筋をピンと伸ばし、健やかにぐんぐん歩きながら携帯電話を見ている。

 新しい制服の用意は先生に約束させたので、今日は体操着の上からスカートを履いたままで帰宅するらしい。

 腕や足に負った火傷に関しては、軽傷とはいえ痛そうな顔一つ見せない。


 この余裕というか、恒常的な『自分すらどうでもいい感じ』はどこからやってくるものだろう。この世代の少女にはよくあることなのか、あるいは現代病か。

 それとも、預言者ヨハネに選ばれた人間の性格は、みんなこのような感じなのか。


「世音、今回のこと、お前はどこまで見抜いてたんだ?」


 狩哉が声をかけると、世音は「んー」と鬱陶しそうな顔で携帯電話を閉じた。


「お昼にも言ったけど、私は与えられた言葉や情報を受け取れるだけの『預言者』で、好きに未来を見通せる『予言者』とは違うからね。大体の結末は分かるけど、行動次第でズレは起きるの。分かったこと、知ったことを利用して、自分の都合の良い経過は生み出せるわ」


 分かるような分からないような、神秘的な返答だった。


「都合の良い経過ねぇ……じゃあ、どこまでが自然の成り行きで、どこからがお前が干渉した結果なんだよ?」


 狩哉が問いつめると、


「それを……………訊いていいの?」


 レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた『洗礼者ヨハネ』そっくりの、含みのある顔で世音が微笑んだ。

 洗礼のヨハネは使徒ヨハネとは別人だが、なんかもうどうでもいい。

 どうせ日本人は区別しない。

 女体化してくれれば他は適当でもいい、とすら思うかもしれない。


「……またいやらしそうな顔しやがって。まさかまだ何か隠してんのか? 今更びびらないから教えろよ」


「あ……僕も訊きたい。ここまで来たら、全部訊いておきたいな」


「ええ……今の内に訊かないと、後悔しそうですわね」


 弓華と小坪も、世音へ不安そうな視線を向ける。

 世音の理不尽なまでの悪辣さに慣れていない茜は、怯えて小坪の背中に再び隠れる。

 無無美は「むー?」と、半分立ったまま眠っている。


 世音は視線を受け、「ふん」と肩をすくめた。


「あっそ。良いわよ、教えてあげても……くっくっく」


 どうみても聖人の笑い方ではない。

 『古き蛇』など比べものにならない威圧感。

 狩哉達は息を呑む。


「な、何でも来やがれ……! ここまで来たらもうなんでも受け入れるぞ!」


「アンタら、今まで起きた悪戯が全部同じ人間のせいだとか思ってる?」


 いきなり天地開闢級の、爆弾発言だった。

 全員が虚をつかれ、一瞬絶句する。


「あ……あれは、先生がサタにゃんをたぶらかして暴走させた結果では無いのですか?!」


 小坪が頓狂な声を出す。


「そうよ。茜ちゃんがした悪戯は、ね。アンタら、犯人が茜ちゃんだけだとなんか不自然だと思わなかった?」


 狩哉は茜の顔を見るが、茜はふるふると首を横に振っていた。


「何のことか分からないです」といった感じだ。

 思ったことがすぐ顔に出るサタンである。


「悪戯なんぞに、自然も不自然もあるのかよ」


「あるわよ。狩哉は自転車がパンク、その他の生徒も大体パンク。なのになんで、弓華の自転車はサドルだけ盗まれちゃったの? ただカッターでタイヤ切り裂くのと違って、サドルは外すのも面倒だし、持ち運びが大変でしょうが」


「え?! サドル盗まれたのって僕だけなの!?」


「わ、私、そんなことしてません!」


 弓華と茜がほぼ同時に叫んだ。


 しししし、と妙な笑い方で周りのリアクションを楽しんでいる世音。


「悪戯のベクトルが違うでしょ、『生徒の自転車パンクさせる』と『女子生徒のサドルを盗む』じゃ。前者はただの迷惑行為だけど、後者は……」


 断言は出来ないが、そのイメージは――。


「もう変態には飽きました……」 


 茜が心底、それはもう地獄の底で呻くように、嫌そうに呻いた。


(そういえば、女子部員の弓道着盗まれたとかいう話も聞いたな……)


 それはどちらかというと、男性的(アニマ)な悪戯だ。

 思い当たる節がいくつもあった。


「ちょっと……どうして男の弓華がサドルを盗まれて、私は靴にガムなのですか! あ、そうか、私の方は茜が犯人ですわね!?」


 荒ぶる小坪は、愛称を呼ぶのも忘れて茜を睨んだ。


「知りませんけど」


 即答する茜。


「そう」


 哀愁の小坪。


「まあ弓華は肉体的には男性だけど、私達以外にそれを知ってる奴なんていないしね。その上、私には負けるけど男子生徒の人気もかなりのものだし、目は引くわよねー……」


 けらけらと享楽的に世音が笑う。


「……そういえば先生も、『いろんな人がいる』って言ってましたわね……先生は、サタにゃん以外にも犯人がいると知っていたのですね?」 


 小坪が探るように尋ねると、世音が深く頷いた。


「そういうこと。もっと言っちゃうと、そっちの犯人は先生のストーカーだったりするわ」


「は!? それって、さっき言ってたお前が雇った男か!?」


 狩哉の顔から血の気が引いた。

 それは世音に頼まれて、先生を追いつめた男。


 追いつめる過程で、先生のアレゴリー的なマックスセクシーの魅力に取り憑かれてしまった男。


「はい正解、それも私だ。狩哉にゴールドヨハネさんを差し上げるわ。本当に男って怖いわよね、先生どころか学校の女子生徒までターゲットにするんだもの」


「うう、僕のサドル――何に使われちゃったんだろ。変な視線感じて怖かったことあるけど、あれも多分その人だったんだね……」


 弓華の腕や首筋が、おぞましそうに粟立つ。


「先生ったら、自分がさんざん悪戯で迷惑かけられたからって、茜ちゃんに同じようなことさせようとするんだもん。私への意趣返しのつもりだったんでしょうね。ま、せっかくだからストーカーさんにも元気に働いて貰ったわ。おかげでアンタ達も早く動けたでしょ? 先生もこんなに悪戯騒ぎが大きくなるのは予想外だったと思うわよ」


 ぺらぺらと口が滑りまくっている世音。

 ひょっとしてずっと話したくて仕方なかったのか。


 ――このおぞましい預言の顛末を。


「じゃ、じゃあ……最初っから……先生が茜に悪戯を指示するのも……茜が悪戯をして俺達と出会うってところも……全部お前の……?」


「計画通り」


 ヨハネどころか、新世界の神のような邪悪な笑み。


「ひいい」


 声を上げた茜は、すくみ上がって小坪の背中から出てこなくなった。


「どんな変態ヤローだよ……そこまでお前の思い通りに動くなんてよ……」


 堕天使よりも遥かに堕落した人間だ。

 狩哉はそんな人間がいること自体、信じられない。

 しかしいるのだ。

 

 人間は、世界は――性癖は、多様なのだ。


「何言ってるの、狩哉は何度も会ってるじゃない。商店街のラーメン屋さんよ」


 あっさりと世音が、個人情報をこぼした。

 多様どころか身近だった。


「ラーメン屋さんって――俺が通ってた商店街の、あの『七会軒』のおっさんかよ!?」


 いつも気持ちよさそうに汗をかいて、朝の通学路や商店街で走り回っていたあの無害そうな主人が。


(いや……おっさんは何故いつも走っていた? 何故おっさんは、店とは関係の無い方向、例えば学校の方から走ってきた?)


 あれは学校で――そういう行為をして、素知らぬふりで逃げてくる過程だったのでは無いのか。


(世音が、あのラーメン屋の常連になった理由は――この未来が見えていたからか)


 預言を利用して、未来を改変する。

 見えた結果を参考に、経過の方を重んじて操る。


 先生が茜を利用しようとすることも、茜が先生を庇うことも予想して、最初から――。


 ――ずっと昔から、この時を狙って、少しずつ布石は敷かれていたのだ。


 そもそも人に身をやつしたアレゴリーがアレゴリーを認識出来ないのであれば、先生に四騎士の存在を教えられる存在は、世音しかいない。

 茜のことだってそうだ。

 茜が『古き蛇』だということを、先生に教えたのはほかならぬ世音のはずだ。


 ――教えられたからこそ。

 先生は、行動を起こしたのだろう。

 先生にとって茜と四騎士の目覚めは僥倖だったのかもしれないが、それ自体が世音の蒔いた餌だった。


「逃げられるわけねーだろ、そんなの……」


 ――狩哉も、弓華も、小坪も、茜も。

 立ちながら眠っている器用な無無美以外は、完全にこの瞬間心が折れた。


 世音が満足そうに、それぞれの表情を見回して、


「いい顔するわねー、アンタ達。いいわよいいわよ。アンタらアレゴリーはそれでいいの」


 またしてもやる気の無い顔で、携帯電話を見返す。


 だがおののくだけでなく、狩哉には不思議なことがあった。


(俺らはそれでいいかもしれないが――)


「――お前は、何を得られるんだ?」


 諦観に包まれながらも、純粋な問いを世音にぶつける。


 ――そして。

 終わることが決められた世界を幻視してしまった、普通の少女のこれまでの人生を思った。


 アレゴリーの争いの中心に身を置いて傷を負う覚悟を持つ、普通の少女のこれからの人生を思った。


「私?」


 世音の顔が先程までとは打って変わって、険しく引き締まった。


「私はこの世界が、ずっと壊れないでいて欲しいだけ。私はこの世界が、終わるなんて認めない。たとえ終末の光景が見えてそれが真実だとしても。それが起きる時期を後の後のそのまた後のずっと後の、さらに後のもっと後の時代まで、永遠にでもずらし続けてやるわ」


 強い口調で言い切る。


 それは世音が狩哉達の前で語った、初めての本心だったのかもしれない。


 世音の瞳に宿る意志は、決して愉快な楽観などでは無い。

 

 ――預言者の達観などでも無い。


(こいつは――戦ってるつもりなのか?)


 預言者ヨハネ。


 その最後の一人として選ばれた聖人として。


 その運命そのものを利用して。

 たった一人で預言と向き合って。


 世界の終末から、たった一人になろうとも人類を守って。


 そのために人の道を違えて、人を越えた者達の憎悪を、一身に受けてでも。


「お前も――俺達と変わらないんだな」


 狩哉がしみじみとこぼすと、世音は意外そうに狩哉を見てから、小首を傾げた。


「ふん。人間(わたし)は終末(アンタたち)になんか、負けてやらないんだから」


 言葉とは、裏腹に。

 夜の帳の下で、屈託無く世音は笑った。


「……!」


 思わず狩哉は顔を背けてしまう。


 いつも憎くて怖くて仕方ない。

 横暴で悪辣で辛辣なはずのその笑顔には、曇りなど一点も無く――

 

 ――なんというかあまりにも高潔で爽やかで、透き通っていた。


 要するに、とても可愛かったのだった。

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