桜散る 霞む光と 影の味

村人

第1話


 本当に焼けてしまったのではないか、と少しだけ思った。


「ウアアぁぁぁ」


 喉の渇きが痛みに変わっても叫び続けた。


「ぁぁアア、ぁぁあ、ぁぁ…」


 体内にある全ての空気を吐き捨てるように叫びきった。一緒にストレスだったり、この惜しむ心を捨て切れると期待しながら。


「ふぅ」


 はぁ、死にたい。


「ハッ」


 昔、誰かが言っていた。死にたいと思う奴の大概は本当に死にたいと思っている訳ではなく、生きていく自信がないのだと言う。


 僕の場合も実際にこの世を去りたいと思っての発言ではない。


 思い出し笑いがあるように、あの日々を思い返すとつい溢れ出てしまうのだ。後遺症、もしくはタチの悪い呪いとでも表現できるだろうか。


「はぁ」


 深く溜息をついた。そんな中でさえ喉の痛みは変わらず思考を縛り付けようとする。


「あー、死にたい」


 その波は途切れ途切れにやってくる。忘れる事は許さないと言わんばかりだ。でも、実際に忘れてはいけないって思う時もある。失恋だったり黒歴史だとかの失敗はいずれ笑い話に昇華されるって誰かが言っていた。


 受験の失敗もそのうちの一つ、きっといつか笑い話になる時が来る筈だ。


 いつか、きっと…







 そう思っているうちに入学式の日を迎えた。公立高校の正門を通れなかった親への心苦しさで胸が痛む。


「なに落ち込んでんのよ。シャキッとしなさい!」


 母は笑顔でそんな事を言ってくれた。

 でも何故だろうか。心の中にぽっかりと穴が空いてしまい、何か大切な目標を失ったようだった。



 あー、死にたい。


 口を強く結びながらそう思った。


「どうしたのよ。高校がどこであっても大切なのは春樹自身だから。春樹が頑張ってさえいれば大丈夫」


「わかってるよ、そんなこと」


 そう伝えると、母は不満げな顔でため息を吐く僕の背中を優しく叩いた。


「まぁ、頑張りなさい」


 母は深く聞いて来なかったけど、僕を応援してくれている。それだけでこの3年間は頑張っていけそうな気がしてきた。


 正門で記念写真を撮り、帰りは一人で帰ると伝え母と別れた。看板に張り出された紙で自分のクラスを確認し教室へと迎う。やや肩は落ちつつも窓から見る景色は綺麗だった。








 入学式が始まるまで教室で待機するのも窮屈だったのでしれっと外に出てしまった。

 まだ集合時間に余裕があるため多くの人が続々と正門を通って来ている。周りの人影が彼女のものであったら良いなと少し期待しながら歩いているのだ。


「ふっ」


 自分を嘲るように鼻を鳴らした。


 虚しさだけじゃない何かに襲われる。


 いるはずのない彼女、いて欲しいと願う自分。それらに身体が揺らされる。


 散る桜の花びらにあの日々の自分を重ねながら、時間はゆっくりと進んでいく。


 視線の行き着く先は、霞んだ花弁の海だった。桜の木陰に滲んだ自分の影はどこか虚しく、少し溢れた雫で桜の花弁は汗をかいた。








 桜の花弁にあの日々を重ねた。

 一度散った桜は元には戻らぬように、あの日々の生活も既に思い出と化してしてしまっている。積み重なった過去もいずれ消えてなくなるのだろう。散りゆく花弁も成就しなかった彼女への思いもいずれは枯れきってしまうのだ。


 呼吸を整え湿った花弁を一枚すくい取りポケットに入れた。いつか夢見た景色をしまい込み視線は木漏れ日へと走り始める。



 心を景色に浸していると、一つの影が視界に入り込んだ。


「そこの君、どうしたんだい?」


 鈴のように涼しい声がした。腕に着いた緑の腕章から入学式の案内係だとわかる。


「大丈夫? 目が赤いよ」


 優しい人なのだろう。その雰囲気が充分すぎるほど伝わる第一印象だった。


「ん? どうしたの?」


「いや、少し知り合いと似ていたもので」


 彼女と似た容貌を持つ先輩に思わず視線を奪われてしまう。


「そうなんだ。奇遇だね、実は私も君によく似た人を見たことある気がするんだ」


 うわっ何だそれ。


「驚きです。では僕はこれで」


「ちょ、まてまて。折角だから私が君を教室まで案内してあげます」


「いえ、一人で行けますのでお気遣いなく」



 冷たい対応だったのかもしれない。けど、どうしても彼女の顔がちらついてしまうので仕方あるまい。それに一人にして欲しい気分だったのだ。


 と思ってはいたのだが、結局押しに負けて教室手前まで一緒に行く羽目となった。


 まぁ大した会話はしなかったが自分を心配してくれていたのだろうか。それに途中、会長と呼ばれ慕われる彼女の後ろ姿はかっこ良かった。素直にこんな人になりたいなぁと感じ、薄らとだが目標らしきものが見えてきたのかもしれない。


「じゃあまた。あっ、入学おめでとう」



 もし先輩のように慕われる存在であったのなら。もうすこし自分を認められていれていたのなら。あの日の行動は変わっていたのかも知れないと少し思った。


 僕はポケットにしまっていた桜の花弁を握り締め、もう一度あの日の自分を振り返ることにした。


 自分を見つけ出せると期待しながら…








 あの日、卒業式の日の事だ。


 受験に失敗した僕にとって彼女と話す機会は今日で最後かもしれない、そんな気に襲われていた。恋に落ちるだなんて無縁だと思っていた自分が不思議なくらい気づけば小さな初恋は大きな想いとなっていたのだ。


 やりたい事もなく他人に言われた通りにしか動かなかった過去。流され続けた自分を救ってくれた彼女に思いを伝えたかったんだ。


 ありがとう。好きです。そんなこと。


 そんな言葉を伝えるだけに、かつてないほどの緊張だったり不安だったり凄く不鮮明な何かと戦ったんだ。


 結果僕は負けてしまった。何も伝えられなかった。


 何も伝えず逃げるように家に帰った。理由は簡単だ、自信がなかった。ただそれだけ。


 彼女と対等になる為に努力し、勉強し自分を作ろうとした。何も持っていなかった自分の成長した姿を見せたかった。その一つが受験。そう思っていた自分にとって、彼女に何かを伝える資格なんてあるばずはないのだから。









「もしもーし、おーい」


「えっ」


「次、君の番だよ自己紹介」



 気づけば入学式は終わり、クラスのオリエンテーションの時間になっていた。自分の前の席の子が不思議そうにこちらを見つめている。心此処にあらずって感じに見えたのだろうか。

 気をつけねば…


「えっ、と、上村春樹です。1年間よろしくお願いします」


 もう、終わり!? 短っ!! という顔をしている前の席の人を華麗に無視して座ると軽い拍手の末に順番は次に回った。


 まぁ結局、初日は誰とも連絡先を交換できなかった。別にしよう張り切っていた訳ではないが、周囲の会話が弾んでいただけに僕は少しセンチになった。








 帰路、肩を落としながら駅のホームに座っている僕は思わぬ人に声をかけられた。



「あっ君、また会ったね。私のこと覚えてる?」



「…生徒会長」


「あったりー」


 そりゃ今朝話したばっかだし忘れてる訳がない。


「じゃあ、一緒に帰ろっか。今日は付き合ってもらうよ」


 ん? 別に一緒に帰る約束なんてしていない。冗談で言ってると初めは思ったが、偶然にも最寄り駅が同じのようで驚いた。


「今朝、君を見たことあるかもって言ったでしょ」


「僕は先輩と今朝初めて会ったと思うんですけど…」


「良いの良いの。我が一族は皆、俯いている子が居れば救ってあげたくなる性格なのです。なので、生徒会長として君のお悩み相談してあげます」


 何だよ、それ。と思いはしたのだが、気づけばしれっと付き合わされている。やはり僕は押しに弱いみたいだ。



「ここは…」



 先輩に連れてこられた場所は自分のよく知る河川敷だった。


「河川敷で桜の木ってよく見かけるよね」


「あー、なんか江戸時代に災害対策で植えたとかって聞いたことありますね」


「本当かよそれ」


 定かではないが、昔誰かから聞いた気がする。


「ここらで良いかな」


 先輩は立ち止まりそう呟いた。


「えっ、何が?」


 と情景反射で応えた最中、先輩はすっと息を吸い込いこんだ。


「うああぁぁぁ」


 少し頭がポカンとなった。


「ぁぁアア、ぁぁあ、ぁぁ…」


 状況は分かっても理解はできなかった。


「ふぅ」


「えっと…」


「私はね、なんか自分を変えたいって思った時に此処で想いの丈を叫んでやる事があったり、なかったり?」


「へーそうなんですね」


 やっぱり、少し恥ずかしかったみたいだ。


「そこで君! 今朝から何を悩んでる!」


 羞恥心を隠すような大きな声で語りかけられる。


「あー、やっぱり先輩って天然でなんですね。優しさも度が過ぎたらこうなるんだなって思いました」


「言うねぇ、君」


「でも、ありがとうございます。少し勇気が出ました」



「ふふっ、姉さんって呼んでくれても良いよ。今日だけわね」


「今日だけって?」


「うちの可愛い妹に頼まれてねぇ。君のことが心配だって」


 あぁ、そうだったんだ。


「いつか自分を見つけて認められるようになったらさ、また思いを伝えれば良いんだよ。

 …それでさ、私にだけ恥をかかせるってのはないだろう。君もやるんだ」


 先輩はニヤニヤしながら耳元で囁いた。


「実はそれもうやりました」


「えっマジで!?」


「マジです」


「ふっ、ははは」


 高らかな笑い声が響いた。思わず僕も、もらい笑いをしてしまう。


「そうなんだ、なら大丈夫だよ。きっと」


「どうして、そう思うんですか」


「君が変わろうとしているからさ」


「…えぇ」


 僕は、本当に変わろうとしているだろうか。



 ふと周囲を見渡して見る。桜は綺麗に散っていき、優しい春風に運ばれる。



 よしっ、と心の中で呟いた。


 まぁ焼けるなんてことはないだろう、と少しだけ思った。


「ウアアぁぁぁ」


 喉の渇きが痛みに変わっても叫び続けた。


「ぁぁアア、ぁぁあ、ぁぁ…」


 体内にある全ての空気を吐き捨てるように叫びきった。これがきっかけに何かが変わると期待しながら。


「ふぅ」



 桜は散って、夕陽は霞んでいる。


 ふと足元を見つめてみると、桜の木陰と自分の影が混じりあっている。夕日のせいか影は不思議と大きくはっきりと見えた。


 ポケットに入れていた桜の花弁を冷たい風にそっと乗せ、遠く遠くに飛んでいくことを願いながら見つめる夕日は綺麗だった。




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桜散る 霞む光と 影の味 村人 @6_usagi

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