第8話 春を望む花

 ウォルター・スミス氏の屋敷、その応接室に3人の男が集まっていた。

 屋敷の主であるスミス氏に、警部補のダニエル・フロスト、そして賞金稼ぎバウンティハンターのマイク。話題は当然、例の異国の賊のことである。

 女が《大坑道》の湧水池の中に消えたという報告を、スミス氏はソファにふんぞり返りながら疑わしげな顔つきで聞いている。

 マイクは話しながら、右斜め横に座るフロストをちらりと見た。

(どうしてこいつもここにいるんだよ)

 《大坑道》でリタを始末したのは、どちらかといえばその場での思いつきによるものだった。誰にも見られず、しかも賞金首に罪を擦り付けられるという滅多にない機会を逃すわけにはいかないと考えて実行に移したのだが、フロストの存在を完全に失念していた。

 とはいえ、フロストはその能力ゆえに多忙である。フロストへの対処はスミス氏への報告を終えた後でも遅くはないと考えたマイクは、《大坑道》で夜を明かし、町で休息をとった後にスミス氏の屋敷を訪れた。

 それが、何故かこのような状況になっている。

 マイクは必死で頭を回転させた。

「仮にあの女が生きていたとしても、あの高さから水面に叩きつけられて無傷なわけがねえ。わざわざこの屋敷に盗みに戻ろうなんてこと考えないさ」

「しかし警察としては、女から一連の事件についての事情を聞けないのは少々困りますな」

 フロストが口髭を撫でつけながら、感情の読めない目でマイクを見つめる。

 もしかして、何か見通したのだろうか。

(たかが賞金稼ぎのガキひとりを、わざわざ気にかけるなんてことがあるか?)

 でももし、リタを殺したことを既に知っていたとしたら。

(今、殺やるしかねえ)

 内密な相談があるという口実で屋敷から連れ出し、どこか適当な場所で始末しよう。

 そう決心したマイクが口を開こうとしたその時、フロストが目をしばたかせた。

「おや、あれは…」

 眼鏡をずらし上げながら軽く身を乗り出す。スミス氏とマイクも、その視線を辿って窓の外に目を向ける。

 気球が燃えていた。

「な!?」

「旦那様!気球に、火が…!」

 唖然として言葉を失うスミス氏の元へ、使用人が慌てて飛び込んでくる。部屋の中は騒然となった。

「ええい!早くどうにかしろ!」

 スミス氏は使用人を怒鳴りつけつつ、自身も応接室を出ていく。フロストもその後に続く。

 ひとり応接室に取り残されたマイクはソファから立ち上がり、燃えていく気球を凝視していた。

 あっという間に気球全体を覆い尽くした炎は、その片端から少しずつ地面を離れて、宙に浮かびつつあるように見える。

(まさか)

 マイクは部屋を出て走り出した。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が背中を伝う。

 屋敷の外に出たときには、様相は既に一変していた。

 眼前の光景に、マイクは絶句する。

(そんな、嘘だろ…!)

 巨大な炎が、轟音と熱を周囲に放ちながら渦巻いていた。

 その名を、火災旋風。

「おい!水の魔法使い!どうにかせんか!」

 追いついてきたマイクにスミス氏が喚き散らすが、呆然と立ち尽くすマイクからは、何の反応も返ってこない。

(これは、リタの)

 マイクは一度だけ、それを目の当たりにしたことがある。

 リタと同じ、炎の魔法を操る賞金首を追い詰めたとき。リタはその場で火災旋風を起こしてみせることによって彼我の実力差を見事に見せつけ、同時に火竜サラマンデルの名を不動のものとしたのだった。

「!?」

 ばしゅん。唐突に炎が消失した。

 旋風が渦巻いていた場所で、燃えていたはずの気球が宙に浮いている。

「リタ…!」

 吊り下げられた駕籠の中に、殺したはずの少女がいた。獰猛な笑みを浮かべて一同を見下ろし、片手を上げた先には小さな炎が燃え盛っている。

 リタは手を下ろしてどこからか何かを取り出すと、ひょいとそれを振って見せた。

「わりいな、フロストのおっちゃん!契約は無かったことにしてくれ。代わりと言っちゃなんだが、こいつで見逃してくれねえか」

 元気よく叫ぶと、フロストに向かって布袋のようなものを投げて寄越す。フロストがそれを受け取って中身を確認すると、いくつもの宝飾品類が入っていた。

「ふむ」

「おい警察!何をしておる!早く捕まえんか!」

「申し訳ないが、私ひとりの力ではなんとも…」

「それから、マイク」

 怒り狂ったスミス氏が唾を撒き散らすのを完全に無視して、リタがマイクに呼びかける。

「俺さ、マイクのこと、本当の兄貴みたいに思ってたんだぜ」

「リ、リタ…」

「じゃあな」

 リタは、憐れむような目で見下ろしながら片手で炎の鳥を生成すると、目にも留まらぬ速さでマイク目がけて飛ばしてきた。

「ぐああ!」

 マイクの頭部に魔法の炎が覆い被さる。すぐさま水の魔法で消火したが、頭部に手を当てたマイクから再び悲鳴が上がった。

「髪!髪がぁ!」

 リタの笑い声が上空から響く。気球はさらに上昇し、最早誰の手にも届かない高さまで逃れていた。

 喚き続けるスミス氏と、頭を抱えて茫然自失のマイク。その横で、静かに気球を見上げていたフロストが、誰にも聞こえぬように小さく呟いた。

「達者でな…」


「はーせいせいした!」

 軽く横方向に風を送りながらリタが満足げに頷いた。それから、駕籠の中で座り込み、腰にしがみついているシオンを見下ろす。

「おい、まだ腰抜かしてるのか?」

「だって、怖いじゃない!」

 シオンがギュッとリタの腰を抱きしめる。

「炎?それとも高いところ?」

「両方よお!」

 情けない顔をしてリタを見上げるシオン。洞窟ではあんなに頼りがいがあったのに、すっかり立場が逆転してしまった。正直、リタは満更でもない気持ちである。

 リタは駕籠から身を乗り出して眼下の景色を眺める。気球はちょうど町の上空を通過するところだった。

「すげえ。町の建物があんなに小さく見えるぞ」

 愉快な気持ちで町を眺めていると、バッタ亭らしき建物が目に入った。

「そうか、メアリー…」

 今更ながら、別れの言葉をかけずに町を出てしまったことに気が付く。

「本当に良かったの?」

 いつの間にかシオンはリタの腰から手を離して、駕籠の縁からそろそろと外の様子を伺っていた。

「なんだよ、今更」

 そのへっぴり腰な様子にリタは軽く吹き出す。シオンがぷうっとむくれる。

「キュキュ?」

 ホムラが筒から顔を出した。シオンの肩に上って気遣うように頬に鼻を押し当てると、タタッと降りて、リタのブーツにちょこんと前足を乗せた。

「おお?」

「あら」

 そのまましばらく見守っていると、リタの身体をするすると這い上がって肩に辿り着き、シオンにしたように頬に鼻を押し当ててきた。

「へへっ、くすぐったいっつーの」

 リタがはにかむように笑う。

「やっと仲良くなれたわね」

 シオンが暖かい目でリタとホムラを見比べる。それから、おもむろに駕籠の中で立ち上がった。さっきよりは気球に慣れてきたらしい。

「せっかくだから、リタに私の秘密を教えてあげる」

 シオンは右手を握った状態でリタの前に差し出した。

「リタ、好きなお花の名前を言ってみて」

「花?どうしてまた…」

「良いから」

「それじゃあ…フレイムポピー」

 シオンがパッと右手を開く。

 そこには、一輪のフレイムポピーが出現していた。

「はい、どうぞ」

 にこにこ顔でフレイムポピーを差し出すシオン。リタは驚きつつもそれを受け取る。

「すげえ、本物だ」

 まじまじと手元の花を眺めながらリタが驚嘆した。

「私が使える、唯一の魔法。知りうる限りのあらゆる花を出現させることができるの」

(そうか、ネムリゲシはそういうことだったのか)

 リタはフレイムポピーを鼻に近づけた。微かに、甘い蜜の香りが漂ってくる。

「だからシオンから良い香りがしたんだな」

「へ、何の話!?」

 突然のリタの発言にシオンがたじろぐ。

「なんだよ、自分から胸を押しつけておいて」

「いえ、あれは…というか、良い香りって何よ!?」

「こういうことだよ!」

 リタはシオンの胸に飛び込んだ。シオンがキャッと悲鳴を上げて駕籠の中に倒れ込む。

「ちょっと、空の上で危ないじゃない!」

「大丈夫だって」

 ニヤつきながらシオンの胸に顔を埋めて息を吸い込む。

「やっぱりそうだ」

 上目遣いでシオンを見上げる。シオンは顔を紅潮させてリタを身体の上からどかすと、さっさと立ち上がった。

「年上をからかわないでちょうだい」

「正直、あんまり年上って気がしねえんだけど」

「そんなおませさんなことを言うなら、もうやってあげない」

 腕を組んでぷいっとそっぽを向く。

「うう…悪かったよ」

 リタは頭を掻きながら素直に謝った。怒り方が子供っぽいと思ったことは、口には出さずにおくことにする。

「全く…それじゃあ、仕切り直しよ」

 シオンは再びフレイムポピーを出現させた。 スッとリタに差し出す。

「リタ」

 改まった口調で呼びかける。

「私と一緒に、旅をして欲しい」

「シオン…」

 風が、ふたりの間を吹き抜けた。気球が風に揺さぶられ、魔法の炎がはためく。

 リタは、フレイムポピーを持つシオンの手を両手で包み込んだ。

「俺も、シオンと一緒に旅をしたい」

 シオンは大きく目を見開く。柔らかな笑みを浮かべたその姿は、火竜の二つ名を持つ賞金稼ぎではなく、紛れもないひとりの少女だった。

「…ありがとう」

 シオンはもう片方の手を上から更に重ねた。しばし、ふたりで手を握りあったまま見つめ合う。

「それじゃあ、旅の門出を祝して、とびっきり沢山の花を出しちゃおうかしら」

 そう言いながら大きく両手を広げる。

「リタ、何でも好きな花を言って」

「うーん…」

 リタはしばらく考え込んでから、ぼそりと呟いた。

「全部」

「え?」

「シオンの知ってる花、全部」

 リタの提案に、一瞬だけポカンとして、それから笑い転げる。

「あはは!それ、すごく良いわ!最高よ、リタ!」

 シオンが両手を揃えて前に伸ばした。両手のひらの上に、オパールのような輝きの光の球が現れる。

「見てて、リタ」

 光の球はどんどん膨れ上がる。ついに駕籠の大きさを越えようかと思われたとき、シオンがふうっと息を吹きかけた。

 瞬間。

「うわあ…!」

 色とりどりの無数の花が、リタとシオン、それにホムラを取り囲んでいた。駕籠の中にも大量の花が満ち溢れ、気球から吹き流しのように沢山の花々が次から次へと空中を流れていく。

「ははっ、すっげえ!」

 リタが感激の声を上げて駕籠から身を乗り出し、無数の花がふわふわと下界に落ちていく光景を眺める。

「キュウウ…」

 ホムラが不満そうに駕籠の中に溜まった花の海をかき分けている。シオンはホムラの前に手を差し出し、筒の中に導いてやった。

「ふふっ、気に入ってもらえたみたいね」

 シオンがリタの隣に並ぶ。なるべく下を見ないで済むように、顔を前方向に固定している。

「最っ高だよ!」

 リタが顔を輝かせながら駕籠の中に溜まった花々を両手に抱え、一気に空中に撒き散らした。

「あはははは!」

 まるで子供のようにはしゃぐリタを見ながらシオンは考える。

(次はどこに行こうかしら)

 気球を盗む直前、屋敷から食糧を少々くすねてきた。それを食べながら、まずは気球の着陸地点についてリタと相談しよう。

 それから。

(話したいことが、沢山ある)

 故郷のこと、ホムラのこと、師匠のこと、自分のこと。好きな食べ物や嫌いな天気のような、他愛のないこと。リタの話も、沢山聴きたい。

 語らう相手ができた喜びに、シオンの胸がじんわりと暖かくなる。花の魔法を、こんなにも喜んでくれる少女と出会えた幸運を、心の底から噛み締める。

(師匠。私、見つけたかも)

 気のせいだろうか。視界が滲んだ気がして、シオンは指で目頭をそうっと拭った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

バウンティハンターと春を待つ花 こむらまこと @umikoto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画