Red

増田朋美

Red

その日も暑い日だった。そうなると、待ち遠しいのは学生に取っては夏休みである。学校は、もうすぐ夏休みで、生徒は、夏休み前の期末テストに追われていることだろう。なおかつ先生は、生徒の学校の通信簿を付ける、慌ただしい作業に追われている。学校は、そういうことで、夏は色々忙しい季節であるが、学校と、また違う意味の教育機関で、夏休みとは一切関係ないという事業がある。

その日、製鉄所では、ある女性が、竹村さんのことを取材するために来訪していた。竹村さんも、自宅内では、きちんと取材をできないからと言うことで、わざわざ製鉄所にクリスタルボウルを持ってきて、取材を始めさせるという、ちょっと異例の取材になった。

「つまり竹村さんは、癒やしの効果を求めて、クリスタルボウルを演奏しているわけですね。それでは、クリスタルボウルがもたらす効果について、詳しく教えていただけませんでしょうか?」

と、インタビュアーの女性、川村千秋が、竹村さんに聞いた。竹村さんはそうですねとちょっと考えて、

「はい。具体的に、医療的にどうなるのかということではありませんが、心が安定すれば体の調子を取り戻せることが出来る人は、大勢います。僕はそれを、クリスタルボウルでお手伝いしたいと思っているのです。海外では、クリスタルボウルとなると、音の整体と言われて、代替医療として盛んにおこなわれていると言われていますが、僕は、そういう縁でクリスタルボウルのことを、考えてもらいたくはありません。それより、心が穏やかになることを体験してほしいんですね。」

と、にこやかに答えた。

「そうですか。音の整体といわれて居るんですね。それでは、体になにか音が働きかけるのでしょうか?実際にクリスタルボウルを聞いた人は、どんな感想を持たれることが多いですか?」

千秋がまた聞くと、

「はい。いろんな感想を持たれる方がいますが、特に多いのが、体が楽になって雲にのっているみたいだとか、自分の体の重みを感じるようになったということですね。」

と、竹村さんは言った。

「自分の体の重みを感じるようになった。それは、どういうことでしょうか?」

「ええ。きっと、クリスタルボウルという楽器を聞いてみればわかりますが、クリスタルボウルの音を聞きますと、余分な事を考えることができなくなるほどリラックスするんですね。それで、どうしても思考が自分の体の方に向かざるを得なくなる。それをきっと、クリスタルボウルを聞くと、自分の体の重みを感じると表現するのでしょう。」

「はあ、なるほど。それでは、こちらの施設で、クリスタルボウルのセッションを受けた方、一人ひとりにインタビューをしてもよろしいでしょうか?」

千秋は、いきなり竹村さんに言った。

「そんな事、お申し付けしたときは、何もいいませんでしたよね。なんでまた、そんなことを言うのですか?」

驚いて竹村さんがそう言うと、

「ええ、どんなプログラムでもちょっとした変更はつきものです。竹村さんのクリスタルボウルの効果が、確実に現れている人にインタビューをすれば、より、有効な記事がかけるのではないかと思いますので。」

と、千秋は結構強引に言った。それを聞いた杉ちゃんが、

「いや、何でもほじくり出して、記事にするということは、報道官としてはまずいんじゃないの?やっぱり取材というものは、限度があるよな?」

と言った。

「そうですが、竹村さん、私達が取材をすることによって、より、記事が充実したものになりますし、竹村さんだって、その記事のおかげで、クライエントさんが増えて、生活も楽になるではありませんか?」

「そうですが、千秋さん。根掘り葉掘り取材をするのはまずいんじゃないの?それに、生活が楽になるのは、竹村さんじゃなくて、お前さんの方では無いのか?」

千秋がそう言うと、杉ちゃんがすぐそういった。杉ちゃんという人は、すぐに人の話の腰を折る癖がある。千秋は、杉ちゃんにそう言われて、答えが出なくなってしまった。

「はあ、やっぱりそうだ。お前さんの答えは図星だぜ。まあ、たしかに、すごい記事を書いて、名誉挽回というか、そういうことをしたいと思っているんだろうが、でも、それはちゃんと相手を見て考えないと。誰にでも取材をすればいいと言うわけではなくて、取材は、やってもいい相手を考えないとね。」

杉ちゃんが、カラカラと笑った。

「ごめんなさい。私、竹村さんのことを取材しているだけのつもりだったんですが。」

千秋は、申し訳無さそうに言った。

「そういうときは、ちゃんと誰を取材しているか考えよう。今は竹村さんを取材するわけであって、製鉄所の利用者さんたちにインタビューするというわけじゃないね。千秋さん、もう一回竹村さんにインタビューしてください。」

「杉ちゃんさんって、寅さんみたいですね。そういう事平気で口にするなんて、そういう人は滅多にいませんよ。人の気持の裏を言うなんて、やっぱり変わってます。じゃあ、竹村さん、もう一度インタビューさせていただきますね。竹村さんのクリスタルボウルのセッションはどんなところで演奏しているんですか?」

と千秋は、杉ちゃんの話に急いでそういった。竹村さんが嬉しそうな顔をして、

「ええ、僕は、自宅でセッションをする他、イベントで演奏させて頂いたり、時にはこういうところで施設訪問させてもらったりしています。」

と、答えた。

「そうですか。では、クライエントになる方は、どんな方なんでしょうか?」

千秋がまた聞くと、

「ええ。もちろん心が病気とはっきりわかっていらっしゃる方がお見えになることもありますが、そうではなくて、普通に生活している方もいらっしゃいます。ですが、僕は、医者でもないし、カウンセラーでもありませんので、専門的な治療が必要な人は、お医者さんを紹介したこともあります。」

竹村さんはそういった。千秋は、竹村さんの言うことを、逃さないように、一生懸命メモ用紙に書いた。

「そうですか。今まで、一番難しかったクライエントさんは誰ですか?あ、もちろん、先程注意されたばかりなので、その人にあってインタビューするとかそういうことは無いですよ。」

千秋がそうきくと、

「ええ、ある特殊な地区から来られた方で、その地区の出身であるがために、自分が癒やされることは絶対に無いと頑なに押し黙っている方がいらっしゃいましてね。彼の心を縛り付けている鎖を外すのに、非常に手間がかかりました。もちろん、クリスタルボウルで、直接彼の思考を変えることができたかと言うとそういうことはありません。ですが、どうしても彼の鎖を外してやらなければなりません。なので、もちろん、クリスタルボウルは鳴らすのですが、それよりも僕がこちらに来るということによって、彼に僕達の思いが伝わってくれることから始めないといけないのです。」

と、竹村さんは言った。

「そうですか。その男性にも、きっと竹村さんの思いは伝わっていると思いますよ。その人だって、今普通の生活をしているんでしょう?それならきっと、竹村さんの思いは伝わっていると思います。」

千秋はそういうのであるが、竹村さんは、どうですかねといった。

「それはわかりません。何しろ、彼のことを癒やしてやるということは、日本の歴史を変えなければなりませんからね。それは、僕達にはできませんから。それよりも彼が、この世で苦しんでいるのですから、せめてクリスタルボウルを聞いているときだけは、その苦しみを和らげてもらいたい。そういう思いでやっております。」

「そうですか。きっと、その男性にも、気持ちは届いていると思いますよ。そうでなければ、竹村さんが、クリスタルボウルの奏者であるはずがありませんもの。私も、記者として、こうしてインタビューさせて頂いていますけど、それは、悪気なんて決してありませんよ。私は、記者として、竹村さんのような、癒やしのしごとをしている方を記事にすることによって、こういう人が居る、ということを伝えるのが役目なんです。だから、竹村さんも私も、存在する意味がちゃんとあるんです。私は、存在する意味がない人なんていないと信じています。」

千秋がそう言うと、近くの部屋から変なふうに咳き込んでいる声がした。それと同時に、ああ、水穂さんと言っている声も聞こえてくる。

「やれれ、またやってるか。人が噂すると、大体のやつはくしゃみをするが、水穂さんは咳き込んでしまうんだよな。」

と、杉ちゃんが言った。

「ちょっと僕、水穂さんの様子を見てくるわ。取材はちょっと中断してくれ。」

杉ちゃんは、車椅子を動かして、急いで食堂を出ていった。千秋と竹村さんは、水穂さんの咳き込んでいるのと、杉ちゃんたちが、馬鹿!またやると言って、薬を飲ませようとか、言っているのを聞いていた。

「またやるって何をやるんですかね?」

と、千秋が聞くと、

「まあ、すぐに分かります。口に出して言わなくても。」

竹村さんは答える。それと同時に、

「いい加減にしろ!畳の張替え代がたまんないよ!もう朱肉をこぼしたときよりより汚し方がひどいぞ!」

と杉ちゃんが言っている声も聞こえてきたので、

「朱肉、つまり、そういうことなんですね。はあ、そういうことなら、救急車をよんで病院に連れて行くとか、そういうことはしないんですか?」

千秋は思わず聞いた。

「ああ、無理ですね。杉ちゃんは、どこの病院でも見てもらうことはできないで、追い出されるのが落ちだと言っています。僕も、彼に関してはそう思いますので、何もいいません。病院というところは、すべての人に医療をというのは、真っ赤なウソで、例えば精神障害のある人が、来院した場合、今回はなんて間が悪いなんて平気で言うでしょう。」

竹村さんは、そう答えた。

「そうですか。そんな大変な事情がある人が居るなんて、私初めて知りました。私は、少なくともすべての人に、生きている意味があると思っていたんですけど。」

千秋がそう言うと、

「いや、それはどうですかね。生きていて、意味があるとか、そんなおとぎ話を信じることが出来る人は、衣食住に不自由していない、幸せな人でなければ、それはできませんよ。例えば、存在するだけで、嫌われる民族はたくさん居るでしょう。古い例であれば、ユダヤ人などがそうでしょうし、最近では、ミャンマーのロヒンギャのような人がいますよね。」

竹村さんは答えた。

「そうですか。でも、私は、たとえそういうことであっても、生きることを放棄するような人は、いないと思うんですけどね。私にも、息子がいますけど、たとえ自慢にはできない息子であっても、彼は、生きているべきだと思うんですね。それは、誰でも同じことを思っていると思うんです。だから私のような、報道関係者が居るんだと思います。」

「そうですね。川村千秋さん。あなたの息子さんは、きっと素晴らしい心を持っているから、そういうことが言えるのでしょう。それはある意味、恵まれているからですよね。それに、お母さんであるあなたが、不自由をしていることを誰にも評価されないことを、辛いと思ったことは、一度や二度では無いはずです。それは誰にでもあることだと思うんですが?」

竹村さんは、すぐに千秋の言葉を否定した。

「私は、少なくとも、誰でもそういう気持ちを持って生きていると思います。」

千秋がまた言うと、

「いや、それはどうかな。みんな人のためにいきているでしょうか?それは絶対無いと思いますよ。それよりも、みんな自分が可愛くて、自分のためにしか生きていられないと思いますけどね。それは川村さんだって、同じだと思います。」

竹村さんはにこやかに言って、彼女を否定した。それと同時に、一人の利用者が、コードレスの電話機を持って、食堂に入ってきた。

「川村さん、あの、小鳩保育園からです。」

千秋は利用者からそれを受け取った。

「はい、川村です。はい。川村隆は私の息子ですが。え?隆が?」

千秋の表情がすぐに変わった。そして、電話機を思わず落としそうになった。

「どうしたんです?」

真っ青な顔になった千秋を見て、竹村さんは、彼女に言った。

「わかりました。すぐに行きますから、それまでに、隆のことをよろしくおねがいします。」

千秋は、急いでそう言って、電話を切った。そして受話器を、利用者に返して、

「すみませんが、息子が大変な事になったので、今日は、ここで帰らせていただきます。また後日、落ち着いたら来ますから、そのときにまた連絡します。」

と、言って、製鉄所から飛び出して行ってしまった。

「息子さんがどうしたんです?交通事故とか?」

竹村さんがそうきくと、

「いえ、あたしも電話でしか聞いていないのですが、何でも、保育園の送迎バスの中で、熱中症になって発見されたそうです。」

と、利用者はすぐに答えた。

「熱中症?バスは、窓を開けて換気するとか、そういうことをするはずですよね?なんで、保育園のバスの中で熱中症になるのでしょうか?」

竹村さんが聞くと、

「そういう事してなかったんじゃないですか?なんでも、保育士の人事不足をいいことに、いい加減な保育をしている保育園も、結構あるみたいですよ。」

と、利用者が言った。

その頃、千秋は急いで、病院に向かって直行した。すぐに、救急患者搬送口に飛び込んで、川村隆はどこにいるのか、と、受付を問い詰めると、霊安室にいると受付は答えた。ということはつまり、もう、この世の人ではなくなってしまったということだ。それと同時に、病院の偉い人らしい人がやってきて、彼の遺体を引き取って欲しいと言ってきた。ウソ、そんな事、だって今日も、元気に、バスに乗って保育園にむかったはずだったのに。なぜ?千秋は口に出して言う前に、卒倒してしまったのであった。

千秋が気がつくと、自分は、長椅子の上に寝ていた。急いで起きて見ると、目の前に霊安室という部屋があった。なんだか隆のことを見るのも辛かった。それと同時に、保育園の中で一番年上の先生がやってきて、

「この度は本当に申し訳ないことをしました。」

と、千秋に頭を下げた。

「あの、隆はどうして。」

千秋が聞くと、

「はい。なんでも、バスを出たときの、点呼に応じなかったんで、もう登園したと保育士が思い込んでしまったようなのです。」

と、先生が言った。

「それは、保育士の先生が、勘違いをしたということでしょうか?」

千秋がもう一度言うと、

「ええ。そういうことになります。」

「では、保育園の中でも姿が見えなかったことに気が付かなかったんですか?それでは、バスの中でずっと取り残されていたのでしょうか?それを変だと思う保育士や、そういう人はいなかったんですか!」

千秋は、真剣にそういったのであるが、

「ですが、こちらといたしましても、たかし君が反応しなかったので、てっきり欠席と思ってしまったのだと思います。」

と、保育士の先生は答えた。

「何を言っているんですか!先生方は、欠席と勘違いされたとしても、隆は、私にとってはたった一人の息子です。それを、今日、元気な顔して保育園に行ってきますと言って、出ていった息子を、もう二度と帰ってこないと言うなんて、どういうことなんですか!返して、隆を返してよ!返して!」

千秋は逆上して、保育士の先生に言った。

「どうして、どうしてそういうことになるのよ!子供は、先生方の大事な商売道具ではありません!私達にとって大事な家族でもあるんです!」

「残念ですが、こういう事故もあるのだと言うことで。」

ばし!と千秋は保育士の先生を殴った。そして床に崩れ落ちて、いつまでも泣いていた。

「そういう事言われますけどね、お母さん。」

と、保育士の先生は言う。

「だったら、もう少し、隆くんのことを、しつけていただかないと。保育園の園服を着せるのだって、人一倍かかるし、保育士がいくら呼んでも、遊びに夢中になって反応しない。聴力検査をしても、何も異常はなかったのに、そうやって他の園児に迷惑をかけるというのは、親御さんの責任だと思うんですけどね。」

千秋が泣いているのを見て、保育士の先生は馬鹿にするようなことを言って、病院を出ていった。

隆くんの初七日まで、千秋は誰とも口を聞かなかった。彼女の家族は、一人息子をなくしてしまったので、仕方ないことだと千秋のことをそっとしておいてくれた。こういうところは、彼女の家族の素晴らしいところかもしれなかった。千秋は、隆くんの初七日の翌日、何故か知らないけれど、外へでたくなった。そこで、近くのバス停から、富士山エコトピア行のバスに乗った。

製鉄所いふらりとやってきた千秋さんを見て、製鉄所の利用者たちは、彼女にやたら手を出すことはせず、彼女を中庭に招き入れてあげた。千秋は、庭に植えてある、イタリアカサマツの木を眺めながら、千秋は、涙を流していた。

「川村さん。」

水穂さんが、小さな声で彼女に声をかけた。

「確かに、お辛いことですよね。誰にも変えられない事実でもないし。ご愁傷さまと言っても、あなたを慰めることはできないでしょう。あなたは、最愛の息子さんを、なくしてしまったんですから。」

そう言って、縁側に座っている水穂さんは、とても美しかったし、とても優しそうだった。千秋は、竹村さんが言った、一番難しかったクライエントさんというのは、水穂さんだったのではないか、と、直感的に思い知った。

「誰を責めても息子さんは帰ってくることはできないですし、息子さんが、ちょっと気になる子の一人だったということで、レッドリストのような扱いをされていたというのもショックでしょう。でも、あなたには、どうすることもできない。」

「だから、泣くんじゃありませんか。あの子は、二度と浮かばれないかもしれないじゃないですか。」

千秋は、また泣き始めた。

「でも、書くことは、出来るじゃないですか。少なくとも、あの保育園は、そういうずさんなことをやっていて、明らかに法律違反となることも、あるわけですから。あなたは、そういうことが出来る記者です。」

水穂さんは、千秋に言った。千秋は、ハッとした。そうだ。自分ができることは、多分それしか無いのだ。なにか書いて、それを周りの人に伝えていくことしか。

製鉄所の石灯籠が、夕焼けで赤く染まり始めた。千秋の涙も、夕焼けで赤く染まった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Red 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る