13-CHAPTER5
その頃ヴァルダスは、余計なことを言ってしまった、とキッチンテーブルに両手を付き、うなだれていた。何が毒味だ、しっかりしろ。余裕があるような顔をしていたが、あの場で何を話せば良かったのか分からなかった。
ヴァルダスは戦士としては優秀かも知れないが、こういうことには今まで興味がなかったので、何をどうして良いのか、全く想像が付かないのである。
昨夜のような分かりやすい姿勢だとまだ良いのかも知れないが、ああいや、あれはミルフィを驚かせてしまっただけだ。その前に、このような時に自分は、何を考えているのだ。不謹慎極まりない。
とにかく今は水を持ってゆこう。ミルフィの咳は治まってきたとはいえまだ続いていて、部屋からまだ小さく、こんこん、と聞こえてくる。
急ぎ足で部屋に戻ると、ミルフィはベッドから起き上がり、こちらを見ていた。ヴァルダスは目を見開いた。
「おい、まだ横になっていろと言ったろう」
ミルフィは軽く首を振った。
「大丈夫です」
「それに、起き上がっている姿勢のほうが楽なのです」
「それなら良いが」
水は、と問うとミルフィが断ったので、ヴァルダスは机にグラスを置いた。ミルフィは礼を言って、にこっとした。
「これが誰かに
「ヴァルさんにはお手数をおかけしましたし、ルーさんとシャンさんには心配していただきましたが」
けほけほ、と咳の合間に続ける。
「倒れるのがわたしだけなのであれば、そちらのほうが良いです」
ヴァルダスははっとした顔をして、思わずミルフィの両手を握った。
「そのようなことを言うな」
そしてその手を引くと、ミルフィをそっと抱きしめた。ヴァルダスは浜辺で見た、倒れたミルフィの後ろ姿を思い出していた。
「またひとりで背負おうとして」
ミルフィはヴァルダスの背中越しにえっ、と驚いた顔をした。
そんなつもりはなかった。本心だった。
しかしミルフィはふと、また自分がどこかで、自分の存在を諦めているのかも知れないことに気付いた。あのときも今も、一生懸命わたしのために力を尽くしてくれたひとを前にして。
自分の血は半分。月詠みの世界と此処の世界。どちらにも交わることのない存在のわたし。あんなに強く願ったのに、直ぐに、自分の足元が揺らいでしまうのだな。こうやって。
「ヴァルさん、わたしは、此処にいても良いのでしょうか」
曖昧な言い方だったのに、ヴァルダスは直ぐに答えた。
「当たり前だ」
「怖がるな」
「俺もお前も確かに此処にいるのだよ」
全て理解されたように思えた。ミルフィはぎゅっと腕に力を込めた。ごめんなさい、とまた言いかけて、はい、と答えるとミルフィは目を閉じた。
「ヴァルさんに出会えて、良かったです」
ヴァルダスは腕を解いてミルフィを見つめると、左手で自分の身体を支え、ゆっくり近づいた。ぎっ、とベッドが
「……」
「……」
どちらも動けなくなった。
ヴァルダスは硬直したまま一生懸命考えた。このまま続けて良いのだろうか。良いとしても、昨晩とはまた違う体勢だ。こういうとき、普通はどうするべきなのか。ああ、恥ずかしいが、前もってディルムに訊いておくべきだった。不謹慎だと思いつつも、先ほどしっかり考えておいて損はなかったかも知れない。
ミルフィも冷や汗をかいていた。ローズおばあさまは何て言っていたかな。そもそもこういうお話をしたことがあったかしら。ここはわたしが動くべきか。いや、はしたないと思われるかも知れない。
ミルフィがそう思って、赤い顔のまま目を逸らそうとしたとき、ヴァルダスの右手がミルフィの首の裏にそっと回された。長い爪がやわらかい肌にゆっくり添えられる。ミルフィの首が、そのまま持ち上げられた。薬を飲ませたときよりも、ずっとずっと、優しい触れ方だった。
出会ったあの日、初めてお互いの瞳を見た時のように、グリーンの瞳と、濃いブラウンの瞳が交わってゆっくり互いの顔が近付いた。そしてふたりは唇を重ねた。何も考えなくて良かったのだなあ、と思いながら。
互いの唇はとてもやわらかかった。ふっと互いの唇がはなれて、ミルフィは恥ずかしそうに下を向いた。ヴァルダスの手のひらはまだミルフィの頬に触れていたので、その熱さがそのまま伝わって来ていた。
「あ、えと」
ミルフィは何か言うべきかと口を開いた。
そのとき、またヴァルダスの顔が目の前に来て、ミルフィはびくんとした。そしてそのまま、また唇が重なる。ヴァルダスの息があたたかい。ミルフィは目を閉じたまま、急にどきどきして来た。
ヴァルダスはと言うと、いかん、またも口付けをしてしまった、と思っていた。ヴァルダスの尾はびりびりとしている。ミルフィの潤んだ瞳が目の前にあったので、我慢出来なくなった。ああ、俺はこんなにもこころが弱い男だったのか。
しかしミルフィの唇はやわらかくあたたかいな、とぼんやり考えた。するとミルフィのはだけた首元が目に入り、慌てて身体を離すと、ミルフィに用意したはずの水をぐびぐび飲んだ。
そして、一度部屋に戻ると言って空のグラスを置いたまま逃げるようにして部屋を飛び出して行ってしまった。
もうすっかり朝だ。シャンがキッチンに立つ音がする。
ミルフィは鼓動がおさまらなくて、毛布をぎゅっと胸元に手繰り寄せた。そして指で唇に触れた。そこはまだ熱を持っていて、顔が火照り出す。
いま此処にヴァルさんの唇が……ミルフィはそわそわしたが、気を取り直して顔を上げた。
先ほどのことで忘れていたが、咳はすっかり治まっていた。ヴァルダスが作った薬はしっかり効いたようだ。良かった、これでまた動ける。ミルフィはベッドからそっと降りて、いつものワンピースに着替えた。
三つの月と、蜜色の。 桐月砂夜 @kirisaya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。三つの月と、蜜色の。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます