言葉を紡いで
神里由依
不登校
私は二度、不登校を経験している。一度目は小学四年生のころに一年間。二度目は中学二年生から二年間。私はどちらも後悔していない。一度も後悔したことがないかと聞かれると、即答はできないし、YESを口にすることもできない。けれど、今の私は後悔していないと胸を張って言える。誇りを持てる生き方をしているわけでも、かといって「自分の人生は底辺だ」と言う人生を送っているわけでもないが、私の体験をここに綴ろうと思う。
小学四年生の頃、私は毎日憂鬱だった。毎朝布団から出て、登校班の集合場所へ向かい、当たり前のように学校に行き、席について真面目に授業を受ける。そんな生活が嫌だったわけではない。クラスメイトや先輩、挙句の果てには後輩からも軽いいじめを受けていたからだ。女子からは掃除を任されたり、背中を棒で叩かれたり、やっかみを、男子からは暴言や容姿、性格の悪口を言われていた。当然私はいじめの理由を知らないし、知りたいとも思わない。当時の私は極度の人見知りだった。今でも治ってはいないが、当時よりは改善している方だと思う。小学四年生の私は、特に男子に対しての人見知りがひどく、喋るときに声が上ずっていた。それを見た男子は私をぶりっ子と呼び、女子は私を邪魔な人間だと思って排除しようと思ったのだろう。人見知りだけならまだいいが、高いプライドを持ち合わせていた私は数回、反論をした。その都度自分の放った言葉の鋭さに後悔が募る。自分が言われたら確実に傷つく、それに事実ではないただの罵詈雑言、それを並べた瞬間は強くなったと錯覚していても、後にそれが弱かったと気が付くまでがテンプレートだった。それ故に、私は不登校になり、家に引きこもるようになった。引きこもって特に何かをするわけでもなく、ただただ過ぎる時間を傍観しているだけだった。そんな私も学年が変われば学校へ行けるようになった。いじめの主犯である先輩が卒業したのと、いじめっ子とクラスが変わったのがきっかけだった。
やがて中学生になり、二年生になったころ、その頃は新型コロナウイルスの蔓延もあり、外出を控えるように言われていた時期だった、そんな生活を送る私も再び不登校になった。だが、特にいじめなどの分かりやすい理由はなく、迫りくる将来への慢性的な不安が塵に積もったのだろう。学力もなく、運動も出来ず、これと言った特技も持ち合わせていない私は将来何をすればいいのか分からなかった。好きなものを伸ばすための努力もする力さえなかった。何故だろう、私は努力さえできない弱い人間なのだろうか?そんな自己嫌悪に押しつぶされそうになることも多かった。そんな私を見かねた母親は私を精神科に連れて行った。診断を受けてみると、下された病名は鬱病。それを聞いた私は涙が止まらなかった。私の家庭環境は決して良いとは言えない、寧ろ悪い方だろう。それでも、鬱病をその家庭のせいにしたくなかったのだ。自分が悪い子だから、いい子にしなかったから、とずっと自責を繰り返していた。頑張って学校まで行っても、門の前に立つと突然息苦しさが襲ってくる。視界は暗くなるし、足は震える。毎日そんな生活を繰り返していた三年生のある日、SNSを通じて仲良くなった三人がいる。その人達や、他のネット友達の影響もあって、少しずつ、前向きでポジティブな考え方を出来るようになった。
まだまだ胸を張って自分の人生を生きることはできないが、いつか、誇り高く生きることができるようになったら、たくさんの人を笑顔にしたいと思う。この話を聞いて鬱病や不登校を馬鹿にする人が減ることを祈る。
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