第十章 種明かし

 教室に入るとまた「会議」が始っている。皆がそれぞれの体勢で坐り、顔を合せている。一座は静になっているが、却って熱気が伝わった。根無が見渡すと、途中でアースと眼が合った。加われと語っている。根無に意欲はなかったが、断る意志もなかった。根無はバースの傍に立ち寄った。

 「だから早く話せよ。」

 「いやあ良くないって。」

 「こいつは禁域に踏み込んだんだ。」

 「そんなでもない。いや、あるか。」

 「ある。罪だ。」

 「ここは罪を告白する場でもある。問題ではない。」

 「何なら俺が代りに言おうか。」

 「いやいいよ。だったら言うから。」

 「やっと始ったか。」

 「こんな奴に話すんじゃなかったよ。なんでこんな場で言うことになるんだ。」

 頭を抱えて苦しむ姿に、爆笑が起った。事情を一人に漏らしたために、全員の前で発表しなければならなくなっている。今までの傾向を鑑みて、根無は話を飲み込んだ。

 また静になった。無言の要請に応じて口を開いた。

 「これは、俺が中学二年の時の話なんだけど。丁度その日に体育があって、それからかなり時間が経ってたんだよ。」

 「放課後とかになるのか。」

 「ほとんど終り。俺も帰るかってなっていたし。でも意味もなく教室に残ってたんだよ、その時の同級生と二人だけで。そこで俺の居る机の隣に坐るのは、福井香奈という人でしてね。」

 一人の女の氏名が出されたことに、一座は奇妙な盛り上りを見せた。誰とも面識のない人物というのが、却って沸き立たせる結果となった。

 「福井香奈はそこに居なかったんだな。」

 「そう。教室には俺と同級生の二人しか居なかった。ただ俺がなんで福井香奈に注目しなければならなかったのかというと、隣の机には福井の存在が残っていたからなんだ。」

 「時間を過したことの証明だな。」

 「やがては清められる運命にあると言うのだろう。」

 「その日の気候が知りたいものだな。」

 「要するに人類とは平等ではないのだな。有難がられる物もあれば捨てられる物もある。」

 「しかし俺は誰のでも嫌だがね。」

 聴衆が思うままに野次を飛ばすのを黙って聞いて、微笑みながら次を話さない。最初嫌がっていた様も半ば演出だった。

 「もうお気附きだと思いますがね。俺は同級生の唆しもあってね。そう、あいつが悪いんだ。」

 「確かめたのか。」

 話者は口元をタオルで拭いてから答えた。

 「しばらくね。」

 いつしか悠然とした構えになっていることも合わさり、約束された爆笑が起った。

 「それで、いかなる趣を発していたんだね。」

 「それが特に何ということもないんだから拍子抜けと言えばそうなるね。確かにこれは動物性由来なのだろうとは感じ取れたが。」

 「許諾もなく確認されて勝手に品評されるとか、福井さんに申し訳ないと思わないのか。」

 「それは、実際良くない。俺は強制されたようなものだぞ。」

 「よし、本人に連絡とろう、な。」

 一通りの糾弾が続いた。本気になっている者は居ないため、次第に冷めてゆく。「会議」を終えたくないという意思だけが共有されていた。次に飛ぶ興味の対象はどこでも良い。眼に留る所へ一斉に駆け込むばかりだった。

 「根無君もこんな話聞いて怒ってるだろ。」

 一人が根無の存在に気附いた。根無は特に感情を催していない。否定もせず、根無は立っている。誰も真意を求めていないことは察している。小さな笑いが起った。

 「根無君も坐ってよ。」

 席は埋っている。椅子を譲る者はなく、動かない。近くに誰も坐っていない椅子が机に納まっている。根無の本来の席はではない。全員がその椅子を盗めば良いと思っているのだと根無は察した。

 躊躇しながら椅子に手をかけると、ようやく周辺の者も動き出した。根無が選んだ椅子に、バースが更に強い力をかけたので、根無は何もしなくても良くなった。直前まで塞がっていた場所は、根無一人が入る空間が設けられている。

 「根無君、今の話を聞いてどう思ったよ。」

 「そうね、蛮勇といった感じかな。」

 坐りながら根無は答えた。

 「根無氏による同系統の話はないのかね。」

 「おや、それは聞きたいな。」

 根無には予感があった。立ち止って聞いている時から迷いがあった。自分には聞く資格もないし、語る材料も乏しい。根無は立ち去る方法を考えていた。それでも好奇心が勝って、対岸の騒ぎを聞く積りでいた。それは根無の感覚でしかなかった。

 「何でも良いよ。」

 根無は余計に考え込んだ。一座は根無を待って静になった。他人の人生を聞くと、派手な色で満たされているのが分る。根無は人の来歴を聞く度に感心せずにはいられなかった。根無は空虚なのだろうか。これも装った姿に過ぎないのか。

 自分は面白いことが言えるだろうか。根無は忘れなかった。

 「これは三年前のことでね。当時、クラスが同じで、偶然席が近くなることも多かった人に上田千穂というのが居てだね。」

 再び場は温まった。姓名という衣鉢を継ぐのは正解だった。根無は一つ安心したが、綱渡りは終っていない。

 「それこそ我々も体育があったりでね。体操服を着ている訳だよ。それで、授業なんかで背後についていると、世界の透過性というものを実感する瞬間があるんだ。」

 「ああそうだな。」

 「ある、ある。」

 予期した通り、口を揃えて同意する。

 「あれはどうかと思うんだがね。ところがある日、上田千穂の後姿は映画が始まる前のスクリーンになっていたんだ。」

 根無は理科室で見た、上田の首より下の姿を話した。あの時と違って、今の根無は坐って皆と目線を同じくしている。

 話は終りのはずだった。しかし根無によって話は延長し、別のものが附け足された。

 「その時、実験をするために坐っている上田千穂以外の人間は立ち上っていた。その中に椿村紗栄というのが居てね。この人物が私の視線の先を知っていて、つまりバレたということなんだ。椿村はそのことを私に言うものだから、私も結局認めるしかなかったんだ。そうなると口封じになるというのか。それから椿村とは大変面倒なことになってしまったという話なんだよね。」

 根無の話は終った。聞く人の想像が膨らむことはなかった。根無もまた欠損を自覚していた。冷淡という訳でもない、手応えのない空気が流れた。

 話に続きがないことを覚ったバースは一つ補足した。

 「それで根無とその人とは離れ難き仲になったという訳か。」

 「いや、そういう訳でもないんだけどね。」

 根無はどうしても否定したくなった。その方が概ね事実だった。代りに「会議」が更に白けたものになることも分っていた。総て間違っていたのだと思う。根無はまだ本当のことを話していない。


 根無の眼の前で、少女が泣こうとしている。もはや涙の有無は関係なかった。この状況を作り出したのは根無らしい。根無は断罪されようとしている。自分が何をしたのか、根無は判らなかった。

 「だから、自分の何が悪いんだよ。」

 「だから、昨日穂奈美ちゃんが聞いてきたでしょ。根無君が私と仲良いのかって言ったら、根無君はそうだって言ったでしょ。」

 取り乱した穂奈美の代りに責めるのは、塩田だった。根無は塩田と話すのも嫌だった。説明を幾ら聞いても理解できない。昨日の階段、突然現れては足早に消えた少女が居た。それまで話したこともない謎の人が、今眼前に立つ穂奈美と同じらしい。雑踏の中、逆光で見えづらかった少女の顔と結び附くことはない。

 確かに穂奈美は根無に何か訊ねた。内容が塩田に関係していることまでは理解できた。一度きりの質問でも、根無には一年もの時間に感じる。根無は塩田とのことを否定したはずだった。しかし雑な受答えが、逆の意味を与えたのかも知れない。記憶は定かでなかった。どちらにせよ、穂奈美を傷つけるまでの過程が見えない。根無の心は穏やかではなかった。

 「謝ってよ、一言。」

 「何でだよ。何もしてないって。」

 何度目かの膠着状態になった。原因は根無でも、誤解か相手の問題としか思えない。根無は態度を固くしようとしたが、直ぐに綻びが出て、修復に手間取るのだった。相手がまだ傷心から直らずに居る。見ていて根無は、責任を握らされそうになる。塩田が迫る通り、謝罪の言葉が似合う気がする。弱腰になる最後の所で根無は踏み留った。根無も意地だった。やり過すことは可能だった。相手にとっても楽しいはずがない。それに今日は卒業式だった。

 根無の抵抗はいつまで続いたのか。動かし難い人達からどのようにして切り抜けたか曖昧だった。両者の一歩も引かない姿勢より、時が来たことの方が強力だった。根無を含む大勢の人が体育館を目指して移動する。途中で生徒達は多目的教室に入った。椅子等は片附けられて、卒業生全員が場を埋めて腰を下した。各クラスの教師は空いている場所に立ち、こえから学校を出て行く人達を見渡している。教師は生徒達の心構えを整えるための言葉をかけた。厳粛な空気が流れている。場を乱す理由もない。

 このまま真直ぐな路を歩めば良かった。しかし根無達は一度立ち止らなければならなかった。柵を立てたのは教師だった。根無はこの光景を既に描いたことがあった。

 「昨日、下校する時に田村先生が鍵を開ける前から校門を飛び越えて行った人が居たと聞いています。昨日門を登って出たという人は今直ぐ立って下さい。」

 一人一人と立つ者が増えた。偽りなく、根無の知っている人ばかりだ。根無も正直な人間だった。

 ただでさえ締った空気に、更なる緊張が走った。根無の錯覚だったかも知れない。

 「何でそんなことをした。」

 問いかけに答える者は居ない。教師も弁解を求めている訳ではなかった。

 「門は閉っていたんだぞ。田村先生が来るまで待つこともできないのか。考えたら分るだろう。」

 やはり無言だった。叱責の時間は長くは続かなかった。ただ、どうかすると長引くことも容易に想像できる。

 過ちを咎めているのは、根無のクラスの担任だった。門を飛び越えたのは皆、教師が担当する生徒だったからだ。教師は端から生徒の顔を順に眺めた。最後に首が左を向いた時、眼が合ったのは根無だった。教師は同じ態度で、根無にだけ声をかけた。

 「根無、お前までやるとは思わなかったぞ。」

 その時、根無は立ち竦んだ。今おかれている現実は変えられないのだろうか。沢山の無実の人に囲まれている。同罪の人とも、まるで質が違った。たった一人根無は、ここから出ることはできないのだという観念に染まった。



「根無信一のわかれみち 2」完

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根無信一のわかれみち 欄干(小説部) @rankan

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