小枝
増田朋美
小枝
パリ市内も、穏やかに晴れて、のんびりしていた日であった。大都市であるけれど、日本のような、無愛想な忙しさではなく、どこかおしゃれなところがあって、また別の忙しさであることが、違うのかもしれない。もちろん、人が多いんだけど、日本よりもちょっと明るくて、楽しい感じがするのが、ヨーロッパと言うところのお国柄なのかと思った。
そんな中、その人が多い中で、マッチ箱を立てにしたような形の家に住んでいる、モーム家では。
「だからさあ、咳き込んでないでご飯を食べてくれないかな。もう何日何も食べないでいたら気が済むの?」
と、杉ちゃんが言うほど、深刻な問題が起きていた。
「こっちへ来てもだめですか。こっちなら、安心して生活できると思ったんですけどねえ。」
チボーくんまで、そういうのだから、よほど深刻なのだろう。二人が、そう言い合っている間、トラーが水穂さんの背を叩いたり、さすったりしていた。
「馬鹿!またやる!」
杉ちゃんがそういったのと同時に、水穂さんの口元から内容物が出た。それは朱肉みたいに赤くて、真っ赤だった。
「やれれえ。またやったか。」
困った顔をして杉ちゃんがそう言うと、
「私、ベーカー先生を呼んでくるわ!」
と、トラーは言った。
「大丈夫。ここは日本と違って、水穂のこと馬鹿にしたり、変なこと言ったりする人間は誰もいないわ。だから私言ってくる。」
「そうだけど、3日前に見てもらったときは、何も変わってないと言われたばかりだろ。あんまり医者を呼ぶとなると、いい迷惑になってしまうんじゃないの?」
チボーくんの言う通り、3日前に、ベーカー先生に見てもらったばかりである。その時は、薬をもらって、様子を見てくださいと言われたのであった。
「関係ないわ。今苦しんでいるんだから、なんとかしてあげなくちゃ。私、すぐ言ってくるわ。もし、なにかあったら、すぐ電話をちょうだいね。」
トラーは、猪突猛進に、部屋を出ていってしまった。チボーくんがおい、待て!と言っても聞かなかった。
「電話をくれといっておきながら、スマートフォンを忘れていくんだから、全く彼女らしい。」
チボーくんはテーブルの上に置いてあるスマートフォンを顎で示した。庭では、シズさんが洗濯物を取り込んで居るのが見える。
「三日前もベーカー先生に見せて、薬ももらったばかりなのに、もうおかしいなんて、せめて、一週間先とかそういうときでないと、意味がないと思うんだけどなあ。全く、どうして彼女は、そういうふうに、気が立つと実行に移してしまうんだろう。」
そういうチボーくんに、
「幼馴染のお前さんもわからないのかい?」
と、杉ちゃんは聞いた。
「はい。いくらもう少し落ち着いて行動するようにと言い聞かせても彼女は、一度思いつくと実行しないと気がすまないようで。お兄さんのマークさんもどうしてそうなるのかな、と不思議に思っているようです。」
チボーくんが説明する通り、いくら注意をしても治らないということは、もしかしたら、ただの癖どころではなく、なにか異常なところがあるのかもしれなかった。それは、車椅子に乗っているのと同じなのかなと思われるのかもしれない。そうしているうちに、玄関先でなにか騒がしい声がする。杉ちゃんにはその内容はわからないが、多分トラーが、ベーカー先生になにか説明をしているんだろう。ベーカー先生も、一生懸命彼女がなにか言っているのに、閉口しているらしく、ああ、ああ、と返答している声も聞こえてくる。しばらくして、トラーがベーカー先生の手を引っ張って入ってきた。しまいには、水穂さんまでが、咳をしながら申し訳ありませんと頭を下げてしまうくらいである。トラーがそれを無視して、ベーカー先生に一生懸命訴えているが、ベーカー先生は、大変困った顔をしてそれに応じていた。杉ちゃんが、何を喋っているんだろうあの二人と言うと、チボーくんが、
「こういう薬は、3日ごときで効果が出るというものでは無いそうです。すみません、根がせっかちなものでとトラーは言うけど、そんなことで、医者を呼ぶ理由にはならないよねえ。」
と、通訳した。
「まあなあ。日本では、3日で薬が効かないからと言って、医者に怒鳴り込みに行くお年寄りもたまに居るが、それとこれとは、話が違うと思うけど、、、。」
と、杉ちゃんが言うと、ベーカー先生とトラーの口論はやっと終わった。そう思ったら、今度はトラーが涙をこぼしてなく始末である。
「まあなあおとらちゃんさ、人間の体ってのは、機械とは違うんだから、部品を取り替えれば動くとか、ガソリンくれれば動くとか、そういうことは、無いんだよ。それでベーカー先生を責めても仕方ないの。だから、しばらく様子を見ようと言われても、しょうがないだよ。」
チボーくんが杉ちゃんのセリフを通訳したので、ベーカー先生は大きなため息を着いた。そして、また一言二言なにか言った。チボーくんは仕方なく、
「医者はガソリンスタンドとは違うんです。ガソリン入れれば車が動くのとは確かに違いますよ。だから、あんまりしつこくしないであげてください。」
と、また通訳した。トラーは、またそれに詰め寄るようになにか言うのであるが、ベーカー先生は、また彼女に何か言った。杉ちゃんが、それを見ると、チボーくんは、
「薬なら、ちゃんと効くものを出してますから、そんなに気をやまなくて大丈夫だそうです。それに、頻繁に発作を起こすようなら、それは精神的な問題でもあると思う、だそうです。」
小さい声で通訳した。
「精神的な問題か。それでは、結局、本人がなんとかするしか無いってことだな。まあ、僕らは手伝うしか無いよ。」
杉ちゃんがそう言うと、ベーカー先生は、また何か言って、軽く頭を下げてモーム家を出ていった。とりあえず、ベーカー先生が飲ませてくれた頓服の薬のおかげで、水穂さんは静かに眠っている。杉ちゃんが、ほら、夕方は冷えるぜと言って、かけ布団をかけてやった。トラーは、静かに、真っ赤に汚れてしまった口元を拭いてあげた。
「ねえ水穂。」
トラーは、水穂さんに言うのだった。
「何も食べたくないの?」
水穂さんは目を半開きにして、一言、
「焼き芋。」
と言った。
「焼き芋かあ。こっちでは、焼き芋屋さんもいないかならなあ。ほら、いしやきいもって、歌いながら練り歩く焼き芋屋さんがいないんだよ。」
と杉ちゃんが言うと、
「そうですねえ。まずはじめに、こちらでは、ケーキにするとか、クッキーにするとか、そういうことにしか使いませんからね。そうやって、芋をまるごと焼いてどうのという習慣は無いですよ。」
チボーくんもそういった。
「わかった。じゃああたしが焼き芋作ってあげるから、それで元気だしてよ。」
と、トラーはいきなりそういいだしたので、チボーくんも杉ちゃんもびっくりする。
「ちょっ、ちょっと待て。燃料はどうするの。」
チボーくんはそういうのであるが、一度ひらめくと、なかなか鎮火しない彼女は、すぐに台所に行ってしまった。
「一体どうやって焼き芋を作るつもりなんだろう?」
チボーくんと杉ちゃんは、顔を見合わせた。洗濯物を畳んでいたシズさんが、
「一生懸命調べてたわ。オーブンで芋を焼けばできるって。」
と小さく呟いた。
「そうだけど、日本の焼き芋を、電子レンジで再現できると思うか?焼き芋は、外で焼くか石で焼かないと美味しくできないんだよ。」
杉ちゃんが急いでそう言うと、チボーくんは大きなため息をついたが、いきなりバアンとなにかを叩いた音がしたので、びっくりする。心配になって二人は、台所に行ってみると、トラーがオーブンレンジの前で泣いていた。
「おい、どうしただよとらちゃん。」
杉ちゃんに言われてトラーは泣きながら、
「全然オーブンの温度が上がらないの。焼き芋を焼く温度まで行かないの。」
と答えた。確かに、石焼き芋を作るには、250度くらいに焼いた石を利用しないとできない。トラーが動かしている電子レンジでは、200と書いてあって、それ以上にはならないことを示していた。
「いくら温度が上がらないからと言って、オーブンを壊すような真似はしないでくれよ。そうしたら、お料理できなくなってしまうぞ。」
杉ちゃんが言うので、チボーくんが急いでオーブンの電源を切った。
「このオーブンでは焼き芋は作れないよ。焼き芋はやっぱり、日本独自の道具を作って作らなきゃ。こっちにはもともと焼き芋を作る習慣なんて無いんだから。そんな、不自由なことをここでやろうなんて、無理なことだ。諦めて別のものを作らなきゃ。」
チボーくんは、泣いている彼女を慰めたが、最終的には、本人がなんとかしなければならないことであった。これは日本であっても海外であっても、仕方ないことである。そんなことをわざわざ伝えなければならないなんて、チボーくんも切ない気持ちになった。
「どうしてもお国違いってあるよなあ。食べ物は、お国によって使いかたは違うもんな。」
杉ちゃんがでかい声でそう言うほど、食べるものを作るというのは、国によりけりだ。それは、ときに、全然違うものになっているときもある。
「よし、諦めて、晩ごはんの支度しよう。」
と、杉ちゃんは、ご飯の支度に取り掛かった。すると、いつの間にか、洗濯物をたたみ終えたシズさんが、
「そこのオーブンは使えないのですか?」
と、杉ちゃんたちに言って、庭を指さした。
「庭で何をすると言うんだよ。」
杉ちゃんが答えると、
「公園に、枯れたすすきとか、落ちている木の枝は、いっぱいあるわ。」
と、シズさんが言った。
「そうだけど、それを拾っていたら、ちょっと、変な人に見られませんかね。浮浪者とかに間違われたりしないかな?」
チボーくんはそれを心配した。確かに、現在は暖炉を持っている家もあるが、そこの薪だって、ホームセンターのような場所で買ってくることがほとんどであり、道路に落ちている木の枝を拾ったりすることは、全くと言っていいほどない。
「いえ、大丈夫ですよ。私なら。それは、水穂さんと同じ理由だから。」
と、シズさんは言った。その言葉が、どんなことを示すのか、後で意味がわかる。
「それなら、私も一緒に行くわ。私だって、水穂のためになにかしたいから。」
と、いきなりトラーが立ち上がった。
「でも、そんな事したら、君も、シズさんと、」
チボーくんは、そんな心配をしたが、トラーの決断は変わらないようであった。シズさんと二人で、じゃあ、燃料集めに行きましょうと言って、どんどん家を出ていってしまった。
「時々わからなくなります。」
チボーくんは言った。
「わからなくなるって何が?」
杉ちゃんが聞くと、
「はい。僕は、15年以上彼女と付き合っているのに、未だになんで、シズさんのような人がされることを、わざわざ自分も一緒に参加して、体験するようになるんでしょうかねえ。」
と、チボーくんはため息をつく。それが何を意味しているか、杉ちゃんも通訳なしでわかった。
「そうだねえ。まあ、愛するやつの直感ってことじゃないか?」
杉ちゃんが言うと、
「そうですか。もう、僕のことなんか興味なくなってしまったのかな。」
チボーくんはまた悲しそうな顔をするので、杉ちゃんは彼の背を叩いて、
「せんぽくん、男らしく告白しろ。」
と言った。チボーくんは、男泣きをこらえながら、はいとだけ言った。
一方、トラーは、シズさんと一緒に、公園に落ちている木の枝を拾っていた。シズさんの方は、もうこういう作業になれてしまっているのか、平気な顔して枝を拾っていたけれど、トラーは、ずっとしゃがんで枝を拾う作業は結構きついものがあった。
「どうしたの?」
シズさんに言われて、トラーが周りを見渡すと、心無い人達がなにか言っているのだった。それを日本語に直すと、またいやらしいロマが小枝を拾っているぞ、という内容であった。それにも構わずシズさんは枝を拾い続けている。周りの人達の言葉を無視して、作業を続けるというのは、結構辛い。そのうちシズさんは、作業能率を上げるため、いい声で大好きな君に捧ぐを歌い始めた。それを見て、周りの人達は、また笑いだした。今度は歌まで歌って、このばあさんよほど馬鹿なんだなあと、周りの人達は言っている。それでも平気な顔をしてシズさんは枝を集めていた。逆を言えば、シズさんのような身分の人でなければ、そのような行為はしないということだ。周りの人達は、きれいなやつがロマのばあさんと一緒に、なにかやっているということをいい始めた。しまいには自分までそう言われてしまうということでもあるのか。でも、私のためではないんだ、それより、水穂のためだもの、と、トラーは自分に言い聞かせて、枝を拾う作業を続けた。もう周りの人の言うことなんて、気にしないわ!私は、そういう人間なんだから!とトラーは、口に出していいたかったが、それは言わないで置いた。
「さあ、これだけあつまれば、焼き芋できるかな。それでは、帰ろうか。石焼き芋はできなくても、これで焼き芋はできるから。」
とシズさんは、拾った枝をビニール袋に入れて、モーム家に戻り始めた。相変わらずパリ市内は人が多い。いつでもどこでも人が歩いているし、カフェでお茶を飲んだりとか、本屋さんなどに立ち寄る人もいる。二人が、木の枝を持ってモーム家に戻る間も、周りの人達は、彼女たちのことを、変なやつだと漏らしていた。全く、どうして人間というのは、こういうふうに他人のことを、囃し立てるのが好きなんだろうなと思うほど。
「ただいま。持ってきたわ。じゃあ、焼き芋を作ろうか。」
シズさんは、持ってきた小枝を庭に広げた。水穂さんはまだ眠っていた。その間に、焼き芋を作って置こうということになった。杉ちゃんが、オーブンから出しておいた芋をアルミホイルで包んでシズさんにわたすと、シズさんは、小枝の間に芋を入れた。チボーくんが用意していたライターでそれに火を付ける。
「40分くらいかしら?」
と、シズさんが言うと、杉ちゃんがそうだねえといった。燃料である小枝を動かしたりして、火加減を調節するのは、シズさんがやった。
「随分上手ですねえ。なんか、すごいなれている感じだな。」
杉ちゃんがそう褒めると、シズさんは、
「私が、子供の頃は皆そうだったのよ。道路に落ちている枝を拾って、それを売って食べ物を得たりしたりしたこともあったわ。」
と、静かに答えた。
「そうなんだねえ。それは結構大変な生活だったのでは?」
杉ちゃんがそう言うと、
「ええ。でも、ロマですもの、仕方ないわよ。そういう生活が当たり前だったのよ。」
シズさんは、小枝を動かしながら、小さな声で言った。トラーも思わず、
「水穂も、そういう生活していたのかな。」
と小さい声で言う。それを聞いてチボーくんは、彼女が水穂と一緒になろうなんていい出したりしないか、ぎょっとしてしまったのであった。そんなことをしたら、トラーが可哀想過ぎるのでは?と思う。そんな、人種差別的な事、彼女に体験してもらいたくない。
「まあ、そういうことだな。それで、こっちまで来ないと、日本では、良い医療を受けさせて貰えないから、こっちへ来たんだろうが。答えは明白だぜ。」
と、杉ちゃんがそういった。
「ほんと、さっきまで、シズさんと、道路を歩いて言ったときも、いろんな事言われちゃったもの。水穂も、ああして言われちゃったのかなって、辛かったのよ。」
トラーはそういった。チボーくんとしては、それはもう嫌だから、こっちで生活すればいいんだと言ってもらいたかったけれど、
「でも私は平気だもん。水穂のこと、大事に思ってるから。それにね、私、馬鹿にされたりしてるのはなれてるわよ。だって私は、働いたりして正常に暮らしているわけじゃないから。それは、正確に見てくれという方が間違っているっていうじゃない。それと同じなのよ。だから私は平気。どんなことでも我慢できる。」
と、彼女はそう、チボーくんの意思とは、全く逆のことを言うので、非常にがっかりしてしまった。
「そうだけど、カージョがロマにはなれないでしょ。それと同じことで、やっぱり、本人にしかわからないことってあると思うわよ。」
火の管理をしながらシズさんが言った。そうなのだ。本人にしかわからないことだってある。シズさんいいこというと、チボーくんが言いかけると、
「まあ、もともと同和問題はロマ族とは違うけどねえ。」
と、杉ちゃんがそう言うのだった。
「さあ、そろそろ40分たったかな。じゃあ火を消しましょうか。」
シズさんがそう言うと、チボーくんはバケツに水を入れて、火を消した。そして、燃え尽きてしまった小枝の山の中から、よく焼けた芋を取り出した。
「よし、これを食わせよう。」
杉ちゃんが焼き芋を皿に置いた。
「あの、食べさせる役目を私にやらせて貰えない?」
不意にトラーがそういい出した。杉ちゃんは、じゃあそうするかと言って、彼女に焼き芋を渡した。トラーは、焼き芋のお皿を持って、すぐに客用寝室に行って、眠っていた水穂さんの体を揺すって、こういったのだった。
「水穂、焼き芋、作ってみた。石焼き芋じゃないけど、これで、我慢して。」
それを見てチボーくんは、また泣きたい気持ちだったけど、ぐっとこらえて、
「水穂さん、焼き芋ですよ。作ってみましたから、食べてください。」
と、小さい声で言った。水穂さんの目がぼんやりと開く。そして、目の前に置かれている焼き芋を見て、
「焼き芋、、、。」
と、小さな細いこえで言った。
「水穂には私が居るわ。絶対に私が居るから、忘れないでちょうだいね。」
そう言っているトラーを見て、チボーくんは、本当に辛くなってしまうのだった。それでは、もうトラーはこのショパンの生き写しのような日本人に取られてしまうということか。それは本当に、、、。
「せんぽくん。」
杉ちゃんに言われてチボーくんはハッとした。
「はやく、男らしく告白するんだな。」
それが自分に課せられた目下の急務なんだとチボーくんは思った。
小枝 増田朋美 @masubuchi4996
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