第8話 SerenelyNoon


カランッカランッ…


月の白む午後1時。


飛行機雲に空のあわいが縫われた様を眺めながら、向かいで煙草を吹かす男の話に耳を傾ける。


男は静かにぽつりぽつりと言葉を紡いでいた。


私に関わる範囲から漏れることなく、例え話を独白のように繰り返している。


話題の流れに沿って手元のスプーンをゆるくかき回しながら、自身の身に起きた不可思議な出来事を整理してみた。目線は飛行機雲の空のまま…男の話に合わせ、過ぎ去った寂寞せきばくを思い返してみる。手は動きを止めず…ひるがえたび、柄の長い鈍色にびいろが白くきらめいた。


「金魚鉢ってさ…丸い形してるだろ。中にいる金魚には無限に水が広がってるように見えるんだ…って昔聞いたことがある。実際は狭くて小さいのに、光の乱反射のせいで永遠に水中が続いてるように見えるんだってさ…。」


男は相も変わらず煙をくゆらせながら、淡々と話を続ける。視線も合わせずうつむいたまま…ただただ言葉を紡いでいる。

対する私は窓越しの空へ視線をさ迷わせていたが、はっとして手元のクリームソーダへ視線を移した。


溶ける前に食べてしまわなければ。


気づけばグラスにはびっしりと水滴が張り付いている。もてあそんでいた鈍色のスプーンをそっと上へ引き上げると、今度はグラスを口元へ引き寄せソーダを一口分だけ含む。飲み込むと喉元まで冷たさが染み渡り、クリーム混じりの甘くて懐かしい香りが広がった。再びスプーンをグラスの淵へ戻す。ふわふわのホイップクリームをスカイブルーの海に沈めては浮かべ…ゆっくりと、溶けかけたバニラアイスをすくい上げて口へ運ぶ。ひんやりとした甘味と幸福に満たされる…それと同時に煙が私の顔を覆った。

大仰おおぎょうに片手を扇いでみるものの、此方こちらの様子に全く気づかないようで…構わず男は話続けている。私は顔をしかめながらいぶかしげに睨んでやった。


「硝子が球体だと…光が色んな角度から射し込んで、錯覚を起こすらしいんだ…。中に水が入るから、水がレンズの役割をして光が撹乱する…さっきの海に似てるだろ…。」


男が細く煙を吐き出す。

伏し目がちに黒目だけを此方こちらに向け、「ごめん」と小さくびた。


「ふぅん…それで、結局あれは何だったと思うの。…この紅玉るびーも、正体はよく解らないし…。」


ふと、口先だけの質問を投げ掛けていた。答えのないといだということは、互いに分かりきっている。

視線を落とした先に煌めくあか

私は煙を追い払う手を止め、指先でその紅い闇を控え目になぞる。まるで指先の動きに呼応するかのように光沢を増していく。

恐ろしくないわけではなかった…それでいて魅惑的なこの深みのある紅は私を惹き付ける。


「さあ…ただの石ころではない、としか言いようがないな…。俺には…さっぱりだよ。」


男はテーブル上の紅玉るびーを認めると酷く顔をゆがめたが、口調は淡々としている。態度こそ落ち着いているものの…この奇怪極まりない石をどうしてくれようか、とでも言いたそうな険しい表情である。


『まぁ…あんなことがあったらそうもなるよなぁ…。』


視線を手元の紅玉るびーに置いたまま、私も男もこの奇っ怪な宝石の処遇しょぐうを決めかねていた。

私は溜め息混じりに残りのソーダを飲み干し、パールホワイトの携帯電話に手を掛けた。小さくアンテナの付いたそれは、折り畳み式で、着信と同時に中央のライトがアクアブルーに光る代物しろものである。目印として、黒く縁取ふちどられたステンドグラス調のイルカのストラップが飾られていた。イルカはアクアブルーと鮮やかなあおの硝子でいろどられている。

携帯電話を開き、メールや着信履歴に目を通す。今のところ厄介な用件は無さそうだ。その一方で、男を一瞥いちべつし席を立った。

カランッ…とストラップが鳴る。


「クリームソーダご馳走さま。」


男は軽めに頭をくと、咥え煙草を外して視線を私へと移した。


「ん…そう焦るな。仕事は2~3日休み取ったから、俺も行くよ。車…ないと困るだろ。」


答えながら、残りわずかになった煙草を灰皿へと押し付ける。男はレシートをやるせなくつまみ上げ、シガーケースにライターをしまい込んで席を立つ。


私の背中で深い溜め息が聞こえた。

蠱惑こわく的な紅玉るびーを抱えたまま、向かう先はまだ遠く。


カランッカランッ…


誰も居ない古びた喫茶店…

会計を終えると揃って店を後にした。

夏の日射しが容赦なく二人へ降り注ぐ。


静かな昼下がりは檸檬色の光に溺れている…





瞬間、強い風が吹き抜けた。


うねりを帯びた風圧に抵抗できず、咄嗟とっさに顔と衣服を覆うも…風はぐに走り去って行った。




見上げれば突き抜けるような蒼空。

流れに乗って散り散りに舞う雲の魚。





遠くから潮騒が聴こえる…









カランッカランッ…

クリームソーダの氷が溶けた。





時は止まり、ほのかに海の薫りがした。


辺り一面のあお


私は海に包まれている。

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昼下がりのプール 靑煕 @ShuQShuQ-LENDO

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