8話 双子

「いいえ。」


 右の耳元から甘い吐息と共にかけられた言葉に俺は脱力した。甘い声、甘い匂い、甘い吐息、そして自分は鬼じゃないという言葉、挙句に耳へのくちづけ、柔らかいその感触、ソレ等全てに俺は脱力させられた。ならお前は何なんだ?と、そう問いかけたいが上手く言葉が出てこない。緊張か、それともこんなバカげた状況に興奮している悲しい男のサガがそうさせているのか。


 やがてアキは片腕を名残惜しそうに俺の身体から離すと入口を指さした。釣られて俺もソコを見れば……ソコには鬼の面を被った女が入口から射しこむ光を遮る様に立っていた。ヒッ。辛うじて俺の口から漏れたのはそんな情けない声だけだった。だがまだ大丈夫な筈だ、だって今の今まで神社ココに入ってこれなかったんだ。


 しかしそんな祈りは届かず、入口に立つ鬼の面を被った女は入口を邪魔していた自転車をどかすと何の躊躇いもなく神社の中へと足を踏み入れ……


「正解は。」

 

 そう呟いた後に面を外すと邪魔とばかりに放り投げた。そこにあったのは、アキと同じ顔だった。瓜二つ。双子だ。


「私達が鬼なの。」


 思考が追い付かずボケっとする俺の左の耳元からそんな声が聞こえた。ハッと意識を向ければ、いつの間にか俺を追いかけていた鬼は俺にしなだれかかっていた。アキよりも更に甘ったるい声を掛ける女は俺を押し倒すように、甘えるように俺を前から抱きしめる。すぐそばに鬼の顔がある。はっきりと見えるその顔は、ゾッとするくらいに美しく、そして額と髪の境目辺りに二本の角が生えていた。


「「捕まえた。」」


 左右の耳から同じ言葉が聞こえてきた。甘い甘い、理性だけでなく動揺混乱、果ては死の恐怖までをもかす声。身体が動かない。動かせない。それは声のせいでもあるし、この二人の人外染みた膂力りょりょくのせいでもある。こんな華奢な身体で男一人をこうも容易く止める力なんて出せない。鬼だ。間違いなく。だが身体は全く、微塵も、一切動かせない。どれだけ力を入れてもビクともしない。相手は優しく俺を抱きしめているのに、なのにピクリとも動かせない。その手を振りほどけない。


「約束、覚えてる?」

「私達はずっと覚えていたよ?」 


 鬼は左右の耳から甘い声で囁く。とても嬉しそうに囁く。約束。約束?いや、まさか……

 

「まさか。子供の時の……」


 そうだ、間違いない。田舎ココに戻ってから断片的に思い出すようになった昔の出来事。まだ子供の頃、何処とも知れない女の子と遊びまわった思い出。何故か鬼ごっこがやけに上手かったその子は実は見た目も声も瓜二つの双子で、確かその子達と約束をしたような気がする。アレは、確か……


「大人になったら、一緒に……一緒に一つになろう。」


 振り絞る様に俺は呟いた。そう、確かそんな約束だった気がする。一つになるという言葉の意味、その時は分からなかったが今ならば分かる。嫌というほどに理解できる。だから必死で振りほどこうともがくが、やはり何をどうしようが二人を動かす事さえ出来ない。


「ウフフフフフフフフッ。」

「正解。」


 彼女達の声が左右の耳元から聞こえてきた。心底嬉しそうな、楽しそうな声だ。もう駄目だ。俺は……食い殺される。だが、なのに不思議と恐怖感が湧かない。原因はこの声だ。甘い声、恐怖とか理性とかそういった何もかもをかす声が両耳から脳を麻痺させる声が今も俺の耳元で優しく優しく囁き続ける。が、それだけではなく殊更に甘い吐息と唇の感触が耳をくすぐり、それがまた余計に思考を阻害する。


「美味しく育つのをずうっと待っていた。」


 左の耳から甘ったるい声が聞こえた。

 

「私は右から。」


 次に右の耳から男を堕落させる媚びた声が聞こえ……


「私は左から。」


 再び左から甘ったるい声が聞こえ……


「「いただきまぁす。」」


 左右から聞こえた絶望的な言葉を最後に俺の意識はブツっと途切れた。

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鬼 遊戯(おにごっこ) 風見星治 @karaage666

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