7話 鬼女

 勧められるまま、俺は俺の過去と都会の話を彼女に聞かせた。自転車で1時間もかかる県内の高校を卒業した俺はそれなりに発展している隣県の大学を受験、ストレートで合格するとそのまま逃げるように田舎を後にした。大学生活は順風満帆じゅんぷうまんぱんとはいかなかったがそれなりに楽しく過ごし、そしてそのまま順当に卒業した後は就職……と、この辺りで躓いた俺は最終的に派遣会社から大手ゲーム会社の契約社員という形でどうにかこうにか社会の枠組みに滑り込んだ。


 上からの無茶な指示や突拍子もない仕様変更、果ては完成直前からのちゃぶ台返しからの連日の残業等々を思い返しても何一つ楽しい事など無く、何度となく"こんな会社辞めてやる"と息巻いたが結局そんな事など出来ないまま今に至るわけだが、だがどうしてかアキはそんな詰まらない話に驚いたり一緒に怒ったり悲しんだりと様々な反応を返してくれた。


 だからだろうか。俺は自然と饒舌じょうぜつになっていって、気が付けば時間を忘れて話し込んでいた。我ながら拙い口調で詰まらない話をしていると思うが、でも彼女は相も変わらずそんな話を楽しそうに聞いてくれるものだからついつい嬉しくなってしまった、あるいは話し上手になったと誤解してしまったんだろう。単に彼女が聞き上手なだけなのに。

 

 そうこうしている内に神社内に変化が出始めた。蝋燭ろうそくの明かり以外の光源が射しこんできた。夜が明け始めた。矢も楯もたまらず俺が入り口を振り向けば、ソコには夜の闇を染める白い輝きが山々の間から昇る光景。ソレは神社内部を仄かに照らし、入口近くに立て掛けた自転車がその光を受け僅かな光沢を発する。随分と時間を使わされたが、だがこれで漸く家に帰れると安堵したその直後……


 ガタンと音がした。自転車が倒れた音だ。だがその光景に俺は唖然とした。いつでも出られるように、それ以上に僅かでも侵入の時間を稼ぐために入口を塞ぐように立て掛けた自転車が何かの拍子に外側に向けて倒れ……そして何もない空間で止まった。まるで見えない壁に阻まれているかのように自転車は入り口から神社の外に転げ落ちなかった。"何だこれ?"、気が付けばそう呟いていた。


「ウフフ。」


 直後。耳元から声が聞こえ、何ともよい匂いが鼻腔をくすぐり、背中に柔らかい感触の何かが当たり、そして最後に後ろから伸びた手が優しく俺を抱きしめた。アキだ。彼女が俺を後ろから抱きしめている。だが……その甘ったるく脳を痺れさせる声が、何故だか今は堪らなく怖かった。


 いや、状況を正しく理解したからだ。俺は……閉じ込められたと、そう直感した。ならばと俺は彼女を振り払おうとした。が、ビクともしない。まるでモデルみたいな華奢な身体から伸びる細腕を大の大人が全力で振りほどこうとしても全く動かせない。何だこれ?何が起きた、いやコイツ誰だ?いや、誰……まさか、まさかコイツ。


「ご名答。」


 耳元から声が聞こえた。最初に聞いた透き通った声とは明らかに違う、男を蠱惑こわくかし堕落させる甘ったるい声がフッと優しく吹きかける吐息と共に耳から鼓膜を通り脳を揺さぶる。


「お前が鬼なのか?」


 間違いない。疑いようがない。鬼はこの女の方だ。筋力は生まれ落ちた性別の差がモロに現れる。何をどうしようが鍛えた男の筋力に女は敵わない。ましてや俺は太らないようにと適度に運動をして筋肉を付けているのだから尚の事。


 だからゴリゴリに鍛えているヤツならばともかくこんなヒョロい女なんて簡単に振りほどける筈なのに、だがどれだけ力を入れても全く動かせない。しかも、何なら相手は全く力を入れている様にさえ見えない。何せこの女、相も変わらず俺の耳元で嬉しそうに笑っている上に、俺は何の痛みも感じていない。力任せに締め上げているんじゃなく、優しく優しく抱きしめているからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る