9.11 in NYC 〜NYテロから一年のあの日のこと〜

 今日この日をここNYCニューヨークシティで過ごせたことを嬉しく思う。

 日本や他の国でどう報道されているかは知らない。

 だが私が見たのは、確かにNYCの真実の一つだ。



 朝。

 私は九時に友達が来るのを分かっていながら準備もそこそこにTVを見ていた。

 見事に全チャンネル、からの中継だ。

 私は行ったことがない。

 8:46.

 全ての音が消える。全チャンネル、無音で工事現場のようなあの場所と、マンハッタンの空を写し続ける。私はやかましい音をたてる冷房を消した。

 特別な瞬間のように感じられた。何か、神聖な。

 世界中でTVを見てる連中、きっとそれを信じる。



 ニューヨーカーのタフさは心得ているつもりだった。

 だが、それでも私は勘違いしていたようだ。

 今、TVはチャンネル11「フレンズ」を除いて全て今日執り行われた様々な9.11トリビュートを放送している。グラウンドゼロを始め、バッテリーパーク、セントラルパーク、ユニオンスクエア、マンハッタン以外の5ボロウズ各ポイント、NJホーボーケン等々。コメントする人々、泣く人々、キャンドルに火をつける人々。

 メディアの恐ろしさを再確認する。

 NY中が今日という日を特別に過ごしたと、あの悲劇を思い出したと、犠牲者に思いを馳せたと、そんな風に思わせる。

 世界中でTVを見てる連中、きっとそれを信じる。



 ステージに男が登場する。マイクに向かって何か喋り始める。ガヴァナー・パタキか? ブルームバーグか? 私は奴らの顔を知らない。

 そして別の人物が登場すると、それまでとは一転、拍手歓声がグラウンドセロを埋める。

 やっぱ彼でしょ、NYの顔は。ルディ・ジュリアーニ。

 名前が呼ばれ始めた。チェロ弾いてんのヨーヨーマか?

 突然電話。友達が駅に到着。迎えに行く。


 アストリアの街は、極めて、極めて、いつも通りだった。 

誰も星条旗Tシャツを着ていないし、黙祷が行われた形跡もない。みな忙しない。

 ブリッジの下のトラックが、大音量でラジオをかけている。二千人の名前が呼ばれている。通行人は初めて気づいたようにそれに耳を傾ける。


 友人と共に、マンハッタンはW4thストリート、ワシントンスクエアパークへ。

 きっと何かイベントが行われているだろうと思っていたが、そこにはいつも通り、人々が何をするでもなく座り込んでいるだけだった。

 脱力しながらユニオンスクエアパークに向かう。

 各ストリートに、白い車体に青い文字の入った車が止まっている。多すぎる、うようよいる。

 NYPD(※ニューヨーク市警)。

 朝ニュースで見た、CODE ORRANGE(※テロ警戒レベル)という言葉を思い出す。

 12thか13thストリートで人だかりが目に入った。赤い建物。FDNY(ニューヨーク消防局)だ。TVカメラ、星条旗、黙祷する人々。


 ユニオンスクエアに近づいたところで、その異変に気づいた。いつも学生やパンクキッズ、暇なご老体が(ワシントンスクエアパークと同じように)座り込んでいるサブウェイ入り口付近は柵で覆われ、銅像の前に何かパネルが何枚も立っている。道端にはFOX5のロケ車。人々はパネルに貼られている無数の紙を読み、写真を撮り、蝋燭に火をつける。カウンセリングブースは満席、星条旗は飛ぶように売れていく。

 正面から見れば、それは完璧な9.11トリビュートの絵だ。

 恐らくはカメラが捕らえない場所を、私は見ていた。ドッグエリアではいつものように犬が駆け回っている、ベンチではNYUの学生が宿題をやっている、ホームレスは物乞いしている。

 私はパネルに近づいてみた。地面にはチョークで色々メッセージが書かれている。パネルには無数のペーパーが貼られていた。子供のものらしい文字や絵、メッセージ。思わず教室中の生徒がそれぞれのペーパーと格闘しているシーンを想像した。

 それをめんどくさがる生徒が居ないと、誰が断言できる?



・あるニューヨーカーの9.11.01

 NYUに所属する彼は、一年前の今日、LAの友人からの電話で起こされた。大丈夫かと聞かれ、彼は何がだと答えた。そしてTVを見て、何が起きたか知った。学校はいつも通りあるだろうと思っていたが全学部休校になっていた。ラッキーだと彼は思った。三日後、医学部の学生だけ召集された。人手が足りなかったからだ。結局彼は一週間学校に行かなくて済んだ。だが埃と悪臭は彼の機嫌を悪くした。



 アスタープレイスで買い物して、ワシントンスクエアに戻った。

 風が異様に強い。まともに歩くことすらできない。

 TVカメラは強風のため空高く舞い上がった白いビニール袋を捕らえただろうか?

 並木の枝に引っかかった無様な星条旗を捕らえただろうか?

 とにかく、ワシントンスクエアパークは、今度こそ人でいっぱいだった。

 その輪の中心には、軍服を着た男達。マイクに向かって演説している。人々は皆白いカーネーションを手にして頭を垂れている。

 これもまた、完璧な9.11追悼の図。

 だがTVの前の人々は強風のためマイクが音飛びしまくっていたことこと知らないし、後ろのベンチでいちゃつくカップルを知らないし、いつも通りテーブルについてチェスをに興じる人々を知らない。



 それから家に帰るまで、今日が9.11だなんてことは全く頭になかった。

 ソーホーやヴィレッジを歩き回って買い物して、カフェ店員の対応の悪さに腹を立てたり、サブウェイが来ないことを愚痴ったり、全く普通の、楽しい一日だった。

 街中の店がセールをしていた。9.11メモリアルセールだ。友人は20%オフで洋服を購入した。ソーホーの一角では写真展が行われていた。全て一般市民から寄せられた9.11の写真だ。煙を上げるツインタワー、灰まみれの公園、灰まみれの人間、泣き叫ぶ女、MISSINGの紙を掲げる男。価格は一枚25ドル、いい商売だ。

「本人達に許可取ってあんのかな?」と、私は他意のない疑問を抱いた。


(余談だが、グランドセントラルのMISSINGパネルにも同様の感覚を覚えた。出入り口に無造作に置かれたパネル、シャッターを切りまくる観光客……)



 ギャップに気づいたのは帰宅してTVを見てからだった。

 一年前の映像。マンハッタンの景色、それは私の知らない物だった。ツインタワーが崩れ去って、画面はようやく私の知っているマンハッタンを写した。

 どのチャンネルも、NYCからの中継、或いは今日一日の映像だ。

 さっき通ったばかりのストリート、見覚えのある看板、昼間の準備中ムードとは大違いのユニオンスクエア(中継は言うまでもなくFOX5だ)、バッテリーパーク、見慣れすぎた巨大ネオンサイン=タイムズスクエア、我がクイーンズからはフラッシングのコンサート映像、そしてツインタワー亡き後マンハッタン島の象徴としての地位を確立した(或いは奪還した)、先月から私が通っているあの建物、エンパイアステイトビルディング。

 深刻な顔をしたキャスターが厳かに言う。


「NYそしてアメリカは今日、一年前の忘れ得ぬ悲劇を振り返ったのです」


 私にはよく理解できなかった。

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今宵も興を削ぐ者は 八壁ゆかり @8wallsleft

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